17. 裏路地に隠れた才能

「ブ…かえったよ」


薄暗い中布で覆われた台の上に横たわる少年がぼんやりと見えた。


「‥ゔっ‥‥ノットか‥‥」


少年はすぐに笑ってみせた。汚れたシーツ越しでも判るくらいに彼は弱々しい。それなのに力強いその青い目が、彼が子供たちのリーダーであることを物語っている。


「誰だ?…」


急に起き上がったために、少年のベットが揺れた。


「この人はヴァイオレットさん…きみをみてほしくてつれてきたんだ」


「…アイツに言われたのか?」


低くなった少年の声にノット小さくなって答えた。


「うん…」


「やっぱりな。アイツに言っとけ、そんな暇があったらを何とかしろってな」


「でっでも…」


ノットは口ごもった。そこに険悪な雰囲気はなく、ただ悔しそうに口を振るわせていた。

見かねたヴァイオレットが背をかがめて言った。


「ノット、というのよね?そんな顔することないわ。彼はまだ帰れと言っていないじゃない?」


ノットは返事とも取れないような目を伏せるだけの頷きをした。


「ねぇ、ここまで来たんだから様子を見るくらいさせてくれてもいいんじゃない?」


響いた声は力強くとも圧力は無かった。


「…お願いします」


ヴァイオレットは埃が舞わないよう静かに少年のもとへ歩いた。天井から差し込んだ光にかかった一瞬、彼女は笑っていた。


「見せて」


そう言ってヴァイオレットが手を出すと、少年は素直に左腕を乗せた。振動を与えないようにゆっくりと膝をつき、被せられていた布を丁寧に畳み少年を観察した。少年の体に目立った傷や変色したところは無かった。

慣れた手つきで調べていく彼女を少年は少し意外そうに見た。


「っなにか分かった?」


ノットはひとり緊張している。ヴァイオレットは振り向き、落ち着いた声で言った。


「まだよ。いつからこうなの?」


「‥ひどくなったのはさいきんだよ。もともとからだが弱かったけどここまでじゃなくて…」


ノットはまた目に涙を浮かべた。


「そう。痛いところとかはある?」


「腰や背中がたまに」


少年は淡々と答えた。いつまでもソワソワと心配そうに手を動かしているノットとは対照的な態度だ。その声に苛立ちや不信感はなく、彼の視線からするとノットを気にしているのだろう。


「‥‥‥ふう」


一通り終えて少年の服や体勢を整え直す間にノットは慌てて聞いた。


「っ…だいじょうぶなんですか!」


「大丈夫ってことは無いわね。熱も相当あるし。まあすぐに近くの病院で診てもらうのが一番良いんだけど…」


「そうですか。」


少年は片手だけをついて起き上がった。苦しい様子はなかった。その動作が辛くないわけがないにもかかわらず眉をひそめることさえしないのは、彼の決意が固い証拠だ。


「ダメだ。そんな金ねぇだろ」


唐突に発せられた平然とした少年の言葉の先には、期待とおそれに惑っているノットがいた。


「でっでもみんなであつめたらさ!——」


ノットも今回ばかりは必死に声をあげる。しかし、少年の方にも折れられない理由がある。


「ダメだっつてんだろ。それに‥‥いや、とりあえずお前はもう戻れ。そろそろ居ないことがバレる頃だろ」


少年はノットの心配を払拭するように、額に滲む汗をも隠すように余裕に笑って見せた。


「でも…分かった」


ノットはまだ説得したかったようだ。しかしそれ以上長く立ち止まりはぜずに、慣れた手つきで出口をつくり出て行った。彼にとって少年は血は繋がっていなくとも心から大切な兄であり、毅然たる皆のリーダーだ。だからこれまで導かれた分、彼の意向を無理に変えさせるようなことはしたくなかったのだ。この思いはノットだけに留まらず、仲間の全員がそう想っている。

