第39話

▪️▪️▪️

 玉座の間とは、その国や王が持つ権威の象徴だ。

 荘厳な気配や、煌びやかな装飾。

 それらは原始的でありながらも、確実に、明確に、他者への威圧と畏怖を生む。

 無論、そこにいるのは王族という肩書を背負っただけの人間だ。私たちとどれほどのものが違うのかと言われれば、即座に断言できる箇所は少ない。


 けれども、そういった象徴的存在というのは、私たち人間にとって実は存外大事なものだ。

 ゲームと違って、人は見ただけではその人の能力や性質を読み取れない。

 だからこそ、誰にでもわかりやすいような目に見える形が必要なのだと私は思っている。


 そして、今。

 王国の象徴であるはずの玉座の間にたどり着いた私は、様変わりした光景に息を呑んでいた。


 焦げつきと灰。

 濃厚に漂う魔力の残滓。

 玉座の間に存在したのは、ただそれだけだった。


 壁や装飾品はどれもこれもが高熱に焼かれたかのように焦げついている。真っ黒になった品々は、本来は王国の選りすぐりの職人が拵えた高級品だ。しかし全てが例外なく焼けついている。

 肝心の玉座も、かつて見たときの荘厳さは消え失せており、何も知らなければ座るのを躊躇うほどに真っ黒だった。


 そして、床。

 広々とした石造りの床には、王都で見続けてきた灰が降り積もっている。

 私が玉座の間に赴いたのは初めてではない。王妃教育を受けていた時期に、幾度となく足を運んでいる。

 その私が、一瞬場所を間違えたかと錯覚するほどだった。


 唯一の変わらぬ箇所は、玉座の更に奥にある。

 守護竜への謁見の間に繋がる、昏い赤のカーテンで遮られた後扉だけだった。


 そんな玉座の間に、たったふたりの人間が立つ。

 片方はもちろん私。

 当代唯一の雷魔導師にして、元王国侯爵家貴族令嬢。

 相対するのは——


「あんたさえいなければ、こんなことにはならなかったのに」


 どんなに遠目からでもわかる、特徴的な印象の子。

 桃色の髪と瞳を燃え上がらせて、私を睨みつける彼女。

 男爵家令嬢、ミライラ・ロラがそこにいた。


 ミライラ嬢は、既に臨戦態勢だった。

 いつでも詠唱に入れるよう、憎しみに呑まれつつも私の挙動を見逃さない視線を感じる。

 加えて、既に途中まで詠唱した魔法が待機している。なかなかの高等魔法だった。


「あんたが全部悪いのよ。私は慈悲を与えてあげたのに、恩を仇で返すような真似をして……」


 ミライラ嬢は、幽鬼のようだった。

 目は怨嗟で濁り、髪はほつれている。お世辞にも王妃候補として教育を受けていたであろう人物には見えない。

 最後に彼女と会ったのは、まだ貴族学園にいた頃の話だ。可愛らしい容姿と振る舞いで、アルバート王子の心を射止めたはずだ。

 だが、今の彼女にその様子は微塵も見えなかった。


「守護竜さまが魔力を望んでるのよ。あんたがさっさと捕まってれば、こんなことにはならなかった。アルバート様にも王国にも迷惑ばかりかけて、あんた一体何なのよ」


「…………」


「せっかく出来損ないのあんたが王国の役に立つ方法を考えてあげたのに。大事な兵士も傷つけて、ロッゾ侯爵家にも迷惑をかけて。貴族としての責務を果たしなさいよ」


「…………」


「だいたい、二年前に死んだくせに、今頃になってノコノコ顔出してんじゃないわよ。あんたが現れてから王国も私たちもおかしくなったのよ」


 周囲に散った魔力が、徐々に形を成していく。

 私は黙ってミライラ嬢に正対し身構える。ぐちぐちと訴える声は右から左に聞き流し、魔力の動きだけに意識を集中させた。


「私のしあわせをぶっ壊して、そんなに楽しい? 王国の平和を粉々にして、そんなに嬉しい? やっぱり、出来損ないに慈悲なんてかけるべきじゃなかったのよ」


 彼女はただ憎しみを語りかけているわけではない。

 要所に特定の詠唱を混ぜ、ゆっくりと魔法を完成させつつある。

 忘れてはならない——どれだけ変わり果てたといえど、彼女は物語の主人公なのだ。


「だから——」


 彼女は顔に似合わず案外狡猾だ。

 来るなら奇襲だと見切っていた。

 だから、


「私が自分の手であんたをぶっ殺して、守護竜さまに捧げてやるわよ!」


 仕掛けるならこのタイミングだと最初から思っていた。

 言葉の影に隠した詠唱を完成させたミライラ嬢が、出来上がった火の球を私に投げつけてくる。

 その瞬間、私は事前に編んでいた魔力を自らの脚に向けて解放した。


 雷化・脚部限定。


 脚の肉体がほどけて、雷と化す。

 脳にも魔力が巡り、景色が止まったようなスローモーションに変わった。

 私は投げつけられた火球が着弾するよりも早く走り出す。自分でも信じられない速度で玉座の間を駆け抜けた私は、いまだに投擲のモーションのままのミライラ嬢の側面に回り込んだ。


 雷化を解除すると同時に、火球が私のいた場所に着弾する。

 玉座の間を轟音が響き、床が弾け飛んだ。とんでもない威力だ。破片がこちらまで飛んできて、ミライラ嬢の足元に転がる。

 私は彼女が欠片に視線を合わせるよりも前に、胸に向けて左手を差し出した。


「————っ!? 火よ、壁となれ!」


 ようやく私に気づいたミライラ嬢が、慌てて飛び退る。それと同時に魔法障壁を張りつつ私を熱波で焼こうと試みた。

 なかなか良い反応速度だ。

 けれども、雷の速度とは比べるまでもない。


 身を守ると同時に私を焼くはずだった火の壁に、電磁圧の壁で対抗する。

 火が不自然に歪んで私から遠ざかる様に、ミライラ嬢は驚愕に桃色の目を見開いていた。


 隙だらけの体勢になるミライラ嬢——容赦はしない。

 私は差し出した左手から、そのまま魔力を放出する。雷を誘導するための導火線が、閉塞された空間に強烈なオゾン臭を撒き散らした。


 間髪入れずに点火する。

 火花が散り、一気に増幅された雷線が発現する。それは瞬きするよりも速く、ミライラ嬢の胸へと迸った。


 パァン、と乾いた炸裂音が鳴る。

 その様子に今度は私が驚愕に陥った。


 人間には防ぎようのない一撃のはずだった。

 更に言うなら、確かに命中したはずだった。

 だと言うのに、ミライラ嬢は呆然と私の前に立ち尽くしている。


 そう、……立っているのだ。

 私の雷を喰らって立っていた者など、これまでに存在しない。

 唯一の例外は、私の相棒——ナルカミだけだ。


 なぜ、効かなかった……?

 疑問が私の思考に渦巻く。

 しかし、その答えが出るよりも早く、私はミライラ嬢の有様を目にしてしまうのだった。


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