第28話

▪️▪️▪️

 部屋の扉がノックされたのは、その直後だった。

 激しいノックに何事かと私とナルカミが目を見合わせていると、扉の外から宿の娘の声が届く。それは緊迫感に包まれたものだった。

「た、大変だよ! け、獣の群れが……すごい数の獣が、町を襲って来てる!」


「……ナルカミ」

『……まぁ、無関係ではないのだろうな。元々獣が騒ぎ出しているという情報もあった。火竜が魔力を集めては撒き散らしていることで、獣が興奮状態に陥っているのだろう』

「……あーもう、つくづく厄介な話ばかり出てくるわね」

『我としても申し訳なく思う限りだ』

「ナルカミは悪くないでしょ」


 私は手早く荷物から必要な物を取りまとめると、宿の部屋を飛び出す。宿の娘は慌ただしく走り回っていた。

「あ、お姉さん! 避難所の場所は知ってる!? 旅人さんは皆そっちに行ってるよ!」

「ありがとう、でも避難所には行かないわ。それより獣がどちらから来ているか知っている?」

「町の北からだよ! 絶対に行っちゃダメだよ! 今、兵隊さんが守ってくれてるんだ!」

「そう、町の北ね」


 私は礼を言って宿を出る。

 町を見渡せば、既に住民の半数——女子供が町の中心へ向かっていた。避難所へと集まるのだろう。それとは逆に、何人かの男は町の北へと武器を手に走っている。

 兵士だけでなく一般人も駆り出されているとなると、相当に状況が悪そうだ。一刻を争う事態だった。


『行くのだろう?』

「当然ね。こんなときに怖気づくなら、魔導師になんてなっていないわ」

 ナルカミが鼻を鳴らす。馬鹿にしているというよりは、仕方のない奴だといった印象だった。


 北へと走りながら私は必要な確認をしておく。

「それより、ナルカミ。ひとつ聞いておきたいのだけれど」

『何だ?』

「この事態は、貴方が力を借すに値するかしら?」

 最重要確認事項だった。


 大原則として、私はナルカミが過度に地上に関わるのを良しとしていない。

 人の世は人の営みによって育まれるべきだと考えているからだ。

 その点では転生者である私も世界の異物に近い。だから原作改変を志した際も、可能な限り無意味な影響を引き起こさないように注力していた。

 ましてやナルカミの力は人間の想像をはるかに超えている。彼自身の意志があるならともかく、無闇に協力を仰ぎたくはなかった。


 たぶんナルカミは私が助けを求めれば力を貸してくれる。けれど、それに甘えてはいけないと思うのだ。

 今回のような緊急事態でなければ、私はナルカミに依存しないよう自制心を保っている。


 ナルカミは軽く片眉を上げると、宙に視線を漂わせる。

『さてな。アリアは我と同じく雷の眷属だから野盗から救ったな。あれも半分は気まぐれだが、今回も同じように町の民の救いを求めるのか?』

「馬鹿言わないで。それは人間である私の役割よ。そうじゃなくて、万一火竜が現れたり、群れを操っていた場合に……貴方はどうするの?」

『火竜が直接関わっているのであれば、それは管理者たる我の解決すべき領域になる。その際はアリアが何と言おうと介入するさ』

「逆に言えば、ナルカミが介入するのはそういうときくらいってわけね。わかったわ」

私は疑問が解消されると、走る足に魔力を巡らせて町中を疾走した。


 走ること五分ほど。

 町の防壁が段々と近づいて来ている。


 この町は王都近郊の点在する居住町としては大きくない。

 それ故、防壁も最低限の物で、高さはほとんどない。せいぜい大人ひとりよりも少し高いくらいだ。


「あっ、お嬢ちゃん、何でこんなところに! ここは危ない、早く逆方面に逃げるんだ!」

 みるみる防壁に近づいて来る私に気づいた兵士の方が慌てたように声を上げる。手を振って必死に促す彼に、私はにっこりと微笑んだ。

 もちろん、引き返すわけがない。むしろ更に魔力を練って加速し、疾走の勢いのままに跳躍した。


 軽々と防壁の高さまでジャンプした私は、防壁上に立つ兵士の方々の間に着地する。驚く彼らに構わず、私は防壁の越えた先を確認した。


 見渡す限り、獣がひしめいている。

 その数は、百か、二百か、はたまたそれ以上か。

