6章
チャリンチャリン…チッ…ジーガシャンガシャン
自販機のボタンは無機質なオレンジの光を三回点滅させると、それに反応するようにスポーツドリンクが取り出し口に身を投げる。
私が取り出し口のふたを開けると、ガタッという音を立てて缶が倒れそれを私は拾い上げる。
「嫌いな味なのに…買っちゃった。なんでだろ」
プルタブを引っ張ると、プシュッという炭酸が抜ける音と一緒に白い煙がもくもくと舞い上がり辺りを包んだ。
あの悲惨な世界から学校という日常に舞い戻り一日が過ぎたが、いまだ惨憺たる人の狂気、現実味のない死の余韻がふとした瞬間に私を襲い日常に馴染めずにいた。
死を越えた絶望がわずか1日の出来事、それも昨日の出来事だということに未だに実感がわかず、せっかく右足が今朝の手術により完全に元どおりになったというのに私はその憂鬱な気分を延々と引きずっていた。
そしてあの老人が話したことも私を憂鬱にさせる理由の一つだ。
「…ニア気分悪いなら行くのやめようよ。今から本当に模擬戦受けれるの?私は全然棄権していいよ」
ミロクは心配そうに私の顔色をうかがう。
「棄権なんてするわけないでしょ?…私があんたに心配されるなんて、私も落ちぶれてしまったものね」
「別に落ちぶれたとかじゃなくてさっ。ただニアのことが心配ってだけで…」
「心配はいらない。私に必要なのは圧倒的な勝利…これあげる、やっぱり嫌いなものは嫌いみたい。私はVR室に行くから」
私は彼女の言葉を遮り、スポーツドリンクの缶を彼女に手渡す。ミロクは何か言いたそうに私の方を見ていたが、すぐに諦め目を伏せて私の後を歩く。
そうだ、私はこんなところでつまづいているわけにはいかない。指揮官を目指していく以上、これから戦争での死なんて掃いて捨てるほどの存在のはずだ。
こんなことで怖気づいていられない。
自分の甘えを振り捨て、私はVR室の重い鉄製の扉をぐっと押した。
すでに部屋の中央にレスキナ教官と私たちの対戦相手がスタンバイしており、遅れて入ってきた私たちを鋭い眼光で睨みつける。
「襲いじゃないか、主席次席コンビ。早く中央に来なさい、既に予定戦闘開始時間を過ぎているでしょ」
「はい、申し訳ありません」
私が一歩前に出ると、遅れてミロクが私と横に並ぶ。
男女バディの相手は私達の姿を見て一瞬眉をひそめると、女の方が口をぎゅっと結び声を絞り出すように話し始める。
「あら、まだ昨日のことを引きずってるの?結局戦績優秀者も、皮を剥いでみればただの臆病者なのね」
「ちょっとっ、いくらなんでも…」
ミロクが何かを言いかけるのを私は手で制す。
「そうね、でもその戦績優秀者である私たちの相手をしなきゃいけないなんて貴方達も可哀想ね。廃棄に一歩近づいたってことなんだから」
「……っ!」
彼らはその言葉で悔しそうに顔をしかめる。
「これより合同指揮模擬戦を始める。舞台はドルトニア王国シュトラトス郊外、設定時間は672年1月14日午前6:00。両者ともに戦闘機40体、重装歩兵25000名、航空隊はなし。先に戦死者20000人を出した方が降伏、両者理解できたか?」
「質問よろしいでしょうか」
ミロクは一歩前に踏み出し手をあげる。
「許可する」
「それぞれ軍隊はどの位置から開始するのでしょうか」
「ミロク生徒とアニア生徒は座標X軸−107、Y軸95から。トルトイ生徒とヨメイ生徒は座標X軸−87、Y軸115だ。他に質問は?」
レスキナ教官が各人の配置を告げると、私たちは静かに目を伏せた。
「では各自持ち場につきヘッドマウントディスプレイとケーブルの着用を開始しなさい」
「はっ」
私たちは壁に備え付けられたカプセルに横たわると、ヘッドマウントディスプレイを頭部に装着し首裏にケーブルを挿す。
装置を起動すると視界は真っ青になり何もない世界が映し出された後に、徐々に私たち生徒にとって見慣れた司令室が目の前に広がる。
