15. 反撃の切り札

「…私を…聖女にしてください!!」


彼女は一層瞳を紅くしてそう言い放った。重みのあるその声は店の中にこだました。

対してヴァイオレットは全く動じずに言った。


「聖女?どういう意味かしら」


「そのままです。聖女カルサの立場を奪い取りたいんです!」


熱意で力んだ声は圧を感じるほど大きくなった。

ヴァイオレットは思わず扉の取っ手をつかんだ。


「変な冗談に付き合う気はないわ。今すぐ——」


扉が閉まるのを咄嗟に押し止めた。彼女は早口に言った。


「待ってくださいふざけてなんかないです、本気です。私は本気なんです」


彼女は腕に力を込めて押し戻そうとするが扉はびくとも動かない。

ヴァイオレットは唾を飲み込んで言った。


「何の詐欺か知らないけれど、今すぐに逮捕されたいの?」


彼女は我に返ったように周りに目をやった。すぐそばには誰もいないが、通行人は確実にいる。誰かに聞かれる危険性をやっと把握した彼女は、肩をすくめて言葉がはっきり聞こえるだけの音量で話し始めた。


「詐欺じゃなくてヘナの紹介です。彼女が話してくれました、あなたが奥様を助けたこと。噂話一つで奥様のこと見破って一日もかけずに解決させたって!だからっあなたならできるんでしょう、お願いです」


「だから、私がその頼みを引き受ける理由がどこにあるの」


「一生困らない分、それ以上の報酬をあげます!」


「生憎だけどお金は十分足りてるの。さあ帰って。」


ヴァイオレットは扉に当てていた手を下ろさせ、再び閉めようとした。

彼女は焦って目を揺らした。そして立ち尽くした足を見つめてこう言った。


「…何でもあげます。依頼を受けてくれるなら報酬はあなたの望むもの何だって用意します!私はこの願いが成就するなら他のことはどうなってもいい。死んでも報酬は渡します。だから…頷いてくれませんか!」


瞬きを忘れた赤い目が切実な心を訴えかけた。妙に落ち着いているような焦っているような態度は、後がないと言っているようだった。

ヴァイオレットは小さく息を吐いた。


「取り合えず、中で話しましょうか」


依頼人の緊張した表情が解かれた。扉の中の景色は駆け込んだ一度目よりも鮮やかに見えた。




「どうぞ。」


殺風景だったテーブルにたった一つテ―カップが加わった。

艶の美しいハーブティーからは爽やかな木の匂いがした。


「…私を試してるんですか?」


「本物のハーブティーよ。貴族のお茶会には出ないでしょうけどね」


ヴァイオレットはただじっと見つめた。その視線は冷たくもやわらかくもなかった。

仕方なく依頼人は慎重にカップを持ち上げた。


「いただきます」


ほんの少しを慎重に口に入れた。味はとにかく苦くすぐに戻してしまいたかったが、彼女はなんとか半分の量を飲み込んだ。滑らかな舌触りではあったが、口に残る苦みにその事実は搔き消されてしまった。


