第41話
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玉座の間に、焦げついた匂いとオゾン臭が漂っていた。
積もっていた灰も吹き飛び、焼けた煤となって室内を舞っている。
私は無事に雷化を解除して、自身の体に戻っていた。脳を染め上げていた興奮と全能感は既に薄れてきており、若干の寂寥感を感じさせる。
「……そのまま動かずにいなさい。魔法を使わなければ体の異変も進行しないと思うわ」
私とミライラ嬢の戦いは、瞬きするほどの時間で、あっという間に終わっていた。
雷化した私が、自分ごと彼女を通り抜けて終わり——やったことと言えばそれだけだ。
彼女の魔法は火竜の契約に結びつく火魔法だ。それは、全身を雷エネルギー体へ変換できる魔導師である私とすこぶる相性が悪い。
どれだけ火力が高くとも、雷を火で焼けはしないのだ。
もし、それが可能な者がいるとするならば、それはナルカミと同列の存在に他ならない。
私は玉座の間の中央で大の字に倒れているミライラ嬢に声をかける。彼女は仰向けのまま、私を見ずに聞き返した。
「あんた……気づいてたの。私の左腕のこと」
「少し考えればわかることよ。人間の体に竜の鱗が生えて、何も問題が起きないはずがないわ」
私は呆れて返答する。少しぶっきらぼうになってしまうのは許してほしい。
戦闘中に気づいたことだが、ミライラ嬢の左腕はほとんど動かなくなっているようだった。
おそらく、生えた鱗が関節の動きを阻害してしまっているのだろう。彼女は隠していたつもりのようだが、雷化した私の知覚は誤魔化せなかった。
「なんで私を殺さないの。あんたにとって私は忌むべき敵なのに、慈悲でもかけたつもりなの?」
「ただの気まぐれよ。貴女も私を見逃したじゃない」
「……くそ。どうして、こんな目に。アルバート様と私が……」
顔を背けたミライラ嬢が悪態を吐く。私はその問いに回答はせず、踵を返しつつ彼女に告げた。
「寝ていなさい。もしかしたら、私の相棒が貴女の体、元に戻せるかもしれないわ」
「……戻れるの!? どうやって!?」
背後から身じろぎする音が聞こえる。私は玉座の奥の扉——謁見の間に歩を進めながら答えた。
「まだわからないわよ。相棒次第だから期待はしないで」
「そんなことできるわけない……。竜の契約魔法よ。人間にそんなことできるはずがない」
「そうね、人間には無理でしょうね」
「人間じゃない……? あんたの相棒とやらは一体何者なのよ……?」
ミライラ嬢が尋ねてくる。
私は無言で背中越しに上を指差した。
「……嘘……」
一瞬戸惑う気配の後、気づいたミライラ嬢が息を呑むのが聞こえた。
振り返ることはしない。今更彼女に顔を突き合わせて語る気はなかった。
ただそれでも充分だったのだろう。
彼女が震えて啜り泣く声が聞こえた。
▪️▪️▪️
竜の謁見の間は、王城における最奥にある。
この国にとって、守護竜の存在は国王よりも大きい。それが如実に現れている配置だった。
しかし、私が足を踏み入れたとき、この場の主は既になかった。
広々と取られた間取りの天井が、大きく開け放たれて鉛色の空が垣間見えている。ぱらぱらと灰が謁見の間にまで吹き込んでくるのが、かすかに幻想的な空間を築き上げていた。
火竜はどこへいったのか。
それは上を見上げれば一目瞭然だろう。空へ向かったのだ——ナルカミとの戦いのために。
「は、はは……。貴様ももう終わりだ、アリア・ロッゾ」
私は声をかけられて初めて気づく。謁見の間には先にひとりの男がうずくまっていた。
真っ白な白髪に、皺だらけの顔。唯一残った碧眼がギラギラと不気味に輝いている。
あまりの変わりように、私は一瞬彼が誰だか認識できなかった。それほどまでに彼は変わり果てていた。
国王代理、アルバート王子殿下。
この城の主人にして、国の頂点に立つ男だった。
しかし面影はほとんどない。知らぬ人が会えば、ただの枯れた老人にしか見えないだろう。
「火竜を戦わせるために魔力を吸われ尽くしたのね。なんて愚かなことを……」
私はアルバート王子の状況に思い当たって眉をひそめる。
下手をすれば、彼は二度と魔力が戻らないかもしれない。だというのに、彼は凶笑を浮かべていた。
「守護竜さまに、俺の持つ全てを明け渡した。ミライラも含めてな。空の化け物がくたばれば、次は貴様だ。せいぜい怯えて待つがいい」
私にはわからない。
何が彼をそこまで突き動かしているのだろうか。
確かにアルバート王子と私は相容れなかった。犬猿の仲とも言えるだろう。現在も明確に敵対しているし、お世辞にもできた人間だとは考えていない。
稚拙で幼稚な部分が目立ち、王族としての自覚も薄い。他者を平気で虐げ、そのことを覚えてもいない。
今でもジークさんを契約の秘術で縛りつけている点に関しては、ぶん殴っても足りないと思っている。
王家の人間ともあろう者が、人を人して扱わぬ外道の行いだからだ。
けれども、私は彼のある部分に関してはそれなりに評価をしていたのだ。
それは、ひとりの女性を愛したこと。
国王陛下を排除するようなやり方は間違っていたと思うし、その後の国政の手腕もお粗末極まる。しかしそれでも、愛する人のために行動できる人間というのは決して多くない。
だというのに。
この有様はなんだというのだ。
私は失望を隠せなかった。
「王国は不滅だ。守護竜がいる限り、王国に敗北はない。内敵だろうが外敵だろうが、竜に勝てる者などいないのだ。俺の王国は誰にも負けぬ。俺は永遠に敗北することはない」
彼には、別の道が確かにあったはずなのだ。そのことを、この世界で私だけは知っている。
ひとりの少女との出会いで変わり、誰もが敬意を払うような、稀代の君主になれる未来があったのだ。
「はは。はははははははは! どうした、震えて声も出せぬか!? 俺が——俺の王国が怖いか!? だがもう止まらぬ! 貴様の末路はただひとつだ!」
それが、どうして。
こんな残骸のような男になってしまったのだろうか。
この男には——アルバート王子には、私が引導を渡さなければならない。
そのためにここに来た。
私は狂ったように嘲笑う王子に、ただ瞼を閉じて静かに待つ。
手を下すのは、全てが終わってからと決めていた。
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