3章

「ふわぁ…」

「アニアちゃん、今日で12回目のあくびだよ…どうしたの?」

 私があくびをする様子を隣で見ていたルボフが心配そうに私の顔を覗き込みながら尋ねてくる。

「昨日はミロクがずっとうるさくて眠れてないの…寝る前にお話をしようとか言い出して」

 私は昨日のミロクのことを思い出しながら、ルボフに愚痴をこぼす。

 昨晩くたくたの状態で寮中を走り回ったその後、食堂で夕食を取り部屋に戻った私とミロクは、私が疲れているのとミロクの相手をしたくないという理由で私にしては珍しく早く寝床についたのだが、ミロクが何か話そうといい、これがかなりの長話で私は12時前まで寝られずにいた。

「へぇ…ミロク生徒と仲良いみたいだね。すごく…意外だな」

「はっ、冗談でも変なこと言わないで」

 私は目をこすりうつらうつらとしながらルボフに返事をするが、昨日の疲れがまだ抜けていないらしく瞼は重りをつけたように閉じ始める。

 私たち一学年生徒は現在、イアンティネ指揮官学校より北に460キロほど離れたところにある第3エリアへと向かうべく、教官によって分けられた班で大型バスに揺らされていた。

 イアンティネ指揮官学校は我が国ドルトニア王国の中でも北端に位置しており、我々生徒が住む軍学校特別区の外に出ることができるのは2年に一度か二度、しかも戦争のときのみと決められており本当に稀なことで私たち新入生にとっては初めてのことであった。

 そして私たちにとって初めての模擬戦ではない実戦であった。

「模擬戦などで、指揮官などが務まるわけがない。諸君ら生徒は指揮官を志す前に一人の兵士として、実際の戦争を肌で感じる必要がある。そして諸君ら一年生は幸運なことに、少し早いながら本営部の許可を得て歩兵として本当の戦場に参戦する権利を得た」

 私たち5、6、7、8班を引率するウオッシュ教官は、私たちを見回して言う。

「我々が今から対峙する敵は、我がドルトニア王国と敵対関係にもある隣国のグレイス帝国だ。今回の戦争は第3エリアから少し離れた二国の国境線に位置するヘンレーン平野で行われる」

 ウオッシュ教官はそう言うと、懐から紙の束を取り出して私たちにその紙を手渡していく。

 私がその紙を受け取るとそこにはヘンレーン平野の全体図と地図が記されていた。

 ドルトニア王国とグレイス帝国の国境線に位置していながら、ヘンレーン平野は両国どちらにも属していないという特徴があり、そのためここが戦場の場として選ばれた。

 第3エリアには敵の侵攻を防ぐために堅固な砦が築かれた第二城壁がありそこを越え、南に40キロ下った場所にヘンレーン平野がありそこが我々の最前線となる。

 イアンティネ指揮官学校で模擬戦を行えるのは第二エリアまでであり、第三エリアより外は模擬戦ができなかったのでヘンレーン平野のことは私でもよく知らない。

「ジャルジン共和国から援軍を得て、ドルトニア王国側に1万ほどの戦力が投入されることになった。つまり我々ドルトニア王国は戦力3万、推測からしてグレイス帝国の戦力は2万5千。この戦いは完全に勝てる戦いだ。その意味がわかるな?」

「はっ!」

「第三エリア付近にある野営地に到着後、別働隊の本隊と合流しヘンレーン平野に向かい、そこで戦いに加わる。そして準備が整い次第、野営地を出発しヘンレーン平野にて我々ドルトニア王国はグレイス帝国の軍勢を迎え撃つ」

 睡眠不足など吹き飛ぶような大イベントに私は内心ワクワクしながら、地図を食い入るように見つめる。

 ドルトニア王国は31年前の侵略戦争以降、侵攻を受けたことがなかった。しかしグレイス帝国が4年前に宣戦布告をしてからは、両国の緊張状態が続いており何度も小競り合いが行われてきた。

 そして2年前、グレイス帝国から仕掛けられた戦争により侵略戦争が再び幕を開けたのだった。

「諸君らが見るのは、緑あふれる自然などではない。そこに広がっているのは、空気も鉄のにおいが常に充満し、血の臭いと死臭が常に漂う場所だ」

 笑い話にもならないような話を、ウオッシュ教官は淡々と鼻で笑いながら語る。

「味方に必要以上の情が芽生えたり、仲間の死で足がすくむことがあれば即刻兵士を辞めることをお勧めする。諸君に必要なものがまさにこの戦場にある。しっかり、目に焼き付けておくように」

