第34話

▪️▪️▪️

 王都上空。

 細やかな灰がさんさんと降り注ぐ中、雲中からゆっくりとナルカミが姿を現していく。

 どんな生物にも勝る巨大な彼が雲から現れるのは、ある種の幻想的な光景だった。


 事態に気づいた王都の民たちが、騒然となっているのが遠目にも見て取れる。

 混乱と恐怖。

 偉大な雷龍であるナルカミの姿は、守護竜に護られた都の安寧を完膚なきまでに破壊していた。


『ふん、平和ボケした人間どもが。我を見ただけで恐慌に陥るとは』

「そう言わないで。彼らの大半は、何が起きているのかすら知らされていないのよ」

 鼻を鳴らすナルカミを、私がたしなめる。私とナルカミが出会ったときのように、龍に喧嘩を売れる人間なんてごく僅かだ。私だって、半分以上は破れかぶれになっただけなのだから。


『まぁ、アリアが言うのであれば、そういうことにしておこう。それで、この後はどうするのだ?』

「どうするって……正体を現したのは貴方じゃない。私はもっと穏便に行くつもりだったわよ」

『一国の城に殴り込もうというのに、穏便も何もあるか。どうせやるなら派手にやるべきだ。さすれば民衆も気づくだろう——知ろうとしないことの罪深さをな』

「彼らの大半は、日々を生きるのに精一杯なのよ。王家のやり口を知らない人々には酷だわ」

『それが原因で、お前やあの娘のような者が生まれているのだろう。王都に生きる以上、知らぬ存ぜぬと全てから逃げることはできんのだ』

「貴方の優しさはありがたいけれど、私たちには……強すぎるわ」


 私が顔を伏せると、ナルカミはそれ以上言わなかった。


 私はナルカミの頭の上で立ち上がる。

 魔力を体内で練り、循環させる。ナルカミと同じく、周囲がパチパチと帯電を始めると、私は発現すべき力をイメージした。


『……征くのか?』

「ええ」

 私は短く答える。

『連中は既に手段を選んでおらん。王家の者も、お前の兄とやらも、アリアを捕らえれば火竜の魔力の糧として生贄にするつもりだろう。くれぐれも気をつけていけ』

「大丈夫。あんな人たちに指一本触れさせる気はないわ」

 言いながらも、ナルカミの助言をありがたく受け取る。生贄だなんて言われていたのは、今まですっかり忘れていたくらいだ。


 心と体を引き締める。

 ここからは雷魔導師アリアとしての行いだ。この日のために、修練を積んできたのだ。


 私は目蓋を閉じて深く息を吐く。

 そして、目をかっと開くとおもむろにナルカミの鱗を蹴って、灰色の空へ飛び出した。


 とてつもない開放感。


 高空から両手を広げて王都へ墜落していく。ぐんぐんと近くなっていく地面との距離に、私は慌てず冷静に練り上げた魔力を解放した。


 万能感が襲ってくる。手や足よりも魔力が自在に操れるようになった今、私にとって肉体はただの枷なのかもしれない。

 魔力、操作、そしてイメージ力——いずれも数日前の私よりも段違いに強い。もしかしたら、雷化した経験が私の魔導師としての格をひとつ上げてくれたのかもしれない。

 元より精度には自信があったが、今この場での発現は自分自身の想像を超えていた。


 目指すは、王都の一廓、ボロス家のお屋敷の庭だ。

 集中力が増したせいか、それとも魔力の発現による作用か。周囲の景色がスローモーションのようによく見える。

 降り続ける灰、ナルカミから逃げ惑う男性、恐怖にうずくまる女性、ポカンと口を開けている子供——そして王城。そのどれもが等しくゆっくりと流れていく。


 その中に、私をはっきりと認識している視線が感じられた。

 どれほど遠くてもすぐにわかる、燃え上がるような赤いポニーテール。


 私はそれを見つけると、彼女の元へ着陸すべく、雷を操作した。

 体の周囲を雷が舞い、発生した磁力が私の体を誘導する。

 矢のように飛来した私は、その勢いのままボロス家の前に着地した。


「……アリアー? 空からアリアが降ってきた」

 庭に立って空を眺めていたサリィが、目を丸くして私を見る。

 たった数日前に会ったばかりなのに、もう懐かしく感じられる。

 思わず抱きしめてしまいそうになるのをこらえて、私はサリィに手を振った。


「はぁいサリィ、この前ぶりね。その後のお加減はいかがかしら?」

「やっぱりアリアだー。てことは、あの空の龍神さまはナルカミさまかー。でっかいんだねえ」

 あくまでマイペースな彼女に私は苦笑する。ひとまずは先日の兄襲撃からの状況を確認することにした。

「相変わらずね、安心したわ。お屋敷の損害の賠償はしてもらえた?」

「あー、それね。一応王家と侯爵家に請求送ったんだけど、忙しいとかで保留にされてるよ。男爵家だから後回しにされてるのかもね。それよりアリアも、空から落ちてくるなんてどうしたの?」

「ちょっと王家に野暮用がね」

「それってこの灰と何か関係ある?」

「そうね。元凶を止めに行くわ」


 私は務めてさらっと言葉にする。けれども、サリィは聞き逃してくれなかった。

「それってアリアがやる必要あるの? アリアはもう自由じゃない。そんな危ないことしなくても良くないかな」

 一転して真剣な顔つきになるサリィ。私の身を案じてくれるありがたさが沁みる。私はそれでも首を横に振った。

「私が行きたいのよ。そうしなきゃいけない理由ができた。この手で王子をぶん殴ってやらなきゃ、気が済まなくなったのよ」

 拳を握る私に、サリィは呆れていた。

「……そっか、アリアがそう言うなら止めないよ。でも本当に気をつけて。今の王都でおかしいところは、灰が積もっているだけじゃない」

 嘆息して、サリィが私を見る。

 まっすぐな瞳だった。

「あれから王都はロッゾ侯爵家の私兵が警邏してるの。警邏なんて言うと聞こえがいいけど、本当はいなくなったアリアを探してるんだよ。悪女を守護竜さまの元へ連れ出して浄化しろ、って街中で叫びを上げてる」

「浄化、ね……」

「もちろんあたしはそれが嘘だと思ってる。あの男——ボードウィンは、アリアを生贄にすると言ってた。捕まれば命はないよ」

「わかってる。それでも、征くと決めたの。それが私の意志」


 私はサリィに告げると、ゆっくりと彼女から離れる。一緒に行こうとは言わない。サリィにはボロス家を守る意志がある。王家をぶん殴るのは私の役目だ。

 こればかりは、ナルカミにも譲る気はなかった。そのために戻ってきたのだから。


 彼女とボロス家が無事で良かったと、心底思う。それだけで安心して戦いの場に赴ける。


 私は再び体に魔力を巡らせると、ボロス家を離れた。


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