5章
野営地の真ん中に簡易的なテーブルとイスが並べられたそこは勝利の宴会の会場となっていた。
テーブルには敵の兵糧から取ってきたステーキや魚料理にサラダにスープ、さらにパンなどが積まれており、それらの料理は食欲をそそる香りと湯気を上げている。
もちろん私はステーキにウィスキー…じゃなくてパサパサのクラッカーを食べながらグレープジュースを飲む。
ルボフとはいうと、酒に酔って私の横で「かしぃこま…ました…いの…ひぃ」とか寝言をぶつぶつ言って蹲りながら寝ている。
「それにしても、お前をおんぶして野営地まで運ぶのは一苦労だった…なんだ、エリートは下々の者に運んでもらう習慣でもあるのか?」
「あの時はほぼ意識がなくてもう体がいうこときかなかったんで不本意ながら運んでもらっただけです」
ミロクのもとで眠ってしまった後、回収班が駆けつけその場で簡易的な手術が行われたらしい。
私の体そこら中に傷はあったが腹部より特に酷かったのは足で、結果私の右足は太腿の途中から切断となり簡易義足状態となった。まだ左足が残っていただけでも運が良かったと衛生兵に言われたが、それはいくらなんでもポジティブすぎないかって思った。
「足の痛みはほとんどなくなったんだろ?よかったな」
「はい。足は一時的に切断されましたが学校に戻れば、本格的な治療ができるので足を元通りに繋がって前みたいに戻せるそうです」
ギーベリはビールを一口飲むと、口元を軽くぬぐい私の方を見てくる。
「ならよかったな。足がずっと義足だと不便だもんな」
「はい」
ギーベリと私の間に沈黙が流れる。
「さっき…帰ってくる時に俺と話した内容は覚えているか?」
ギーベリは気まずそうというか、何だか歯切れが悪い感じで沈黙を破ろうと口を開く。
「いや、覚えてねぇならいいんだ。ちょっと馬鹿みたいな話をしちまったからよ。忘れてくれ」
「あっ…はい。分かりました」
気まずい時の癖で私はポケベルを触ろうとポケットに手を入れると、その拍子にポケベルが滑り落ちコトンという音を立て地面に落ちた。
私は拾うため椅子から立ち上がろうとすると、 ギーベリは私を手で制しそのまましゃがみこみポケベルを拾う。
「懐かしいもん持ってんな、お前。これ実は俺も持ってんだよ」
「兵長もですか?」
「ああ、今は家に置いてるがまだまだ使える。ちょっと待ってろ」
胸ポケットからボロボロになった万年筆を取り出すと、ポケベルの裏に何やら書き出す。
「あっ!ちょっと勝手に何してるんですか?」
ギーベリは無視して書き終えると、にやりと笑いポケベルを私へと投げてよこす。
投げ返されたポケベルの裏を見るとそこには数字の羅列が書かれていた。
「俺の番号だ。なにかあったら呼べよ、学校にいてもアニ嬢のためなら駆けつけてやってもいいぞ」
「駆けつけなくていいから消してくださいよ、これ」
そして少しだけ間をおくとギーベリは気持ちを切り替えたようにおちゃらけた表情で私の肩に腕を回す。
「まあまあ。とりあえず、塹壕を壊滅させ俺たちを勝利に導いた立役者が盛り上がらないでどうする?酒飲むぞ!!」
「先ほど手術が終わったばかりの患者に無理させないでください。今は安静にしていたいので」
そんな私の反応にギーベリは苦笑すると「盛り上がんねぇヤツだな…気が向いたら来ていいからな」とぼやき兵士達の輪に戻っていくのを見送りながら私はボソッと呟く。
「あんな恥ずかしいこと言ったんだから…覚えてるに決まってるでしょ。ギーベリ」
私はビールをラッパ飲みするギーベリの背中に悪態を吐くと、近くの木箱に座り込み足にできた傷を包帯の上から擦る。
なんで…あんなことまだ一緒に半日しかいないギーベリに言っちゃったんだろうな、私。