 ウオッシュ教官のその言葉に私は全身が、血流が逆流し歓喜に震えた。

 本当の戦争を肌で感じ、実際の戦場に足を踏み入れるという貴重な経験ができる機会に私は興奮していたのだ。

 イアンティネ指揮官学校に入学してから約半年、ずっと模擬戦のみを行ってきた私にとって、実戦に勝る経験はない。

「勝つ…私は勝つ。今こそ私の培ってきた実力を見せるときよ」

 私は誰にも聞こえない声量で、そう呟いた。

「アニアちゃんはミロク生徒のことどう思ってるの?」

 突然ルボフは隣でボソッとまったく思ってもいなかったことを私に聞いてくる。

「は?嫌いに決まってるでしょ。急になによ」

「…どうして?」

「多分……あいつは私以上に天才だから」

 ミロク・ヒトトセ。あいつは、多分どころではない間違いなく天才だ。私も10年に一度の逸材と言われたがそんなチンケな言葉でミロクという人間は表せない。

 もし表現しなければならないとすると彼女には「異常」という言葉が最も適切だ。

 ルボフにはミロクと話しため眠れなかったと言ったが実は理由はそれだけではなく、本当は主席となった彼女のなぜか公開されていない初戦以外の模擬戦11個分の録画を寝る直前まで繰り返しては何度も見返していたのだ。

 そして見ている間、彼女の模擬戦における一つ一つの指揮に私は何度も目を奪われた。ミロクの模擬戦は全て私が、指揮官が理想とする動きであり私の価値観が大きく崩れてしまうほどの衝撃だった。

 ただひたすらに理解するため繰り返し何度も見た彼女の模擬戦映像は実に7時間にも及んだ。

 私はその映像に何度も目を奪われるとともに、湧き上がる興奮を抑えることができず私の頭には彼女の才能に対する羨望と嫉妬がずっと渦巻いていた。

 私はあいつが嫌いである以上に自分のことが心底忌々しくて仕方がない。

 何もできない私に、弱い私に生きる価値なんてない。

 私が本当に1番嫌いなのは私自身だ。

「なんか、自分のダメなところだけを見ちゃうアニアちゃんを見てるとそんなことないって言いたくなるな…そして今からの実戦で命を落とすかもしれないって震えている俺ってやっぱり落第生なんだなって実感しちゃうよ…あはは」

 ルボフは苦笑いをしながら言うと、私の肩に頭をポスッとのせてため息をつく。

「死ぬのは、私も怖い。でも、私は死を恐れる以上に敵を…やつらを少しでもたくさん殺し尽くすことが…それだけが私の」

「…私の?」

「え?」

 私はルボフの疑問に素っ頓狂な声で我に返る。

「それだけが私のなに?」

「それだけが私の…ワタシの…なんでしょうね?自分で言ったことなのに続きが私もわからない…使命とかかしら」

「ふぅん、立派だね…アニアちゃんは」

 ルボフはそう私に返すと、顔を肩に預けたまままぶたを閉じる。

 それだけが私の…なに?

 自分が言った言葉なのに続けるべき言葉が何か自分でもわからず使命とか言ったが、何もかもが綺麗に揃わないジグソーパズルを眺めているようでなんとも言えない気持ちの悪い感覚に陥る。

 私が自分の発言に頭の天辺で疑問符を浮かべていると、隣から寝息が聞こえてくる。ルボフを見ると肩を上下に動かして気持ちよさそうに寝ている。

「寝不足の私より、先に眠るなんて…」

 私はそんな呑気な友人に呆れながら、考えても仕方がないと窓の外に目をやる。

 枯れた草木しかない平野には昇ったばかりの大地を日の白い光が照らし、肌が焼かれるような暑さに襲われる。

 ルボフが気持ちよさそうに寝ているため私も眠ろうとしたのだが神経が高ぶってしまい寝ることができずにいつの間にかバスは第3エリア内に入り第二城壁を抜けた。

 戦場に向かう人間の空気というのは独特だ。

 どの班も会話は疎らで、寝ているものもいれば吐いている生徒もいて、それぞれが「せい」において自分を信頼することができるのかを見極めるために思考を巡らせている。そして私の肌はその空気を敏感に感じ取った。

