第35話

▪️▪️▪️

「おい、いたぞ! 侯爵令嬢だ!」

 王都を道なりに駆けていくと、不意に周囲の人から声が上がった。

 その者自体は、特に兵士でも何でもない明らかな一般人だ。

 だが、そんな彼が私の顔を把握し捜索している理由はすぐに知れた。


「こっちだ! 囲め、ネズミ一匹たりとも逃すな!」

「応援を呼べ! ボードウィン様にも知らせて来い!」

「いいぞ、情報だけでなく捕らえた者にはロッゾ侯爵家が金一封を約束する! この魔女を絶対に捕縛しろ!」


 続々と周囲から人々が集まってくる。一般男性の他にも、しっかりと武装した私兵が多い。

 ロッゾ侯爵家の私兵——私の実家の差し金のようだった。


 どうやら、私に懸賞金をかけているらしい。一般人もギラついた目で私を見ている。

 どうしたものかと私は迷う。できることならあまり傷つけたくないと思うが、単純な腕力では私に勝ちようがない。ある程度は雷で梅雨払いが必要だった。


 足を止めると、兵士と民衆の壁ができている。溜め息が出てしまう私の前に、兵士をかき分けてひとりの男が現れた。

 ボードウィン・ロッゾ——私の一応の兄だ。


 ボードウィンは、憎々しげに私を睨みつける。そこに肉親としての情など欠片も見えない。

「……ふん、ようやく観念して私の眼前に現れたか売女め」

 唾を吐き捨てるように言葉を吐くボードウィン。

 私は改めて兄の顔をまじまじと見ることになった。


 私と同じ、どこにでもいそうな茶色の髪と、似ても似つかぬ青い瞳。

 けれども、天と地ほど立場がかけ離れる要因となったのは、外見ではなく中身の能力の話だ。


 つまり、魔法が使えるか、使えないかだけ。

 たったそれだけが私と兄の立場を、これほどまでに分け隔てている。


「つくづく私とロッゾ家の邪魔をしたいと見える。貴様のような出来損ないを家に置いていてやっただけでも有り難く思うべきだと言うのに」

 勝手な言い様なボードウィン。それが私の神経を逆撫でする。

 けれども、私は以前よりも心が落ち着いているのを実感していた。


 雷化した経験は、私を魔導師としてだけでなく人間としての思考も変えてしまったのかもしれない。


 魔法が使えるかというだけで、貴族として認められるか、認められないかが決まる世界。

 私がぶっ壊すことを望んだ世界の代表のごとき男がボードウィンだ。

 しかし、あれほど強大に見えていた貴族のボードウィンが、今はこんなにも小さく見えた。


「貴様……、何がおかしい!?」

 自然と微笑みが浮かんでしまっていた私を、ボードウィンが見咎める。

 ちっぽけなプライドだ。

 自分より弱い者を見下さないと、己の立ち位置すら掴めない。己の力の小ささを認めることができない男だ。


 空を見上げれば、世界の覇者たる雷龍がそこにいるというのに。


「申し訳ないですね、兄上。私は貴方に構っている暇はありません。そこを退いてください」

「出来損ないが侯爵家次期当主である私に何様のつもりだ……!?」

「失礼。しかし、嘘はありません。この場で貴族の威光など意味はない。退かぬのであれば押し通ります」

「出来損ないごときが私を上回ったつもりか!? 魔法すら使えん貴様が!?」

「私の力はつい先日お見せしたはずです。もうお忘れになられましたか」


 私は顔を真っ赤に染めるボードウィンに向かって手を差し向ける。発現した魔力が白雷となって弾ける様に、取り囲む私兵たちがたじろいだ。


 ボードウィンは、歯ぎしりしつつも口を開く。

 ぼそぼそと何事かを聴こえないようにか細くつぶやいている。私はそれを見て心底呆れてしまった。


 言うまでもなく、ボードウィンは魔法の詠唱をしている。それは、私が記憶している詠唱からしても随分と稚拙な技量だった。

