21. 始動の合図

「じゃあ私が、見えないところで強引に人をいじめ倒す‘沈黙の悪女’と呼ばれていた。これは?」


「うそ!ヴィオさんに‘悪女’なんて言う人、この街にはいないもん」


「残念。これは本当なの」


「えっ!もぅまた不正解だよ」


「二択の問題で全て外すなんて才能なんじゃない?」


「もぅ!からかわないでよ!」


いつものようにヴァイオレットは店の奥でデイジーとティータイム中だ。クッキーの甘い香りがハーブティーに溶け込んでいる。

午前9時の鐘の反響が聞こえ、店の前に新聞売りの少年が通りかかった。


「デイジー、新聞を買ってきてもらえないかしら?」


ヴァイオレットは銅貨を3枚渡して言った。


「良いよ?」


デイジーはクッキーを3枚ハンカチにくるんで通りに向かった。

その間に、ヴァイオレットは小さな物置部屋から椅子を一脚持ち出して、テーブルの前に均等に並べ直した。



「ヴィオさんって新聞よく読むよねー。文字だらけでこんがらがっちゃわない?」


デイジーが新聞を手渡した。


「読み慣れたらそうでもないわ。毎日読んでみたら平気になるんじゃない?」


「朝から頭を使うのは無理だよー…」


ヴァイオレットは5枚目を捲って手を止めた。デイジーは彼女の肩に頭を添わせて覗き込んだ。


「<今回の演目は黒ウサギ。白ウサギに嫉妬して巣穴から命の結晶を持ち去ってしまった孤独な黒ウサギの成長物語。>…ヴィオさんって意外とお金持ちなの?」


「演劇を見る余裕はないわね。これは、暗号なの」


「あっ暗号?」


「この演劇の作家はでね、他のとの連絡の中継をしてもらっているの。その人にはを盗んできて欲しいと頼んであって、その返事がこれよ。黒ウサギはその友人で、白ウサギはターゲット、そして命の結晶がよ。つまり、成功したってことね」


「ちょちょっとまって、じゃあこれもヴィオさんのの一部?」


「そういうこと、呑み込みが早いわね」


「っていうか、そんに詳しく話しても大丈夫なの…?」


「あなたは誰かに言いふらしたりしないじゃない?」


ヴァイオレットは深く濃い意気のある目で、デイジーを捉えた。


「まあそうだけどぉ…」


デイジーはバイカラーのクッキーを頬張った。


「それでこの後どうするの?」


「もちろんまた細工をしないとね」


ヴァイオレットの不敵な笑みから、優艶な香りも漂った。


「なんか…ヴィオさんが悪い女っていうの分かる気がしてきた」


「悪い気はしないわね」


ヴァイオレットはティーカップに指をかけた。


「そうそう、そのある物、あなたの家に届けるようにお願いしたんだけど、やめた方が良いかしら」


「ううん大丈夫、それよりその荷物受け取った後はどうするの?」


「聞いても構わないのね?」


ヴァイオレットは声色を落ち着かせて言った。

デイジーもカップから手を降ろした。


「うん」


「あなたも良く知ってる騎士に手伝ってもらうつもりよ。だから…」


ヴァイオレットは席を立ち、店の扉を押した。ドアベルが激しく音を鳴らした。

扉の前ではジェイドが手を引っ込めていた。


「早く入ってきてくれない?覗き魔さん」


ヴァイオレットがからかうとジェイドは顔を赤くした。


「のっ覗いては——」


「はいはい」


ヴァイオレットは面白がって言い訳を遮った。


「デイジー、ハーブティーを入れてあげて」


「えー?私その人嫌なのにぃ」


「おねがい、ね?」


「んもう私ってばヴィオさんに弱すぎ」


デイジーはテーブルに手をついて立ち上がった。


「ふふっありがとう」


ベルの音はしないで、扉が閉まった。



ジェイドはカゴの中に並んでいたまだら模様のクッキーをかじった。


「うまいな」


その満足げな顔を見てデイジーはツンとして言った。


「それ私が作ったやつですよー」


ジェイドは残りを一気に口に放り込んでヴァイオレットに聞いた。


「今度は何をするつもりだ?」


「そうね…この際詳しく話しましょうか。前にも言ったとおり、私の破滅に関わった者への報復が私の目的。第二皇子リビウスもその一人で、彼をまず失脚させようとしているの。そしてそのためには、これ以上勢いを増される前に、周りの彼の支援者との繋がりを潰していくのが一番無難でしょう?だから今回の狙うのは教会とパルスリス公爵家の関係悪化。公爵は聖女であるカルサを養女としているから彼女の属する教会の支持を受けていて、その支持は彼女と婚約しているるリビウス殿下にも降りかかっている。この繋がりを絶てれば大きいのだけど、カルサが聖女である限りそれは難しいからね。まぁ聖女交代っていう手もあるけど、それはまだできないし」


「きっかけはどうする?」


「公爵の傘下にアドゥール子爵がいるでしょう?彼に引き金になってもらうの。彼、公爵に指示されたことも含めて、裏の世界で結構幅を利かせているらしいのよ。先日消失したその一部の裏帳簿が教会の手に渡っていると情報を与えて、教会に侵入させる。そしてその証拠は私たちで残す。上手くいけば、教会が調査を要求し、両者の間に亀裂が入るわ」