「うぅっ…うっ…うぐっ」

 後の座席からしゃっくりを歯を食いしばって押さえ込むも隙間から声が漏れ出る声が微かに聞こえてくる。

 私は椅子に膝立ちになり、後ろの座席を覗き込むとそこにはグチャグチャに乱れた茶髪で顔の半分を隠している同じ班になった海組のディア生徒が頭を抱えながらうずくまり体を上下に揺らしていた。

「どうしたのよ?ディア生徒」

「は、班長っ…」

 普段なら泣いている生徒がいても声をかけることは決してないが、私は5班の班長に教官直々に任命された以上いい功績を残さないといけないためそのため班員のメンタルケアも嫌々ながら後の支障にならないよう行わないといけない。

 私がディア生徒に声をかけると彼女は上半身を飛び上がらせるように起こし私を見上げる。その目は充血し大粒の涙を溜めては流れ落ち、鼻水や唾液が口の端から垂れて可愛いのが台無しの酷い顔である。

「いやぁ……別に班長の手を煩わせるほどの…うっ内容じゃないです」

 上擦った涙声混じりの鼻声でディア生徒は懸命にしゃっくりを我慢しながら言う。

私はそんな彼女の強がりに呆れて、ため息をつくと何を思ったのかディア生徒はビクッと肩を震わせる。

「別に私自身、自分が相談に乗るタイプっていうかそういう頼りになるタイプじゃないってわかってるけど私は班長なんだから、少しくらい頼ってくれてもいいのよ」

 視線を窓の外にそらして頬を人差し指で掻きながら私は言う。

 首を傾げて私を信頼していいのか計りかねているのか少し視線が宙を行ったり来たりしていたが観念したようにポロッと言葉が涙とともに零れる。

「私、弱いんです。いつも廃棄ラインギリギリの順位だし、ウオッシュ教官の言葉で震え上がってしまうくらいに弱くて本当は指揮官とか兵士とか向いていないんです。でも一番怖いのは…私が弱いせいでこのまま戦死しちゃってパンラオイスとこのまま会えなくなっちゃうかもと思うともう何も考えられなくて……自然と涙が」

 ディア生徒はそう言葉を吐き出すとまた鼻をすすって座席に体育座りして縮こまる。

 私は恋人などもいないしそれくらい大切に思える相手もいない。ルボフが死んだらそりゃあ悲しいと思うがそれでも、戦場に生きるということはそういうことだと割り切るだろう。だからディア生徒の気持ちはまだ私はわからない。

 それでももし私が自分よりも大切と思える人が現れたら、ディア生徒みたいに泣けるのだろうか。

 私は椅子の上からディア生徒の目尻に腕を伸ばし、ハンカチで彼女の涙を優しく拭ってあげる。

「とりあえずあんたが死ななきゃいいんでしょ?大丈夫私が守ってあげるわ、私は班長なんだから」

 そんな私の言葉ににディア生徒はきょとんとした顔になるも、数秒経って私の言葉に少し目尻を下げて口角を上げ溜まった涙を拭い鼻水をすする。

「あっ…あれが野営地じゃないか?」

 一番前の席に座っていた男子生徒が前方を指差しその言葉に、バスの中は一気に騒がしくなった。

 窓の外を見ると、大きな円を描くように何十にもテントが張られ中心に簡易的な指揮所が設営されており、天幕からは武装した兵士が出入りしているのがバス内から見えた。

「野営地に到着したため各班順に椅子の下に置かれた荷物を取りバスから降りて、バス前で整列。班長は班の人数確認を行い点呼を取った後、それを私に報告し班を率いてそれぞれの班を担当する兵長の元に向かい指示を仰げ」