 敵前で詠唱を悟られるのも、長々と詠唱するのも、どちらも技量不足の証だ。ジークさんとすら相対した私に、その程度の魔法は通用しない。


 私は人差し指から雷を走らせる。電流を誘導するための魔力が強烈なオゾン臭を発した。


 パリッと乾いた音が鳴る。周囲の私兵と一般人が構えるよりも速く、雷がボードウィンに直撃した。

 威力は極小、精度は上々。軽く痺れる程度の電撃は、ボードウィンの詠唱を正確に妨害する。


「ぐわっ!?」


 弾ける電流に、思わず派手な尻餅をつくボードウィン。詠唱が中断され、形をなしつつあった魔法の残滓が消えていく。

 あまりにも、無様だった。


 ボードウィンは、怒りの蒸気を立たせながらも、周囲に向けて大声を上げる。

「貴様ら、何をしている早く捕えるのだ! こやつは王家への供物だ! どうせ竜の生贄にするのだ、死んでいなければどのような形でも構わん!」


 言われてハッとなった私兵たちが、私に武器を突き出す。

 ガタガタ震える者、欲望に目を輝かせる者、無気力に槍を向ける者。

 様々な者たちが一斉に私を捕えにかかっていた。


 私は一瞬だけ悩んだが、気持ちはすぐに切り替わった。

 生贄云々と叫んでいる輩に従うくらいであるならば、自らがやられる覚悟もあるだろう。

 ただ、全員を戦闘不能に追い込むのは魔力量の無駄になる。

 ナルカミの役割も考えると、行動が早いに越したことはない。私は彼らに少々痛い目に遭ってもらうことにした。


 ひとまず、周囲を薙ぎ払うか。

 私が魔力を励起させると、バチバチと放電と帯電が始まる。髪がぞわりと浮き上がり、両目には熱い魔力が集まった。


 殺しはしない。けれども威圧にならなくては意味がない。

 私は錬成した魔力を解放すると、網状に編み込んだ電撃を地面へと放った。


「ガッ!?」

「ぎっ!」

「うわぁっ!」


 次々と私兵どもが悲鳴を上げ、地面に倒れていく。屈強な男たちがビクビクと筋肉を震わせて痙攣する。ボードウィンも巻き込まれたようだが、気にしてはいられなかった。


 この技は、地面を通電することで範囲が指定しやすくなる代わりに、威力が劇的に落ちる。獣などの殺傷目的では役に立たないが、人間相手の制圧には非常に適していた。


 私を取り囲んでいた者たちが倒れたことで、包囲に穴が開く。呆然とした残りの私兵と一般人を余所に、私は王城へと駆け出した。

「あっ、待て!」

「逃げるぞ! 追え!」

 背後から声が届くが、当然私は止まらない。全員を相手にする気はないのだ。逃げられる場面は逃げるに決まっている。


 灰の積もった王都を、私は駆け抜けていく。強化された身体機能が、立ち尽くす人々や家々をあっという間に置き去りにする。

 上空ではときおり雷の音が轟いている。ナルカミにはナルカミでやることが始まっているのだろう。


「王城へ向かっているぞ!」

「進行路を塞げ! 捕らえた功労者には金一封だぞ!」


 徐々に立ち直った私兵と一般人が私の後を追い始める。どこから湧いてきたのか、先ほどの人数よりも更に多かった。

 賞金に目が眩んだ者たちの欲望が、私を捕らえようと四苦八苦している。あの女を捕えて竜の生贄にしろと叫びが聞こえてくる。あまりの欲深さに鳥肌が立つのが避けられなかった。


 このままでは、王城までに再度取り囲まれてしまいそうだ。

 やむを得ない、もう一度かましておくか——


 私は足を止めて、追っ手と向き直る。

 そこに横手から声がかけられた。


「お嬢さま、こちらです!」


 どこかで聞き覚えのある声だ。

 それが誰なのか判別する前に、私は反射的に声の元へ飛び込んでいた。

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