「ルボフは何でだと思う?」
隣で寝息を立てるルボフの頰をつんと指で押してちょっかいをかけながら、私の脳裏では先ほどギーベリに言われたことが響いていた。
麻酔で意識が朦朧としていた私の体は指一本すら動かないほどの痛みに襲われていた。あまりの痛みに体を捩らせていると、何かとても温かく私を優しく包み込み…どこか懐かしいものを感じた。
「ぃ…おぃ…お…ろ」
朦朧とした意識の中、耳元で微かに何かが聞こえてくる。
「おい、起きろっつってんだろ!このバカやろっ!!」
大声と共に突然頭をゴンっと叩かれ私は完全に意識が覚醒した。
「いぐっ!!痛ったあ…って、へいちょう…?」
そこにはギーベリの顔が視界いっぱいに広がっており、私は彼の背に背負われていた。
「そうだ馬鹿。とりあえずこれでも飲んどけ…麻酔が切れて体が痛いんだろ」
私を背負いながら器用に胸ポケットから錠剤を2錠取り出しそれを私に渡すと、私はギーベリの顔を窺った。
「水はねぇが根気で飲め。銃の弾を飲むよりはマシだろうよ」
私はそれを口に入れて錠剤を口内で転がし、ゴクリと音を立てて私の喉元を通り胃へと落ちていった。
「暗くて周りがよく見えないですが…ここはどこです?」
私は身を乗り出だし体をよじり遠くを見ようとするが辺りは真っ暗で何も見えず、見えるのは彼の赤髪と彼の軍服だけだった。
「さっきヘンレーン平野に向かう途中通ったじゃねぇか。今は戦場から野営地に帰還しているところだよ」
「…ってことは戦に…勝利できたんですか!?」
「ギリギリな」
私はギーベリの背中に体を預けたまま、彼のその言葉に何度も頭で反芻しながら安堵の息を吐いた。
「勝った…勝ったんだ…勝てたんだ、そっか」
私はその言葉を噛み締めるように呟くも、実感が湧かずに何度もその言葉を繰り返す。
「意外だな、俺はてっきりお前のことだから自分の勝利だって喚くと思ったんだが」
「一体私をなんだと思っているんですか?そんなことしませんよ」
「ふっ、ならいいが」
鼻で笑いながらギーべリは私から視線を逸らし、私を背負いながら片手で胸ポケットから煙草を取り出す。
「左の胸ポケットからライターを取って火をつけてくれないか?アニ嬢を背負いながらじゃ、タバコが吸いにくい」
タバコを口に咥えながらギーべリはそう言うと、私はため息をつきながらも左ポケットを漁りライターを取り出し彼のタバコの先に火をつける。
ギーベリの口元から煙が漏れ、その煙が私のところまで漂ってきて鼻腔をくすぐる。
「…なんかあったか?」
ギーベリの言葉に私はギクリと固まる。
「いや、会った時の自信満々なお前らしくないっていうか…うざくないっていうの?アニ嬢のその様子」
うざくないと私らしくない…自分の役を徹しないといけないのにそれがなんでかできない。 私は視線を逸らしながらも、平然を装い言葉を返す。
「そんなことないです、ていうかうざいってなんですか?」
ギーべリは私の言葉を聞いて歯を見せて笑い、いきなり彼はタバコを持った手で私の頭をクシャクシャと乱暴に撫でてくる。
「ちょ、ちょっとなんですかいきなり!?タバコが髪にっ」
「そのよくわかんねぇ強がりやめろよ。気持ち悪いんだよ」
私が動揺しているとギーべリは撫でる手を止めて私を見つめてきた。
「別になにがあったか無理に聞こうとは思わない。だが強がりはやめろ…あとで自分がキツくなるぞ」
その気遣いなのかなんなのか分からない行動に私は少し困惑しながらも、自分の頭に手を伸ばし髪を軽く触ってみる。
「私の班員が一人死んだんです。私を庇ったから」
「戦争に死はつきものだ。お前のせいじゃない」