「はっ!」

 ウオッシュ教官の言葉に生徒達は返事をすると、ルボフの肩をポンポンと叩く。

「野営地に到着したわ。起きて」

「ふがっ…は、はい!!」

 ルボフは寝癖をつけたまま立ち上がると、自分の荷物を持たないまま寝ぼけた様子で走ってバスを降りた。

 私はクスクスと苦笑しながらルボフの分の荷物と私の荷物を椅子の下から取り出す。私たち5班は一番最初に降りないといけないため、各自荷物を取り出しバスを降りる。

 私がバスから降りて一番最初に反応したのはその野営地の見た目でもなく、戦車にでもなく、兵士達から発せられる気迫だった。

 私たち生徒のような模擬戦という生半可なものではなく、本気で命のやり取りをする兵士のそれだ。

 今ここにいる人間のほとんどは数々の戦争で命をもって戦い生き残った人間なのだと実感し、私はそんな彼らに敬意と畏怖の念を抱く。

「5班、点呼を取るわよ…ディア・クロニフ」

「…はいっ!」

 私は自分以外の班員の名前を呼びながら、一人一人の名前を点呼簿に書き込んでいく。点呼が終わると、私はテント前に整列してウオッシュ教官に報告を行う。

「君たち5班は…第2分隊だ。期待しているぞ」

 第2分隊は大隊の中でも最前列に位置する部隊だ。無論、危険度の高い危険な位置でもあるため生死の確率は高いだろう。しかし逆にいえば最も実戦に近づける位置に私たちは入ることになる。

「はっ!」

 私の返事を聞くとウオッシュ教官は歩いてその場を後にし、私たち班長は指示通りにそれぞれ指定された部隊に合流するべく移動する。

「第2分隊テントは…あの真前のじゃないか?」

 ルボフが指を指した先にあったそのテントは、他のいくつかのテントと比べると一回り以上小さく、薄汚れておりとてもではないが最前線に立つ英雄的存在である兵士がそこで寝泊まりしているとは思えなかった。

「しつ…れいします」

 班長である私を先頭にし、私たちはテントの入口を捲り中に入る。

 テントは明らかに大の男にとって小さいはずなのに驚異的なことにその小さな空間に7つの簡易的な寝床が並び、馬糞とタバコと汗が混ざって最後にウォッカを入れたような臭いが充満していた。

 あまりの臭さに私は目眩がし、ルボフや他の班員達も涙目になり鼻を抑えている。

「あんだ?嬢ちゃんら…ひっ…なにをしている?」

 入り口から最も奥まった場所、つまりテントの中でも一番日当たりの悪い場所を陣取っていた男達が私たちを見て聞く。酒に酔い潰れて既に寝ているようだったが、私たちがテントに入ってきたことで目が覚めてしまったらしい。

「第2分隊兵長を探しているのですが、どこにいますでしょうか?」

 私がそう聞くと男は私の顔をジーッと見つめた後、顎に手を置く。

「あぁ、第2分隊の兵長って俺だったわ」

 男のその言葉に私たちは「はっ?」と口を揃えて言った。私たちの反応に一緒に飲み潰れていた男達がガハハと豪快に笑い、また気絶するように眠りにつく。

「でけぇ声出すんじゃねぇよ。うちのがビビっちまうだろうが」

 男はそういって立ち上がると私たちに背中を向けて横になっている女性を指差す。

「で?嬢ちゃんら、なんだ…ここは戦場だぞ、子供がいていい場所じゃねぇ。とっとと帰んな」

 男は立ち上がり、汗で茶色く薄汚れたシャツの上から麻で織られたボロボロのベストを付け、タバコと酒で焼けた声で私たちに背中越しに言う。

 無精髭を顎に生やし、人工的な赤に染めた髪を後ろに束ねて身長は高めながらも気怠げで弱々しい男だ。年齢は30代前半といったところだろうか。

「お初にお目にかかります。この度、イアンティネ指揮官学校より配属された1学年5班班長イリイーナであります。兵長」

 私は自信を持って軽く右手を斜め前に出して敬礼を男にする。私に倣い他の班員達も敬礼をし、その揃った動作に兵長は口笛を吹く。

「ああ…お前らエリート学校のガキ達か。おい聞けよっ、この嬢ちゃんらエリート様なんだってよ」

 兵長は好奇の目で私たちを腹のそこから笑いながら、酒で潰れている仲間達に叫ぶ。すると酒に溺れていた奴らが私たちの方を見て、笑い出す。

「ギャハハ!ほんとだ!!」「エリート様がなにしに来てんだよ、ガキはベッドでねんねしてろよ!」

 私は急にこんな薄汚いやつらに嘲笑され苛立ちを覚えたものの、すぐに笑顔に戻して男を見る。

 兵長に逆らって一番評価が下がるのは班をまとめる私だからだ。

「おい、酒なんて飲んでないでこの嬢ちゃんらを見習えよ。お前らのパンツなんかよりも価値のある命を持った人間だぜ?」

 兵長はタバコに火をつけ私たちを爪先から頭の天辺までじっくりと舐め回すように見る。

 その下卑た視線に私はゾクリと鳥肌が立つのを感じた。

 ルボフや他の班員も同じように感じたようで、私と同じように拳を握るものや歯を食いしばるものなど様々だったが、私は笑顔で兵長を見る。

 兵長は私たちを見て目を細めるとタバコを口から離す。

「俺のとこに配属とはご苦労なこったなぁ。兵長っていやぁ聞こえはいいが、俺はお前らエリートの将来と違ってただの底辺兵士だ。なんもしてやることはねぇし、やるつもりもねぇ」