彼の小さな足音が遠ざかり聞こえなくなったところでヴァイオレットが口を開いた。


「見栄っ張りなのかしら?」


その口調はアフタヌーンティーを楽しむように軽やかだ。


「違いますそれよりお姉さんから見て治る見込みはありますか?」


反対に少年の声は一層落ち着いている。


「まぁあるにはあるけど、ここじゃどうにもできないわね」


「‥‥そうですか。」


少年は切なく笑った。子どもには似つかわしくない表情だが、澄んだ青い目がようやく年相応に見える。


「諦めるの?」


「そんなこと言ってません、でも今ここを離れるわけにはいかないんで」


「どうして?」


「‥‥‥」


少年は答えなかった。ただ日差しが漏れる天井をはっきりと見つめていた。


「まぁ大体の見当はついてるのだけど。ねぇ、治療のためにここを離れてもあの子たちと連絡を取れるようにはしてあげる、といっても気持ちは変わらない?」


少年は僅かに目を見開いた。


「…どういうつもりですか?」


少年は精一杯の落ち着きをもって聞いた。


「ふふっ今すごく怪しいこと言ったわよね。はっきり言うと、あなたたちにやってほしいことがあるの。具体的には情報収集と潜入ね。私一人でこなすのはそろそろ限界だから。その仕事、引き受けてくれるなら、あなたを助けてあの子たちを守ってあげる。もちろん、契約書はあなたにあげる一枚だけで、契約を解除する権利もある。それでも躊躇するなら、決めるのは契約書ができてからでも構わないわ」


天使にも悪魔にも見えるその笑顔は少年の警戒心をさらに高めた。


「どうして僕達にしかもそんな条件を?僕の治療をするくらいなら、もっと素質のある子どもを選んだ方がきっと役に立ちますよ」


「それがあなただって感じたのよ。あなたの生き方は賢くて、判断力があるというか、リーダーの素質があるって感じかしら。優しすぎるのが玉に瑕だけど。だからね、あなたに任せればきっと上手くいくの。あなたも分かっているでしょう?」


紫色の瞳はあおくてあかくて深い。一秒でも目を合わせたら彼女のペースに取り込まれてしまうと少年は感じた。しかしそれは冷えた緊張感に襲われるような危機感ではなく、晴れやかで温かい何かが内側からじわっと広がるような感覚だった。

少年は黙考した。どの選択が仲間にとって良い未来を創るのか。信用すべきは誰なのか。体を麻痺させる熱も、頭痛の煩わしさも忘れていた。


「‥‥どうですかね。でも、この状況がなら、はいと言わずにいれないですよ。僕も、僕がお姉さんが言うような人間ひとだと信じてるんで」


少年はまるでの無敗の奇術師のように笑った。一瞬、ヴァイオレットに立場が逆転したかのように感じさせるほどのオーラがあった。やはりと、ヴァイオレットの目の奥が赤く光った。


「良いわね。それなら私もそれに相応しくあるよう心がけるわ。じゃあさっそくだけど、あなたのこと聞かせてもらえるかしら?」


「もちろん」


「やっぱりそうね、まずは仲間の人数、名前、年、出自、犯罪経歴、それから…まぁ、あの院長をどう思っているのか、教えてくれる?」


「仲間は7人、ビー、フロウ、シエロ、タン、ライム、ノット、そして僕、ブルーです。最年少は6歳のノット、最年長はライム12歳。今は全員孤児でタンとライム、ノット以外はここに寝泊まりして稼ぎに行くのが基本ですね。やってるのは大体スリや泥棒で、狙うのは大抵中位貴族ぐらいの大人で。全員僕が…声をかけて仲間になりました。あとは院長ですよね、あの人は評判の良い人ですよ」


「好きか嫌いかで答えて」


「…苦手です。あの人、危ないから」


微妙に少年の顔が険しくなった。


「そう」


その答えが正解なのか不正解なのかそれとも単に知りたかったのか、ヴァイオレットは何も言わなかった。


「そうだ、これ、置いておくわね」


鞄から一枚のカードとマッチ棒を取り出した。


「名前とか連絡方法とか諸々書いてあるわ。もう行かないといけないから、渡しておくわね」


ヴァイオレットはもうスカートを整え始めている。


「迎えには来てくれるんですか?」


「ええ。そうね…あなたたちがお別れを言った後だったら問題はない?」


ヴァイオレットはニヤリと笑って言った。日時を指定せずにそんな曖昧な時間を設定したのは、この短い間で少年たちの一日の動きを大体はつかんだという自信があったからだ。透き通る紫色の目が心の中までも貫いたような感覚に、少年は声が出なかった。


