4章

「あと何時間歩くんですか…ここ」

「カァーこれだからエリートはいけねぇ、あと少しで着くって言ってるだろ?大体な…俺が若い頃は」

 私は兵長の長話を聞き流しながら、腰にかけた水筒を手に取り喉を潤す。 

 そして口を拭くと、また歩き疲れて棒のようになった足に鞭を打つように歩く。

 各兵長ら率いる本隊の歩兵2万5千名とその後に戦闘機等や軍用車両を率いて、ヘンレーン平野を私たちは目指す。

 私たちの隊はギーベリ・ジーチ兵長、コールサイン《マーチング・ノックターン》率いる最前列歩兵部隊であり、1時間ごとに他の分隊と交代で休憩をとりながら歩を進めていた。

 何時間もの行軍は、兵士達の特に生徒達の疲労と精神的な不安を煽っていき、生徒達の口数もだんだんと少なくなっていく。

「なんで40キロも離れたところにわざわざ徒歩で行かないといけないんだよ…普通にバスでもいいじゃないか。これだからバカは…」

 後ろで歩いていた生徒が先頭の兵長に聞こえるか聞こえないかの声でボソリと呟く。

「今バスでいいじゃないかって言ったやつ、あんたこそバカ?」

 そしてその生徒の言葉に反応したのは、兵長ではなく私だった。

 私の突然の罵声にその生徒は驚いた様子で私を見る。

 他の生徒も私の言葉に反応し、兵長も歩みを止めて私の言葉に振り返る。

「学校の模擬戦で捕捉レーダーを使用し私たちが敵の位置を把握したのと同じように、現実の敵ももちろん捕捉レーダーを常備している。敵の捕捉レーダーは最大探知距離が何キロのを使用しているかは知らないけど、おそらく我々学校以上のを使用しているはず。つまり最低でも15キロはレーダーの警戒網が敷かれている…そんな中にバスなんかでいけばミサイルの格好の餌食になるだけ。そこまで考えてものを言ってくれるかしら」

 私の説明に悪態をついた男子生徒は黙り込み、他の生徒達も納得した様子で肯く。

「ってな話なわけだ。まあ…それは置いといて、アニ嬢さっきから言い方きつくねぇか?同じ学校の仲間だろ?歩いててイラついてるのかもしれないけど、もうちょっと優しく…」

「別に普通です。あとアニ嬢っていう呼び名はやめてください、ギーベリ兵長。うざいです」

 ギーベリはタバコを取り出し火をつけると、ため息混じりに煙を吐く。

「いいじゃない?こうやって死ぬ前に仲を深めておこうっていう長年兵長やってるなりの気遣いよ」

「死ぬ前だからこその拒否権を使用したいです」

 私の言葉にギーベリは髪をかきながらタバコを指で弾き、足を進めた。

 弾かれたタバコは兵士達が踏み潰していきその灰が花開くように地面に散った。

 突然ギーベリは双眼鏡で前方を見るとその歩みを止め、前に進もうとする私たち兵士を手で制す。

「俺はこの歩兵のピリついた空気が中々好きなんだが、悲しいことにそれはもう終わりのようだな」

 私はどうしたのかとしばらく周りを見渡していると、右前方遠くの地上に無数の黒い点が現れ始める。黒点はどんどんと近づきその姿がはっきりとしてくると私は全身の毛が逆立つ感覚がした。

 模擬戦で私たちが戦った仮想の兵士ではない、本物の生きた兵士が地平線の彼方から私たち目掛けてやってくる。

「ヘンレーン平野右前方4900メートルにグレイス帝国敵影発見」

 ギーベリの一言でその場にいた全員の表情が引き締まる。あまりにも張り詰めた空気に、一人一人の息を呑む音すら聞こえてくるようだった。

「諸君…いやお前らここまでの行軍ご苦労だった。ここでは、何も俺たちを…お前らを隠すものも妨害するものもここにはない。俺ら兵士がお前ら生徒に変わって敵陣を搔き乱す、だからお前ら生徒は学校で習ったことを思い出して存分に暴れてこい」