「はい大丈夫です。もともと期待していないので」

 兵長のあまりにもあけすけな物言いに私もつい本音が漏れてしまった。

 兵長は一瞬真顔になったが、また大口を開けて笑い出すとタバコを地面に放り投げて踏みつける。

「ギャハハハハ!全くもってその通りだ、俺らに期待するな」

 兵長は心底楽しそうに笑うと、涙を拭きながら私たちの荷物を顎で指す。

「お前らの寝床はあれだ、使いたきゃ使ってもいいぜ?エリート学生」

 指された場所はテントの隅で、かなり風が吹くあたりに置かれた寝床は寝る場所に適しているとは言えなかった。ただボロボロの布が引かれただけで、クッションやマットなんてものはなく地面の上に薄い毛布1枚置かれただけの簡易的なものだった。

「ありがとうございます、兵長」

「敬語で話すな。気色悪りぃ」

 私がお礼を言うと兵長は手を払って私の尻を叩き思わず「ひっ」と声が出る。

 サイアクだっ…キモチワルすぎる…。

「荷物を置いたらテントから出て持ち場につけ。お前達には早すぎる死に、急ぐ時間だ」

 兵長はそれだけ言うと手をヒラヒラとさせてテントから出て行く。兵長がいなくなるのを見届けると私は安堵のため息をつく。

「とりあえず、寝床は二つしかないからルボフとディア生徒、残りの二人でそれぞれ寝て」

「アニアちゃんの寝る場所は?」

 ルボフが心配そうに私を見るが私は「大丈夫」とだけ言って、鞄から寝袋を取り出して見せる。

「もしものために寝袋を持ってきておいたから」

 私の言葉に他の班員は感心というのか呆れた様子で「おぉ…」という。

「とりあえず、兵長に言われた通りに持ち場とやらにつきましょうか?遅れたりして、評価が下がったら嫌だし」

 私のその言葉にみんなは頷くと荷物を寝床の横に置き、早くこの臭いから抜け出したいと言わんばがりに足早にテントを出ていこうとすると、突然ディア生徒に腕を掴まれる。

「なにかしらディア生徒」

「あっ、いやあの…寝床を譲ってくれてありがとうございます」

「班長だもの。これくらい当然よ」

 私が怖いのか、オドオドと視線が定まらないまま話すディア生徒に私は出来るだけ優しい声で返す。

「私は班長に比べたら戦績も良くないし、廃棄ギリギリだけど…5班に恥じないように足を引っ張らないように頑張るからっ」

 掴んだ腕は震えていながらも私の目をしっかり見ながらいう彼女は真剣でその健気な姿勢に私は微笑む。

「期待しているわ、ディア生徒」

 私がそう返すとディア生徒はお辞儀しながら、頬を紅潮させて満面の笑みを浮かべてテントから出る。さっきまでバスで泣きじゃくっていた彼女はいない、もう彼女は大丈夫だ。

 そして私は安堵のため息をつき彼女の背中を追うように外に出ると待っていましたと言わんばかりに目の前に兵長が立っており、私を見るなり「おい」と肩を掴む。

「嬢ちゃんらが遅れてきたせいで他のとこはもう準備始めてんぞ、ついてきな」

 そう言って兵長は私たちを先導するように歩き出す。

 その際、横目見ると違う分隊に配属された生徒達がその分隊の兵長らしき、ある程度身なりが整えられた男の前に並び点呼を受け指示をされていた。

 なんで一応元主席の私があんな酒臭い男の部隊に配属にされなくちゃいけないの、学ぶことなんてなにもなさそうじゃないと心の中で愚痴りながら私は兵長に続く。

「お前らも知ってると思うが第2分隊は、戦場においての最前線に立つ。そのため他の分隊よりも倍近く危険度は増す。当然、一番最初に死にに行くようなもんだ」

「はい」

 私は短く返事をすると兵長は横目で私を見る。

 そしてその瞬間、彼の拳が私の顔面を捉える。

 突然の攻撃に私は頭が真っ白になり、一瞬のことで避けることもできず私は目を瞑る。

