第24話
▪️▪️▪️
美しい女性だった。
おそらく年齢は私とさほど変わらないだろう。
外に降り注ぐ灰よりも純白のショートカットに、ルビーのような透き通った赤い瞳。小柄ですらりとした体型だが、ナイフのような鋭さを感じさせる。
加えてただ美しいだけではなかった。
彼女は危険だ。
魔導師として修練を積んだ私にははっきりとわかる。彼女は体内で魔力を循環させていた。
意図的か、無自覚な才能によるものかはわからない。けれども、彼女は魔法使いを超えて魔導師としての資格を持ち合わせている。
「……失礼だけど、どちら様かな? ここはボロス男爵家の住居——名も名乗れない無法者を招くつもりはないよ?」
サリィが前に出て彼女に問う。
それは、貴族家の者として当然の対応だ。しかし、一歩間違えば死神の鎌が振り下ろされる恐怖に抗うことのできる者にしか許されない行いだ。
彼女から漂う気配は、それほどまでに濃密だった。
「失礼しました。私は王宮魔法使いのジークと申します。此度は王家の命令を受けて、アリア・ロッゾ元侯爵令嬢を捕縛に参りました」
意外にも穏やかな調子で、死神の彼女——ジークさんは答えた。
女性にしては低めの声だ。こんな状況でなければ聞き惚れてしまいそうだった。
「勝手に乗り込んできてあたしの友人を捕縛とは、舐められたもんだねー。できればこれ以上何もせずにお帰りいただきたいんだけど?」
サリィが両手を広げた。
ジークさんは言われてボロス家の玄関口を見渡す。割れた壺やガラスの破片だけでなく、ボードウィンたちに荒らされた様が見て取れた。
ジークさんはぼそりと何かを呟くと、ほんの一瞬だけ目を細めてボードウィンたちを見る。
そこにあるのは、怒りか。
表情は動いていないけれども、濃密な気配が冷たくなっていた。
私が見られたわけでもないのに、ぞくりと背筋が凍る。
ボードウィンと私兵など、威圧感だけで萎縮しきっていた。
「屋敷や使用人への暴挙に関しては、大変申し訳なく思います。こちらの件に関しては、後日王城と侯爵家にて賠償をお支払いするよう私が手配しましょう。しかし——」
ジークさんが、私を見る。
赤い瞳が温度を感じさせない赤光を放った。
「アリア・ロッゾ元侯爵令嬢については、以前に正式に王都から追放処分を受けています。彼女に関しては、是が非でも私が引き取らせていただく。そうでなければ、ボロス家は犯罪者を匿った罪に問われることになります」
「くっ……」
冷徹なジークさんの物言いに、サリィが反論できずにうめく。
空気が緊迫する中、私は場違いの感想を抱いていた。
なんて——美しくて、それでいて悲しげな瞳なんだろう。
彼女の瞳に見つめられて、私は威圧感だけでない何かを感じていた。
『アリア、どうする? 大人しく捕まるか、それとも逃げるか』
ナルカミが背中から私の横まで顔を伸ばす。その声に我に返った。
「まぁ、捕まるのは論外よね。問題はサリィに迷惑をかけずに、どうやって切り抜けるかね……」
私はジークさんの威圧感に晒されながらも、冷静に思考を整理する。
とりあえず、早急にこの場から離れたかった。
ここで争いになれば、確実にボロス家に迷惑がかかる。それだけは避けたい。
ただでさえ親友には今日まで迷惑をかけ続けているのだ。
まずは場をここから移して、その後に逃走する展開を作りたい。
しかし、そんな私の想いとは裏腹に、余計なことをしでかす人間がこの場にはいるのだった。
「おい平民、何を生優しいことを抜かしている!? 侯爵家が——王国が下に見られているのだぞ! さっさと武力でも何でも使って制圧せんか! 何のための王宮魔法使いだと思っている!」
さっきまでジークさんに怖気づいていたボードウィンが騒ぎ出す。
彼はおそらく場の状況が読めていないのだろう。無思慮に近寄ってくると、私の腕を捻り上げた。
バチッ——
「ぐわぁっ!?」
私は咄嗟に自衛用の雷を発した。否、発してしまった。
私が扱う雷は、ナルカミも驚くほどの威力を秘めている。自衛用の小威力のものといえど、それを喰らえばどうなるか。
今のボードウィンの姿が答え合わせだ。
彼は雷に手を焼かれ、痺れる腕を抱えていた。瞬間的な感電——しばらく腕は使い物にならない。
腰を抜かし床に尻餅をつく様子に、貴族らしさは微塵もない。プライドを刺激されたボードウィンは、痛みも忘れて私に吼える。
「貴様、出来損ない風情が当主たる私に刃向かうか! ただでは済まさんぞ……風よ舞え、我が敵を切り裂け!」
突き出された右手に魔力が渦巻く。
呪文の詠唱——魔法の行使だ。
それを見たサリィが防御用の呪文を詠唱し始める。ジークさんは私を注視し、片時も隙を見せていない。
失敗した。
不用意に反射でボードウィンを攻撃してしまったせいで、もっとも避けたかった事態に進展していた。
既に周囲の者たちは、使用人や私兵どもも含めて臨戦態勢に入ってしまっている。このままではボロス家の家中で戦闘が勃発してしまう。
どうする、どうする。
私は迷う。しかし答えが出る前にジークさんが動いた。
「水よ」
極めて短い呪文詠唱——想像を絶する手練れの証だ。加えて、短すぎてどのような魔法か推測すらできない。
宙に大量の水が出現する。それが一気に広がると、猛然と私に向かって飛来してきた。
私の周囲を大量の水が包囲した。ボードウィンが放った風の刃は、あっさりと水に弾かれて消えていく。
捕縛魔法——それも極めて高度な魔法だった。周囲や対象を傷つけずに捕らえるための。
おそらく私さえ確保してしまえば、被害を最小限に抑えられると考えてのものだろう。
「アリアっ!?」
あっという間に、私は逃げ場を失ってしまう。焦ったサリィが、私を呼ぶ声が聞こえた。
でも、大丈夫。
魔導師としての修練を積んだ私をあまり舐めないでほしい。
魔力の発現場所を掌から全身に切り替える。事前に練り上げた魔力が全身から解放され、瞬く間に雷となって走った。
爆音——黙示録のような。
私を囲っていた水は、雷で沸騰して爆散していた。飛び散った飛沫の名残が私を中心に降り注ぎ、雨のように濡らしていく。
ジークさんは、感情を見せなかったこれまでとは異なり、瞠目していた。
初めて見る雷の魔導師——その衝撃と、自らの魔法を容易く破った私への驚愕が見て取れた。
これまで決して隙を見せなかった彼女が初めて隙を晒している。
その瞬間、私はサリィに叫んだ。
「ごめん、サリィ! 一度王都を離れるわ!」
「あっ、アリア!」
私は振り返らずに走り出す。魔力で強化された脚力で、ボロス家のエントランスから出入門までを一気に駆け抜けた。
立ち直ったジークさんが背中を追ってくる気配がわかる。
更に後方では、ボードウィンの怒号が飛んでいた。
「逃すな! 生贄を用意できねば、侯爵家の信頼問題にもなる! 何としてでも捕えろ!」
生贄とは何なのか。
まだ私に考える余裕はない。
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