「私のせいです。私は班長なのに弱いから足を引っ張った。私がもっと強ければ…彼女は死ぬことはなかったんです」
「そうか」
私の悔やむような言葉にギーベリは短く答えるとタバコを私に見せびらかすように口に咥え、私に煙を吹きかける。
突然のことに咳き込みながら私がその行為に抗議しようと彼に顔を向けたが…ギーベリはどこか悲しげな表情をしていた。
「自惚れるなよ。誰だか知らねぇがそいつはお前のために死んだんじゃない。お前を守ると決めた自分の行動で、自分のために死んだんだ」
ギーべリは煙草を咥えながら言葉を続ける。
「人の死に他人が責任を持つな。自分の決心の行動を他人が否定したら…そいつに失礼だ」
「でも…でも私は……」
私が言いよどんでいると、フッと笑いタバコを口から離す。
彼の吐き出された煙は風に乗り私の横を抜けていった。
「そいつの分まで生きて…そいつの分まで強くなって、そいつの分まで新しい世界を見ろ。それがお前にできることだ」
そう言ってニッと笑う姿はどこか寂しそうで、少し自分自身を自嘲しているようにも見えた。
酒に溺れる情けない雰囲気ではなく死と隣り合わせの戦場を生き抜いてきたその兵長の背中はどこか大きく強く見えた。
ただおどけてるように見えて本当は色んな葛藤を背負ってきたんだ。そう思うと私は彼に対して少し尊敬の念を抱いた。
「兵長は…なんで兵士になったのですか?」
「ギーベリって呼べよ。もう学校に戻ったらお前は俺の部下でもなんでもないしな」
私の質問にギーベリはタバコを持った手で無精髭をなでながら少し考え込むような仕草を見せた。
「別にたいした意味はねぇよ…兵士って儲かるし?」
ふざけた様子でいう彼の言葉は嘘だと彼の表情でわかった。何かを思い出し悔やんでいるかのような悲しい表情にふざけた言葉は似合わない。
「あとは…俺にタバコを教えてくれた好きな女がいるんだ」
「へぇ、その人は今どこに?」
「死んださ。とっくの前に」
私の問いかけにギーベリは即答で答え、私は冗談だと思って彼の顔を覗き込むが、それが嘘でないことは彼の瞳を見れば明らかだった。
ギーベリは遠くを見つめるように虚空を見つめ、そっと言葉を口にする。
「惚れた女のために金稼いで、安酒でも飲みながら休日にドライブでも行けたらそれでいいって思ってたよ。俺さ、それが楽しみで馬鹿高ぇオープンカーも買ったんだぜ。まあ今はそれも売ってトラックになっちまったけど」
その表情からは感情が見えず、ただただ無表情で淡々と話を続けていた。
「死体は見つかってねぇけど、おそらく死んでるさ。爆撃を受けたんだ…死んだに決まっている」
ギーベリは口からタバコを離し、タバコをトントンと軽く叩くと灰が地面に散る。
「死んだなんて本当に断言出来るんですか?」
私の言葉に肯くその瞳には先ほどとは違って確かな光が宿っていた。
「死んださ…俺と関わった奴はみんな死ぬんだ。今回の戦場で第2分隊の奴が3人死んだ。今落とさなくても次で死ぬ」
「じゃあ、私も死ぬんですか?」
ギーベリはフッと笑って短くなったタバコを一息吸うと口から離しタバコの先を私に向かって指す。
「お前みたいな小娘は死なないさ。お前は生意気でどこか俺に似ている、だから最前線に立たせたんだ」
私に指したタバコの先から煙が伸び星のない夜空にまで上がっていくのを私は見つめていた。
「で、お前はなんで指揮官学校とやらに入ったんよ?俺だけに恥ずかしいこと言わせるなよ」
その顔は先ほどの哀愁漂う雰囲気は消え去って、いつものだらしない彼になっていた。その切り替えの速さに私は少し戸惑う。
「1歳の時から学校には入学していますので…特に理由はないです」
しばらく沈黙の時間が過ぎ、彼が次に口を開くのを待っているとギーベリは急に頭をガシガシとかいた。
