第11話
▪️幕間一
アルバート王子にとって、今この瞬間は人生の最高潮と言っても過言ではない、至福の刻を迎えていた。
思えば王子として生を得てから、彼にとっては苦難の連続だった。
父である国王ザイールは、王としては磐石の体制を敷いていたが、親としては疑問の残る人物だった。
アルバート王子は、王族として生を受けた選ばれし人間である。その能力は生まれながらにして高く、魔力については赤子の時点で成人した魔法使いを越えるほどだった。
儀式に臨めば守護竜の加護を得て王太子となれることは間違いない。
だというのに、国王ザイールときたら、アルバート王子に不要な勉学や職務を強制していた。母に至っても父に同調してアルバート王子の時間を無為に奪うことにご執心で、母としての役目などひとつもこなそうとはしなかった。
極めつけは婚約者だ。完璧なアルバート王子に対して、分不相応である侯爵家の無能の娘と、何の相談もなく婚約を結んだのだ。
あのときのことは、子供だったアルバート王子の感じた苛立ちが鮮明に思い出せる。
アリア・ロッゾ侯爵令嬢は魔法も使えない無能の極みだというのに、選ばれた人間であるアルバート王子に興味などないかのように接してきたのだ。
最初は自分が王子であることすら理解していないのだと丁寧に教えてやったというのに、無表情に頷くだけだった。次に、無能が自分と婚約できるだけでありがたいことなのだと教えてやっても、やはり頷くだけ。最後に念のために自分と無能が対等だと思うなと忠告もしてやったが、彼女は最後まで変わらなかった。
アルバート王子はこのような者と婚姻が必要なのかとひどく傷ついた。父や母に告げてもまるで取り合ってもらえず、婚約関係はだらだらと続いていた。
苦難の日々だった。顔を合わせるたびに拒絶感が湧き上がってくる。どれだけ言っても彼女は変わらず、不遜と言ってもいい態度でアルバート王子に接し続けていた。
唯一の慰めになったのは、彼女はたいそう発育が良かったため、将来あの体を自分のものにできるのだからと我慢ができたことだけだった。
そんな状況が何年も続いていた。
光が差したのは偶然だった。
貴族学園の中庭で、アルバート王子は出会ったのだ。
ミライラ・ロラ男爵令嬢に。
ミライラ・ロラ。
桃色の髪と瞳が特徴的な、アルバート王子の最愛であり光そのもの。
完璧だったアルバート王子の心の冷たさを暖めてくれた、かけがえのない人。
ミライラと出会ってから、アルバート王子の生活はそれまでと一変した。まるで生まれ変わったような心地だった。
灰色の世界に鮮やかな色がつき、何をするにしても光輝くようになった。
ミライラの笑顔が見たいから、相手を気遣うようになった。
ミライラの悲しんだ顔が見たくないから、下位家族にも強く当たらなくなった。
全てはミライラのために。
無愛想な婚約者のことなど、どうでも良かった。
ミライラと結ばれるためには障害だったが、それを乗り越えるのも愛だと思った。それほどにミライラに惹かれていた。
だから、アリアがミライラの悪評を流し妨害したと聞いたとき、アルバート王子はかつてないほどに激怒した。
すぐさま呼び出して怒鳴りつけてやろうとしたが、優しいミライラがまずは自身で会話してみると告げたために、奥歯が割れそうなほど噛み締めて我慢した。その後ミライラが涙を流しながら帰ったとき、アルバートは自身の判断を海よりも深く後悔した。必ずや報いを受けさせると、天と守護竜に誓った。
奴らの早急な排除は、父と母に猛反対されてできなかった。
歳をとって頑なになった両親と、生まれ変わったアルバート王子とでは意思の疎通も困難だった。だから与えられた政務をこなしつつも、虎視眈々とチャンスを伺い続けてきた。
決して忘れず、決して見逃すことなく。
そして、ついにそのときがきた。
父である国王ザイールが、突如として原因不明の奇病で倒れたのだ。
それは、見たことも聞いたこともない病だった。
国王ザイールは何の前触れもなく、執務中に倒れた。ただちに王宮医が呼ばれて診察に入ったが、苦しむ父の症状は改善されない。
診察した医師いわく、内臓が内側から焼け爛れているとのことだった。
魔法で治療しようにも、範囲が広すぎる上に治した端から再度焼けていくとのことで、率直に言って手の施しようがなかった。
その奇病を知った者は口を揃えて『守護竜さまの祟りだ』と言う。
火竜である守護竜さまに、王が何らかの怒りを買ったのだと。
それは死の宣告に等しかった。
王城全体が動揺し、母は苦しむ父に付き添いきりとなった。宰相は政務を実質ひとりで取り回しており、他に気を配る余裕もなかった。
皆が不安を抱えて、自分にできることを探して奔走していた。
だから、そんな中で悲しみではなく喜びを味わうアルバート王子を止める者は誰もいなかった。
そして動き出す絶好のタイミングというところで、ミライラが暴漢に襲われたとの報告が入ってきたのだ。
あの売女は王位の簒奪でも目論んだのかもしれない。その利己的な考えのために優しいミライラは傷つけられたのだ。許せるはずもない。
遠慮という言葉は、アルバート王子の中に存在しなかった。
手始めに売女を呼び出すと、その場で婚約を破棄した。思いの外スムーズだった。寝たきりの父もそれに付き添う母も既に政務に取りかかる力を持たず、事前に婚約破棄を伝えた際も王子を止めることはできなかった。
そしてその流れのまま、ミライラ襲撃の疑いで貴族牢にブチ込む。
証拠がないなどとほざいていたが、アルバート王子には関係なかった。慈悲深いミライラを害そうとする動機のある者など、他に存在しないに決まっている。
途中、子爵家の小娘が猛烈な抗議をしてきたが、売女の安否をちらつかせてねじ伏せた。ついでに不敬罪で男爵家に降爵させておく。動きを宰相らに勘づかれて抗議されたが、こちらにも降爵をちらつかせて黙らせた。
ロッゾ侯爵家も、ここに至っては抵抗もなく、売女の追放を潔く受け入れた。
そして、動いていく内についに父ザイールが身罷った。
アルバート王子にやはり悲しみはなく、むしろ守護竜に祝福されているのだと感じた。
世界中が彩られ、これほどまでに美しい光景があるのかと天と守護竜に感謝した。
もはやアルバート王子とミライラの障害になるものは何もない。
手始めに国王代理として立ち、実権を握った。その力を使い、捕縛していた売女に対して正式に沙汰を下す。
国境修道院への幽閉——要するに国外追放に等しい。
本当は王都の中心地で処刑してやりたかったが、優しいミライラが望まなかったために断念した。代わりと言ってはなんだが、国境付近の野盗に馬車が護送される旨が伝わるように、それとなく情報を漏らしておいた。ついでに王宮魔法使いのジークでも後掃除に派遣しておけば完璧だろう。
これでゴミ掃除は片付いた。
残るは儀式——ミライラと共に守護竜に謁見し、加護を得て王権を受け継ぎ婚約する。
美しい世界の中心を、愛する人と手を携えて歩んでいくだけだ。
人生の絶頂だった。
しかし彼は知らない。
ここが絶頂ということは、その後は下りが待ち構えている。
ましてや穏当に下山できるのか、転がり落ちてしまうのかは選ぶ余地もないことを。
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