第23話
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「お嬢様、ご歓談中のところ申し訳ありません。少しよろしいですか」
室内に戻った私たちの元に、ボロス家の家令が訪れる。
サリィが席を外し、家令に耳打ちされる。途端に顔をしかめた彼女は、若干の怒気を漂わせながら私に告げた。
「アリア、あたしちょっと出てくるわ。ここでお茶でも飲みながらゆっくりしてて。すぐに片付けて戻ってくる」
サリィは武人としての気配に変化していた。魔導師として修練を積んだ今であればわかる。彼女は魔力を身中にみなぎらせていた。
「何か問題? 私に手伝えることはあるかしら」
「大丈夫、大丈夫ー。こう見えてあたしもそれなりに強いんだよ。アリアはここで待ってて」
「そう? ならいいけれど……」
サリィはニカっと笑うと、足早に立ち去った。
応接間に私とナルカミのお茶を啜る音が静かに響く。窓には灰が降り続ける夜空が変わらず見えた。
深く息を吐き出してティーカップを置く。脳裏に思考と疑念が尽きなかった。
「ねえ、ナルカミ……。当初の目的は果たしたわけだけど、このまま庭園に帰ってもいいものなのかしら」
『……我にもわからぬ。この身は全知全能ではない故な。しかし、王国を取り巻く空気が不穏すぎる。帰りたいと思ったとて、タダで帰れるものなのか?』
「もう既に巻き込まれてるってことかしら」
『巻き込まれたというより、アリアが追放されたときから地続きではないのか。我から見たら、お前は当事者だ』
ナルカミの言葉に息が詰まる。それは考えないようにしていた推測だった。
「……やっぱりそう思う? 確かに沼に嵌ってしまった感は拭えないんだけど」
『逆に聞くが、このまま何事もなく王都から離脱できると思うか? お前の親友を置き去りにした上で』
「そうよね、そんな簡単にいくわけないわよね……。私の懸念はサリィだけなのだけれど」
私は頭をがっくりと項垂れる。まるで罠が間違いなく仕掛けられている細道の先頭を歩けと言われたときのような心境だった。
『それに、我も気になる部分がある。王国の守護竜とやらの話だ』
「守護竜様? 何かあったかしら」
『我には守護竜という肩書きそのものが疑問だ』
「……いきなり穏やかじゃない話ね。詳しく聞かせてもらえる?」
『もちろんだ。アリア、最初に問う。お前は理由がわからずとも王都を危機に晒す者を、神聖な存在だと認識するか?』
「それは……否、ね」
『そうだろう。そんな輩は、むしろ災厄と呼ぶべき存在だろう。しかし、王国では守護竜と呼ばれている。——これは何故なのだ?』
「何故ってそれは……王国の成り立ちからそういうものだと、受け継がれてきているから……」
『そうだ。そこに根拠は昔話しかない。だがそれは本当に正しい認識なのか?』
「…………私たちの根本の認識が間違っている可能性があると言いたいのね」
『そうだ。そして、その根拠となる我の記憶が……むっ?』
ナルカミが言葉を区切る。
一瞬の間が空き、階下から男の怒鳴り声が届いた。
何かが割れる音に、サリィの声も続いてくる。
男の方は、どこか聞き覚えのある声だった。
只事ではないようだ。
私とナルカミは顔を見合わせた。
『……行くか?』
「当然でしょう。嫌な予感しかしないけれど、サリィに押しつける気にはならないわ」
告げると、私はソファから立ち上がる。
念のため魔力を体内で循環させると、騒動の元へ向かうべく応接間を出た。
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「だから、早くあの女を出せと言うのだ! 奴がこの屋敷にいるのは調べがついている! 下級貴族ごときが侯爵家に逆らえると思うな!」
玄関口まで降りると、そこには複数の私兵らしき者たちと、その中心で騒ぎ立てる貴族の男がいた。
灰の降る中を急行したのか、頭と肩が白い物に塗れたままになっており貴族らしくない出立ちだった。
男はサリィに向けて怒鳴り散らしており、サリィがそれに毅然と対応する形で立ち塞がっている。
脇には調度品だった壺とドアガラスが割れ、破片が散らばっている。どうやら男が怒りに任せて投げつけたようだった。
「女性に向けて物を投げるとは、紳士の風上にも置けないわね」
「——アリア! 何で降りてきたの!」
振り向いて私にキツい視線を送るサリィに、私はあくまで平静を保つ。
「そりゃ、親友の家で暴漢が現れたら助けるわよ。見て見ぬふりができるほど恥知らずじゃないもの」
ナルカミも私の背についている。私兵どもには見えないだろうが、心強さは段違いだ。
「やはり隠していたではないか! おい、アリア! こちらに来い!」