私は視点の微調整をするため右隣に立つミロクと目を合わせる。
「ミロク、私は大丈夫だから」
「わかってるよ」
目の前に広がるスクリーンから金文字が打ち込まれる。
《現実現在時刻9:08:14 レスキナ教官からの指示が各員に送信されました。9:08:20までに起動を開始してください》
機械音声のアナウンスに従って、私はカウント開始のボタンを押す。
《5……4……3……2……1。戦闘開始》
文字が青い粒子の粒となり空中に消えていくと、吹雪と共に雪で白一色に染まった林間の大地が映し出される。
「ちっ、趣味の悪い時期を選んじゃって…捕捉レーダーに敵の機影がないか確認」
《捕捉レーダー確認開始》
AIの無機質な声と共にスクリーンに地図が表示され私たちの機体を示す多数の赤い点が浮かび上がるも敵のは映っていない。
普段はAIサポートなど基本使わないが、現在他の学年は授業中で模擬戦サポート役として呼べないため、AIのダミーデータは使用することで模擬戦を比較的現実に近い環境で行っている。
「捕捉レーダーに映っていないってことは15km以内に目標はいないみたいね。小隊単位で散開しましょうか」
「いや、それはやめたほうがいいよ」
ミロクは私が出した提案を一蹴すると、大きなスクリーンに注視する。
「おそらくだけど、こっちが散開するとあっちは高低差から有利に立ち回れる盆地内で迎撃体制を整えてくると思うよ。だから索敵範囲を広げると戦力が分散されるから下策だと思う」
「じゃあ、主席様はどんな意見があるっていうの?」
ミロクは「うーん」と言って顎に手を当てて何かを考える。
「意見もないのに余計なこと……ってなんか少し揺れてない?」
私は呆れた様子で皮肉を言おうとしたその瞬間、微かだが地面が確かに揺れているのを感じ取る。
「え?別に普通だと思うけど」
「いや、さっきより微かに地面が…まさか…捕捉レーダーに私たち以外の機影がないか確認!!」
私は隣で戸惑っているミロクを放置して、指示を出す。
《捕捉レーダー確認開始》 数秒後にマップがスクリーンに表示されるも先ほどと同様、敵の機影はない。
「この時間帯、この時期、この場所では私が予習した内容が正しければ地震は起きていないはず。つまり、地面が揺れているとしたら敵の戦闘機と歩兵が近づいているってこと。なのにレーダーに機影が映っていないってことは…おそらく電波妨害されている」
ミロクの表情に一瞬動揺が走るも、すぐに顔つきが冷静なものへと戻る。
「そんなわけ…チャフでも撒かれた?」
「いや、この捕捉レーダーがそんな古典的な手に引っかかるわけない。きっとジャミングか何かでレーダーを撹乱してるのよ。つまり、あっちはズルをしているってことでしょ…クソがっ」
私は忌々しげに吐き捨てると、八つ当たりでもするかのように机に拳をたたきつけた。
普段の模擬戦では、お互い同じ条件で戦っているため同条件下でどう立ち回るかで勝ちが決まるがこれはそんな暗黙のルールが破られている。
つまり相手は指揮官としての誇りを捨てて私たちに勝とうとしているのだ。
苛つきを押し殺しながらミロクを横目に見ると、彼女の口角が少し上がっていることに気がつく。
「私たちが気づくってことは、もちろん教官も電波妨害に気づいているはず。なのにこの模擬戦を止めないってことは、私たちを試してるってことか…」
「どういうつもりかはわからないけど、でしょうね」
ミロクはスクリーンを数秒まじまじと見つめると、私に少し意地の悪い笑みを向けてきた。
「指導権はニアに譲ろうと思ったんだけどさ、私に指揮を任せるとか今のところアリ?」
「ナシよりのナシだけど、あんたの作戦によっては指揮を任せてやってもいいわ」
私の反応を気にすることもなく彼女は淡々と言葉を口にする。
