16. 聖女のいた場所

「それにしてもウルシュなのねぇ…」


孤児院への扉を開ける院長の顔はどこか懐かしそうに見えた。中は広い食堂になっていた。


「意外ですか?」


木を基調とした内装はあたたかな雰囲気を生み出している。


「ええ。どこから嗅ぎつけたのか、聖女様のお話を聞きたいとここへやってくる人は多いんだけど、ウルシュのことを聞かれたのは初めてよ」


「そうなんですか」


「ええ」


院長はヴァイオレットを最前の席に案内した。高い位置から光を差し込むガラス窓の下に純粋に白い像が立っている。ベールを纏い、慈しみの表情を浮かべるその女性は特徴のない美しい顔をしていた。ヴァイオレットは冷ややかに見上げた。


「座ってね。子どもたちはみんな今出ているから」


「ありがとうございます」


木目の長椅子に腰掛けたが、軋むような音はしなかった。


「えっと、ウルシュの話だったわね?」


「はい、友達なんですけど最近様子がおかしくて。私がもうすぐある聖女様の生誕祭に教会へ誘ったのが関係あると思うんですけど、それで何かあったんじゃないかって、詳しく知りたくてここに」


「そう…随分会っていないから本当にそうかは分からないけれど、多分その生誕祭が原因だと思うわ。ウルシュはあの子の誕生日を祝いたくないのよ」


声がだんだんと沈んでいく。棘のない言葉には憂鬱が詰まっている。


「え…どうしてですか?ウルシュは聖女様と仲が良かったはずですよね?」


「そうよ、あの子たちは本当の姉妹、いいえそれ以上に仲が良かった。でもそれは過去のことよ」


「ケンカでもしたんですか?…」


ヴァイオレットは物憂げでしみじみとした雰囲気を壊さないように聞いた。


「そうだと思うわ。あのねぇ、まだ孤児院が貧しかったころ、あの子たちにラベンダーを摘んでくるよう仕事を頼んだの。でもあの子たちは、森の奥まで行っちゃって、結局カルサが怪我を負ってしまったわ。ウルシュは血塗れで帰ってきた。そのあとからよ、なぜだか分からないけどギスギスしだしてねぇ。カルサが聖女の力を証明したあの運命的な瞬間も、あの子が侯爵様に引き取られることが決まったときも、ウルシュは仏頂面で。そのまま…という感じね。でも、やっぱりウルシュはそのこと話さなかったのねぇ」


ため息に微細な埃が舞った。

これでウルシュの話が真実味を帯びてきた。少なくとも彼女は嘘を言っていたのではなかった。あれが彼女の事実であり、本心だった。


「どうしてそのことを私には話してくれなかったんでしょう…?」


気落ちした表情はプロの諜報員の演技のように完璧だ。


「あぁあまり気を落とさないでね、ウルシュはプライドの高い子だったから。だからきっと今も引きずってるのよ」


背に触れる院長の手は優しく柔らかい。


「そっか…そうなんですね…とにかく、もう一度ウルシュと話してみます。今度は聖女様のことは言わないようにして」


「‥ええそれが良いと思うわ。」


院長は眉をひそめて笑った。あとは頼んだ、と言いたげな表情だった。


「あの、最後にもう一つだけ聞いてもいいですか?」


「なぁに?」


彼女の目には温かみが戻っていた。


「ずっと気になってて、あの像のモデルってもしかして…」


目の前に立つ白い像を指した。窓を通り抜けた光が透明なベールのようだ。


「そうカルサよ。私の自慢の子。ここを立て直してくださったときに、一緒に貰ったものなの。『お世話になったお礼です』ってね!本当に良い子に育ってくれたわ…」


彼女の声からも緩んだ目元からも愛しい気持ちが溢れている。彼女にはその像の顔がカルサそのもののように見えていた。


「やっぱりそうなんですね、というかまさか聖女様直々に寄贈されたものだなんて‥感激です!」


「そうでしょう?でもこれだけじゃないの、このテーブルも、家具も寝台も子供たちが着ている服も、みんなあの子が揃えてくれたの」


頬は色付き、声が跳ねている。今日一番の明るい顔だ。


「全部ですか…!じゃあ、その制服も?」


「あぁいえ、これは私が自分で選んだの。資金を多めに送っていただいてね、私も身の回りの物を整理したのよ。せっかくあの子が気を使ってくれたんだからね」


院長は薬指のずり上がったシルバーの指輪をグッとはめ込んだ。


「そうだ、ここへ来たついでに中を案内しましょうか。まだ、紹介したいものがあるのよ」


はやる気持ちを押さえきれなかった院長はすぐさま立ち上がった。


「ごめんなさいこれから用事があって、すぐ行かなきゃならないんです」


院長は頬に手をついた。


「あらそうなの?残念ねえ…まあまたいつでもいらっしゃいね」


「ふふっありがとうございます」


お別れに握手をして、ヴァイオレットは入り口の扉に手を伸ばした。向こう側に子供たちの笑い声が聞こえる。


——ガチャッ——


ヴァイオレットの思ったとおり、そこには三人の子供たちが待っていた。ここへ来たとき出迎えてくれた子たちのようだ。院長がタンと呼んでいた男の子は何かを気にしているようだった。ライムと呼ばれていた女の子は幼い子が握っている花束を整えてあげていた。