男ががなりたてて寄ってくる。まるで私が従うのが当然といった振る舞いだ。
私は首を傾げた。
「あら、私が目的なのですか? それにしても無礼ね、他家に武装して侵入してきた挙句に、顔も知らない男に呼び捨てられる筋合いはなくてよ」
「な……っ、ばっ……、か、顔も知らないだと……!?」
当たり前じゃないか。私にこんな下品な知り合いなど存在しない。相手が勝手に私を認知していたとしても、私の知ったことじゃないし。
男は余程予想外の答えだったのだろうか。驚愕の表情で口を開いてパクパクとしていた。
魚の真似だろうか。全く似ていない。
私が男の様子に困惑していると、サリィが呆れたように耳打ちしてくれた。
「アリアー、ほんとにわからないの?」
「何がかしら?」
「こいつ、ボードウィン・ロッゾだよ。ロッゾ侯爵家の嫡男。アリアのお兄さんでしょ」
「えっ」
全く気づいていなかった。
名前を知った今ですらピンとこない。
なにせ、私はロッゾ家の面々とはほとんど関わりがない。きちんと顔を合わせていたのは両親くらいで、眼前の兄?に至っては片手で数えられるくらいしか会って経験がないのではないだろうか。
そんな形式だけの兄とやらの顔なんていちいち覚えていない。私の脳の容量は有限なのだ。
きょとんとしている私に、兄——ボードウィンは顔を真っ赤に染めていく。何が怒りの原因かわからないが、そんなに赤くなって茹で上がってしまわないか心配になる。
「き、貴様……! まさか本当に次期当主である私を忘れたというのか、お前のような出来損ないが!?」
怒り狂うボードウィンは、今にも血管が切れてしまいそうだ。
サリィは真面目そうな顔をしているが私の目は誤魔化せない。肩をぷるぷると震わせて、間違いなく爆笑をこらえていた。
私が出てきたことで、逆に収拾がつかなくなっている。
頭をかいて、やむを得ず兄に問うた。
「わざわざ他所のお屋敷で騒ぎを起こして、何の御用ですか。まさか今更になって可愛い妹にお会いになりたかったわけではないでしょう?」
「当たり前だ! 用がなければ貴様のような出来損ないをわざわざ捜索などするものか! 貴様をロッゾ家に連れ帰るために出向いてやったのだぞ!」
「連れ帰る? いえ、頼んでおりませんが」
「な、頼んでいない!? ……この私が来てやったというのに、逆らうというのか!?」
ボードウィンはますます顔を赤くする。もはや茹蛸のような様相だ。
私はため息を吐く。こんな愚かなことでサリィに迷惑をかけたかと思うと情けなくて仕方なかった。
「兄上……こう呼ぶだけでも苦痛を感じるのですが、あえて呼びましょう。兄上、貴方はどれほど愚かなのですか」
「この私が愚かだと……!?」
「ええ、そうです兄上。愚かではないですか。他家に報せなく訪れて、無理矢理に要求を呑ませようとするだけでは飽き足らず、屋敷を破壊し怒鳴り散らす。どこぞの野盗の方がまだ上品と言えるでしょう」
「わ、私が……次期侯爵家当主の私が野盗以下だと……!?」
何を愕然としているのだか。
まさにその通りだったじゃないか。
「侯爵家も貴族も関係ありませんよ。行動に品性が伴っていないと言っているのです。……サリィ」
「ぷ、くく——なぁに?」
「とりあえず、被害額を侯爵家に請求しましょう。こんな振る舞いを許す必要はないわ」
ボードウィンが顔を醜く歪める。
私やサリィを心底舐めきっているのだろう。
「私は王家からの依頼でここに赴いているのだ! そのような請求をされるいわれはない!」
「あら、まさか王家がこのような暴挙を許されるとは。それこそ大問題ではないですか。ぜひ王家にも請求いたしましょう」
「ぐ……、こ、この……言わせておけばベラベラと語りおって……」
最早ボードウィンは怒りで憤死する寸前だった。
とは言え、私も引く気はない。親友に迷惑をかけた上に、泣き寝入りなんてするつもりはない。
自然と魔力がより強く体内を循環し、発現させる一歩手前まで高まっていく。帯電したことで私の髪がぞわりと広がり、瞳には熱が灯った。
これ以上は容赦しない。
兄も私兵も、一歩でも動けば即座に鎮圧する。
私はボードウィンに神経を集中させる。
だから、彼女が屋敷に侵入してきたことに気づけなかった。
「ボードウィン卿。穏便に済ませるということでしたからこの場はお任せしましたが、これはどういうことでしょうか」
冷ややかな声がホールに響く。
いつの間にか、真っ白い髪に赤い瞳の細身の女性が、私とボードウィンの間に割り込んでいる。
まるで死神のような女性だった。
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