 そして突撃銃を抜き取り空高く掲げる。他の兵士らも自らの銃を抜き取り同じようにする。

 ギーベリは掲げた銃のスライドを引き、薬室に銃弾を送り込むと両手でしっかりと持ち構え、それのあとを追うように兵士は銃の安全装置を解除し突撃銃を空高く掲げた。

 そして全ての敵兵が敵影を肉眼で捉えることができるくらい私たちと敵の距離が縮まったその時、ヘンレーン平野に地を揺るがすような砲撃音が響き渡る。

「総員、突撃開始!!」

「うおおおおおおおおおおお!!」

 ギーベリの言葉に兵長を含む兵士達は一斉に雄叫びを上げ、全兵士が銃を撃ちながら敵陣へと突撃を開始する。

「第2分隊は俺の後についてこい!!足を止めるなっ!!」

「はっ!!」

 私はギーベリの後に続き、遅れをとるまいと必死に食らいつくように走り出す。

「陣形を乱すな!戦闘機は敵の重装歩兵の殲滅を優先、戦車隊は戦闘機支援に回れ!歩兵隊はこのまま敵陣に突っ込むぞ!」

 ギーベリの命令とともに兵士の銃声が響き渡り、私と兵長を先頭にヘンレーン平野を突っ切っていく。

 先頭に立っていた私たちに砲弾が次々と降り注いでいくが、私は気にせず全力で駆け抜ける。

 私とともに走っていた兵士たちの中にはすでに敵の砲撃に襲われ大地に伏し、どこかしら血を吐き出しながら死んでいく者もいた。

 目の前で見る本物の死に吐き気がこみ上げてくるが、それを気合いで抑え込むと空を見上げた。空一面の青い影の中あちらこちらに流星のように銃弾や火の玉が飛び散っているのが見える。

 その美しい光景とは裏腹に、辺り一帯には銃声と空薬莢の転がる音が奏でられていた。

「死ねぇえええええ!!」

「殺してみやがれぇっ」

 前方にいた敵の重装歩兵がギーベリの額を捉えて突撃銃のトリガーを引き絞るも、それよりも先にナイフを引き抜き喉仏を突き刺した。血潮がぴゅっと飛びでる前に素早く引き抜き、口元や軍服についた返り血を気にすることなく次の標的に突撃銃を発砲した。

 彼の通った道には何人もの重装歩兵の骸が横たわるり、流れるように人を殺す彼の姿は先ほどまでのだらけた姿と違いまるで軍神のようようだった。

「いいかお前ら!!お前らガキは俺の背中をついてきて銃をぶっ放せばいい!!だがら絶対に敵を恐るな!!恐れたらそこで負けだ」

 振り返りながらギーベリが大声で私たち5班に向かって叫び、それに呼応するかのように味方の兵士たちが雄叫びを上げる。

 私もその掛け声に体が呼応し、力を振り絞って走る速度を上げる。

「女だああああ…まずは女を狙えええええ」

 敵兵の一兵長らしき男が叫び、私目掛けて十数人の兵士らが襲いかかってくる。

 私は歯を食いしばりながら敵の兵士一人の背中や肩を踏み台にし空中で身体を捻って体勢を整えながら、銃を腰だめ撃ちし一人、二人、三人と撃っていく。

 着地と同時に、敵兵の一人に銃弾を一発お見舞いしそして弾丸がなくなった銃を捨て、先ほど殺した兵士の突撃銃を拾い上げる。私の銃弾一発一発が装甲の隙間に到達し敵の額の皮を貫き脳天を直撃し次々と兵士の頭は風船のように弾け飛んだ。 