「理由がないのに命をかけるって…なんか虚しいな。まあ俺も言えた身じゃねぇけど」
「別に、理由ならありますよ」
私がそう言うとギーベリは「ほう……」と言いながら興味深そうに私を見てくる。
「強くなりたいです」
「強くねぇ…」
タバコの火を地面に落とし足で踏みつけると、土を抉ったタバコは火が消えて黒い塊へと姿を変える。
「強くなってどうする?」
「強くなって誰かに守ってもらわなくても生きていけるようになりたいです」
私の答えにギーベリはふぅん…とため息にも聞こえる返事をする。
ギーベリは腰のホルスターから鷹と女の横顔の絵が彫られたスキットルを引き抜く。
「馬鹿だな」
その返事に私はムッとした。別に対した反応は求めてはいなかったけど自分が質問しといてその反応はなんだと思う。
「…だが」
ギーベリはスキットルのコルクを口で乱暴に開け、喉に流し込むと酒の雫がキラリと輝き口元から滴る。
「お前の言う馬鹿は、俺も理解できるぜ」
ギーべリは服で口元を拭うと、私に向かってニヤッと笑う。その締まりのない笑顔につられて私も思わず笑ってしまう。
「あははっ…ギーベリのその笑顔の方が馬鹿みたいですよ」
「馬鹿に馬鹿と言われるとは…俺はこんなにも清くていい男なのに」
辺りの静けさが夜の深さを物語り、私とギーベリの小さな笑い声と兵士たちが歩みを進める音のみが聞こえる。
麻酔のせいか、それかどこか安心したおかげかまぶたが少しずつ重くなっていき、視界も少しずつボヤけていった。
瞼に鮮やかに先ほどの記憶がよみがえり、私は頭をブンブンと降ってその記憶を頭の片隅へと追いやる。
しかし、ギーべリとの会話が頭にこびりついて離れない。
私は身体を丸めてうずくまると、自然と口から言葉がこぼれていた。
「なんであんなに話しちゃったんだろ…麻酔が効きすぎてたとはいえ、私話しすぎでしょ…」
「っおれ…んじぃ……ますっ!!」
「っ!?」
急な奇声に驚いて顔を上げると、酔ったルボフが呂律が回ってないながら何か寝言のようなものを話していた。
「なんだ、ルボフか…びっくりしたわ。ルボフも酔って潰れてるしテントに戻らないと…起きなさい、ほら」
私がルボフの手を取ると、彼は目をトロンとさせ私に寄りかかってくる。
「だめだよぅ、アニアちゃぁん…むりしちゃあ…ふひひっ」
「私が無理してると思うんだったら、立つ努力くらいしなさいよ」
ルボフの腰に腕を回すと彼の身体を引き寄せ、肩を抱く。するとルボフは私の身体にもたれ掛かりながら体重を預けてくる。
「おれは…あにあひゃんのことがぁだいしゅきだあああああ!!」
呂律の回っていないその叫びは辺り一帯に響き渡るかと思うくらい大きく、私の頰は赤く熱くなるのを感じる。
「馬鹿っ、そんなふざけたこと大きな声で言わないっ!!」
私は思わずルボフの口を塞いで黙らせる。
「うぅ…むぐぐぅ…」
私が口を塞いでからしばらくすると、ルボフの頬の赤みがみるみると引いていき、だんだんと落ち着きを取り戻していく。
「…だから…ずっと…いっしょいたい…」
その呟きと共にルボフは私の腕の中でスゥスゥと寝息を立て始めたので、ようやく大人しくなったルボフを支え私はテントに向けて歩いていく。
酔ったルボフは無邪気な子供のようで、いつもの私の後でおどおどと縮こまっている彼とは全然違い自然と頬が綻ぶ。
「普段のあんたも、これくらい意見を言えればいいのにね」
「うぐえっ…おぼ」
歩くたびにずり落ちるルボフを持ち上げあげると、彼から苦しそうな声が漏れ、頬を真っ赤にして口元を手で抑えていた。
「なに、どうしたの?」
「きもちぃわるい…吐きそ」