「待ってくれ。私たちってまさか…」


「もちろんあなたよ、ジェイド」


「私は行かなくてもいいよね?」


「ええ、あなたに危険な真似はさせないわ」


「俺はいいのか?」


「あなたはなんとかできるじゃない」


「そうですよ、おっかない騎士様なんですから」


デイジーとジェイドはまた睨み合った。


「…偽の情報を与える方法は?」


「これよ」


ヴァイオレットは簡易に畳まれた新聞紙をもう一度広げた。真ん中のページから手紙を取り出し、新聞をデイジーに渡した。


「友人にね、取引をした教会のある男の裏帳簿をすり替えてきて欲しいと頼んでおいたのよ」


封を切りながら説明を始めた。


「さっきのってそれだね!」


「そうよ。デイジー、新聞の三面には何と書いてある?」 


デイジーは手早にページをめくっていった。ジェイドは彼女に触れないようになるべく離れた位置から覗き込んだ。


「えと…“港を癒す教会支部長が引退。次の代表に任命されたのはジア・ノーリス”」


「まさかこの男の帳簿か?」


「そう。でも帳簿に載っている名前はジャッジ・クリソン。調査済みのはずの男の情報が偽造されたもので、その上、何の権限も持っていないと思っていたその男が実は次期支部長だと分かったら、あの男相当焦るでしょうね?」


ヴァイオレットは顔を上げ、目をギラつかせて笑った。


(ハっ…!悪女の笑い方…!)


デイジーは思ったことが顔に出るタイプだ。


「つまり奴は組織を信用できず、しばらく動かせなくなる…?」


「いいえその逆よ。ジャッジは蜘蛛の巣のようなアドゥールの影を掻い潜って、仮面を剥がれなかった。そんなことができるのは孤児院や多数の施設と手を繋ぎ、彼の身元を証明したが手を引いていたからだってね」


デイジーは口が空いたまま眉をひそめて首を傾げている。ヴァイオレットはクスッと笑って説明した。


「これが教会の上層部が主導した計画なら、裏帳簿は当然本部にいる彼らの手に渡っている。アドゥールは聖女を手中に収めるパルスリス公爵の手下だから、聖女を欲する教会が自分達より優位に立とうと起こした計画だと彼は考えると思わない?」


「あぁたしかに…!じゃあそのージャッジがこの人だって分かるのは出身地とかが同じだから?」


デイジーは新聞を注意深く読んだ。


「惜しいわね、もう少し下のところよ。“リンドルマイヤーの鐘を鳴らすのは自分のようだ”って彼は言っているでしょう?」


寄ってきたジェイドにデイジーは苦い顔をしつつも新聞をよく開いてあげた。


「これはジャッジが子爵との取引の時に‘ニードルマイヤー’を‘リンディール’とかけて使った言葉なのよ。つまり彼の口癖を共通点のあるジアが使ったということは‥‥って、分かるでしょう」


「奴らが教会本部に侵入するのはいつなんだ?」


ヴァイオレットはジェイドを見て口角を上げた。


「今日の深夜よ。アドゥールは毎日夜10時に帳簿を確認しているの。それがないことに気付き、すぐに‥多くて二人の影を放つとして、彼らが侵入できるポイントは見張りの人数が増える午前0時。私たちも同じタイミングで入らないとね」


「俺たちはその手のプロじゃない。他に入れる時間はないのか?」


「そんなのを待っていたら夜が明けてしまうわ。それに彼らと同じ方法で侵入するとも言っていないでしょう」


ジェイドはゆっくりとその意図を導き出すと、落ち着いた声で言った。


「…友人だな」


「正解」


ヴァイオレットは伸ばして重ねた手紙をテーブルの中央に差し出した。


「優秀な彼女が、今回の合言葉と内部の詳細な地図を送ってくれたから、うまく紛れ込めると思うわ。制服はその場で借りないといけないけど」


「奴らが侵入した証拠というのは?」


「まだよ。だから急いで調達しないとね」


ヴァイオレットの態度はその手札が確実に手元にあるときのような余裕を感じさせた。


「どこにあるんだ?」


「内緒よ」


「どっどうして…」


ジェイドは不服そうにうろたえた。


「デイジーと二人でやるつもりだから!」


「え私っ…⁉」


デイジーは熱心に読み込んでいた手紙を落としてしまいかけた。


「教えたらあなたまた付いてくるつもりでしょう?」


「ダメなのか…?」


ジェイドは毅然とした風格に似合わずしぼんでしまった。


「ふふっもうジェイド…!私のような平民と歩いていたら、あなたが目を付けられるかもしれないじゃない。そんなの嫌でしょう?」


「…そんなことはないさ」


「もう、意地張らないの」


ヴァイオレットはまるで子供を慰めるように、ジェイドの皿にクッキーを一枚置いた。なぜ自分を連れていくのかと盛り上がるデイジーとヴァイオレットをよそに、ジェイドは皿にのったアマレッティをじっと見つめている。


(嫌なわけがない…。何にも邪魔されることなく君の隣を胸を張って歩けたら…君の神秘的なその眼で俺のことを認めてくれたら…君が心から楽しいとささやいてくれたら…俺はいつもそんな願望を隠すのに精一杯なんだから‥‥ヴァイオレット。君は、どう思っているんだ)


ジェイドはそっとアマレッティを口に運んだ。その少し苦いような独特の風味がじんわりと彼を温めた。


「好きよ」


「え…」

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