 敵兵も私めがけて銃弾が飛んでくるが、私は右へ左へと敵の射線から避けるため中々命中弾を喰らうことはない。

「くそぉ…こいつ…ちょこまかと…」

 先ほど私が撃った銃弾で死んだと思っていた兵士が忌々しく呟きながら上半身だけ上げ、私めがけて銃を撃つ。

「ぶぁっ!!」

 殺したと思い油断していた私はその銃弾に気づくことができず、右太ももに被弾してしまう。そのまま私は地面に倒れ込み苦痛により身動きが取れなくなった。

 激しい痛みで顔を歪め、額に汗をかきながら近づいてくる敵兵士達を見る。

「このクソアマがぁ、いい気になりやがってよぉ死ねよ」

 そう言って敵兵の一人が私に銃を向け引き金を引いた。

「班長、危ないっ!!」

 しかしその弾が私に命中する直前、私を庇うように影が飛び出し銃弾をその身で受け止め、そのまま私の目の前で血しぶきをあげ口から血を吐き出しながら倒れる。

「…ディアせい…と?」

 その影は先ほど自分自身を鼓舞して輝かしい笑顔を見せていたディア生徒だった。

 そしてその彼女の背中には3つの穴がぽっかりと開いて、そこから血が吹き出し地面を濡らしていく。

「おい…私なんかのために死ぬんじゃない…それで足を引っ張ってないつもりか…おいディアァ!!」

 私は流血した足の傷も忘れて彼女の名前を叫び、胸ぐらを掴み起き上がらせようとする。しかし彼女は全く反応することなく虚ろな目で空を見上げていた。

「お、女……くたばれ」

 そう言って、他の敵兵が私に銃を向けて撃とうとする。私はその瞬間から頭の中が真っ白になった。

「あんたたちが……くたばれよ」

 そして私はディア生徒の身体から手を離し立ち上がると、腰の鞘からサーベルを抜き放ち、右手の刃を振り下ろすようにして一閃。頭部から入った刃は一瞬にして胴体まで食い込み、その先にある肉と骨を断ち斬って両断した。

 返り血を浴びながら、私は右手でサーベルの刃に付いた汚い肉片を振り払い、私を取り囲んだもう3人の敵兵へと走り出す。

「くたばれぇ!!この野郎ぉ!!」

 敵兵の一人は興奮した表情で私に向けて銃を撃つが私はその銃弾を避け、敵兵の懐に飛び込むと腹部に刃を食い込ませ、そのまま上に向かって振り上げ腹わたごと臓器を切り裂いた。

「さて、どっちから先に殺そうか?」

 残った兵士たちは急な私の殺戮に取り乱しながら私に発砲するも襲いかかる銃弾に向かって刃の腹で全ての弾を受け流し、そのまま再度サーベルを振り下ろし一気に2人の敵兵の首を刎ねる。その拍子に、勢い余って刀身が地面に当たり甲高い金属音をあげて刀身を少し削りあげる。

 土色に変色した兵士の屍と化した頭を踏んづけながら、私は異常がないかとサーベルの刀身を見つめると刃先から血が滴り落ち地面に落下して血だまりを作っていた。

 自分の顔に付いた汚れを制服の裾で拭き取りながら左手が無意識にサーベルの鞘を探す。

「ディア生徒…」

 私は鞘を探し当てサーベルを収めると、私は地面に横たわるディア生徒の亡骸の元へ駆け寄り彼女の身体を仰向けに寝かせる。虚空を見つめる彼女の瞳には、もう生気など宿っておらずただただ青く染まった空が反射しているだけだった。

 血で濡れた顔を拭いてあげようと手を伸ばすと、まだ少し温かみの残るその頬に思わず手を止める。歯を食いしばり震えた手でそおっと彼女の前髪を避けると、そのまま彼女の瞼を閉じる。 

 そんな彼女の顔は痛みで歪んでいるわけではなく、眠っているように穏やかな表情で目を閉じていた。

「ディア生徒…あなたの死にあなたの命に敬意を表し私を守ってくれたことを感謝します。あなたの突撃銃を使い、敵を…全てを抹殺しあなたの英雄的行為を学校にしっかりと伝えます」