「お口に合うかしら」


その言葉に胸の内がモヤモヤする気持ちを抑え、微妙にひきつった笑顔で彼女は答えた。


「おいしいです…それより私の提案、受けてくれるんですか」


「あなた次第よ。まだ名前も聞いていないしね」


「ウルシュです。苗字はまだ持ってません」


「そう。じゃあウルシュ、聖女の称号は他のものとは違って奇跡の力を持っている者にしか与えられないの。それくらい分かっているのよね?」


「分かってます。でもどうやってその問題をクリアするかは私では思いつけませんでした。だからあなたの知恵を貸してほしいんです」


「まって、どうしてそれが解決できる問題だと言い切れるの?直観に頼って私のもとに来てしまうくらいには、自信があるみたいだけど」


「それはだって…カルサが持っているのは元々私の力ですから」


「何?」


ヴァイオレットは驚くわけでもなく、淡々と聞いた。


「奇跡の力なんてのがあるんだからあり得ないことじゃないですよね。でも信じられれないならきっぱり言ってください」


「そんなのすぐには決められないわよ。詳しいことが分からないと判断のつけようがないでしょう」


「詳しいことって、力の使い方ですか?それは私にも――」


「そうじゃなくて、その能力が発現したときそれか奪われたときの状況、あなたと聖女様のことを教えてほしいのよ。それを忘れたわけはないでしょう?」


「それはもちろん忘れようと思ってもそんなの…」


ヴァイオレットはウルシュの拳が固くなるのを見た。依頼者に感情を持たない請負人の顔はそこにはもうなかった。

ウルシュは目を閉じてゆっくり息を吐いた。


「…私とカルサは同じ孤児院で育ったんです。そこは運営資金が足りてなくて、私たち子どもが仕事をするのが普通でした。あの日も私とカルサは一緒で、ラベンダーを摘みに行きました。でも森の奥まで行き過ぎて、私は狼に襲われて、カルサが大人を呼びに行ってる間ずっと血を抑えてました。そしたら突然、手と傷が光って、あんな大きい傷が消えたんです」


「それが今聖女が行使している、奇跡の力。というかあなたと聖女様って仲が良かったのね、意外と」


「カルサは…本当の家族みたいでした。だから余計憎いんです、他でもない私を裏切るなんて」


ウルシュの表情が崩れていく。それを隠すように歯を食いしばっているが、強張った目元に冷静さはなかった。じっと見るヴァイオレットの視線に、目立たないよう深呼吸をした。


「あの日、ある貴族が養子にする特別な子を探しているという噂を聞いて、カルサと約束をしたんです。私の力を見せて孤児院を出ようって。夢見てた。孤児院に入る前からいつだって一緒だったから、この先もずっと二人だって疑わなかった。でも、カルサはそう思ってはなかった。…その数週間あと、孤児院に噂通りの貴族の男が来て、『奇跡の力を持つ子供がいないか』と院長に言ってるのを聞きました。私は真っ先に前に飛び出て私がその子供だと言いました。そして証明のために腕を切りつけたんです。当然…当然あの光がそれを直してくれるはずだったのに…何も起こらなかった。混乱して痛いとか感じなくて涙が止まらなくて、心配する院長の顔を見ることもできなくて。でもその時、カルサが私の手を掴んだんです。そうしたらその手から光が広がって私の傷を跡形もなく消してしまいました。それで言ったんです。『本物は私だ』と。でもねそれは、別に悲しいことじゃなかった。ただ理解が追い付かなかっただけで、どっちがその力を持っていようと私たちの夢見た幸せな未来は叶えられるはずだったから。それなのに…」


彼女が膝に掛かったワンピースを握り潰しているのが、テーブル越しにヴァイオレットには見えた。


「それなのに、貴族に付いて門を出るってときに、カルサは私を抱きしめて耳元でこう囁いたんです。『二度と他人ひとを信用しちゃダメよ、ウルシュ。これからあなたは、ひとりで生きていかなきゃいけないんだから。』って。私が…カルサを信じていたこと、夢を見ていたこと全てを嘲笑うかのような笑顔でね!!あんなに…あんな血が引いていく感覚二度と味わいたくない…!」