「了解。ちょっとミロ…私もこんなことになるって予期してなくて緊張しちゃうな」
ミロクはわざとらしい独り言を言って辺りを見回すと大きく息を吐き出す。
「
《了解》 ミロクの指示は迅速に各隊へ送られる。
「エリアK-95、って……何を考えてるの?」
「レーダーが使えないのなら、おびき寄せるしかないでしょ」
ミロクは不敵な笑みを浮かべ私の質問を軽くいなすと、通信機から連絡が入る。
応答ボタンを押すと、ザッという雑音とともに野太い声が聞こえる。
《こちらⅣ-03パイロットボンバ・クークラ。全戦闘機、エリアK-95に到着》
「予想より到着が早いね…了解。Ⅶ-01からⅦ-11は地雷をX軸 =−107、Y軸 = 89 の地点からX軸 =−107、Y軸 = 88.3までの間にまばらに地面から深さ30cmの位置に一定間隔で設置。Ⅴ-01からⅥ-12まではX軸 =−107、Y軸 = 93に戦闘機一個分くらいのサイズを13個つくって待機」
いつもよりワントーン低い声でミロクは兵士らに命令をする。
それは指揮官が醸し出すオーラというべきか、威圧というべきか。一瞬息を吞み黙り込むほどにその圧は凄まじいものだった。
何をするつもりかはわからないが、今の一連の動きでなんとなくわかった自分の実力と彼女の指揮力の差というものを感じ取り歯嚙みする。
私は苛つきを隠せず眉間にしわを寄せると、彼女はまた下を向いて通信兵に指示を送る作業に没頭し始める。
その次の瞬間だった。ドォォォォンッッ!!!! 轟音とともに、地面が大きな揺れを起こす。
「今の音は何!?地雷が誤発動したの?」
動揺を隠せない私に対して、ミロクはスクリーンを見てひどく落ち着いている。
「誤発動じゃないよ、鼠が罠にかかったんだよ」
それははさながら豪雪の中、音速で飛来する砲弾が如く、黒い塊となってやって来る。
米粒ほどに見えたものが徐々に大きくなり、それが兵士だと肉眼で視認できるようになるまでそんなに時間はかからなかった。
兵士は足並み揃え近づいてくるたび凍った地面を震わし、雪崩のような地鳴りが聞こえてきそうな勢いでやってくる。
《前方6200メートル位置に敵軍兵を視認!!攻撃開始を進言します》
冷静さを保てずにいる、マイク越しに怒気を孕んだ叫び声が通信機から放たれる。
「来たわ…これじゃあ真っ向勝負よ。同じ戦力で勝敗は五分五分ってとこか…くっ」
私が奥歯を嚙みしめながらモニターに映る敵軍を見つめると、ミロクも同じようにその機体を確認し私を見る。
「ニア、今からスピーカーをオンにして敵にコンタクトをとるから二人にいつもの煽りをやって時間を稼いで」
「ちょっ、急にそんな」
私が言い終わる前にミロクは私の返事など聞かずにマイクのスイッチを入れる。私は急なことに頭が追い付かないもミロクは小声で「はやく」と呟く。
私は急かされるようにスピーカーの音量を上げるボタンを押した。
「ズルをしてまで私たち勝ちたいなんて…随分と哀れな戦い方をするのね。さすがね、落第生に近き人間の考えることなんて思いつきもしなかったわ」
咄嗟に口を突いて出た私の煽りに自分自身でも驚く。
しかし、こんな煽りを素直に聞くとも思えない。相手が乗ってくるか来ないかの一か八かの賭け、私は祈りながら相手の反応を待つ。
数秒間の沈黙の後、敵軍は行進を止めそのまま私たちに一つの声が届く。
《は…?》
マイク越しに聞こえる、怒りと戸惑いが混じったような女の低い声。
乗った。声の持ち主は図星を指されたのか急にまくし立てる。
《仮にズルだとして何が悪いわけ?優等生コンビには悪いけどズルも戦略、勝てば官軍負ければ賊軍っ…馬鹿正直にこの模擬戦を受けたあんた達が悪いのよ!!》
唾がここまで飛んでくるのではないかと思うくらいの剣幕で話す女に私はさらに追い打ちをかけるように言葉を紡ぐ。
