14. 燃える意思
ガヤガヤガヤ——
町では今日も大勢の人が行き交っている。俺たち劇団は本来ここにいるみんなに向けてショーをするのが仕事のはずだ。だが、今の俺たちにできることは一日かけて彼らにビラを配ることぐらい。いくら酒場での公演が盛り上がったからといって、大した収入は得られず惨めになっていくだけだ。だがそれでも俺はこの劇団の団長だ。団員を生かすために心だけは折っちゃいけねえ。だが、この生活もいつまで続けられるのかショーをしていないときはいつも気が気じゃなかった。
「アガット劇団この町での最後の公演だよー!」
「今日も酒場カラガナで同じ時刻!」
「最後にはサプライズショーもあるからぜひ!」
町中を走り回って宣伝をする団員達。一生懸命な俺たちにこの町の人々は優しく、応援してくれるやつも多いが、他の町じゃあそうはいかないところがほとんどだ。ショーどころか宣伝すらさせてくれなかった町なんて珍しくはない。こんなこと口に出しては絶対に言えないが、元々才能や資金が備わっているものしか成功できないのは明らかなことだ。なんたってそれを俺たちが証明しているんだから。
「はぁ」
ため息をつかないと気持ちの整理がつかない。
「ボルドーため息つかないでよ。幸せが飛んで行っちゃうだろ」
「キャメルか。ビラ配りは終わったのか?」
「当たり前だ。オレは団長よりよっぽど仕事ができるからね」
「おいおい!今団長をダメな奴呼ばわりしなかったか?」
「‥‥してないよ、耳がおかしくなったんじゃない?」
「今の間はなんだ!間は!そんで今日はやけに毒舌がきついなぁおい!」
「じゃ、道具の点検してくるね」
「団長の話聞いてんのかー!無視すんじゃねー!…」
まったく、キャメルは俺にだけ厳しい。今日みたいな日には特に。まあそれがあいつなりの俺の励まし方なんだろうけどな。
「‥‥まったく、一番小せえやつに励ましてもらうなあんてなあ。団長が聞いて呆れるぜ‥‥」
情けない、不甲斐ない、申し訳ない、そんな思いが溢れ出しそうになる。だがまだ駄目だ。我慢してるあいつを役者にすらしてやれていない俺にそんな資格など無いんだから。
あの人はどうしているだろうか、酒場で出会った金髪のお嬢さん。ヴァイオレットって言ったかなぁ。俺たちと同じように頑張ってくれているのだろうか。たまたま出会った客の手まで借りてしまうとは本当に情けない。しかしあれは不思議な感覚だった。彼女に燃えるような瞳で『協力する』といわれた時、一瞬絶対に何とかしてくれるんだと本気で思ったような気がした。いや、酔いすぎていただけなのかもしれない。
「何難しいことを考えているの?」
「ああ、今のこの経済状態ではやはり————えぇぇぇぇっ?!」
「そんなに驚くことは無いでしょう?」
俺のはっきりしない記憶の中にいた、彼女だ。
「ヴァッヴァイオレット、どうしてここに…?」
「どうしてって、あなたを探してここまで来たのよ。まさか灯台の近くに拠点を置いているとは思わなくて手間取ってしまったけれど」
「あああすまん、ここが一番作業しやすくて。追い出されないんだ」
「そうなのね。あっこれ、プレゼントよ」
彼女は鞄の中から数枚の書類を取り出した。
「なんだこれ?‥‥‥借用書‥?おっおいこれって‥‥?」
「私の友人がね、お金を貸す仕事をしていて、事情を話したら条件付きで貸してくれることになったのよ」
「じょ条件って…?」
「ああもうそれはいいの、全部まとまった話だから。気にしないで?」
「じゃあこの金は本当に‥‥」
「ええもちろんあなたが使うべきことに使えるお金よ」
ボルドーは突然のことに理解が追い付かなかった。しかし、数分経ってようやくその感動に追いつくことができた。
「あ…ありが…ありがとう…ありがとうヴァイオレット‥‥ありがとう…」
彼は書類を握り締めて地面に頭をつけて泣いた。震える体から絞り出した感謝の言葉もほとんど涙に埋もれてしまっていた。彼女の贈り物はこれからを始めるためのただの足掛かりに過ぎない。しかし、たくさんの挫折に会って、ギリギリのところで持ちこたえ続けて、でもそれを挽回する方法など諦めてしまっていたボルドーにとって、それは何よりの救いであり何よりの希望だった。
「本当にありがとう!」
「どういたしまして」
「あの、あのさ、どうして出会ったばかりの俺なんかにこんなにしてくれるんだ?」
「約束だったでしょう?できることはするって。私はそれを守っただけよ。それに、必死で夢を追い続けるおじさんなんて珍しいからね」
「夢を…?」
「だってそうなんでしょう?」
「……ああ、その通りだよ」
ボルドーは何かほっとしたように自分に唱えるように言った。
「何かお返しをさせてくれ。あっ今は高価な物は買えないが、金を返し終わったら何でも言ってくれ!」
「それじゃあそうね…文通してくれる?私と」
「えっ文通か?」
「なんで顔赤くしてるのよ。そういう意味じゃないわよ。お金を返し終わるまで毎週末手紙を送ってほしいの。あと、いくつかお願いを聞いてもらうかも」
「‥‥えっと…そんなんでいいのか?」
「ええまあね。でも言っておくけど一回でも手紙が来なかったら即、取り立てに行くわよ」
「っありがとう」
「そういえば次の公演地はもう決まっているの?」
「いや。それどこじゃなかったからな」
「じゃあ、‘ヘルミナシオン’とかどう?」
「ヘルミナ…隣国か?」