喉が締まったような声で押さえ込んできた思いを吐露した。


「…親友、いえ家族の裏切りか。誰だってそうよね。あなたの苦しみは、痛いほど分かるわ」


ヴァイオレットの声は優しく、俯いたまま顔を上げられないウルシュに寄り添った。


「ねぇウルシュ。その復讐に終わりはあるの?」


ヴァイオレットはウルシュの手元を見つめた。カップにあるはずのハーブティーの香りが消え始めている。


「これで終わりにしたいですけど、連鎖が始まれば無理でしょうね。でも、だから何だって言うんですか?」


ウルシュの目は怖いくらいに力が入っていた。


「何も。分かっているならいいのよ」


そう言うとヴァイオレットは静かに席を立ち、二階へ行った。一分も経たないうちに文字でいっぱいの紙の束を持って戻ってきた。

彼女はその中から一枚を取り出した。


「あなたの話からすると、力を取り戻す方法は聖女様が握っているはずよね。だったら彼女に直接会って聞き出すしかないわ。その為には、これね」


記事の切り抜きを指した。この辺りの言葉遣いは標準語に近いはずだが、その文章は所々に訛りがあった。


「一介の平民である私達が高貴な聖女様と接触するには彼女の方から出てきてもらうしかないの。そして彼女は月に一度だけ外出する。それがちょうど二週間後」


「その時を狙うんですね。私は何をしたらいいですか?」


「護衛を振り切ってこの店に連れてきて。彼女だけにはあなただとばれても構わないわ」


「…それだけですか?」


ウルシュは気抜けした様子だ。彼女が期待していたのは直接対決するような作戦だったからだ。


「ええ。あなたができるのはそのくらいよ。だけどそのとき誰かに力を借りたりしてはいけない。絶対にね」


声色は変わっていないのに言葉に重みがかかっている。


「あ…分かりました」


ウルシュは彼女が言っていることの意味に気が付いた。『そのくらい』と言われたことがどれだけ難しいことなのかも。それはつまり、誰かにその不審な動きを悟られることさえ許されないということだった。


「その後は全て私に任せて。あなたが邪魔者を連れてこなければ上手くいくわ」


ヴァイオレットはまた不敵に笑った。それはウルシュにプレッシャーをかける反面、不安を払拭した。そして同時に彼女を圧倒した。


(何この自信、なんで少しも迷わないの?)


ヴァイオレットの言動にはこれまで一度も揺らぎがなかった。まるで全てを想定していたかのように。そのためにウルシュは怖気付きかけたが、その不思議な怖さが信頼に変わるに時間はかからなかった。




街と森の入り口の境に、教会のように清楚な建物が佇んでいる。


<インフェイオン孤児院>


丁寧に名前の入った小さな門が構えていた。孤児院にしては大きい上に、最近立て直したのだろうかやけに外壁が新しい。いかにも聖女の息がかかった施設のようだった。

ヴァイオレットは屋根の先端で太陽を反射している飾りを眺めている。彼女がここへきたのはウルシュの話をどこまで真実とするかを決めるためだ。事が起こったこの場所に17年前の微かな痕跡が残っていることを期待して。

小さな手がヴァイオレットの指を掴んだ。男の子はじっと目を見つめるだけでキャンディをねだることもない。ヴァイオレットが話しかけようとしたそのとき、四人の子どもたちが走ってきた。


「「こんにちは!!」」


子どもたちは彼女の予想以上に元気だ。


「こんにちは。院長さんはいるかしら。彼女に会いたくて来たのだけど」


「先生ですか?じゃあ——」


「—ぼっ僕がよんでくるよ」


小さな男の子はヴァイオレットの手を離して勢いよく走り出していった。彼女はその騒がしい足音に気を取られている子どもたちを見つめている。


「お洋服、とても似合っているわね。いつもそんなにステキな服を着ているの?」


「そうですよ…!ここは特別だから制服なんか着なくていいんだって先生が」


年長の女の子が髪で顔を隠しながら答えた。


「かわいいでしょ?おきにいりなの!」


彼女に手を繋がれていた幼い子どもはとても嬉しそうにワンピースを揺らした。


「あっ先生…!」


紺色のワンピースをゆったりときれいに揺らしながら中年の女性がやってきた。胸元には同色のリボンが対照になるように結ばれている。デザインこそシンプルだが、光の受け方を見ればその質の良さは一目瞭然だ。


「こんにちは、お嬢さん。インフェイオン孤児院に何かご用でしょうか」


彼女は大切なお客様を迎えるように柔らかに言った。


「えっと、ウルシュという子のお話がしたくて伺ったんですが、覚えていらっしゃいますか?」


明るく品のある口調に変わった。ヴァイオレットは話す相手に合わせて声の高さや話し方を変える。とくに、相手のことを探る時はいつもこんな話し方から始める。


「ウルシュ?そうねぇ…何か特徴とかあるかしら?」


「ありますよ、赤い目の女の子です。髪は白くていつもちょっとだけ神経質な感じであとは…」


「あぁあの子ね…!」


院長は引っかかりが取れたような表情だ。


「でも珍しいわ、あの子のことを聞きに来るなんて。まぁとにかく中でお話ししましょうか。タン、ライム、二人を連れてみんなのところに戻ってちょうだい?おつとめご苦労さま」


「「はーい!」」


年長の二人は嬉しそうに返事をした。そしてあっという間に四人の子供たちは目の前からいなくなった。

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