第3話

▪️▪️▪️

 決意した私がまず最初に取りかかったのは二つの改善だった。

 

 それは魔法と婚約だ。

 私が家族から出来損ない扱いを受ける要因である魔法。

 物語では私が十歳になるときに王子と結ばれる婚約。


 そのどちらも『竜の国の物語』ではかなり重要なファクターだ。

 これらを少しでも違う結末に変えていこう。それがいまだ五歳児の私にできるひとつひとつの積み重ねだ。


 とは言っても、十歳になるまで婚約に関する具体的なアプローチは難しい。

 なので、記憶を取り戻してから最初に取りかかったのは魔法の再勉強だった。


 私は記憶を取り戻す前から、侯爵家令嬢という立場もあってかなり魔法教育を施されていた。

 いくら私に無関心な両親といえ、ここは手が抜けない箇所だったのだろう。

 王国における貴族とは、魔法を用いて国を護り、守護竜から加護を賜る王家に仕えるために力を尽くす、選ばれた人間を指す。

選ばれた人間を指す。

 つまり魔法とは貴族にとって国の成り立ちに関わる最重要項目であって、魔法こそが貴族の誇りなのだ。


 そんな魔法が使えなかったために私は更なる無関心に晒されることになるのだが、ここでひとつ疑問があった。

 私は赤子のころに神殿の鑑定を受け、かなり強い魔力を持っていることは確定している。

 しかし、どれほど学んで呪文を唱えても、私の手から魔法が発動することはなかった。

 それはいったいなぜなのか?


 何が理由なのかはいまだにわかっていない。しかし、貴族でも稀にこういった者が存在するのは過去からの記録でも判明していた。

 今回、魔法に再度取り組もうと思ったのは、前世の記憶が甦った今であれば、もしかしたら魔法が使えるかもしれない——そんな期待があったからだ。


 結論から言うと、今も魔法は使えなかった。

 正直な話、がっかりしなかったとは言えない。記憶以外にも隠された力があったりしても良いじゃないかと感じてしまった。


 魔法とは、この世界においてはかなり重要な技術だ。

 生命の体内に存在する魔力を、体系化された呪文を唱えることで共鳴させて様々な現象を引き起こす仕組みだ。

 魔力はどんな生命にも宿るが、個体差が大きい。

 人間で言えば血統を強めてきた貴族には高魔力持ちが多く、一般人では戦闘に耐え得る魔力を持つ者は稀だ。


 曲がりなりにも高位貴族として生まれた私は、持っている魔力はそこそこ大きい。けれどもどうしてか呪文を唱えても魔法が発動しなかった。

 自慢ではないけど、私は以前から勉学に関しては魔法を含めてかなり高水準でこなしていた。当然呪文についても正確に把握している。それでも発動しないとなればお手上げだった。

