22. 緊急会議
「好きよ」
「え…」
ジェイドの視線はまつげに透けた紫色の目にすい寄せられた。
「私、お菓子に好き嫌いとかないもの」
ヴァイオレットはデイジーに言った。
ジェイドは気付かれないようにそっと元の冷静な表情をつくった。
「話が脱線してるぞ」
咳払いをして言った。
「自分が入れないからって水差すんですねー」
「デイジー、意地悪しないの」
淡白な仲裁の両端でデイジーとジェイドはまた火花を散らしている。ジェイドが先に目を逸らして言った。
「証拠となる物の手配は順調なのか?」
ヴァイオレットは疑いの眼差しを向けた。
「ついて行ったりしない。誓って」
ジェイドは真剣に両手を上げた。
「信じましょう?」
ヴァイオレットは片眉を上げそれは本当かと言わんばかりに笑って言った。
「とは言っても、実際はまだ何を証拠とするかも決まってないのよね。まさかこんなに早く成果を上げてくれるなんて思っていなかったから」
ヴァイオレットは力を抜いてテーブルに肘をつき、重ねた手の甲に顎を乗せた。
「えっと今日の最低でも夜12時までに用意しないといけないんだよね?」
「そうよ」
「あっあと13時間しかないよ!?」
デイジーは両手に立てた指を前に出して声を張った。
「そうなの。少し焦るわね」
「少しで良いの…!?」
首を少し傾げるだけのヴァイオレットの態度に身を乗り出して訴えた。だが、ヴァイオレットはいつものように笑ってこう答えた。
「一人でやるわけじゃないから、大丈夫な気がするのよ」
「そう…?」
デイジーはまだ心配そうながらも身を引いた。
「だからさっそく意見を聞かせてほしいの、どうすべきなのか」
「アイデアはいくつかあるんだろう?」
「固まっていないけどね。一つ目はアドゥール、または影のものと分かる物を残す。二つ目は時間もないし、影を捕らえて教会に引き渡す。でも、さっきも言ったけど、表に立つつもりはないし。となると、一つ目が良案なんだけど…」
ヴァイオレットは溜め息交じりに言って、腕を組んだ。
「適切なアイテムが見つからない、と」
「そういうこと」
「うーん‥手っ取り早く紋章とかは?ほら、この人も紋章の入った剣とかマントとか身に付けてるでしょ?」
「そうね…アドゥールの紋章を影が持っているとは思えないし、影も存在をアピールすることにメリットはないからそんなもの身に付けていないでしょうね」
「だがあれはあるんじゃないのか?仲間だということを証明する…」
「あるにはあるけど、彼らの場合は入れ墨なのよ。だからそれを残すとなると…ね」
苦笑して言った。
「「あぁ‥‥。」」
二人も思い浮かべたその有様に若干引いた。デイジーは鮮明に想像してしまったようで身震いしている。その間にジェイドが閃いた。
「…命令書はどうだ?」
ヴァイオレットは目を光らせた。
「直筆ね…?」
デイジーは顔にはてなを浮かべて聞いた。
「どういうこと?」
「大体の場合、ボスと部下って直接じゃなく、手紙でやり取りをするものだから、アドゥールが影に書くその命令書を教会に残せれば、筆跡や内容から彼が捜査線上に上がるということよ」
「へぇ…複雑だね」
「貴族社会なんてこんな面倒なことだらけよ」
「花屋の娘でよかったぁ」
デイジーは頭を押さえてのけ反った。
「同感だ。こちら側では生き残れそうもないからな」
ジェイドがひとり言のようにそう言うと、デイジーは勢い付いてもどり、テーブルを押さえつけた。
「どういう意味ですか!聞き捨てならないですよ!」
「問題はその命令書を盗めるかどうかだな」
ジェイドはデイジーが吠えるのを何食わぬ顔で無視して続けた。
「ちょっとぉ!」
デイジーは頬を膨らまして子供のように拗ねてしまった。ヴァイオレットが優しく撫でると、彼女はジェイドを子犬のような目で睨みながら身を寄せた。
「確認したらすぐに燃やしてしまうでしょうし、その前に奪ってしまったら元も子もないものね」
「…複製はできないの?」
いつもの明るい声で表情だけが不貞腐れたまま言った。
「できなくはないけど内容が分からないことにはね」
「君の友人には頼めないのか?内でなら内容を見るくらいはできるだろう」
「彼女にも表向きの仕事があるの、今日突然決まった計画を手伝ってもらうのは危険すぎるわ」
「他に伯爵のもとにいるものは?」
「いいえ。協力者は彼女だけよ」
ヴァイオレットは首を横に振った。
「ここにならいるけど…」
デイジーがクッキーをかじりながら呟いた。
「え?」
彼女はサッと姿勢を正し、隣を指差した。
「私はともかくこの人なら何かできるんじゃない?貴族なうえに騎士だし」
「だめよ。顔が割れているのに、危険だわ」
ジェイドが微量に頷いて言った。
「いや、娘の言う通りだ」
「えっ」
「最前策を取れるのなら喜んで手伝おう」
「ねえいま私のこと‘娘’って言いましたよね?」
デイジーは露骨に嫌な顔をしている。
「言ったが」
「‘娘‘はちょっとおじさん過ぎるわね」
ヴァイオレットはクスクスと笑った。ジェイドは赤くなって表情を乱した。
「おっおじっ…ともかく、君の友人に繋いでくれ」
「あなたがそういうのなら、お願いするわ」
恥ずかしがったのを隠しているジェイドの顔を見てヴァイオレットはまだ笑っている。