「え!?ちょっと、ここで吐かないでよね!!ど、どうしよ」
私が慌ててルボフを静止させるが彼はもうすでに限界のようで、口を押さえたまま体をくの字に曲げる。
「わかった、吐くならあの大きな箱の隅でっ!!隅で吐いて!!」
私はルボフの身体を腕で支えて必死に箱へと誘導するが、もうすでに彼の身体は力が抜けて吐く準備は整っていた。
彼のお腹からゴポゴポと消化中の食べ物がせり上がってくるのが聞こえる。
そしてそのまま大きく口を開けて…。
「おぼぼぼぼぼぼ」
彼の口からボタボタと吐瀉物が流れ落ち、箱の蓋に大きなシミを作る。
二、三度ビクリと跳ね上がるその背中をさすりながら、私はソレを見ないようにしてハンカチをルボフに押し付ける。
「どうせハンカチ捨てる予定だったから…使って」
しばらくすると、ルボフは落ち着いたのか口についた吐瀉物をハンカチで拭うと再び私に体重を預ける。
吐き終わったルボフは大丈夫そうだが、今の問題は敵の兵糧からとってきたうちの一つである箱の上にルボフが食べた料理のなれの果てが辺りに飛び散っており、嫌でも目を引いてしまうことだ。
「吐きそうって言うから咄嗟に人目のつかない箱の前に来たけど…まさか箱の上に吐くとは」
中の食べ物がもし生物で吐瀉物が中に飛び散ってたら、困るしな…。
一旦開けて確認するしかない。私はルボフを箱の裏に座らせて、箱についている南京錠の鍵を開けると中を確認する。
箱の中には大量のカブが入ってるだけで特に異変はないが、どこか生暖かい空気が辺りに籠った匂いが鼻をつく。
「ん……まあ異臭はしないみたいね」
―かしゃり
すると、箱の奥から何かが動いたような物音が聞こえ私は後ずさる。
…誰かが箱の中に身を隠している。
私は腰に差していた拳銃を抜き取り安全装置を外す。やはり、布を擦るような音と荒い息遣いが聞こえる。
私は銃のトリガーに指をかけたまま、ガブの奥にいるであろう人物を確認するためカブの中に腕を伸ばす。
「うがああああああああ!!」
奥から老人が飛び出て私の首元に噛み付こうとする。しかし、間一髪で体を捻りそれをかわし彼の右腕を押さえつける。
「あぁっ!!離せ…このコワッパ!!ぐぐっ…」
「っち、暴れんな…くそ老人がッ!!」
腕に噛み付いてくる老人の額を銃のグリップで殴りつけると、ようやく老人は噛む力を緩める。
「グレイス帝国の敵兵。次暴れたらあんたを撃つ」
「助けてくれえぇぇ!殺さないでくれええぇ!!」
彼は地面に押さえつけられ、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔でこちらを見つめている。
「確かにグレイス帝国の兵だが...お前らはは勘違いしておるっ!!」
老人は地面で必死に身をよじりながら私から抜け出そうと抵抗する。
「わしを殺しても何も意味がないっ!!なぜならこの戦争は茶番だからだっ!!」
私はその老人の最後の言い訳にどこか呆れた様子で彼を見つめる。
「お前らドルトニアの兵はなにも知らないと思うが...この戦争は全て茶番でこの戦いは最初からお前らが勝てるようになってる!!」
「それで?」
「そもそもドルトニアとグレイスはお前ら国民が知らないだけで実はお互い協力関係にあるどころか一つの国なんだ、だが戦争を続けるためにわざわざ別国のふりをして敵同士を演出しているんだっ!!」
「よくもまあペラペラと…だいたいなんでそんなことをわざわざするの?こんな戦争をしてなんの意味があるの?」
私が銃で狙いを老人の後頭部に定めながらそう聞くと、彼はまた目からポロポロと涙を流す。
