第15話

▪️▪️▪️

『アリア、お前は地上のことは気にならんのか?』

 私が雷を操る訓練と調整をしていたときに、思い出したかのようにナルカミが聞いてきた。

 どことなくわざとらしさを感じるナルカミに、私は首を傾げる。


 言われて気づく——ここ最近は修練に夢中で、地上のことを思い返すことも減ってきていた。

 私が空中庭園に来てから二年と少し、確かに言われてみればそろそろ王国も落ち着いてきているかもしれない。

「どうかしら、今まで考えてなかったわ。でもどうしたのナルカミ? 貴方が地上のことに気をかけるなんて珍しいんじゃない?」

 指先で紫電を操りながら、ナルカミに問う。


 これは私のお気に入りの修練法だ。指に細く雷を出しながら、前世の日本のあやとり遊びのように指の間を走らせる。

 出力調整や細かい動かし方の制御訓練にもってこいで、ナルカミもこれには喉を唸らせていた。


『いやなに、我もこのような他に生物のいない場所に連れてきたのを悪いと思ってはいるのだ。修練も基礎は終わったものだし、お前自身がそろそろ気にならんのかとな』

「そうねえ。正直な話、今ナルカミに言われるまではほとんど忘れていたようなものなのだけれど。全く気にならないと言えば嘘になるわ」

『そうか。無論強制ではないが、人はやはり人に関わって生きていくのが常だからな。たまには機会を作って地上に降りてはどうだ? 我の都合に合わせているのは、申し訳なく思っているのだ』

「貴方は私を助けてくれた。そんな貴方に私が都合を合わせるのはごく普通のことだと思うけれど。私は王国ではあんな扱いだったし」

『そうは言ってもな……』


 ナルカミが帯電したため息を吐く。

 私はそれを見ながら、自分と彼の分の紅茶をカップに注いでいく。

 ナルカミは長い胴体をしならせ、短い手で器用にカップをつまむと紅茶を口に流し込んだ。


「私は野盗に襲われて死んだことになっているんだったかしら」

『そうだ。遺体は見つからなかったが、周囲の状況からして生きているはずがないと、現場確認に来た王国の魔法使いが判断している』

「ちょっと気になるのだけど、魔法使いというのは王宮魔法使いなのかしら。だとしたら、そんな身分の方が検分に来るということは、あの襲撃は王家に仕組まれたものだったのかしらね」

『さて。我にヒトの身分はわからんよ』


 あのときは結果として、空中庭園に保護されたのは安全面から見ても満点の正解だった。

 あのまま地上に留まったり、あるいはナルカミの誘いを断って修道院に行っていたとしたらおそらく十中八九、命はなかっただろう。

 理由は不明だが、アルバート王子の執拗さは二年前に体感している。


『まあ、地上に降りると言っても王国のいざこざに巻き込まれる気はない。アリアが心残りがあるような者に会いに行く程度だ』

「そうは言っても、私は両親からはむしろ蔑まれていたし、兄の顔なんて記憶にすら残ってないわ。友人と言えるのも、子爵家のサリィくらいよ」

『ならばその者に会いに行けば良いではないか? 何か不都合があるのか』

「不都合はないけれどね……」


 紅茶をひと口。なかなか美味く淹れられている。

 なんだか歯切れの悪いナルカミに、私は疑問を抱く。むしろナルカミが地上に行きたがってないか?


 私がじっとナルカミを見る。悪役令嬢たる私の容姿は迫力満点で、ジト目になると更にプレッシャーが増すのを自覚している。

 だからかどうかはわからないが、ナルカミは動揺したように私から目を逸らした。


『いや、だってな? 我もアリアに無茶をさせたかと思うと考えるところがあってな?』

 しどろもどろになるナルカミ。

 天下の龍さまも、冷や汗をかくんだろうか。私程度の威圧、本来の彼ならばものともしないはずだ。怪しいことこの上ない。


 更に私が睨み続けると、ナルカミはようやく吐いた。

『お前の魔導師としての発現は我の想定よりもかなり早い——いや、早過ぎると言っていい。前世の記憶が良い方向に作用したのは間違いないだろうが、最近のアリアは見ている方が危なっかしくて心を落ち着かせたいのだ』

