第30話
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ジークさんは意識を失い、私の前に倒れ伏している。
どうにかして助けたいが、今の私が触れると感電してしまいそうで仕方なかった。誰かに声をかけようにも、町の防壁上まで人はいない。
だったら防壁の兵士の方を呼べばいいと思うが、そうもいかなかった。
辺りは静寂に包まれている。
とても獣の群れの勝利を喜ぶ空気には感じられない。
無理もないと私は思う。人は、強大すぎる力には恐怖するものだ。
例えそれが自分たちを助けたモノだとしても、生物の本能が恐れを生む。そこに嘘はないのだ。
おそらく、私が町に近寄れば、先ほどの兵士の方々にも恐れられるはずだ。
唯一恐怖しないのは、その力と同等の力を持つ者だけだろう。
『いかんアリア、はやく戻れ! 引き返せなくなるぞ!』
佇む私の背中にナルカミの声が届く。珍しく焦燥感を含んだ叫びが、私への気遣いであることはわかっていた。
ここまで息を切らせるナルカミを見るのは、出会ってから今までで初めてだった。
私の肩付近に浮遊すると、ナルカミは金色の瞳でしかと私を観察しながら、力強い声で語りかけてくる。
『今ならまだ間に合う! 魔力も完全に固着はしておらんのであれば、同じことの繰り返しで人間の体を再構築できるはずだ!』
なるほど、理に適っている。
けれど肝心な問題がある。それは——
『やり方がわからないわ』
『ばっ——!?』
契約のおかげだろうか。かろうじて私の言葉はナルカミには届いたようだが、それは彼を絶句させていた。
だって、仕方ないじゃないか。
無我夢中でやったらこうなってしまっただけで、自分の意志で望んだことではない。
たまたま起きてしまった現象を、もう一度起こせと言われても、やり方なんてわかるわけがなかった。
というか、簡単にできるならとっくにやっている。私だっていつまでも雷バチバチしていたいわけじゃないのだ。
ナルカミは必死に私へ繰り返す。
『人間の体をイメージしろ! 最悪、我が魔力を導いても良い! イメージさえできれば戻れる——いや、戻してみせる!』
かつてないほど切羽詰まったナルカミに私は首を傾げる。何が彼をそこまでさせるのだろうか。
もちろん人間の体に戻りたくないわけではない。この世界に生まれ変わって、長くを共にしてきた体だ。愛着はあるし、理想的な体型だし、悪人面だけど美人だし。
けれども、ナルカミにとって私はあくまで契約者というだけだ。むしろ私が人間であるよりも、ナルカミに近い存在にはなれるはずだ。それは彼にとって好ましくないのだろうか。
『愚か者! アリア、お前は我に誓っただろう! この気に入らない世界をぶっ壊すと! それはこのような化け物になってのことだったのか……そうではない、そうではないだろう!』
長い首を横に振って、ナルカミが叫ぶ。
『お前はあくまでお前として、誓ったはずだ! 人間であるアリアが望んだはずだ! その偉大な契約をこのような形で反故にしようというのか! 我はそのような契約違反を黙って呑む気はない!』
私を見つめてナルカミが叫ぶ。
『アリア、お前はあの王都の友に何と言って詫びるつもりだ!? 人間でなくなってしまったけれども、何も問題はないとでも言うのか!』
ナルカミが叫ぶ。
私の脳裏に、サリィの顔がよぎる。
ああ、確かに——サリィには悲しまれてしまいそうだ。それは心苦しい。
私も再度、思い返す。
私の願いは、私の誓いは何だったのだろうか。
体の感覚は、既に肉体があったときから忘却しかかってきている。ほんの少しの時間しか経過していないというのに、もう腕を、足を、体をどう動かしていたのか記憶が薄れてきている。それほどに雷の体が馴染んでしまった。
けれども、私は確かにあの不自由な肉体で何かを望んだはずなのだ。
自身の望みも曖昧なまま、ここまで来てしまった。
それを今、精算しなければならない。
私は倒れたジークさんを見る。
私は彼女とどうなりたいのか。
頭に浮かぶのは、貴族学園時代。
サリィが私に差し伸ばしてくれた手。
私の大切な親友、そのきっかけとなった手だ。
ああ、そうだ。
気づかないフリをしていただけで、本当はわかっていたんだ。
初めて会ったあのときから、優しそうで寂しそうな光を放つ、ルビーのような赤い瞳が忘れられない。
どうしようもなく、惹かれていた。
私は彼女と、——ジークさんと、
『友達に、なりたいんだ』
私の願い、私の望み。
それは、この雷の体では得られない。
相手に触れられない雷の手では、決して望みは叶わない。
手を取り合うことができない。
『ああ、そうよね。こんな手じゃ、差し出すことだってできやしないじゃない。そんなの許されないわ』
手を差し出して、跳ね除けられたのなら諦めもつく。
しかし、そもそも手が差し出せないなんて、諦める以前の問題じゃないか。
そして、サリィにだって。
あの子の暖かな手を二度と感じられないなんて、あっていいはずがない。
私は気合を入れてイメージを強める。
思い出すのは、サリィの手。
どれほど時が経とうとも、どれだけ自分の手の感触を忘れ去ったとしても、あの温もりだけは決して忘れない。
ジークさんの事情はわからない。
けれども、私は心に決めた。
今度は私が手を差し出す方になるんだ。
ジークさんがうめきながら身じろぎした。意識が徐々に覚醒しつつあるのかもしれない。
精神を統一する。
雷の体を形成している魔力を知覚。その全てを完璧に自身の制御下に置く。
イメージ——実態のない現在の体から、元のあった体を思い描く。
イメージのきっかけは右手。サリィが握ってくれた私の手だ。
そこを起点に、全身まで意識を巡らせる。長いようで短い時間が矢の如く過ぎ去っていった。
『いいぞ……。お前のイメージは形に変わりつつある。信じろ、自身の力を』
そこから先は難関だった。
個体としてのアリア・ロッゾの身体を元通りにイメージする。言葉にするのは簡単で、実際には困難だ。
『我の記憶も補強する。情報を流し込むぞ』
ナルカミが言うと、次々に彼の記憶が送られてきた。切り取られた写真のように、ナルカミに根付いた私が再生されては消えていく。
ナルカミにはこう見えてたんだなぁ、と感心する部分もあった。こうして見ると私、なかなか良い女じゃない?
『たわけとる場合か、集中しろ!』
怒られてしまった。仕方ない。
魔力を変換する。
雷を肉に、骨に、血に、脳に、ひとつずつ置き換えていく。私自身のイメージとサポートのナルカミが思い描く、アリア・ロッゾへと変換していく。
入念に練り込まれた人間のイメージを具現化させる。
それは、もしかしたら神の御業に等しい行いなのかもしれない。
それでも躊躇はなかった。
『はっ。己の欲望のために魔力を発現させる——これ以上に魔導師らしい行いがあるものかよ』
ナルカミが笑っている。
心なしか、普段よりも野生味に溢れていた。
私を構成する魔力が太陽のように輝く。その瞬間、あまりの光の強さに遠く離れた防壁上の兵士たちも、ナルカミも、私自身も目を瞑った。
そして——
魔力の輝きが収まったとき、私はアリア・ロッゾとしての全てを取り戻していた。
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