第30話

▪️▪️▪️

 ジークさんは意識を失い、私の前に倒れ伏している。

 どうにかして助けたいが、今の私が触れると感電してしまいそうで仕方なかった。誰かに声をかけようにも、町の防壁上まで人はいない。

 だったら防壁の兵士の方を呼べばいいと思うが、そうもいかなかった。


 辺りは静寂に包まれている。

 とても獣の群れの勝利を喜ぶ空気には感じられない。

 無理もないと私は思う。人は、強大すぎる力には恐怖するものだ。

 例えそれが自分たちを助けたモノだとしても、生物の本能が恐れを生む。そこに嘘はないのだ。

 おそらく、私が町に近寄れば、先ほどの兵士の方々にも恐れられるはずだ。


 唯一恐怖しないのは、その力と同等の力を持つ者だけだろう。


『いかんアリア、はやく戻れ! 引き返せなくなるぞ!』

 佇む私の背中にナルカミの声が届く。珍しく焦燥感を含んだ叫びが、私への気遣いであることはわかっていた。

 ここまで息を切らせるナルカミを見るのは、出会ってから今までで初めてだった。


 私の肩付近に浮遊すると、ナルカミは金色の瞳でしかと私を観察しながら、力強い声で語りかけてくる。

『今ならまだ間に合う! 魔力も完全に固着はしておらんのであれば、同じことの繰り返しで人間の体を再構築できるはずだ!』


 なるほど、理に適っている。

 けれど肝心な問題がある。それは——

『やり方がわからないわ』

『ばっ——!?』

 契約のおかげだろうか。かろうじて私の言葉はナルカミには届いたようだが、それは彼を絶句させていた。


 だって、仕方ないじゃないか。

 無我夢中でやったらこうなってしまっただけで、自分の意志で望んだことではない。

 たまたま起きてしまった現象を、もう一度起こせと言われても、やり方なんてわかるわけがなかった。


 というか、簡単にできるならとっくにやっている。私だっていつまでも雷バチバチしていたいわけじゃないのだ。


 ナルカミは必死に私へ繰り返す。

『人間の体をイメージしろ! 最悪、我が魔力を導いても良い! イメージさえできれば戻れる——いや、戻してみせる!』

 かつてないほど切羽詰まったナルカミに私は首を傾げる。何が彼をそこまでさせるのだろうか。


 もちろん人間の体に戻りたくないわけではない。この世界に生まれ変わって、長くを共にしてきた体だ。愛着はあるし、理想的な体型だし、悪人面だけど美人だし。


 けれども、ナルカミにとって私はあくまで契約者というだけだ。むしろ私が人間であるよりも、ナルカミに近い存在にはなれるはずだ。それは彼にとって好ましくないのだろうか。


『愚か者! アリア、お前は我に誓っただろう! この気に入らない世界をぶっ壊すと! それはこのような化け物になってのことだったのか……そうではない、そうではないだろう!』


 長い首を横に振って、ナルカミが叫ぶ。


『お前はあくまでお前として、誓ったはずだ! 人間であるアリアが望んだはずだ! その偉大な契約をこのような形で反故にしようというのか! 我はそのような契約違反を黙って呑む気はない!』


 私を見つめてナルカミが叫ぶ。


『アリア、お前はあの王都の友に何と言って詫びるつもりだ!? 人間でなくなってしまったけれども、何も問題はないとでも言うのか!』


 ナルカミが叫ぶ。

 私の脳裏に、サリィの顔がよぎる。

 ああ、確かに——サリィには悲しまれてしまいそうだ。それは心苦しい。


 私も再度、思い返す。

 私の願いは、私の誓いは何だったのだろうか。


 体の感覚は、既に肉体があったときから忘却しかかってきている。ほんの少しの時間しか経過していないというのに、もう腕を、足を、体をどう動かしていたのか記憶が薄れてきている。それほどに雷の体が馴染んでしまった。

 けれども、私は確かにあの不自由な肉体で何かを望んだはずなのだ。


 自身の望みも曖昧なまま、ここまで来てしまった。

 それを今、精算しなければならない。


 私は倒れたジークさんを見る。

 私は彼女とどうなりたいのか。


 頭に浮かぶのは、貴族学園時代。

 サリィが私に差し伸ばしてくれた手。

 私の大切な親友、そのきっかけとなった手だ。


 ああ、そうだ。

 気づかないフリをしていただけで、本当はわかっていたんだ。

 初めて会ったあのときから、優しそうで寂しそうな光を放つ、ルビーのような赤い瞳が忘れられない。

 どうしようもなく、惹かれていた。


 私は彼女と、——ジークさんと、

『友達に、なりたいんだ』


 私の願い、私の望み。

 それは、この雷の体では得られない。

 相手に触れられない雷の手では、決して望みは叶わない。

 手を取り合うことができない。


『ああ、そうよね。こんな手じゃ、差し出すことだってできやしないじゃない。そんなの許されないわ』


 手を差し出して、跳ね除けられたのなら諦めもつく。

 しかし、そもそも手が差し出せないなんて、諦める以前の問題じゃないか。


 そして、サリィにだって。

 あの子の暖かな手を二度と感じられないなんて、あっていいはずがない。


 私は気合を入れてイメージを強める。

 思い出すのは、サリィの手。

 どれほど時が経とうとも、どれだけ自分の手の感触を忘れ去ったとしても、あの温もりだけは決して忘れない。


 ジークさんの事情はわからない。

 けれども、私は心に決めた。


 今度は私が手を差し出す方になるんだ。


 ジークさんがうめきながら身じろぎした。意識が徐々に覚醒しつつあるのかもしれない。


 精神を統一する。

 雷の体を形成している魔力を知覚。その全てを完璧に自身の制御下に置く。

 イメージ——実態のない現在の体から、元のあった体を思い描く。

 イメージのきっかけは右手。サリィが握ってくれた私の手だ。

 そこを起点に、全身まで意識を巡らせる。長いようで短い時間が矢の如く過ぎ去っていった。


『いいぞ……。お前のイメージは形に変わりつつある。信じろ、自身の力を』


 そこから先は難関だった。

 個体としてのアリア・ロッゾの身体を元通りにイメージする。言葉にするのは簡単で、実際には困難だ。

『我の記憶も補強する。情報を流し込むぞ』

 ナルカミが言うと、次々に彼の記憶が送られてきた。切り取られた写真のように、ナルカミに根付いた私が再生されては消えていく。


 ナルカミにはこう見えてたんだなぁ、と感心する部分もあった。こうして見ると私、なかなか良い女じゃない?

『たわけとる場合か、集中しろ!』

 怒られてしまった。仕方ない。


 魔力を変換する。

 雷を肉に、骨に、血に、脳に、ひとつずつ置き換えていく。私自身のイメージとサポートのナルカミが思い描く、アリア・ロッゾへと変換していく。


 入念に練り込まれた人間のイメージを具現化させる。

 それは、もしかしたら神の御業に等しい行いなのかもしれない。


 それでも躊躇はなかった。


『はっ。己の欲望のために魔力を発現させる——これ以上に魔導師らしい行いがあるものかよ』

 ナルカミが笑っている。

 心なしか、普段よりも野生味に溢れていた。


 私を構成する魔力が太陽のように輝く。その瞬間、あまりの光の強さに遠く離れた防壁上の兵士たちも、ナルカミも、私自身も目を瞑った。


 そして——

 魔力の輝きが収まったとき、私はアリア・ロッゾとしての全てを取り戻していた。

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