第2話
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私が異世界から転生したと気づいたのは、五歳の誕生日を迎えた日のことだった。
本来であれば貴族の令嬢ともなれば、家族含めて盛大に祝うものだ。けれども私——アリア・ロッゾは生まれてこの方魔法が使える気配がなく、それを理由に両親からも兄からも半ばいないものとして扱いを受けていた。
そんなひとり寂しい誕生日に、突然頭が割れそうなくらいの痛みを感じる。幼い私には耐えきれない頭痛に意識を奪われそうになる最中、存在しないはずの記憶を思い出していた。
私は元日本人だった。
脳裏に甦ったのは、鋼鉄のビル群、高度な教育機関、発達した科学技術——まだ幼い五歳の私でもわかる、この世界にはない異質なものだ。
前世の名前や生い立ちの詳細まではわからなかったけれども、それは確かに異世界の記憶だった。
そんなあふれる記憶の中でひときわ光を放っていたのが、ひとつの物語だ。
日本にあふれていた娯楽のひとつであるWEB小説。
その中でも、書籍化されるほどの人気を誇っていた、『竜の国の物語』。
私の名前は、物語の登場人物のひとりだった。
小説の世界に転生してしまったのだ。
『竜の国の物語』は王道のストーリーで私も大好きだった。
守護竜に守られた王国で、とある男爵家令嬢の主人公が十五歳から通うことになる貴族学園——そこでひとつの運命的な出会いを果たす。
王国の王子さまと恋仲となった主人公は、王子さまの婚約者である悪役令嬢に妨害されながらも前に進み、真実の愛を守護竜に認められる……
シンプルだが緻密な描写と世界観、健気な主人公が人気を博していた傑作WEB小説だ。
そんな世界に転生した私は、痛む頭を嬉しさよりも恐怖に支配される。
それは、物語の悪役令嬢——アリア・ロッゾこそが転生した私だからだ。
アリア・ロッゾは物語のキーパーソンのひとりだ。
蜂蜜色の長い髪に抜群のスタイル、そして何より特徴的な、黄金色の瞳を持つ彼女。
侯爵家令嬢にして、王子さまの婚約者として登場し、ことあるごとに主人公を妨害するさまは小説でも頻繁に描かれていた。
性格は弱者を虐げることで優越感を得るようなよろしくないもので、男爵家令嬢でしかない主人公を嫉妬心もあってか目の敵のようにしていた。
かといって彼女自身に何か大きな力があるわけでもなく、むしろ魔法すら使えない。典型的な身分に傘を着た高慢貴族だった。
なぜそんな彼女が王子の婚約者だったのかというと、侯爵家の力を含んだ政略結婚でしかない。
侯爵家の力添えを得たい王家と、婚姻により権勢を手にしたい侯爵家の思惑が合致した結果の婚約だった。
もちろんアリアと王子さまの間に愛情なんてない。むしろ王子さまは力もなく高慢な振る舞いしかしないアリアを嫌っていた。
それでも王子さまに愛されていると思っていたアリア・ロッゾは、小説を読む私に憐憫の情を感じさせたものだ。
空虚な身分に、空虚な力を振りかざすアリア・ロッゾ——彼女は最終的に結ばれ合う主人公たちに対して、嫉妬に駆られて王家も受け入れ難い罪を犯してしまう。その結果、婚約を破棄され、侯爵家からも切り捨てられた上で二度と出られない修道院へ送られる。
そして王子さまと主人公は真実の愛を認められて守護竜の加護を手にし、永く王国の平和を護り続ける。
これが『竜の国の物語』におけるアリア・ロッゾのおおまかな結末だ。
強制的に流れてくる情報の奔流で頭が割れそうな痛みからようやく解放されたとき、部屋の中にはやはり私しかおらず、カーペットの真ん中で頭を抱え込んでいた。
柔らかなカーペットの感触が高価さと品質の高さを感じさせるが、私には何の慰めにもならない。
誰ひとり駆けつけた様子もなかった。
倒れたときに物音くらいはしたはずなのに、両親や兄どころか使用人すらいなかった。
私が倒れようとも、誰も気にかけない。……そう言わんばかりのありさまだ。
今までは幼いながらにこんな状況に寂しさを感じていた。
当たり前だと思う。私はまだ五歳で、本来なら両親の愛情がまだまだ必要な年齢だ。それを一切受けずに育った私が、前世の記憶を取り戻して思うのは、侯爵家という貴族家のいびつさだ。
けれども、今の私はそれどころじゃなかった。
鳥肌が立つのが止まらない。
手も足も震えて、ベッドにぶつかってガタガタと音がする。たった五歳で自分の未来を知ってしまった私は、かつてない恐怖に襲われていた。
このまま生きていけば、私は侯爵家の権力のために生贄同然に王子と婚約させられる。そして愛を感じられないまま婚約者を主人公に奪われ、全てを奪われて幽閉されてしまう。
そんなのは嫌だ。
記憶が甦ったおかげで以前よりもはっきりしている思考で私は思う。
どんなに大好きな小説だからといって、自分が破滅するのを喜べるわけがない。ましてや受け入れるなんてあり得ない。私はまだ、この世界で五年しか生きていないのだ。
けれども既に私を取り巻く状況は小説に酷似していた。
物語のアリア・ロッゾは魔法が使えないせいで侯爵家から出来損ない扱いをされており、家族の愛情など知らずに育った。そして政略結婚の相手である王子に執着し、嫉妬に狂い、惹かれ合う主人公と王子の妨害に突き進んでしまう。
今の私と全く同じだった。
だから、変えなくちゃいけない。
私は決心した。
家族の愛も、婚約者の愛も、私自身がどうなるかもまだわからない。けれども、黙って見ていたら物語の焼き増しになってしまう。
なら、そうならないようにしよう。
私には魔法が使えない。だけど、他にできることはいっぱいある。なにより私は『竜の国の物語』を愛読していた。だからこそ、この先どんな問題が起きるのかも把握している。
幸いと言っていいのか、私はまだ五歳——貴族学園に入学するまでまだ十年も時間があるのだ。
それだけの期間があれば、なにかしらの変化はもたらせるはずだ。
原作を改変する——小説の読者としては、眉をひそめてしまう部分もある。
けれども、成し遂げる。そして、破滅を約束されたこの世界で幸せになるんだ。
震える小さな手を握りしめる。そうすると不思議と勇気が湧いてくる気がした。
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