「ええ、行ったことないんでしょう?心機一転ってことで知らない土地に行くのもありかと思って。それにあそこはここよりもっと当たりが優しいから、良いと思うんだけど」
「なるほどな、行ってみるよ」
ボルドーの見上げた空に未来が現れた。
「…それじゃ、元気でね」
「‥‥あぁ。ヴァイオレット、君もな」
当たりの強い潮風が、二人の間を流れる。晴れ空に浮かんだ厚い雲もゆっくりと動き始めた。
「ふぅ…」
―カランカランー
夕陽が立ち込める店内には一つ影が座っていた。当たり前のようにティーカップを添えて。
「…人の店に勝手に入り込むなんて、失礼なんじゃないかしら?」
「っすまない。なかなか君が帰ってこないから、つい」
ヴァイオレットの声に驚いて、ジェイドはすぐに起立した。
「ついってねぇ…デイジーに入れてもらったの?」
「ああ、中を覗いていたら声をかけられてな。ついでにハーブティーも出してもらったんだが、これがまた美味しくて」
「デイジーはいつまでいたの?」
「本当についさっきまでだ」
「まあ、あなたたちが仲良くなったみたいで良かったわ」
そう言いながらヴァイオレットは新しく紅茶を入れなおした。
「何の用?わざわざ私のお店に侵入までして」
ヴァイオレットは冗談交じりに言った。
「だから、侵入したのではないと……いや、君に聞きたいことがあって…前から聞きたかったんだが、聞きそびれてしまって…」
なかなか話し出せない様子をじっと見つめながらヴァイオレットはカップをセットする。
「君は一体何をするつもりなんだ?」
ヴァイオレットの手が一瞬止まった。それから何も言わず二人分の紅茶を持って席に着いた。
「なんとなく分かっていると思ったんだけど」
「…復讐」
目の前に置かれたハーブティーに深刻な
「…なんだか物騒ね」
「違うのか」
「だいたい正解よ。騎士団、いや情報屋を使って調べたの?」
「そんなことはしない。…それより相手はやはり第二皇子か?」
「…そうね。まぁそうなると元家族も聖女様も対象に入っちゃうわね」
ヴァイオレットはティーカップの中の自分を見つめている。
「もし本当に奴らに復讐するつもりなら、止めた方が良い。相手はいずれもこの国の要人だ。あまり言いたくはないが君一人ではどうにもならない」
「…ジェイド、あなた自分の記憶に捕らわれすぎているんじゃないかしら。以前の私ならあなたの言う通り、手も足も出ないでしょうけど、私は変わったのだと言ったわよね」
ヴァイオレットはいつもより強い口調で返した。
「…だがそれでも君は身分的にも——」
「——私はハンデをそのままにはしておかないわ。それに準備はとっくに進んでる。あなたの目の前でもね。まさかあれだけ私に付いてきて気付かなかったなんてことないでしょう」
自分の記憶を通してしか彼女を見れていなかったことにジェイドは落胆した。
「‥‥‥‥そのまさかだ。すまない、俺は君のことを誤解していたみたいだ」
「そうなの?以外ね」
彼女は眉一つ動かさなかった。真剣な表情だった。ただ、声色だけが徐々に重くなっていった。
「俺に手伝えることはあるか?君の…計画を」
その問いに答える前に彼女はジェイドの顔をじっと見つめた。緊張感が張り詰めていく。
「自分が何を言ってるのか分かってるの?」
「もちろんだ」
「一騎士が、副団長ともあろう人が、主人を裏切ろうというの?」
「そうだ」
ジェイドは真っ直ぐに答えた。何の曇りもない声と揺らがない目に、確固とした意志が現れた。
ヴァイオレットが先に視線を外した。
「‥‥‥分かったわ。それじゃあ、手紙を届けてもらおうかしら」
「手紙?」
「ええ。運命を変える手紙よ。だから必ず渡してちょうだい」
彼女は慎重に鞄から手紙を出した。ジェイドは何も言わずしっかりと受け取った。
「…<聖女カルサへ>」
手触りの良い手紙にはその文字だけが綺麗に並んでいた。
「送る相手を間違ってるわけじゃないんだよな?」
「信じられない?」
ヴァイオレットはいつものように笑ったりしなかった。
「いや…戻ったら渡しておく」
「ありがとう」
店の明かりが消え、夜の光だけがヴァイオレットの部屋に差し込んだ。彼女は机に並べられたメモを確認するように凝視している。そばには冷めた紅茶が置かれていた。
「ふう…」
深呼吸をするように息を吐くと、ヴァイオレットの手が自然とティ―カップに伸びた。
「——!」
カップに触れた時、ヴァイオレットははっとしたように手を離した。
「‥‥覚悟が足りなかったかしら」
そう呟くヴァイオレットの眼に揺らぎはなかった。
「いいえ…明日が楽しみよね」
静かになった町の中でヴァイオレットの机の明かりだけが長く灯り続けた。
——カランカラン——
「いらっしゃい」
扉を開けたのは神秘的な女性だった。丸く纏まった白い髪が太陽の光で輝いている。彼女は目を赤く光らせながら言った。
「あの、依頼があるんです」
ヴァイオレットはガラス細工でできたオルゴールの蓋をそっと閉じた。
「いらっしゃいませ、ハーブティーはお好きですか?よければゆっくりお話を聞きますよ」
片手を広げるスマートな所作で奥のテーブルを案内した。しかし、彼女は立ち止まったままヴァイオレットを見つめていた。明らかに様子がおかしかった。そして固くなった口を開いた。
「…私を…聖女にしてください!!」
彼女は一層瞳を紅くしてそう言い放った。
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