第37話
▪️▪️▪️
「本当にありがとう、マイク。無事に戻れたときは、改めて貴方の料理を頂きに来るわ」
「とんでもないことです。ご恩はこちらにこそ。どうか、お嬢様のご無事を祈っております」
マイクが深々と頭を下げる。
私は彼に別れを告げると、店の裏口から飛び出した。
大通りとは打って変わって、薄暗い細道が曲がりくねりながら続いていく。人通りはほぼなく、欲に駆られた人々に遭遇する確率は低そうだった。
私は改めてマイクに感謝しつつも、走る速度をぐんぐんと加速していく。
うねるように走り、そびえ立つ王城へとまい進する。近づきつつある城を睨みつけていると、過去の記憶が脳裏に蘇ってきた。
かつて私はアルバート王子の婚約者、王妃の候補としてあの城へと通い続けた。
それは決して良い思い出ばかりとは言えない——いや、辛い思い出ばかりだ。
転生した直後から、私は原作の結末を変えるべく奮闘してきた。その中で最も変えたかったのが、アルバート王子との婚約だ。
結果として婚約を防ぐことは叶わず、それによって様々な面倒事が私には課せられた。
アルバート王子との付き合い。
自身の貴族令嬢としての学習。
そして王妃教育。
そのいずれもが私に対しての義務となり、プレッシャーを与え続けてきた。
中でも特段厳しかったのが、王妃教育だ。
アルバート王子との婚約で課せられた義務の最たるもの。それは王国を追放される直前まで、私の精神を削り続けた。
王妃教育は、王妃さまの手によって施された。王国を背負うために必要だとしても、王子との婚姻も王妃としての地位も望んでいない私にとっては苦痛でしかなかった。
貴族としては魔法が使えない落ちこぼれ扱いされ、だというのに義務ばかり積もっていく。今思えば私はうんざりしていたのだと感じる。
おそらく侯爵家に生まれた令嬢としては避けられないことだったのだろう。
貴族とは民の上に立つ者だ。そのために魔法が必要だったし、家の力を強めなければならないのもわかる。
だが、前世の記憶という異物を備えた私には、どうにも受け入れがたいものだった。
たったひとつの力がないだけで、差別的な扱いをされてしまう。それは日本では許されないことだった。
けれども、この世界ではそれが当たり前で、秩序を保つ術のひとつなのだ。
私は走りながら首を振る。
余計なことを考える余裕はない。
今は目の前の問題に集中するべきだった。
駆け抜けてきた細道がついに開けた大道に差しかかる。
視界が一気に広がって、王城の門が目に飛び込んでくる。王妃教育時代に幾度となく通り抜けた門は、あの頃とは様相を異にしていた。
広場となった門前には、私を追ってきた一般人やロッゾ家の私兵が。
門は王城の兵士たちが固く閉ざして守りについている。
「怪我をしたくなければ、ただちにそこを退きなさい! これだけの人数、私にも手加減はできないわよ!」
私は迫りつつある門に向かって大声で叫ぶ。せめて少しでも負傷者が減るように。
しかし、返ってきたのは嘲笑だった。
「おい、来たぞ! 待ってりゃ来るってのは本当だったな!」
「おい、テメエら一斉に襲いかかれ! これだけの人数を女ひとりでどうにかできるわけがねえ!」
「相手は貴族だ、魔法に気をつけろ!」
「ばっかやろう、あの悪女は魔法を使えねえ落ちこぼれなんだよ! 気にする必要はねえ!」
「あいつを捕らえりゃ、金が貰えるだけでなく空のバケモンもなんとかしてくれるらしいぞ!」
わらわらと男たちが私を取り囲むように集まってくる。金に目が眩んだ者や、王城を守ろうとする者が入り乱れている。その様子に歯噛みするも、力で解決する以外にはなさそうだった。
槍や剣だけでなく、ちょっとした刃物や鈍器を持った者たちが、下卑た笑みを浮かべて私の前に立ち塞がる。
私はそれを見て決断した。
「死にたくなければ、地面に這いつくばりなさい! そうでなければ容赦しないわ!」
私は絶叫するなり、右手に意識を集中させる。
指を握りしめて、手の感触を忘れないようにする。拳が帯電し紫電を宿す様を見て、嘲笑していた人々がざわめいた。
「お、おい。なんだありゃあ!?」
「出来損ないで魔法は使えないんじゃなかったのか!?」
「魔法の詠唱をしてるようには見えなかったぞ!」
騒ぐ連中を余所に私は更に集中力を高めていく。
これから使うのは、私にとってもリスクがある。けれども、後のことを考えればここでやるしかなかった。
右手の肘から先の感覚が変化して、腕が解けるように分解していく。人の体では存在しない知覚が右腕を徐々に支配していく。バチバチと弾ける雷が右腕を染め切っていくのに、私は以前と同じ万能感を感じていた。
これが今の私の切り札のひとつ。
体の一部を雷へと変える——部分変化。
全身を雷化した経験を活かした、魔法ではあり得ない御業。
ナルカミにも決して濫用するなと言われた力である。
私は雷となった右腕を、鞭のように伸ばしてしならせる。上空で鳴る雷鳴と同質の破裂音が、王城門前の広場に響き渡った。
同時に右腕の変化を解除する。
これ以上の力はいらなかった。
私の右腕の感覚が元に戻っていくのに合わせて、立ち塞がっていた男たちが倒れていく。
右腕が完全に復元されたとき、私の前に立つのは人ではなく城門だけとなっていた。
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