第42話

▪️幕間五

 世界の管理者とは何なのか。

 現在は知る者がいなくなったが、それは確かに存在する。


 この世界は魔力に満ちている。

 大地、空、草木、海、動物、そして人間。そのどれもに例外なく魔力が宿っており、世界は魔力によって構成されている。万物の力の根源のひとつだ。


 魔力とは純粋なエネルギーだ。その活用方法は多岐に渡り、ときに破壊的な力をもたらすことすらある。


 世界に魔力が生まれたとき、神はその力の強大さゆえに危惧を覚えた。

 必要に応じて使用している内はまだ良い。しかし、力とは捻じ曲げられ、暴走し得るものだと神は知っていたからだ。


 だから、世界の魔力を管理する存在を創造した。万が一魔力が暴走したり、悪用する者が現れたときのために。

 神は同じ役割を持つ個体に六つの異なる要素を持たせて、龍という存在を作り上げた。


 すなわち、炎龍、海龍、地龍、嵐龍、鋼龍、そして雷龍である。

 彼らは生まれたその瞬間から、神に与えられた使命を果たし続けている。


 ナルカミは王都の上空を悠然と舞う。

 己の本懐である使命を果たすために。


 王都の周辺の魔力は乱れに乱れていた。これほどの状況は、長く生きるナルカミにとっても経験にない。

 乱れた魔力は非常に危険だ。それは例えるなら嵐の前に渦巻く雲のようなもので、いつ何時に何が起きてもおかしくはない。

 その意味で言うなら、王都は今にも災害に呑み込まれてもおかしくなかった。


 ナルカミは嘆息する。

 この状況を引き起こした者たちが引き起こした結末を思って。


 ナルカミの視線の先には、王国の中心である王城が佇んでいる。相棒であるアリアも向かうそこから、目を覆いたくなる性質の魔力が輝いた。

 なんらかの契約を行使した魔力光のようだった。

 輝きは一瞬。その後、城の一角から見覚えのある竜が空へ昇ってくる。


 言わずと知れた火竜である。

 赤い鱗に包まれた竜が、嫌悪感を覚える魔力を漂わせている。火竜は空に到達するなり、何の躊躇いもなくナルカミに向かって火炎を吐いた。

 ナルカミは避けることすらしない。帯電した鱗は、ただの炎で焼けることはなかった。


『ハッ! 随分と久しいなぁ、雷龍! 引きこもって姿も見せなかった貴様が今更何をしにきた!?』


 火竜が吼える。

 咆哮に呼応して鱗が逆立ち、周囲の気温が上昇する。羽根は大きく広がり、尾は長々としなり、牙は鋭さに光る。その姿は人と比べればはるかに強大だ。


 竜は、龍とは異なり自然発生した生物だ。一般的な生物ではない龍を除けば、おそらく世界で最強の存在である。

 その目にあるのは、己の力に対する自負であり傲慢だ。

 何人たりとも己の上に立つ者を許さない——そんな驕りが火竜からは見て取れた。


『どうもこうもない。お前が世界を乱すから我が出張ったまでのこと。大人しくしていれば我らが現れることなどない』

『相も変わらず貴様ら龍種は偽善者ぶっているなぁ! 余を人間如きに縛りつけたときから何も変わっておらん!』

『偽善も何もない。我らはただ、任せられた責務を果たしているまで。それが世界の安寧に必要だからだ』

『それが偽善だと言うのだ! 力を持ちながら、何をするわけでもなく生きるのみで、何を為そうともせん……それは余からすれば死んでいるも同然よ!』

『で、あればどうするの言うのだ。何を言われようとも我は変わらぬ』


 灰色の空に、竜と龍が相対する。

 雄大であるはずの火竜が小さく見えるほど巨大な龍。

 小さき竜は激昂し、巨きな龍は静かに佇む。

 相反する存在に、王都の民は戸惑い呆ける以外にできることはない。

 アリアを追っていた民も、アリアを庇った民も、そのどちらでもない民も、全てが固唾を呑んで空を見上げている。

 何が起きているのかはわからない。けれども見届けねばならないと、人としての本能が訴えていた。


『ふん。貴様に最初から期待はしていない。余は余の為したいように為す。そのためには手段を選ばん』

『お前の望み——力によって覇を為し、世界の頂点に君臨する、だったか。それが許されぬから、お前は炎龍の秘術に縛られたのだろう。長き刻を経ても、やはりお前は変わらぬか』