「…ヴァイオレットさんって敵に回したくない人ですね」


彼は目を輝かせて苦笑した。


「あなたこそ。あとビビって呼んでちょうだい、敬語もいらないわ」


「分かった。じゃあ僕のことはブルーって呼んで」


「ええ。それじゃあ、またねブルー」


「ありがとう、ビビ」


ヴァイオレットは穴のある天井から和やかに注ぐ陽光を受けて出口に歩いた。




ノットに手を引かれて来た道を途中まで遡ったところで、行きとは反対方向の角を曲がった。そうして迷路を出た先には、当然孤児院はない。


「ヴァイオレット?」


物陰から男が声をかけた。


「あらジェイド、奇遇ね」


彼は制服姿だが、他に騎士がいる様子はなかった。


「こんなところで何をしているんだ?そっちは貧民地区だろう」


「あなたこそ何をしてるの、まだ勤務中のはずでしょう?」


「あ、いや、少し郵便局に…」


「郵便局?…まさか!あの手紙まだ渡してないの?」


「いや!それは既に渡してある。ここに用があるのは俺ではなく…」


コロンッコロンッ——


通りの向かいにあるその郵便局のドアベルが鳴った。ジェイドはヴァイオレットを引き寄せ、路地の影に隠した。半開きになったドアの隙間から見えたのは、完璧な笑顔で談笑する聖女カルサの横顔だった。


「ねぇどうしたのよ?要人でもいるの?」


「あっいや…今警護をしている人物なんだが、君の顔を知っているかもしれないからな」


「そうなのね、ありがとう。…そうだわ、ねぇその警護って今日はもう付きっきりなのかしら?」


「いや、俺の仕事はここで終わりだが。それがどうかしたのか?」


「あなたに頼みたいことがあるの。ついさっき仕事仲間が増えてね。だから紹介ついでにそのうちの一人をある場所に送り届けてほしくて」


「また増えたのか。ネラという女性が協力してくれることになったと聞いたばかりなんだが」


「それって誉め言葉かしら」


ヴァイオレットが目の前に現れ、必然的に上目遣いに彼を見た。


「驚いているんだ…!」


ジェイドの顔は強張って赤くなっている。面白がるヴァイオレットの視線を避けて、苦し紛れの咳払いをした。


「どこへ行けばいいんだ?」


「ふふっこれの通りに進めば着くわ」


ヴァイオレットが差し出したカードには簡易的な地図と住所が書かれている。


「午後11時にこの場所へ行って青い目の子どもをここに送り届けてほしいの。どちらにもヴァイオレットの使いだと言えば分かるから」


ヴァイオレットは終始、ジェイドの不自然な素振りに気付いていないようだった。




ジェイドは褪せたレンガの壁の前でランタンの灯を消した。レンガの隙間から微量の橙色の光が見え、ノックをしようとした手を下ろした。


「ヴァイオレットの使いだ」


隙間から聞こえる子供たちの声を台無しにしないように言った。


「時間みたいだ」


自分より身長の低いシエロとノットに支えられて、ブルーは壁の前に立っている。

ノットは目を腫らし、シエロは普段と変わらず不機嫌な顔のままだったがブルーの上着を強く握っていた。


「うぅっもう行くの?」


「二度と会えないみたいに泣くなよ、フロウ」


タンが背中をさすってやった。


「ブルー、戻ってきてね。絶対」


「ああみんなをよろしくな、ビー」


「うん、あくまで代理としてね。そっちこそ早く治して帰ってきなよ」


彼女だけは全く心配の色を見せなかった。胸を張ってブルーの肩を叩いた。


「ああ。行ってくる」


ブルーは擦り切れそうな鞄を掛け、ノットとシエロの肩を小さく叩いた。そして、いつもより大きく開いた入口から出て行った。

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