 私はディア生徒が持っていた突撃銃を手にすると彼女の手を握り静かに敬礼をして、彼女の亡骸に別れを告げる。

「ありがとう、ごめんなさい」

 私はディア生徒の突撃銃の薬室に新たに弾を送弾し、倒れたディアに背を向け踵を返し再び戦場へと走りだす。

 敵兵を撃ち殺しながら前に進んでいると、土埃の向こうで塹壕に身を潜めていた敵兵と目があった。そして無慈悲にも塹壕から何十個もの銃口が一斉に私たちへと向け、トリガーに指をかける。

 私はその状況を確認した瞬間に全身に鳥肌が立ち全身の毛穴が一斉に開き一気に汗を排出し始める。

 来るっ。銃薬莢の金属音と銃から吐き出され熱された弾丸が辺りに響き渡り、銃弾が雨のようにこちらに襲ってきた。

 私は奥歯を食いしばり、敵兵から放たれる銃弾を空気の流れと筋肉の僅かな動きを頼りに躱していく。身を守る物が一切ないため銃弾を避けながら走るしかなく、徐々に呼吸も荒くなっていき心臓が強く早く脈を打つ。

 「うぐぁっ…!!」

 1人の男が放った銃弾が先ほど撃たれた私の右太ももを貫き、内臓が焼かれる感覚と共に激痛が走る。

 痛い…千切れる…怖い…。

 私は頬を流れる血を気にすることもできず、必死に走り続ける。

 止まるな進め、と心で叫びながら私は死ぬ気で走り続ける。

 しかしそんな私を嘲笑うかのように砲弾が空から降ってきて私のすぐそばに落下し凄まじい爆発が起きる。

 私は風で木の葉が舞うように吹き飛ばされ地面を転がった。

 そして無情にも空からまた新たな砲弾が降り注ぎ地面を揺らす。

 地面に再度倒れた私は砲弾の衝撃に意識を飛ばされそうになるが、舌を噛み意識を覚醒させすぐに立ち上がる。

「盾がないならその場で作ればいいのよっ」

 そして隣に転がっていた敵兵の死体を手に取り、その死体を前に持ち上げ盾にし塹壕へと近づく。

 大の男の死体を持ち上げているため、機敏な動きは出来ないが防弾壁代わりにはなりただがむしゃらに銃弾を避けるより身の安全を確保できる。弾丸は肉の盾に次々と命中し肉片や内臓が飛び散り、血しぶきを巻き上げるがそのまま弾丸が貫通し私に命中することはない。

「手榴弾、投げるぞ!!」

 私は味方兵に叫ぶと腰のホルスターから手榴弾を取り出して口でピンを抜き、敵陣へと投げ込んだ。そしてすぐに地に身を屈める。

 数秒後に爆発音が轟き敵の悲鳴が上がるがすぐにそれも収まり再び静寂が訪れる。

 私は咳き込みながら立ち上がり念のため死体を持ち上げそのまま塹壕へと突進し、あと一歩というところだった。

「あがああああああああっ!!死にたくないぃぃ助けてぇぇぇええっ」

 背後から声帯を両手で引っ張って千切ってしまいそうな程に喉を酷使し叫ぶまだ声変わりもしていない生徒の声が聞こえた。

 私は盾を持ちながら少し振り返ると足を撃たれ這いつくばってこちらに手を伸ばしている違う班の男子生徒の頭部に敵兵士たちが銃弾を撃ち込もうとしていた。

 悪いけどこの距離から助けに行ったとしても間に合うわけがないし間一髪で間に合っても私が銃弾に巻き込まれて死ぬのが関の山、それならたった一人の生徒を救うよりも塹壕にいる兵士を殲滅した方が多くの兵士を助けられる。

 そうわかっているのにその光景を見た私は目を見開き、塹壕に駆け寄ろうと踏み込んだ足は動かなかった。

 今敵兵が手榴弾で混乱している間に行けば、準備時間がない敵兵は比較的容易に殲滅できるのにどうしても全身に鉛のような重りが巻き付いたかのように身体は重くなりそこから動けなかった。