『当然であろうが! なぜ余が矮小な人間如きに支配されねばならぬ!? なぜ力ある者が力なき者に使われねばならぬ!? それは自然の摂理ではない!』

 火竜はますます激しく燃え上がる。それを見たナルカミは、小さく息を吐いた。

『……だから我はお前を秘術で縛るのに反対したのだがな』

『……何?』


 瞳孔を細めるナルカミに、初めて火竜が不審げになった。

 ナルカミは首を振る。それは、彼の相棒に酷似したひどく人間らしい仕草だった。


『お前が暴れていたとき、我を含めた五柱は、最初からお前を処分することを主張していた。それに異を唱えて、秘術で人間と契約させたのが炎龍だ』

『意味がわからぬ。それがどうしたというのだ。手加減したなどと寝言をほざくつもりか?』

『力を持つ者が力を持たぬ者に従うべきなのだろう? ならば、我らに敗北したお前は我らに従うべきではないか』

『余は敗北などしていない! 卑劣な貴様らの術がなければ、人間などに囚われることもなかった!』


 火竜が体内の魔力を急速に高めていく。それはナルカミの知るかつての火竜を遥かに上回る純度だった。

 おそらくは、火竜の最も得意としている火にまつわる攻撃だ。

 ここは人間の住む大都市の上空である。

 解き放たれれば、どのような災禍を引き起こすのかは考えるまでもなかった。

 けれども、ナルカミは事態を静観している。火竜を止めようとする気配もない。


『余が人間如きに囚われてから、どれほどの屈辱を味わい続けてきたのか貴様にはわかるまい! 力なき者に理不尽に奴隷として扱われたことがあるか!?』


 火竜の口腔に魔力が集中していく。

 鱗から噴き上がる火炎が灰をまき散らし、王都の空を更に灰色へと染め上げていく。


『許さぬ。貴様らも人間どもも何もかも許さぬ。手始めにこの地を焼き払い、余を封じた炎龍も貴様も打ち破ってくれるわ!』

 咆哮と共に灰色の空が紅蓮に燃え上がる。その様子に、王都の民たちがようやく事態を悟って大混乱に陥った。


 だが——

 それでもナルカミは動じない。

 それどころか、誰にも見せたことがないほどに深く深く息を吐いた。


『……愚かだな。そんなことは不可能だ』

『——なんだと?』

 聞き返す火竜に、ナルカミは見返す。

 その目に浮かぶ色がなんなのか、火竜にはわからない。

 それでも火竜は構わなかった。わからずとも、渾身の火炎で全てを焦がし尽くす。ただそれだけを思っていた。

 ナルカミの次の言葉を聞くまでは。


『炎龍は死んだ。もういない。——お前が奴を倒す機会は永遠に来ない』

『…………な、に……?』

 ナルカミから紡がれる事実。それを耳にした途端に、火竜の精神は初めて動揺に包まれた。

『そもそも、元々炎龍の管理区だった王国をどうして我が見ていると思っている? ——それは、炎龍が既に存在しないからだ』

 ナルカミは火竜の様子を知ってか知らずか、淡々と続けていく。

『炎龍は……奴は、貴様を封じる秘術を自身の命と引き換えに発現させた。貴様が人間の王と契約を繋がれたときには、とっくにくたばって影も形もなくなっていたさ』

『……何を……言っている……?』


 火竜の精神が乱れ、口腔の魔力がそれに合わせて波打つ。

 動揺を隠すように火竜は叫んだ。


『馬鹿なことを言うな! 貴様ら龍種は神に創造された不滅の存在だろうが!』

『お前の勘違いだな、火竜。我らとて死ぬときは死ぬ。炎龍は秘術のために魔力を使い果たして死んだ。それは誰にも変えられぬ事実だ』

『馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な……!? よりによって余を封じた炎龍が、余に殺されるよりも前に滅びただと!? そんなことが許されて良いはずがない!』

『お前の許す許さぬなど、何の意味も価値もない。炎龍は死んだ——どれだけ我が秘術の使用を止めようとも、決して奴の意志は揺るがなかった』

『…………っ!』


 発狂するかのような火竜を前に、ナルカミは思う。

 これは、おそらく避けられない運命だったのだ、と。

 炎龍が何を思って火竜に命を賭したのかはわからない。けれども炎龍の秘術によって、間接的にナルカミは得たものがある。


 それは、ナルカミの相棒となったアリア・ロッゾだ。

 彼女はこの世界の王国貴族として異世界から転生した。それは単なる偶然だったのかもしれない。

 けれども、火竜と炎龍がいなければ王国は生まれなかった。

 王国がなければナルカミとアリアが出会うこともなかったのかもしれない。


 そう思うと、火竜に対して感じる想いは言葉にできない。

 世界の管理者として責務を果たす相手であり、炎龍がいなくなった直接の原因であり、そしてアリアと出会う要因かもしれない相手。

 決して善なる存在ではない。

 処分することに胸が痛む相手でもない。

 それでも感じる何かが、ナルカミの胸に充満している。


 だから、小細工は抜きにした。

 ナルカミは持てる力をもって、眼前の火竜を叩き潰す。

 この地に赴く前から、そうすると決めていた。


『……御託はもういいだろう。さっさと始めろ。我は忙しい——アリアが魔導師として道を踏み外さぬよう、相棒として隣に立つ責務があるのだ』

『……っ! もうよい! 炎龍が死んでいようとも、同じ龍種の貴様を倒せば同じことよ! 貴様を殺して、余は世界の覇者となる——』


 火竜が憎しみの咆哮と共に、終焉の魔力を解き放つ。

『滅びよ! 余を封じた者どもよ! 余を利用した者どもよ! 竜たる余の怒りを知れ!』

 火竜の口腔が、太陽のように輝く。

 そして、世界を焼き尽くす炎が放たれた。

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