第17話
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「半ば物見遊山のつもりだったのに、なんだかとんでもない事態に巻き込まれつつあるような気がするわ」
『言ってくれるな。我もこのようなきな臭い話になるのであれば、下界へ降りようなどとは言わなかったのだが』
「今更言っても仕方ないわ。今はこの後をどうするのかを考えましょう」
ナルカミが小さくなるのを横目に、私は女将さんから貰ったお湯の桶を置く。
ここは地方都市でも比較的しっかりとした宿だが、お風呂なんていう贅沢な設備は流石にない。旅の汚れを暖かいお湯と布で処理できるだけでも充分にありがたかった。
『しかしアリア。女将の噂話を全て肯定するわけではないが、王国では王位が二年も空位になるのは普通のことなのか? とても信じ難いぞ』
「当たり前だけど、王位が空位なんてあり得ないわよ。国内は混乱するし、周辺国から見たら隙だらけじゃない。下手すれば侵略されるわよ」
『まぁ、そうよな……。であれば、これは王国やアルバートとやらにとっても不測の事態というわけだ』
「一体どうしてそんなことになってるのやら……。私との婚約破棄ではこの世の頂点みたいな顔をしていたのにね」
あの馬鹿王子のドヤ顔は、思い出すだけで若干イラッとする。
『その顔をやめろ、邪悪な気配が漏れておるぞ』
「淑女に邪悪な気配とは失礼ね。……それにしても、本当にどうしようかしら。女将さんが言うには守護竜さまに認められなかったということだけれど、それが王都にどんな影響を与えているのかわからないわ」
『その守護竜というのは何なのだ? 我には聞き覚えがないぞ』
机の上でとぐろを巻いたナルカミが私に聞いた。
「あら? 私は勝手にナルカミのお友達かと思っていたのだけれど違うの?」
『まるで身に覚えがないな』
首を傾げるナルカミに、私はとりあえず自身の知識を伝えることにした。
守護竜さまは、始まりを語れば王国の建国史の話になる。
もともと王国の地は、周囲の環境から冷たい風が吹き込む寒冷地だった。作物は育たず、大地は痩せていた。人が住むのも一苦労で、今の王国とは比べられないくらいに寂れた土地だった。
そこに現れたのが、初代国王陛下と守護竜となる火竜だ。
火竜は慈悲の心から初代国王陛下と契約を結び、加護を与えた。火竜の加護は初代国王陛下の強力な魔法と合わさり、冷たい大地に熱を灯した。
その熱は寒冷地であった王国の大地を豊穣の地へと変え、今日に至るまで王国の礎となっている。
だからこそ王国の王は、豊穣の地を守るために火竜——守護竜さまの加護を必須としているのだ。
国王が受け継いだ加護と魔法で王国の大地を守り、貴族がそれを魔法で支える。それが竜の国たる王国の姿だ。
「これが私の伝えられる王国の成り立ちね。……どうしたのナルカミ、そんな微妙な顔をして」
『いや、火竜と聞いてひとつ思い出したのだが、どうやら我の知る者とは違う話のようでな……。おそらく勘違いだ。気にせんでくれ』
「……? ならいいけれど」
首を傾げるナルカミ。よくわからないが勘違いとはなんだろうか。
いや、今はそれを気にしている状況じゃない。状況の整理と、これから先のことを考えなければ。
『しかし、守護竜に認められなかったということは、その加護とやらも受け継げなかったということか。もしや女将の言う不作とはそれが原因なのか?』
「おそらくそうよ。火竜の加護と王家の魔法、どちらでも欠けてしまえばあっという間に大地は冷えていくわ。当然作物も育たなくなる。その先にあるのはかつてないレベルの飢饉だけよ」
『守護竜とやらに認められなかった理由は何なのだ……?』
「わからない。私は今まで聞いたこともないわ」
私は貴族としての座学は自分で言うのもなんだが優秀だった。特に好きな小説だった『竜の国の物語』の歴史に関しては興味も強く、貴族学園の学習範囲を優に超えている。その知識で見ても、守護竜に認められないケースは存在しなかった。
『過去に例はないか。いや、頻繁に飢饉など起こしていれば国が保たんから当然だな』
「そうね。だから考えるべきは私たちがどうするかよ」
ナルカミの独白に、私が合わせて首肯する。
進むべきか、引き返すべきか。
問題なのはそこだった。
私は死んだことになっているが、追放された身だ。何かの拍子に私の存在がバレれば、騒動になるのは間違いない。
このまま突き進めば、いずれそういった事態が起こりかねない。
込み入った事情を抱えた私が、更に混乱した王都やサリィの元を訪れれば、どのような相互作用を引き起こすのかわからなかった。
それを許容して王都へ向かうのか、それとも空中庭園へ引き返すのか。
私は迷っていた。
地上に降りてきたのはもっと単純な理由だった。
親友に会いたい、それだけだ。
王国のいざこざなんて、正直私の知ったところじゃない。何の罪もない民はともかく、冤罪を被せてきた王子や、私を蔑んできた貴族連中なんてどうでも良かった。だから、何があってもそのときは逃げれば済む話だったのだ。
けれども、実際の状況は想定をはるかに越えてしまっていた。
『お前次第だ、アリア。我はお前についていく。ただひとつ伝えるとすれば——後悔のない選択肢を取れ。それだけだ』
ナルカミの瞳が優しげな黄金色に輝いている。
私はその瞳の色に、彼に出会ったときのことを思い出していた。
私はあのとき誓ったはずだ。
後悔と怒りに塗れた中で、決して歩みを止めないと。
ふざけた連中や世界をぶっ飛ばしてやるんだ、と。
だから、私は決めた。
顔を上げてナルカミを見つめる。彼の瞳に、真っ直ぐに向き合った私が映っていた。
「いくわ。逃げずに立ち向かうと、貴方に誓ったもの」
サリィのことも心配だ。
彼女の無事を確認して、ひと言謝るまでは私は譲れないし、譲れない。
言わなきゃいけないんだ——何も言わずにいなくなってごめん、って。
そのために、地上に降りてきたんだ。
成し遂げるまで、私は空中庭園には帰らない。
そう告げると、ナルカミは目を細めて頷いてくれた。
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