「別にズルが悪いとは言ってないわ。ただ、私たちはあんた達みたいにそんな小賢しいズルをしなくても真っ向勝負、戦略なしに勝ってあげるって言ってんのよ。あんた達如きのズルは、ハンデとして譲ってあげるわ。可哀想だもの、どちらにしろ負けるんだから」
ふっと笑い、私が言い終わった後に残るのは一仕事終えた爽快感だった。
《よく言う……負けるのはお前らだクソ野郎が!!各機へ通達する…これより作戦を開始、総員第一種戦闘配置、陸地戦出撃用意せよ。繰り返す、これより作戦を開始、総員第一種戦闘配置、陸地戦出撃用意せよ…泣きを見るのはあんた達よ》
女はドスの聞いた声で指示を出すと、スピーカーからの通信はプツッと切れる。
「いやぁ…こんなに煽ってくれると思ってなかったよ。まあ意味があるかはわかんないけど」
「はあ!?じゃあ私はなんのために…」
「まあまあ、とりあえずそこで見ててよ」
ミロクの飄々とした態度に私は苛立ちを隠せずに握りしめた拳に爪を立てる。
《前方4200メートル位置に敵軍兵を視認》
「敵重装歩兵が前方2000メートル位置に到達するまで攻撃を待て」
《了解》 ミロクの言葉に、兵士が応答する。
「前方2000メートルって…迎撃せずそんなとこまで待ってたら100%負けるに決まってるじゃないっ」
私は焦りながらミロクに告げるが、彼女は私の声など聞こえていないかのようにモニターに映る重装歩兵を見つめている。
《前方3000メートル位置に敵軍兵を視認。迎撃態勢を発令することを推奨しますっ!!》
「まだまだ…ギリギリまで待て」
私は不安な気持ちを隠しきれずに彼女の背中を見るも、その横顔からはなんの感情も読み取れなかった。
モニター越しでも敵兵士の氷の地を踏む足音、そして息遣いが聞こえてくる気がした。それほどまでに目標との距離は近づき、私たちは追い詰められているのだった。
《前方2300メートル…2200メートル位置に敵軍兵を視認っ!!》
そして、とうとう重装歩兵が2100メートル位置を切ろうとした瞬間、ミロクが口を開く。
「各機へ通達、これより自爆作戦に移行する。地雷を発動及び現在沈んでいるⅤ-01からⅥ-12は地上付近に浮上し自爆せよ。残りのⅣ-01からⅦ-11はⅤ-01からⅥ-12の自爆を確認した後に突撃。繰り返す、これより作戦に移行する」
《っ…了解》
一瞬の出来事ながらそれはさながら恐怖に等しく、味方戦闘機の爆発音の後に敵兵の断末魔ともとれる叫び声がスピーカー越しに鼓膜の奥深くまで鳴り轟いた。
敵軍兵は何も知らずに、ただ私たちのもとへと進撃し私たちに王手を下すまであと一歩というところだった。
だが自分たちが歩いてる地が一気に爆発し、その靴の裏に触れる氷の地面が突然消え去り、彼らは水中へと引きずり込まれその落ちた水溜まりから小さな水柱が上がる。
地面がなくなったその場を、止まることを知らないはずの重装歩兵たちは重力に争うこともできぬまま次々と溺れていくしかなかった。
一瞬の出来事なのに花を一気に摘み取るみたいに、5000人ほどの重装歩兵が消えた。
「この時期は川が凍っているのを前に資料で読んだんだ。まさかこんなところで役に立つと思っていなかったよ。こちらの戦闘機を少し減らしただけでこんなにもうまくいくなんて」
何かをミロクは言っていたようだがその声は私の耳に届かず、モニターを茫然と見る私の脳裏にあったのは勝利に対する喜びではなくディア生徒の最期とパンラオイス生徒の涙だった。
「ニアっ…蹲ってどうしたの?ねぇっ!!」
脳が爆ぜるような痛みに私は脂汗を垂らしながら歯を食いしばる。
なに、この脳に爆弾が設置されたみたいな痛みは……。
脳内に直接流れてくる自分に対する憎悪、軽蔑の感情に思わず嘔吐しそうになる。
今まで模擬戦での死を見ても何も感じなかったのに、なぜ今、私の脳は張り裂けそうなほどの悲しみで溢れているの?