 しかしいつまで経っても衝撃がくることはなく、目をゆっくりと開けると私の目の前には拳があり、私の顔から1センチも離れていない距離で止まっていた。

 私は突然のことに唖然とし、他の班員達は何が起こったかわからないと言った様子で私と兵長を交互に見る。

「気を抜くな。今ここが戦場ならばこれは拳ではなく弾丸だ」

 兵長は拳を下ろすとタバコを取り出し火をつけ煙を私の顔に吐く。

「こんな拳も避けられないんだったら、戦場なんかに行くな。ただのエリートなんてお荷物に…」

 私は彼の「お荷物」という言葉に突然猛烈な怒りが芽生え彼が咥えたタバコ目掛けて蹴りを入れる。

 兵長は予期していなかった攻撃によろけ、私の蹴りが彼の咥えていたタバコに命中し地面に転がったタバコを踏みつける。

「これが戦場でしたら、兵長が死んでいましたよ」

 お互いの間に異様な雰囲気が流れ、私たちの後で他の班員達は突然の出来事にお互い顔を見合わせていたりしていた。

 兵長は、構えをとる私を睨みつけると急に「ははっ」と私を見て鼻で笑う。

「ギャハハハハハハハ!」

 兵長はお腹を抱えた様子で突然大声で笑い出し、ひとしきり笑うとタバコを拾い上げ私に投げてよこした。

「ったく、エリート様はこれだからいけねぇなぁ」

 兵長はそう言いながら私を上から下まで舐め回すように見た後、私の頭を鷲掴み髪の毛をわしゃわしゃとする。

「嬢ちゃん…あんた面白いな。名前は?」

「……先ほども言いました、イリイーナです。兵長」

「俺が聞きたいのはそんなかしこまったやつじゃねぇ、エリートとしての名前なんか興味ねぇんだよ。嬢ちゃん……お前の名前は?」

 兵長は突然私に顔を近づけてニヤニヤと笑う。私は初めて間近で見た兵長の顔に嫌悪感を覚え一歩後ろに下がるが、その下がった距離を埋めるように彼も一歩踏み出す。

 このめんどくさい感覚…ミロクに似てる。

「…アニア・イリイーナ」

 私がそう答えると兵長は「そうか……」と言ってまた鼻で笑う。

「洒落た名だな、俺はギーベリ・ジーチだ。お前の度胸に免じて最前線、俺ら兵長と同じ最前列においてやるよ」

「へ?」

 私は兵長の言葉に驚き変な声が出る。私の髪を掴んだ手を、私の肩に手を置き直して言う。

「だからお前を俺の隣、つまり本当の最前線で特別にお前の実力を俺直々に測ってやるって言ってるんだ。有り難く思え」

 ギーベリはそう言うと私に背を向け他の班員達に「さぁ来い!」と指示を出す。

「わ、私はまだ了承していないですし、生徒は基本兵士より後ろで戦うという決まりが…」

「兵長命令だ、黙ってついてこい」

 ギーベリは私を睨みつけると私の腕を掴み強引に引きずるように歩き出す。

「ま、待ってください!!兵長!!」

 私はなんとか振り解こうとジタバタと抵抗するも、兵長の腕力があまりにも強く逃れられない。

「なんだ、お前?最前線に立ちたくないのか?」

 私は兵長の言葉にグッと押し黙る。生徒が最前線に立つなんて自殺行為に等しい。 

 それもこんな兵長の分隊なんて頼りになるはずがない。

 しかし……しかし、最前線で戦うことこそが私が望んだもの、この戦争の…私の意義に一番近い場所。

 こんなチャンスを逃すわけには……と私は歯を食いしばり決意を固める。

「行きたいです」

 私の反応にギーベリは私を見て笑うと、腕を掴む力を緩め言う。

「だったら、黙ってついてこい。そして死にに行く覚悟をしろ」

 兵長の先ほどのおちゃらけた表情とは違う鋭い眼光と言葉の圧力に私は唾を飲み込み彼の言葉に「はっ!」と答える。

 私の左手には彼が私に投げつけたタバコの吸殻が握られており、それが妙に重く感じた。

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