第33話
▪️幕間四
花のような人生を歩めるはずだった。
それがどうしてこんなことになっているのか。考えても考えて答えは出ない。
王国の王子さまに見初められた。それがミライラ・ロラにとって人生の転機となった。
ミライラはしがない男爵家の生まれだ。領地は狭く、貧しいとは言えないながらも豊かな土地ではない。当然、その地を統べるロラ男爵家も、決して貴族として裕福とは言えなかった。
そんなミライラは、自身の容姿が優れていることは自覚しつつも、貴族家の令嬢としては平坦で平凡な道を歩むのだと思っていた。
ミライラの意識が変わったのは、貴族学園に入学してからだ。
正直にいって、ミライラは乗り気ではなかった。華々しい社交に包まれた王都の生活と、それに伴う貴族への高度な教育。どれも男爵令嬢でしかないミライラにとって、どれほど望んでも得られないものだからだ。
学園でその一角に触れたとしても、現実を見せつけられるだけでしかない。それはミライラにとって、とても耐えがたい憂鬱だった。
ところが、学園に入学してしばらくすると環境が一変した。
貴族社会の華々しさに馴染めずに中庭でひとり居たところを、思いもよらない人物に声をかけられたのだ。
アルバート王子——今やミライラにとって最愛となった人。
彼は若干の粗暴さとそれに隠れた繊細さが、見ている者の胸をきゅっと締めつけるような、そんな人だった。
最初は失礼ながら王子と気づいていなかったミライラは、無礼を働いてしまったことに怯えた。
無論、男爵令嬢でしかないミライラにとって、貴族学園は上席だらけの危険地帯だ。最低限の礼儀は尽くしていたが、それは王族に向けるものでは到底ない。
やらかしてしまった——青褪めるミライラに、アルバート王子は予想外に優しい言葉をかけてくれた。
この人は、見かけは荒っぽくて子供っぽいところもあるけれど、それ以上に優しくて繊細な人なんだ。そう感じさせてくれた。
そんな彼と、人気の寄らぬ中庭でたびたび会うようになった。悪名高い侯爵令嬢と婚約を結んでいるアルバート王子は、その息苦しさから解放されたいのだと笑っていた。
彼と惹かれ合うのに、時間はかからなかった。
男爵令嬢でしかないミライラと、婚約者がいるアルバート王子では、何もかもが釣り合わず、貴族としての条件も満たさない。
けれども、愛していると耳元で囁かれたとき、ミライラは抗うことはできなかった。
逢瀬を重ねるたび、ミライラとアルバート王子はより強く互いを求めるようになった。
身分の違いは理解していても、人の想いは変えられない。件の侯爵令嬢の妨害も、より強く想い合うきっかけにしかならない。二人はもはや止まることはできなかった。
だから、アルバート王子が困難を排除して婚約を持ちかけてくれたとき、ミライラは人生の絶頂を感じた。
王妃としての華やかな日々と愛する人。
望む全てが手に入った。そのはずだった。
それが今や——
『何を黙っている? 魔力が豊富な生贄を差し出すというのは、貴様が言い出したことであろう。それがなぜ、未だに供物ひとつないのだ? アルバート、よもや貴様、余を謀っているのか?』
重苦しい低音声が、謁見の間に響く。
王城の一角で、ミライラは現実に引き戻された。
ミライラとアルバート王子は、跪いて頭を下げ、この場の主人である存在に許しを請うている。
かのお方が怒りを発するだけで、謁見の間の温度は上がり、絶大な圧力に押し潰されそうになる。
それでも、無様に床に這いつくばれば、余計に怒りを買うだけだ。ミライラは以前の失敗と同じ目にあわないためにも、必死に意識を保った。
目の前には、圧倒的なプレッシャーを放つ、赤い鱗の竜——この王国を護る古き守護竜。
「……申し訳ありません。生贄の女が無駄な抵抗をしておりまして、現在はまだ捕らえられておりません。王家の手の者も向かわせておりますゆえ、今しばらくお待ちいただきたく」