私を見下ろすミロクの腕に縋り付きながら、私の意識はぷつりと途切れた。
「ん……」
ゆっくりと目を開けるとそこには見慣れたようで見慣れない白い天井があった。
鼻につく消毒液の臭いからここが病室であることがなんとなくわかり、私は病室のベッドの上で寝かされているのだと気づくまでにそう時間はかからなかった。
ふと、何かに左手を握られている感触があることに気づく。それは温かくどこか懐かしいような感覚だった。
重たい頭を動かし目線を向けるとミロクが椅子に座りながらベッドに突っ伏して眠っており、ベッドの上にだらんと寝た私の左手をミロクの両手で包んでいた。
「目が覚めたようで安心したわ。アニア生徒」
「レスキナ教官、いたんですか?」
気づけば、病室の扉付近にはレスキナ教官がタバコを吸いながら壁にもたれかかっていた。
「ミロク生徒はずっと倒れたあなたのそばにいたのよ。どうやらあなたがお気に入りになったみたいね。珍しいことよ、彼女は人にあまり興味をもたないから」
「出会った時から勝手に絡んできたんです。なんでかわかりませんけど…」
「何事にも理由はあるのよ。あなたが知らないだけで」
レスキナ教官は吸っていたタバコを灰皿に押し付けながら私の目を見る。
「特に脳には異常はないみたいだけど、班員の死とかあの侵入者とか色々あって脳が疲れちゃったのよ。次席でも荷が重すぎたのね、しばらく休みなさい」
「…はい」
私のどこか煮え切らない返事にレスキナ教官は少し困ったような笑みを浮かべると懐から手紙を取り出し私に見せつける。
「それは?」
「あなたにいつ渡すべきか迷ったけど実は昨日手紙が届いたの。ニエ・ジュイエ卒業生から」
「先輩からっ!?」
やっときた先輩からの手紙に私は飛び起きようとするも、レスキナ教官は私を抑える。
「休みなさいって言ったでしょ?」
そんな私を見て苦笑しながら手紙を私に差し出すと、私は先輩からの手紙の封を開ける。紙の上に走る鉛筆の細かな黒鉛の跡、微かに香るインクの匂いに私の心臓は高鳴る。
―拝啓ニアちゃんへ。
私は逸る気持ちを抑えつつ、私は拝啓の後に綴られた私の名前の所を何度も繰り返し読む。
「この手紙を届けてくれて本当にありがとうございます。すごく嬉しくて私……」
レスキナ教官は少しタバコを口から離すと私の頭を撫でる。その手から私はなぜかギーベリと似たものを感じた。
そのまま私の頭から手を離すと、再度タバコを咥え病室の扉に手をかける。
「レスキナ教官っ」
「なにかしら?」
呼び止められ、レスキナ教官は首を傾げ私を見る。
なんでこんなことを聞くのか自分でもわからない、教官ならこの不安から解放してくれると彼女にすがりたかったのかもしれない。私がそんなわけないと思いながらも彼女の口から聞かされた真実に納得したいと思った結果なのかもしれない。
「この手紙は本当にニエ・ジュイエ卒業生から届いたんですか?」
沈黙。レスキナ教官は驚いたような表情も焦るようなそぶりもせず、ただ無表情で私を見つめていた。
ミロクの寝息が病室に響きわたり、この病室の中だけ時間が止まったように私は感じた。
「そうよ。当たり前でしょう」
「……ですよね。あまりにも嬉しすぎて変な質問をしてしまいました。申し訳ありません」
それだけ言うと私は目線を下に落とした。レスキナ教官は「いいのよ」と言って病室から出ていった。ドアが開いた際、病院の特有の冷たい風が流れていた気がした。