「あら、もしかして待っていてくれたの?」


「そうだよ!」


「ふふ、どうやら私のこと気に入ってもらえたみたいね」


女の子たちの目はキラキラと輝いている。施し期待しているのではなく、久しぶりの来訪者が何をしにやってきたのかに興味があるようだ。


「ほらほら道を開けて、こちらのお姉さんはもう帰るそうだから」


「ええーもういっちゃうのぉ?」


「…お姉さんも孤児はきらい?」


二人は眉を八の字にして残念がった。特にライムは目の淵に涙を溜めて悲しそうなまであった。


「そんなつもりじゃないのだけど…」


ヴァイオレットは困りつつもかわいいと思ってしまっていた。彼女はライムの手を取って見上げるようにしゃがんだ。


「嫌いじゃないわ。嫌いなんかじゃない。これから行かなきゃいけないところがあって、本当にそれだけなの」


「「ほんと…?」」


ついさっき会った訪問者を見送るにしては大きな反応だ。しかしそこに邪な感情は見えなかった。ヴァイオレットはライムが最初に見せてくれたような控えめで明るい笑顔で頷いた。


「風邪を引かないように気を付けてね」


その言葉を言い終わるころには子どもたちの顔は緩んでいた。彼女たちも知らぬ間に残念な気持ちは抜かれてしまったのだ。


「でも今は寒いきせつじゃないですよ?」


ライムはまた柔らかな笑顔に戻ったが、目尻が少し光っているようにも見える。


「寒くなくても免疫が弱くなることはあるの」


「「メンエキ?」」


また二人の声がぴったり重なった。首まで同じように傾けて、まるで姉妹のようで微笑ましい。


「あなたの体を悪い病気の素から守ってくれるもののことよ。あなたたちの『先生』みたいなね」


ヴァイオレットは振り返って院長の方を見た。彼女は少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに首を振っている。


「だけど免疫それはずっとそうなわけじゃない。嫌なことを心に溜めこむとか、眠るのが遅くなったりするだけで、そんな小さな変化でも体を守ることを忘れてしまうのよ。だから、『先生』の言うことをちゃんと聞いて風邪引かないようにね」


「うん!」


「はーい!」


返事の声に曇りはなく、二人とも先程の元気を取り戻している。

今度こそ帰ろうと小さな門に着いたところで、ヴァイオレットは後ろの子供たちの方に向き直った。その随分後ろでは院長が見守っている。


「それじゃあね」


「待って!」


黄緑のカフスが光るその袖を掴んだのは、うしろでずっと黙っていた少年ダンだ。


「これ、僕たちからプレゼント」


彼がそう言うと、ライムは持っていた花束を渡した。


「‥‥いいの?ありがとう、きれいなお花ね。それじゃ今度こそさよなら、また来るわね」


「…またね!」


タンは嬉しそうな声で言ったが、何か言葉を飲み込んだような、歳に合わない複雑な顔をしていた。三人とも元気に手を振り続けているが、ヴァイオレットは何かの不自然さに引っかかった。


「変わってないわね…」


子どもたちを中へ誘導する院長の温かい背中を見て、そう呟いた。




孤児院が見えなくなったのを確認してヴァイオレットは花束のリボンを解いた。リボンの裏にはこの通りにある店の名前が反対向きに書かれていた。


「ここへ行けってこと…」


人と通りの少ない通りに一際錆びた看板が揺れている。


「<アナガリス>…ここね」


店の裏にまわるとそこには少年がいた。最初に孤児院で会った幼い方の少年だ。


「さっきいなかったのはそういうこと、私に何の用かしら?」


「あっあの…助けてほしいんだ…」


少年は震える両手で服の裾を握り締めている。


「なにを?」


「だからその…」


少年の口は動いているものの、肝心の声が出せていなかった。


「‥用事があるの。帰っても良いかしら」


「いっいやっ…だめ!‥‥あの…」


少年は咄嗟にヴァイオレットの長いスカートにしがみついた。彼女は抵抗しないかわりに何も言わず、少年が言葉を紡ぐのを待った。

気が落ち着いてきたのか、少年はゆっくりと話し始めた。


「‥ボクの友だちが病気なんだけど…みてほしいんだ」


「私は医者じゃないのよ」


「…でもタンがそれを渡したんなら大丈夫なはずだから!」


少年が初めてヴァイオレットの目を見て訴えた。すぐに泣いてしまいそうな表情でも、声だけは何のブレもなく力強かった。


「タン?さっきの…良いわ分かった。案内してくれるかしら」


ヴァイオレットは少年に手を伸ばした。彼は幼い顔には似合わない難しい顔をしてその手を握った。ヴァイオレットの手を引く少年は一度も彼女の方を振り向かなかった。二人の歩く道はどんどん入り組み、町の活気は遠のいていった。


「右へ曲がるの?」


これまでより一段とよどんだ道に入る前にヴァイオレットが手を引いて止まった。


「うん‥‥」


少年はやはり曲がり角の先を見つめたまま答えた。そしてそれ以上何も話すことなく、ただ握った手に力を込めてヴァイオレットを中へ連れて行った。

奥へ進むにつれて空気さえ暗く沈んでいた。幸いなのは目に付く場所に誰もいないことだけだろう。しかし立ち込める悪臭はしっかりと彼らの存在を主張していた。

少年が立ち止まった。前に在るのは壁だ。これまでと同じようにレンガのようなもので積み上げられたボロボロの壁。デイジーがこれを見ても、きっとここが入り口なのだと理解できないだろう。

少年は下の方にだけ積まれていた薄汚い大きめの欠片を取り除いた。


「…賢いわね」


ヴァイオレットの言葉にも反応せず、少年は手際良く欠片を取り続けた。


「ここから入るんだ」


手を止めた少年の前に、大人がギリギリは入れるぐらいの隙間が空いていた。

中は薄暗く狭かったが真っ暗ではなかった。手作りのくすんだ板の天井の間からまばらに光が差し込んでいる。おかげでヴァイオレットは部屋に一人横たわっている少年の存在に気付いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る