 周辺の獣がまとめてまるごと襲って来ていると言っても過言ではない。正確な数を数えるのは不可能だった。


 そもそも、獣とは——

 私の前世でいう獣とは若干異なる。個体によっては魔力を持ち、火を吹いたり風の刃を飛ばしてきたりする。

 その危険度は前世の野生の獣よりもはるかに高い。それが、視界を埋め尽くすほどに集まっていた。


「おい、君! なぜこんな危険な場所に来た!? 早く避難しないか!」

 我に返った兵士のひとりが、外を見る私に声をかけた。

 まとめ役だろうか、他の兵士よりも少しだけ装備が良い。彼は今にも戦地になろうとしている防壁から、必死に私を遠ざけようとしていた。


 良い人だ——私は思う。

 けれども、言われた通りに避難する気はない。私は私の意志でここに来たのだから。

「隊長さん……でいいかしら? 私は魔力が使えます。何か手伝えることがないかとここに来ました」

「魔力が……? 魔法使いということですか。魔法使いにご協力いただけるのは有り難い。失礼、もしや貴族の方でしたか」

「いえ、貴族ではありませんので堅くならずに結構です。——状況は?」

「貴族ではない? いえ、今は詮索はやめましょう。状況は見ての通りです。あまりに数が多すぎる。我々も打って出ること叶いません。しかし……」

 隊長さんが、獣の方角を見る。

 気遣わしげな雰囲気だった。

「実は、つい先ほどもたまたま居合わせた王宮魔法使いの方に、助力を申し出ていただいたのです。てっきり防壁で我々と共に防衛していただけるのかと思ったのですが……」

「ここにはいない? まさか……」

「はい。単身で群れの中に行かれました。何があろうと防壁から離れるな、と……」


 視界の隅で、光がちらつく。

 魔法が発動する際の魔力光だ——その光は、数百の獣のど真ん中で発光していた。


 私は唖然として魔力光を見つめた。

 いくらなんでも無謀すぎた。

 魔法使いは、私と違って決められた術しか使用できない。しかも、必ず予備動作として呪文の詠唱が必要だ。

 当然、獣に囲まれたとしても呪文を長々と詠唱しなければ肝心の魔法が使えない。


 はっきり言って自殺行為だった。

 どうしてそんなことをしたのかもわからない。

 けれども、疑問を持っていられたのもそこまでだった。


 獣の群れの中心で眩く光る魔力光——それに伴って発動した魔法が、類稀な効果を引き起こしていた。


 空に浮かぶ大量の、水。

 そして、うごめく獣どもの微かな隙間から、真っ白いショートカットの女性が佇んでいた。


「嘘……」

 彼女が発動した魔法は、まるで津波のようだった。

 信じられない量の水が、巻き込んだ獣を押し潰し流していく。

 とてもひとりの魔法使いが起こした現象とは思えない。それほどの規模の魔法だった。


 凄まじい津波が、獣の半数を消し去っていく。その光景を防壁からポカンと見守る私と兵士たち。

 気がついたように歓声が上がる。とてつもない戦果だった。


 しかし、私は見てしまった。

 ふとこちらを向いた彼女が、唐突に胸を掻きむしるように押さえて膝を着いてしまうのを。


「あっ、お待ちください、危険です!」

『アリア!』

 私は何も考えない内に防壁を乗り出していた。

 助けようとか、危ないとか、全く思考になかった。そうするのが当然というように、無意識の内だった。


 地に足を着けると、全力で魔力を体内で循環させる。強化された脚力で、恐怖を感じる間もなく矢のように飛び出していく。

 続けて電流で磁界を発生、電磁加速・改を併用。


 人智を越えた加速力に、視界が急激に狭まる。ブラックアウトする寸前の景色に、私の集中力が極限まで高まるのを感じた。


 ゆっくりと移り行く視界で、膝をついた彼女に生き残った獣が飛びかかる。

 汚れた爪と牙がはっきりと見える。それが彼女の無防備な首筋に向けられていた。


 間に合え。

 間に合え——!


 頭の中で、バチンと何かが弾ける音が聞こえた。


 次の瞬間、私の意識が真っ白に染まっていた。

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