その時だった、ベッド脇からなにかうめき声のようなものが聞こえてくる。
「ふぁぁ…あれ今誰かいた?」
目を擦りながら体を起こしたミロクは、寝ている間になにがあったのかとキョロキョロしていた。
「あんた…何で私をいつも助けようとするの?」
私は小さな声で、でもはっきりと聞こえるように言葉を口にした。
言ってしまった後一瞬躊躇ったが一度口にした言葉は、もう口の中に戻らない。
ミロクは寝ぼけながらも私の問いに少し悩むそぶりを見せ、すぐにいつもの笑顔を私に向ける。
「そこに助けるべき人がいたからじゃない?」
その言葉に、私は胸がキュッと締め付けられた。
「全然それは助けになってないっ!!うざいのよ…私を助けて自分が死んだらどうすんのよ?ばっかじゃないの…模擬戦と違って本当に死ぬのよ。あんたみたいな奴が私を助けて無責任に死んだらその後私は……それをどう償えばいいのよ?」
私の口からは言葉が、声は堰を切ったように溢れ出る。
「でも私は死ななかった」
「ディア生徒は死んだっ!!」
戦争という死が当たり前のように付きまとう世界で、彼らはどうして命を挺して目の前の人を救えるの…そんなの理解できない。
ミロクは私の言葉をただ黙って受け止めるように私を見つめていた。
「ディア生徒とは全く仲も良くないし、今まで名前すら知らなくて昨日同じ班になって初めて喋ったくらいの仲なのに…なんで私を庇って死んだの?せめて自分が戦った相手に殺されればまだ名誉の死なのに…」
嗚咽が混じり、私の声は掠れて言葉も途切れ途切れになる。
涙が止まらなくて、鼻水までダラダラと流れるけどそれを拭う気力もない。
「あんたもそうよ…なんであの時あたしなんかを庇ったの…?人一人守れない私はあの時爆発と共に死ねばよかったのよ…」
私は唇をかみ締めて、自分の肌にに爪を立て血が出るくらい強く握りこぶしを作る。こんな所で泣いている自分が嫌で、悔しくて…涙が止まらなかった。
するとミロクは急に私にその身を寄せて私の手に優しく手を置く。
「死ぬべき人間なんていないよ。その時死ぬことができなかったのは、次にニアが誰かを守ることのできる番だからじゃないかな」
「守る…番?」
「うん、命を懸けて誰かに守られたなら次はニアが命をかけて誰かを守る番なんだよ。私がニアを守ったのはニアがその誰かを守るための運命なんだよ」
そう言ってミロクは私に笑いかけると、私の肩をぎゅっと握る。
「ニア?」
「先輩は…私をニアちゃんなんて呼ばない。あの敵国の老人が言ってたことは嘘じゃなかった。全部本当なのよ。先輩はもう…」
その先の言葉が出なかった。言葉にすれば現実になってしまいそうで怖かったからなのか、はたまた口にしてしまえば私が壊れてしまうと思ったのかもしれない。
「ずっと下を向いてるより、上を向くほうが景色が綺麗だよ」
私は泣き顔をミロクに隠すように自分の膝に顔をうずめる。
「私に…もう上を向く資格なんて……」
「ミロクが上を向く理由をあげるよ」
私が顔を上げるとミロクと目が合う。そこには迷いも曇りもない真っ直ぐな彼女の目があって、その目で見つめられると自分の全てが見透かされているような気すらした。
「上を向くために、まずこの学校から出よう」
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