転生悪役令嬢は追放されて魔導師になりました
ちのあきら
第1話
▪️序
『——お前、面白い魂の形をしているな』
人よりもはるかに大きな彼は、金色の瞳を細めて私を見下ろした。私と同じ瞳の色だと感慨に耽る余裕はない。
強い眼光に晒されて、追い詰められた私にさまざまな感情が呼び起こされる。
悲しさ、寂しさ、恐怖、諦め、やるせなさ、後悔——そして何よりも、炎のように燃え盛る怒り。
私はキッと彼を睨み返す。
それは自暴自棄な部分もあったと思う。側から見れば、彼に欠片でも刃向かおうなんて無謀が過ぎる。だけどそれ以上に私が私であるという誇りが、この震える手を、砕けそうな足を支えている。
彼からしてみれば、目の前で生意気に立つ私など、吹けば飛ぶ羽虫と変わらないだろう。
だけど。それでも——
たとえこの場で彼に噛み砕かれようとも、私の歩みを決して否定させない。
『いい覚悟の眼だ。……そうか、お前、転生者だな』
低い声が、彼の大きな口から紡がれる。
空へと伸びる見上げるほどの巨体。鋭くも理知的な瞳。そして瞳以上に燦然と輝く黄金色の鱗——
『面白い。お前、もし良ければ我と共に来るか? その黄金瞳の所以、我が教えてやろう』
そうして彼は、
人である私よりも大きな彼は、
黄金色の龍である彼は告げた。
だから私は——
▪️▪️▪️
ガタガタと馬車は音を立てながら突き進む。
結構な速さで進んでいるためか、振動が強い。舗装されていない道を通っているのも理由のひとつだろう。私のお尻がときおり衝撃で跳ね上がり痛むのでクッションが欲しいと願ったけれども、罪人にそのような物は必要ないと護衛という名目の監視者に断られた。
この馬車が向かうのは、王国の国境ぎりぎりにある、とある修道院だ。周りは山や草原に囲まれており、見渡しても町どころか村ひとつない。そんな辺境にぽつりと修道院がひとつ建っている。
そこは特殊な場所だった。
政治的に処刑はできないけれども重罪を犯した女性犯罪者——私のような貴族の女性犯罪者を、王都から隔離するための施設だ。
もうしばらく馬車が走れば、私はあの修道院に『収容』され、二度と外には出られなくなるのだろう。
私はそんな己の境遇を想っても、特に涙ひとつ流れなかった。替わりに次々と湧き出てくるのは、これまでの歩みに対する後悔だ。
もっとこうしておけば——
アレをやっていたら——
あのタイミングでなかったら——
そんな取り留めのない、かつ取り返しのつかない感情が、いつまでも胸の奥で渦巻いている。
私はこれから先、何があってもこの想いから解放されないのかと思うと気が滅入ってしまいそうだ。
私は、失敗した。それは紛れもない事実だった。
この世界に生まれ落ちてから十と八年、その大半を費やしてきたというのに結局私は答えに辿り着けなかった。
いや、それは正確ではないのかもしれない。——私は、答えをそもそも見つけられなかった。見つかってもいない場所に、最初から辿り着けるはずがなかったんだ。
自身の長い茶色の髪をもてあそびながら、私はきつく目蓋を閉じる。
たらればの話はいくらでも思いつく。けれども、相変わらず私の胸中に答えはない。
私は、どうすればこの物語を無事に終える事ができたんだろうか……?
今更な問いで、今更な考えだった。
私はただがむしゃらにこうなりたくなかっただけで、どうなりたいのかを考えてこなかった。
だって、仕方ないじゃないか。私はあの物語の結末を他に知らない。あの物語が好きで、あの物語を否定しなきゃいけないなんて、思わなかったんだから。
ただそれだけだったのに、その代償が今の状況だ。
罪人扱いで強制的に修道院に入れられ、以後、外の世界とは隔離される。
貴族の娘だから仕方ない?
魔法が使えなかったから差別されるの受け入れる?
辛い王太子妃としての教育も、侯爵家の令嬢であれば当然?
婚約者の王子が浮気するのも、私が役に立たないから?