ミライラの横で、アルバート王子が守護竜に低頭する。そこには隠しきれない緊張感が覗いて見えた。
『未だ生贄を捕らえられていない、とな……。アルバート、貴様、余を舐めているな?』
紅蓮の怒気が、守護竜から叩きつけられる。人間とは比べ物にならない圧力にアルバート王子は冷や汗を流した。
『貴様が死した前王から契約の移譲を望んで、既に二年……余は二年前に貴様に何と告げたか覚えているか?』
「は、はい。契約を移すための魔力量が足りていないと伺っております。そのため、この二年は私とミライラで魔法の修行を積みつつも、その他の手段を模索してきております」
『なるほど、そしてどれほどの成果を出しているのだ? 余にとっても二年は短くない月日だぞ?』
怒りを露わにしながらも、優しい声色で守護竜が問う。アルバートは声を震わせながら、問いに答えた。
「……まことに申し訳なく。いまだ、いずれの面でも守護竜さまのご満足をいただける域にはありませぬ」
沈黙が謁見の間に訪れる。
ミライラは生きた心地がしていなかった。静寂は人を殺し得るのだと、初めて知った。
『……やはり、貴様は余を舐めているのだ、アルバートよ』
まるで幼子に諭すように、守護竜が告げる。その声に宿った感情に、ミライラは全身が総毛立つのを止められない。
どうして、こんなことに。
愛する人と幸せになれると信じていたのに。
『余はこの二年、貴様に言い続けてきたな。早急に魔力の問題を解決せよ、と。アルバート、貴様にとって二年とはそれほど短い期間だと言うのか?』
「い、いえ。守護竜さまを長らくお待たせしていることは、まことに心苦しく思っております。……しかし、私も父である前王を突然に亡くしたため、さまざまな情報を受け継いでおりませぬゆえ、手間取ってしまったのも事実。何卒、今しばらくお待ちいただきたく……」
『貴様がそう言い続けて、余は二年待っておるのだ、アルバートよ』
見苦しく言い訳をするアルバート王子を、守護竜が首を振って遮る。その瞳に期待の色は既になかった。
『どのような手段を用いてでも、早急に魔力量を確保せよ。——余の告げた内容はそこまで難しいものだったか? 否、そんなはずはない。余は先日、今すぐ解決する策すら貴様に授けてやったのだから』
どうして、こんなことに。
何も悪いことなどしていなかったはずなのに。
守護竜は告げる。
そこには慈悲も情けもない。
『余は二年もの間、成果を出せなかった貴様に教えてやっただろう。貴様の隣にいる女を余の生贄に捧げれば、今すぐにでも必要な魔力量に到達する、とな』
ジロリと守護竜がミライラを睨みつける視線が感じられる。ガタガタと音がすると思えば、震えているのはミライラ自身の体だった。
「そ、そればかりは何卒……! 彼女がいなければ王国の王妃は誰にも務まりませぬ。彼女だけは……!」
『聞き飽きたと言っておるのだ、アルバートよ』
アルバート王子が必死にミライラを庇う。しかし、守護竜は意にも介さなかった。
『貴様に信用などない。余はもはや待たぬ。次に謁見する際に解決せねば、その女を生贄にしてやる。貴様の女であることなど、余の知ったことではない』
それは、死の宣告だった。
謁見は三日ごと。つまり、その間にアリア・ロッゾを確保できなければミライラは死ぬ。
この守護竜という名の、得体の知れない化け物に食い殺されて。
頭が真っ白になる。
ミライラにとって、それは恐怖すら通り越した未知の感情だった。
だから、雰囲気を打ち破って伝令が現れたとき、ある意味救われたのかもしれない。
「守護竜さま、殿下! 謁見中に大変のご無礼をお許しください! 緊急事態です! 王都上空に……化け物が!」
息を切らせた伝令が、謁見の間に駆け込んでくる。
それがミライラとアルバート王子の、終わりの始まりだった。
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