「ドルトニア王国には指揮官学校とかいう人身売買のための施設があるらしい、そしてその学校から毎年卒業生と称して男女が大量に世界のお偉いさん達に売られるんだ…お前もドルトニアの兵士なら、イアンティネとやらを知ってるだろ?」
「知ってるもなにも私はその学校の生徒よ」
私の言葉に彼は目を丸くして驚いたような顔をする。
「じゃあ、尚更わしの話を信じろっ!!お前らの先にあるのは脳をぐちゃぐちゃにされ体を改造される未来だけだ!!わしは何度も運搬してるから知ってる!!お前らに情報をやれるっ…だから助けてくれぇぇ」
そう言って彼は必死で頭を地面にこすりつける。
「…なるほどね。私を騙して隙を見せた瞬間に逃げる算段ってとこかしら。馬鹿が」
私は地面に膝をつけて老人の目線に合わせるとその襟首を摑み無理やり立たせる。
「卒業生の誰でもいい…卒業してからお前は一度でも卒業生から電話や手紙をもらったことがあるか?誰か一人でも学校を卒業した後の話を本人から聞いた人間がいるか?」
「………っ!」
「ないだろ?当たり前だ。卒業生全員、すぐ人身売買に回されるからな。手紙や電話みたいな偽装できないものを上の奴らがわざわざ生徒如きのために送るはずがない。今度教師に一人の卒業生について卒業後どうしてるか詳しく聞いてみろ。絶対答えられないだろうよ」
彼は涙で顔をくしゃくしゃにしながらそう捲し立てる。
「信じない…信じられるわけないでしょ…私はあなたの嘘を受け入れない。先輩の卒業を汚さないで」
私は拳銃を握る手に力を込めて男の額に銃口を密着させ引き金を絞り込む。
「人身売買に回されたその先輩が今どうしてるか気にならないか…?」
引き金を引く直前、男はそんな一言をボソリと呟く。その言葉は私の指を止めた。
「卒業生の運搬を任されたわしなら、予想はつく…お前がわしを逃してくれるならその情報を教えてやる。どうだ?」
彼は私に銃口を向けられながらも、まるで優位がこちらにあると言わんばかりに強気で私を見据えている。
……先輩は卒業してから私に一切連絡をくれない。もしかしたら、こいつが言ってることは本当のことかもしれない。
本当だとしたら、先輩は…。でもそんなことあり得ない、あり得るはずがない。拳銃を握る手が微かに震える。
「馬鹿め」
一瞬のことだった。老人が私の見せた心の隙をついて体を強引によじらせて銃口から身をそらせる。彼の襟首を摑んでいた私は彼の動きについていけずにそのまま前のめりに倒れ込む。
そして、私が銃のトリガーを引くよりも速く老人は私の上で馬乗りになり、老人の鍛えてきた太い手が私の首を絞める。
「…こんなことで動揺しやがって。戦場に出る際、教官に言われなかったか?冷静さを失ってはダメだと」
「…っ…あ…ぜんぶ…嘘だったの?」
私は首を絞められた苦しさに言葉を詰まらせながら、男の目を睨みつける。
「…わしが言ったことは全て本当だ。お前らは卒業後、死より悲惨な目にあう。だからこのまま死んだ方がお前のためだ」
彼はボロボロになった口を歪ませて私の首をさらに強く締め付ける。
私は息ができずに目が上転しそうになる中、ゆっくり目を瞑ろうとする。
―ドンッ
銃声と共に彼の頭が消し飛び真っ赤な血が私の頰にかかると、私と彼に僅かな間沈黙が流れる。
先程まで喚き散らしていた老人は何も発さなくなり、彼はピクリとも動かなくなる。
「ニアっ…!!大丈夫?」
振り返るとミロクが私の安否を確かめるため駆け寄ってきてそのまま私の顔を覗き込む。
「かはっ…だ、大丈夫…。少し首を締められただけ…ごほっ」
私は喉を押さえて咳き込むと、胸いっぱいに酸素を送り呼吸を整える。息を一生懸命吸い込む私を見てミロクは「無事でよかった」と言ってそっと抱きしめた。
彼女の胸の中でトクントクンという鼓動が聞こえ、その体温の温かさに緊張の糸が切れる。