「あああ!!もうクソがっ」

 私は悪態をつきながら、足をかけていた塹壕から飛び降り死にかけの虫のように這いつくばる男子生徒の元へと駆ける。そして敵兵の銃弾が男子生徒に届く前に私は彼の服を掴み塹壕の手前側へと投げ飛ばし持っていた死体で受け止める。

 しかし先ほどと違い銃弾を近距離で受けたため勢いに耐えきれずそのまま死体を貫通した弾丸は私の腹部に食い込み激痛と共に赤い彼岸花をいくつも咲かせる。

「なんだぁこいつ?」

「っぐ…班員に感化されたただの馬鹿な兵士よ。そしてあんたはこんな至近距離から銃弾を外す兵士の成れの果てね」

 息を荒げながら私は敵兵を挑発する。正直すでに痛覚は全身を支配し腹部から滴る血が太ももに流れ落ちるだけで釘を強く刺したかのような痛みだった。

 ただ、私は喋り方や笑顔を痛いながらも作りあげて少しでも時間稼ぎをしようとした。

「死にかけのガキが何を言ってんだ、安心しろ次は外さねぇよぉ!!」

 興奮し鼻息を荒くした敵兵が銃を構え直す。

 ディア生徒、私はあんたに恩返しなんて臭い言葉を言うつもりはない。でもごめんなさい、私はディア生徒が守ってくれた命を守り通すことはできなかったみたい。あんたみたいに誰かを命を挺して守るのは私には難しいらしいわ。

 今の私にはできることがないと悟り私はせめてもの抵抗として敵兵を睨みつける。

「死ねぇえええっ」

 そんな私に情け容赦などかけず、敵の兵士が引き金に指をかけるとその時だった。

 私に向けて銃弾を放とうとした敵兵士の頭が吹き飛びその血しぶきは私を飲み込み、血が乾いてワインレッドになった軍服がまた生暖かい返り血で濡れる。

 前のめりに倒れた屍を避けようと一歩下がると私は敵兵士の背後に私は視線を移す。

 その顔は目深く被った軍帽のせいでよく見えなかったが私はその姿を見て先ほどまで感じていた痛みや恐怖が一瞬にして吹き飛ぶ。

 立ち昇る硝煙に血と汗が染み込んだ軍服の匂い、彼女の真っ赤な髪と大差変わらない色の血で濡れた前髪をかき上げ、その綺麗な顔を露わにすると同時に私に満面の笑みを見せる。

「うちの班員がお世話になったね」

「み…ミロク!?」

 ミロクは銃を左手に持ち替え、右手に持っていた短刀で私を取り囲む敵兵の首を搔き斬る。その途端まるで暴れ牛が通り過ぎるようにばたばたと次々に首が落ち、そして鮮血を撒き散らしながら首から上を無くした肉体は膝から崩れ落ちていく。

 私は目の前で起きている殺戮に口を半開きにしたままただ呆然とその光景を眺めることしかできなかった。

 そして私の目の前にいたはずの兵士達は全て屍となりその場に転がった。地面に転がる何十もの死体を見て我に返った私はミロクへと顔を向ける。

「なんでここに…?」

「ん?だから言ったじゃん。うちの班員って」

 ミロクはあっけらかんとした態度で私にそう答えると、私が先ほど投げ飛ばした男子生徒の元まで近づく。そしてミロクは尻餅をついている男子生徒の目の前に屈めて男子生徒の顔の前に手をやるも、その肩は小刻みに震えて怯えている様子だった。