 父も母も、自らの子が貴族の誇りから外れることなど許せなかったのだろう。魔法がいくら頑張っても使えないとわかれば、待っているのは我が子とも扱わぬ冷遇だった。


 記憶が甦り思考が鮮明になった今なら尚更、座学については自信があった。

 万全を期すためにも改めて基礎から座学を学習しなおし、期待を胸に呪文を唱える。

 呪文に共鳴した魔力が体を循環するのがはっきりとわかる。それでも魔法はいくら呪文を唱えても、うんともすんとも言わなかった。


 何か決定的なパーツが足りていない。そんな感覚が鮮明に残っていた。

 とは言え、全くの無駄だったわけではないと思っている。この世界に生きる限り、魔法とは縁が切れない。それについて理解を深めるのは、今後の武器のひとつになるはずだ。

 なんの慰めにもならないけれども、ここでくじけているわけにはいかなかった。


 私が次に取り組んだ婚約についてだが、こちらは最初から難航した。

 なにせ記憶を取り戻したばかりの私はたったの五歳だ。貴族として最低限の教育を受けていても、こんな年齢から婚約者うんぬんと言い出すのは明らかにおかしい。

 しかもただでさえ家族仲は冷え込んでいるのに、だ。

 なので仕方なく、長い時間をかけてゆっくりと両親の意識を逸らせないかと計画していった。


 私の両親の思考は典型的な貴族だ。魔法と財力に任せて、民に傲慢に振る舞う。政略結婚で派閥を形成し、少しでも自家の利益をもぎ取ろうとする。

 ロッゾ侯爵家は近年で力を衰退させ、中央から離れつつあったこともあり、特に貴族思考が高まっていた。


 ロッゾ家が力を落とした要因はさまざまだが、そのひとつに財政難がある。

 ロッゾ侯爵領では、私が生まれる直前に大規模な飢饉が発生している。それは周囲の領地にまで及び、王国でもかなり問題化した規模のものだ。

 それに対応するためにロッゾ侯爵家はかなりの大金をかけている。領地を守るために致し方ない部分だが、侯爵家の財政に確実にダメージを与えていた。

 王家としても侯爵家の状況は当然把握している。だからこそ私と王子を婚約させて侯爵家に恩を売ろうとしているのだから。


 こういった王家と侯爵家を取り巻く環境は、『竜の国の物語』でも若干ながら語られていた。しかし、実際に自分自身がその立場に置かれてみれば、アリアが歪んでしまうのも理解できてしまう。


 私は魔法を使うのを諦めた後、侯爵家の財政に影響を与えられるような手段を探していた。

 前世の記憶の中には、この世界にないような品物もたくさんある。そのひとつでも手をかけることができれば、金銭的な猶予は生まれるかもしれない。


 思い立った私は、教育の合間を縫ってひとつの物を作り上げた。

 それはみんな大好きマヨネーズだ。

 本当はもっと他の物を予定していたけれども、あいにく子供の手に入る素材で作れるのが他になかった。


 私はこまめに厨房に向かうと、コックと少しずつ打ち解けていった。家では冷遇されていた私だが、使用人まで含めて全員が私に冷たいわけじゃない。

 コックは子供の私に対して比較的同情が強かった。だからと言ってもいいのかわからないが、ある程度仲良くなった後に厨房にある素材を少しわけてもらうのは難しくなかった。


 前世の記憶を頼りに卵黄、塩、酢、そして油を混ぜてマヨネーズを作る。徐々に記憶にある懐かしい物ができあがっていくにつれて、私は泣きそうになった。コックは私の隣で何を作るのかと興味津々で眺めている。

「できた、完成よ」

 混ぜ続けて乳化が終わると、ボウルをテーブルに置いた。ちょっと混ぜただけなのにクタクタに疲れていた。子供には重労働だったみたいだ。

「これをどうするんでしょうか、お嬢様?」

 コックがボウルの中身の匂いを不思議そうに嗅ぎながら、私に問いかける。私は厨房に用意された小さな椅子に座りながら答えた。

「色々なお料理に使えるわよ。野菜にかけてもいいし、お肉とも合うわ。ソースに混ぜたりするのもいいわね」

「へえ、……味を見てみても?」

「もちろん。とっても味が強いから少しにしてね」

 私が言うと、コックは小指の先にマヨネーズをすくい、おそるおそる口に入れた。

 ぱっと目を丸くするコック。初めてにしてはなかなか上出来だと思う。

「いいですね、これ。使い方もたくさんありそうだ。この王都のレストランで使われていてもおかしくないですよ」

「そう? このレシピ、売れるかしら」

「少なくとも俺は買いですね。作り方も簡単で、しかし個性も出せる。料理人としての腕が鳴ります」

「そう。ならちょっとお父様に話してみるわ。それでね、その前にちょっと相談があるのだけど……これ、貴方が考案したことにしてほしいの。もしお父様が乗り気じゃなかったときに、貴方が商会にレシピを売ってほしいのよ」

 私が話をすると、コックは少し怪訝そうな顔をしたが、最終的には受け入れてくれた。


「ならぬ。我らのような高位貴族が、下賎な商売などに取り組んではならぬ。そのようなうつつごとで遊んでいる暇があるのであれば、貴様も貴族として魔法くらい使えるようになってみせよ、出来損ない」

 ある意味予想通りだったけれど、父はマヨネーズのレシピ販売を拒否した。

 私からしたら意味のないプライドだと思うけれど、この人たちからしたら生きる意味に等しい。数十年で凝り固まった思考をほぐすには、子供でしかない私には難しかった。

 もはや聞く耳も持っていない。これは諦めるしかなさそうだった。


 黙って頭を下げてカーテシーの後、部屋を辞す。

 原作を改変するのを諦めてはいないけれど、どうしようもない徒労感が私を苛んだ。

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