「ミロク生徒が怒りに身を任せて殺そうとするから、私が先に撃ってしまったじゃないか……処分書を書くのは私なんだが」
「ウオッシュ教官!どうしてここに…?」
後ろから声がして振り返ると、ウオッシュ教官がおり彼の右手には硝煙の昇る銃が握られていた。
「さっきウオッシュ教官がニアを探してるのを見かけて、私も一緒に探してたんだよ」
彼はカツカツと革靴の靴音を立てながらこちらに歩いて来ると老人の遺体を雑に踏みつける。
「しかし、グレイス帝国の兵は箱に身を潜ませてたとは…プローチェ曹長、こちらウオッシュ・ゼェールカラ少尉。受信状況確認、聞こえるか?」
トランシバーを取り出し、ウオッシュ教官は応答を待つ。
そして数秒すると、ノイズ交じりに少し聞き取りずらい声が聞こえてくる。
《ウオッシュ少尉、こちらプローチェ曹長……感度良好。オーバー》
「グレイス帝国兵糧から得た食糧箱からグレイス帝国兵を発見。こちらで処分したが、他の食糧箱に敵兵が身を潜めている可能性があるため全兵士らに連絡し、総員で捜索に当たるよう伝達願う」
《了解》
ウオッシュ教官はトランシバーの通話を切ると、拳銃をホルスターにしまう。
「そういえばルボフ生徒はどうした?アニア生徒と一緒だったろう」
「そうよ、ルボフ!!ルボフを箱の裏に座らせれたの…彼は無事?」
「うん、酒で潰れて寝ている。無事みたいだよ」
ミロクの言葉に私はほっと胸をなで下ろす。その一連の動作を見てウオッシュ教官はため息をつく。
「そうか、ルボフ生徒になにかあったかと思ったが無事ならいい。とりあえず誰も怪我をしていないようで良かった。君たちもそれぞれテントに戻りなさい。ここからは
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、ウオッシュ教官はこちらに手を軽く上げて歩きだす。
「そういえばだが、こいつは何かアニア生徒に言ったか?」
「何か…とは?」
「いや、なにも聞いていないのならいい。もし何か聞いたなら全て忘れろ、それはお前を騙すためのまやかしだ」
ウオッシュ教官は私の肩をポンッと叩くと、そのまま彼の部下に指示を飛ばしながらテントへと歩き去っていく。
私はどこか腑に落ちない顔で彼に叩かれた肩をさする。
ウオッシュ教官の言ったことがまるで何かを誤魔化す言い訳のように聞こえて自分の納得できなかったのだ。
でも老人の言っていたことを信じるということは、今まで学校で学んだことも、歴史の存在も、戦争も全て嘘だったと認めることで、そんなこと馬鹿げてるし信じられない。
「立てる、ニア?」
「…大丈夫よ。ルボフが酔って歩けないから私が連れて帰らないと」
私は立ち上がるとこんな状況でも呑気に寝ているルボフの腕を引っ張る。
「片足義足だしあんなことがあったばっかなんだから無茶しちゃだめだよっ。私がルボフ生徒を抱えて送るから」
ミロクはそう言いながらルボフに肩を貸そうとするが、私はそれを手で制した。
「大丈夫だから。あんまり、ミロク生徒に迷惑はかけたくないしテントまでそんな距離ないので」
「じゃあ、抱えず手伝うだけ。手伝うだけならいいでしょ?」
ミロクはそう言ってルボフの隣に並ぶと、ルボフの右側の腕を自分の肩に回した。
「一人より二人で支えた方が何かと楽だよ。ほら、行こうよ」
私とルボフを挟むように後ろから腰に手を回すと、私を先導するようにテントに向かう。
嫌な考えが頭をよぎり、それを振り払うように首を振るも老人の言葉は脳に溶けていって離れることはなかった。
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