「私は第6分隊3班班長で、この子が班員」

 ミロクは怯える男子生徒の頬についた泥を指で拭い取りながら笑顔でそう言った。

「あっ…そう」

「なに?もしかしてニアのために来たって期待しちゃった?」

「んな馬鹿なこと思うわけないでしょ」

 先程から楽しげに弧を描くミロクの瞳に少し苛つき私は顔を背ける。

「かっこつけていっちゃったけど、実はニアが危険な目に遭ってるのを見て心配だったから来ちゃったんだよ〜ねっ?だから怒んないで」

「怒ってないから…はぁはぁ」

 笑いながらウインクを飛ばすミロクの態度に私は呆れるが、それよりも身体を動かす度に全身に走る激痛のせいで顔を歪ませる。

 私は座っていることすらできず腹部から滴る血で濡れた地面の上に仰向けで倒れ込むとミロクが私の元に駆けてくる。そして私の元までやってくるとそのまましゃがんで私の前髪を掻き上げ私と目を合わせる。

「弾丸が腹部に貫通してるね…足も怪我してるし。このままだと過剰出血で死ぬよ、回収班を呼ばないと」

「馬鹿ねその前に塹壕に潜む敵兵の殲滅でしょ。今こうしてる間にもあいつらの準備が整ってまた多くの味方兵士が死ぬわよ」

「じゃあ、ミロクが殲滅に行くから。それでいいでしょ?」

「あんた私の獲物を横取りするつもり?絶対いや」

 最後の力を振り絞りミロクの手を払いのけ地面を掴み立ち上がろうとするが腕に力が入らないうえに腹部の痛みと出血による意識の低下でもはや脳も足も限界だった。

 それでも立ち上がらないと、そうじゃないと私の存在意義が無くなってしまう。

私は誰かに守られるために戦場に来たのではなくて、守られないでもいいくらい強くなるためにここまで来たんだ。

 ここで倒れて戦場が終わるのを待つなんて絶対に嫌だ。

 そんな私を見て何かを察した様子のミロクは苦虫を噛み潰したように顔を歪めると、歯を食いしばり決心をした表情で私に手を差し伸べる。

 私はミロクの顔を見上げその手を私は掴み、ミロクはそのまま私を引っ張って起き上がらせる。

 そして軍服が血で濡れるのも構わず私の肩と頭に腕を回し抱き寄せるとまるで赤子をあやすかのように優しい手つきで頭を撫で私の頭に被っている軍帽の鍔を摘み深く被り直させる。

「…ほんとニアは強情なんだから」

 抱きしめたまま耳元で囁くその声は綺麗で透き通っていて、でもどこか悲しげな声だった。

 私はミロクの肩をそおっと押し、先ほどの屍を持ち上げてまた盾のようにする。

「強情じゃないわ、信念よ」

 私はそう言ってミロクに背中を向けると男の死体を持ち上げたまま塹壕に向かって足を引きずりながら走る。

 塹壕まで数十メートルの所まで接近すると死体を敵陣目掛けて投げ込み、塹壕に足をかけるとそのままスライディングしながら滑り込み素早く突撃銃を構え、塹壕の中に身を伏せていた敵兵を撃ち抜いていく。