「危なっかしい……? 私が?」

 てんで記憶にない。本気で困惑する私に、ナルカミが呆れたように告げる。

『アリア、この前の術はどういった事態になったのか覚えているか?』

「この前……? 特別なことはしていないつもりだけども」

『本気で言ってるのか? フレミングのなんちゃらの法則とやらで、空を生身で滑空して危うく地上に落下するところだったではないか』

「あ゛」


 思わず私の口からカエルが潰れたような声が出てしまう。ナルカミ以外に見られていたら、淑女としてはしたないと怒られてしまいそうだ。


 ナルカミが言っているのは、つい先日に私が試した術の内容だった。

 魔導師として活用できないかと電気や電流について記憶を探っていたときに、不意に思い出したのだ。それは日本の義務教育で学んだ電磁誘導の法則だ。

 例の、フレミングの左手のやつである。


 私はあの法則を思い出して、ふと思ったのだ。雷——つまり電流を操れる私ならば、あの法則の力を存分に利用できるのでは? 、と。

 わかりやすい例がレールガン、いわゆる電磁加速砲などだ。なんとも厨二心がくすぐられそうだ。


 私はこの法則を使って、空を飛べないかと考えた。自身と周囲に電流を帯びさせ、磁界の向きをコントロールすればレールガンの弾のように空を飛べるのではないかと思ったのだ。

 思いついてからしばらくの間は、魔導師としての基礎鍛錬の合間に、電流とそれによって発生する磁界をより細かく操作する術を磨いた。そして充分な能力が備わったと判断した先日、ついに私は実験を決行したのだ。


 ナルカミが不安そうな顔をして、私の横に控えていたのは覚えている。

 それを振り切るように、私はいざ空へと電流を纏った。


 結果から言うと、電流による飛行は半分成功で半分失敗だった。


 電流を纏った私は、見事に空へ舞い上がった。——いや、飛翔すら越えて射出されたと言ってもいいかもしれない。

 私はどうやら私自身の雷の力と制御を甘く見積もっていたらしい。魔力を発現するなり銃弾のように空へ飛び出した私は、完全に前後不覚に陥っていた。


 わぁぁぁ、とかいう滅多に聞けないだろう動揺したナルカミの叫びが聞こえてきた。

 空中庭園の結界すら突き破り、どこまでも加速する弾丸と化した私を救ってくれたのはやはりナルカミだ。

 危ういところだった。

 今でも思い出すと冷や汗が出る。


『近頃はあんなとんでもない魔力の使い方ばかり考えているだろう。いくら我とて気が休まらん』

「ご、ごめんなさい……」

『良い、契約者の安全を守るのも我の役目だ。しかし余裕ができてきたのは間違いなかろう? 地上を見直す良い機会ではないかと感じたのだ』

「確かに、実家はどうでもいいけれどサリィには会いたいわね……」


 結局、彼女とはアルバート王子のアホに捕縛されてから二年間、一切の連絡が取れていない。


 契約で結ばれたナルカミ以外では、この世界に唯一の私の親友にして理解者。

 たぶん私が死んだと思っているであろうサリィに、今更ながら会いたくなってきた。

『お前の願いを考えれば、いずれはなんらかの形で地上に降りることになるだろう。その予行演習とでも思えば良い。二度と庭園に戻らんわけでもないしな』

「確かにそうね……。それなら、今度地上に降りてみましょうか。当然貴方も一緒に来るでしょう、ナルカミ?」

『当たり前だ。お前はひとりにすると何をしでかすかわからんからな、アリア。契約者である我がお前から目を離すわけがなかろう』

「減らず口を叩かないで。レールガンで貴方を射出するわよ」

『やめろ! いやマジで!』


 こうして私とナルカミは、二年越しに地上の王国を訪ねることになった。

 最初は乗り気でなかった私も、いざ里帰りとなるとどこか高揚感を感じる。握り拳で思いを馳せる私に、ナルカミが呟いた『これでしばらくは妙な術を編み出すことはなかろう……』という声は届かなかった。

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