理不尽に私は耐え続けてきた。
ときに感情を殺し、ときに上辺だけでもにこやかに笑いながら、ずっとずっと耐え続けて乗り越えてきた。
そんな物語の終わりの今になって、罪人とされた私はようやく秘めてきた感情を自覚していた。
そんなもんは、クソ食らえだ。
後悔先に立たずとはよく言ったものだった。
「つくづく、アホだったわね。私……」
つぶやきが馬車の中に漏れる。けれども、誰も反応しない。牢獄のように鉄格子仕立ての補強が入った馬車の中には他に誰もおらず、外の護衛には車輪の音にかき消されて聞こえるはずがなかった。
何度目か、数えてもいないため息を吐いたところで、異変を感じた。
馬車の外が何だか騒がしい。
ぼうっとしていたため、いつ頃からかは定かじゃない。だけど、馬車の車輪とは別のけたたましさが私の耳に届いていた。
外の様子を確認しようにも、この馬車の窓は格子がはまっていて開く事ができない。私がなんとかならないかと四苦八苦している内に、ついに人間の悲鳴が聞こえ始めた。
金属がぶつかる音と、それに伴う苦悶の声が私に恐怖を抱かせる。
野盗——最悪の事態が脳裏に過ぎる。そしてそれが裏付けられるよりも前に、私の乗った馬車を閃光と衝撃が襲った。
「きゃああああああっ!?」
意図せず悲鳴が自分の口から漏れる。足元が浮き上がって、姿勢を保っていられない。そのまま視界が回転して、体ごと横に投げ出された。
咄嗟に急所を守って受け身を取る。
それでもしたたかに打ちつけられた体の痛みを庇いつつ、かろうじて残った冷静さが状況を認識した。
横転——おそらくは魔法によるもの。
馬車の内部は床と天井がそっくりそのままひっくり返っている。罪人と言えど貴族である私に、この状態でも護衛が駆けつけないとくれば、戦況は相当に悪いに違いない。
最悪の事態が思い浮かんだ。
万が一野盗に捕まるようなことがあれば、どんな目にあうか嫌でも想像してしまう。
まして私は女だ。女性がこの世界で野盗に捕えられたら、何をされるかは決まりきっている。
私は決心を固めると、おそるおそる馬車の扉に手をかける。外側からかけられていた閂は横転の勢いで外れていたようで、あっけなく開いてしまった。
転がり落ちるように馬車の外に出る。周囲を見渡すと、やはり野盗らしき者どもと護衛たちが争っていた。
ここまで私を護衛してきた人らと、粗末な衣服に錆びついた武器を手にした者どもが武器をぶつけ合っている。
形勢は野盗が優勢。もともと罪人の輸送で多くない護衛たちを、倍に近い人数で囲んでいる。何人かは既に地面に倒れ伏しており、溢れる鮮血で大地を赤く染めていた。
思わず私は後ずさりする。貴族といっても女の身である私は、争いごとに慣れていない。唯一の機会だった魔法訓練も、魔法が使えない私はみそっかすだった。もちろん実戦なんてもってのほかだ。
初めて目の当たりにする濃密な死の気配に、私は完全に気後れしていた。
ふと近くにいた野盗のひとりが、馬車から出てきた私に気づく。
「おいっ! いやがったぞ!」
大きな声が響き渡り、野盗たちが一斉に私を見た。その圧力に私は硬直する。
「なぜ出てきた——ぐわぁっ!?」
私に気を取られた護衛が背後から野盗に斬り捨てられる。凄惨な光景に、私は腰が抜けてしまった。
「絶対に逃すな! 囲め!」
そうしている間にも、数で劣る護衛たちは次々に野盗に斬り伏せられていく。手練の者が反撃で数人倒していたけれども、多勢に無勢だった。
やがて力尽きて倒れる者が増えていく。全ての護衛がやられてしまうまで、一刻も必要なかった。
私は尻餅をついたまま、一歩も動けない。なんとか這ってでも逃げようとしたけれども、周囲はならず者に塞がれてしまっていた。
「大人しくしてろ、お貴族さまがよぉ。せいぜい可愛がった後は高値で売り飛ばしてやるんだからよ」
下卑た笑みを浮かべながら、薄汚れた男が近づいてくる。不衛生な体臭よりも、欲望に濁った瞳に、私は強烈な吐き気を感じていた。
これで終わりなのだろうか。
ここで終わりなのだろうか。
これが私の終わりなのか。
ここが私の終わりなのか。
悩んで、失敗して、後悔して、その結末がこんなに救いがないなんて。
そんなのは嫌だ——
私は伸ばされた手を全力で振り払う。振り回した手が野盗の顔に当たって、うめき声が聞こえた。転がるように男の懐から逃れて草の上に倒れ込んだ。
貴族としてのプライドなんてどうでもいい。どれだけみっともなくてもいい。ただこの結末から逃れるために——
「このアマ! てめえに逃げ場なんてねえんだよ! お貴族さまがてめえの破滅を望んでんだ、ここで逃げても何も起こらねえ……大人しくしてろ!」
「————っ!?」
私の手が目に当たったのだろうか、片手で顔を押さえた野盗が叫んで私を追う。速い——とてもではないが逃げきれない。
逃げようとした私の蜂蜜色の髪を後ろから掴まれる。引っ張られて動けなくなった私のお腹に灼熱が走った。
あまりの熱さに私は地面にうずくまってしまう。視界の隅で、男が足を振り上げた姿勢で私を睨みつけている。そこでようやく蹴られたのだと理解した。
胃から込み上げるものに、嗚咽が漏れてしまう。痛みに立ち上がれず、涙が溢れてくる。
それでも諦めずに手を伸ばす私の目の前に——
全てを否定する炎の壁が現れた。
炎の障壁魔法——魔法が使えない私には越えられないもの。
逃げ場を失った私の手が虚空を掴む。
「手こずらせやがって……。いい加減に諦めろ。安心しろ、黙って犯されてりゃ命は取らねえよ」
呪文を詠唱した男が私の体を引きずり倒す。抵抗しても力が足りず、仰向けにされた。
血に汚れた手が私の足を掴んで強引に開く。もはや何をしても避けられない結末に、どうしようもない想いが湧き上がった。
ああ……この世界はなんて残酷なんだろう。
それでも、決して目は閉じなかった。
それが最後の抵抗だった。
だからそれを見られたのは、私が抗った結果だったのかもしれない。
野盗がドレス越しに私の胸に手をかけた次の瞬間、仰向けに倒された私の視界を、眩い閃光が埋め尽くした。
激しい轟音と白い光が周囲を舞う。
それに包まれた私は、なぜか安心感を得ながら、ここに至るまでを思い出していた。
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