「さぁ、死に損ないの私か悪運に満ちたあんた達どっちが先に死ぬのか勝負よ」

「ぐあああっ!」

 塹壕内は狭い空間のため身を守る物もなく、そこは撃つか撃たれるかの死と隣り合わせの空間と化した。

 私の立っている塹壕内で銃撃戦が始まり10分が経とうとしていたころ、そこには先程まで激しい戦闘が行われていたとは想像もできないような静寂が広がっていた。

「はぁ…はぁ…おわった、全て」

 近く置いてあった小さな木箱に腰掛けると、足の力が抜けたようにぐったりとする。

 塹壕内一面には敵と味方の死体が地面一杯転がっているが、血飛沫や肉片で顔が潰れてどっちがどっちか判別できなかった。

 私は首元のマイクに手を伸ばし、ボタンを押して連絡を取る。

「……マーチング・ノクターン、こちらマーチング見習い5班班長イリイーナ。受信状況確認、聞こえますか?」

 マイクに向かって話しかけるとノイズ混じりにギーベリの声が帰ってくる。

《イリイーナ、こちらマーチング・ノクターン。何とか聞き取れる。オーバー》

「敵の塹壕を掃討しましたが、足と胴体に被弾したため戦闘を続行することが不可能。一時撤退しますので回収を願いします」

《了解、すぐに回収班を派遣するからその場で待機せよ…よくがんばったな…無線終了》

 無線機から流れる音が途切れるのを確認すると私はマイクから手を離し深呼吸をする。

 一気に気を抜くと身体中の悲鳴が改めて実感できるようになり苦痛に顔が歪む。

 制服を見ると敵の弾が腹部の傷を上乗せするように貫通したと思われる数か所の穴が開いており、そこから血が滴り落ちていた。

「痛いわねぇ……もう……」

 私は痛みに耐えながら自嘲気味に笑い、緊張から解放された安堵感と共に様々な感情が私の瞳に涙となって現れる。

「ふっ…くそぉ…くそがぁあっ!!わ…私は班員一人すら守ることができないっていうのかよ…?」

 悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい…くやしい。

 もっと私が強ければディアは死ななかったはずだ。

 先ほど彼女の頬に触れたときほんのり温かった、野営地にて私の腕を握った彼女の手は熱く彼女の笑顔も彼女の脈打つ心臓も、全て彼女が生きていた証だった。

 それを私が殺してしまった。

 自分の能力が足りていなかったせいで彼女は私を庇いそして彼女は死んでしまったんだ。足を引っ張らないだって?足を引っ張って班員を殺したのは私じゃないか…。

 一体なんのために私は主席目指し、優秀であることを目指したんだ?

 私は自分の班員一人守れないで……何が実力試しだよ…人一人でも守れるようになってから実力試しとか言えよ、私。

 さっきだって結局ミロクが助けてくれなきゃ私どころかあの男子生徒も死んでいた。

 結局私は誰も守ることはできないんだ。

 私は奥歯を嚙み締めると拳を地面に打ち付ける。皮膚が破れ拳に激痛が走るがそんな痛みなどどうでもよかった。

 地面を殴りつけた拳は地面に血を滴らせながら震えていた。

 悔しくて悔しくて…そしてどうしようもなく悲しかった。

 自分が無力であることを自覚するのはとても辛いことだった。

 自分を傲り高ぶり自分は優秀であり班員くらい守れると思い込んでいたからだからこんな事態を招いたんだ……。

「なんで私はまた…こんななのよ」

「ニア、伏せてっ!!」

「えっ?」

 私が悔しさと悲しさで肩を震わせていると、突然頭上から叫ぶ声がした。

 私はそれに反応し、声のする方に顔を上げるとそこには私目掛けて突っ込んでくる少女が目に映る。

「えっ!ちょっ」

 私を体当たりで突き飛ばすと、数秒後私のいた場所に砲弾が落ち爆発を起こした。

 その爆風でその少女と共に私の体は吹き飛び地面を転がる。

 顔を上げるとそこには顔に煤を付け、私を庇うように覆いかぶさって笑顔を見せるミロクがいた。

 ミロクは弱々しく「大丈夫だよ」と言いながら、私の頬に優しく手を当てた。

「本当にニアが無事でよかった。ふっ…ニアって意外と抜けてるんだね」

 そう言ってニコリと微笑むミロクの表情は、とても柔らかく温かくどこか母性すら感じられるものだった。

 その微笑みと優しい声に私の体からは力が抜けていくのを実感する。

「そうね、私って意外と抜けてるのかもね…」

 先ほどまで泣いていたから気づかなかったが、もう耳をすましても砲撃の音は愚か銃声も叫び声も何も聞こえない。聞こえてくるのは風の音とミロクの心臓の音だけだった。

「終わったのね。全て」

「うん、だから帰ろうよ。もう何とも戦わなくていい」

 そしてミロクに手を引っ張られ立ち上がる。

 足が千切れそうで自分を支えきれない私はミロクの体に雪崩れ込み、私を受け止めたその手は温かく優しかった。

 まるで母に抱きしめられているようなそんな優しさがあった。

 私はそれに身をゆだねるように目を瞑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る