「具体的にはどうするつもりなんですか?」
口をとがらせてデイジーが聞いた。
「できることは限られているが、ヴァイオレットに従うつもりだ」
「わかったわ。…そうね…命令書をすり替えるから…」
手を口元にしばらく考え込み、ヴァイオレットは詰まることなく言った。
「まず彼女が命令書を持ち出す人物をあなたに知らせるから、影の手に渡る前、少なくとも二人の仲介者の間にすり替えてきてほしいの。彼女には私から連絡しておくわ」
「大丈夫?この人のやり方って多分注目集めるタイプだよ?」
「大丈夫、すり替えるときは協力者も一緒だから」
「協力者?」
「ええ、あなたも知っている人よ」
ヴァイオレットは悪戯でも考えているような顔で笑った。
「わかった」
ジェイドは何の疑念も持たずに素直に了承した。
「それから、この方法手間がかかるからね、手分けして準備をしなきゃならないの」
「任せて!」
「承知の上だ」
ジェイドも深く頷いた。
「ありがと。こういうのが得意な職人さんがいるから、二人には複製を依頼してきてほしいの。‘クレシフェル’の使いだと言えばわかるわ」
「この街じゃないんだよね?」
「ええここからは離れていて…地図を書くわ」
ヴァイオレットは足早に二階の自室に向かった。
取り残された二人の間には冷たくはないが居心地の良くない空気が流れた。
「ねえ、さっきの‘娘’ってもう絶対呼ばないでくださいね?恥ずかしいから」
「ではメイヅさんと——」
「デイジーって呼んでくださいよ!堅っ苦しいのはダメです!」
純真な目で怒るのを見て、ジェイドは驚きを隠せなかった。
「…てっきり嫌われていると思っていたが」
「さっきのですか?…冗談ですよ。全然怒ってませんって」
「それは‥良かった。だが貴族社会でやっていけないというのは侮辱をしたわけではなく一種の誉め言葉だと団員の——」
デイジーはジェイドの口を力任せに塞いだ。
「それ以上言うとヴィオさんに告げ口しますよ!」
彼女が手を離すとぎこちなく答えた。
「わっ悪かった」
「ふんっ」
デイジーはそっぽを向いてクッキーにかぶりついた。
デイジーが怒っているにもかかわらず、先程とは違い、三種の紅茶の混ざった香りを感じられるほど温かな雰囲気に押されて、ジェイドが言った。
「…俺のことも名前で呼んでくれ」
「…良いんですか?後で怒られたくないですよ?」
デイジーは遠慮がちに言った。
「ああ。それはないと約束する」
ジェイドの言葉の端には微笑みが見えた。デイジーもそれに応え、ヴァイオレットに見せるような元気な笑顔で言った。
「だったらジェイドさんって呼ばせてもらいますね!きっとヴィオさん喜ぶなぁ」
「呼び方を変えただけだろう?」
「もうわかってないなぁ。何でそういうところは鈍いんですか、ヴィオさんだって元貴族なんですよ?」
「…!知っていたのか」
驚くジェイドの顔を見て、デイジーはにやりと笑った。
「もちろん!大体のことは直接聞きましたよ?他にも今までどんな経験をしてきたのかとかも。ジェイドさんは知らないんですか?」
ここぞとばかりに煽り始めた。
「知っていることもある…!これからそういうことは話すつもりだ」
明らかに焦るジェイドをさらに煽った。
「ふーんこれからなんですねぇー。私の方が一歩リードですかぁ」
「リードはしていないだろう…!きっ君の知らないことも山ほどあるんだ」
「それはどーですかねぇー」
慌てるジェイドとそれを楽しんでいるデイジーの声を聞きながら、ヴァイオレットが階段を降りてきた。肩に鞄を掛けて手にはメモのような紙を持っている。
「随分楽しそうじゃない?」
「違うよ!この人が突っかかってきただけ!」
「君が始めたんじゃないか」
「ふふっ仲良くなったみたいで良かったわ」
またも睨み合う二人に険悪な様子はなかった。
ヴァイオレットは分厚く折りたたんだ方の紙を渡した。
「はい、これが地図。ここからだと6時間程かかると思うからできるだけ急いで。ジェイド、馬の場所は分かるわよね?」
「ああ」
「完成するのを待っている間にこれに目を通しておいて」
薄い方の紙を広げた。肩に掛けていた鞄もテーブルに置いて座った。
「これにはアドゥールの筆跡の書類や着替え諸々入っているから彼の屋敷に行くときにはデイジーが回収してね」
「着替えって何だ」
デイジーは鞄の開けて覗いている。
「屋敷の周りをその格好で歩いていたらおかしいでしょう」
「なるほど」
「私は連絡と教会に乗り込む準備を整えておくから、また、本部の周辺で落ち合いましょう」
ジェイドはデイジーの前を遮って鞄を閉めた。
「ああ」
「それじゃあ、気をつけてね」
ジェイドは鞄を肩に掛けて頷いた。
「君もな」
デイジーも頷いて勢いよく席を立った。
「うん!」
「デイジー、ちょっと」
ヴァイオレットが袖を引いて呼び止め、コソコソと耳打ちをした。デイジーはさっきより慎重で落ち着いた様子になった。
「…うんわかった。行ってくる!」
ジェイドが開けているドアに走り、手を一振りだけして出発した。
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