9. 回復と変化

「この船に何か用か?」 


そこにはフードで顔を隠したジェイドが立っていた。賊達は慌てて剣を抜いた。


「——何者だ!?」


「商人のだ」


「護衛だと?お前誰の差し金だ」


彼らは明らかに神経を尖らせて切先を向けた。


「言っただろう。ただの護衛だと」


賊が足に力を入れたと同時にジェイドは地面を蹴った。そして彼らが一歩詰められたときには一人目の背中に剣身の打撃が走っていた。

それでも約三十人の敵は一斉に向かってくる。彼らはジェイドを包囲し斬り付けようと突進した。しかしジェイドはそれをものともせず、全員の斬撃を跳ね返した。彼らはジェイドに傷一つ付けることができなかった。

一人また一人と次々に倒れていき、残った賊は遂に6人になった。しかしその時、


「動くな」


怒りの籠った賊長の声が響いた。彼らの中で一番体格が良く野蛮な獣のような見た目の男だった。縄を巻き付けられた弱々しい女性に刃を突き立て続けた。


「どっかの正義の味方さんよお。余興としては見事だが、これ以上人数を減らされちゃあ仕事にならねえんだよ。この女の命が惜しかったらソイツを捨てろ。こいつだけは助けてやる」


(あれはおそらく彼女の言っていた『ヘナ』…やはり連れてきていたのか…)


「おいどうした!力無き市民を見殺しにするのか。ああ?」


賊長は答えを渋るジェイドを嘲笑うように、さらに選択を迫った。


(‥‥俺一人なら一気に片付けられたんだがな)


「チッ」


ジェイドはゆっくり両手を上げた。


カランッカンカンカンッ


錆びた剣が地面に跳ねた。


「正義の犬ってぇのも辛ぇんだなぁ?」


男は皮肉たっぷりに笑って剣を蹴り飛ばした。


「やれ」


その低い声ともに男達は再び剣を振りかざしてきた。当然ながらジェイドは他に対抗する武器など持ち合わせていない。無数の剣をどう捌くか、そう考える間に無数の切先は届こうとしていた。


「死ねぇ!!」


ザシュッ———


広い背中が真一文字に斬り付けられた。

剣に振られた血が飛び散る。ジェイドは目を見開いた。


「!な゛っ———」


斬られたのは、族長の方だ。

男は受け身を取ることができず倒れ込んだ。その後ろにはマントを被った女が立っていた。 


「三十人なんて余裕じゃなかったの?」


剣に付いた血を振り落とし、女が言った。フードからはみ出た金色の髪はなびき、濃い紫の眼はジェイドを挑発していた。


「ヴァイオレット…?なぜ——」


「“命の危険”を直感したのよ。それよりジェイド、私はこの人を連れて行くから、あなたは早く片をつけてね」


ヴァイオレットが投げた剣がジェイドの右手に収まった。


「っああ」


ジェイドが剣を構えると、唖然としていた男たちはすぐさま戦闘に戻ったが、流れを切られた彼らを倒すことはジェイドにとって容易かった。

一方、ヴァイオレットに抱かれたヘナは霞む視界に揺れる黄金の光を見た。




ぼやける天井によく知るひとの涙が見えた。


「ヘナ!ヘナ!私よ!分かる?」


「マル‥ベリー…?お嬢様…!」


マルベリーの顔がはっきりすると、ヘナは飛び起きた。


「良かったヘナ…あなたが無事で本当に良かったわ!」


「お嬢様こそ‥ご無事で何よりです…!」


ヘナと夫人は抱きしめ合って互いの無事を喜んだ。


「そうだ海賊は、どうなったんです…?」


「警備兵に引き渡したそうよ。こちらの方々が全員捕らえてくれて」


「そうなんですね‥‥本当に、本当にありがとうございます」


ヘナは寝台におでこがつく程に頭を下げた。


「おいおぃ私にも何かないのかい?ここは私の家なんだけどねえ?」


タオルを抱えたガーネットが冗談っぽく割って入った。


「ふふっありがとう」


夫人とヘナは頬を赤くして笑った。気の抜けた何気ない会話中、二人は握った手を離さなかった。

ジェイドは壁と一体になって見ていた。じっと待っていることに痺れを切らしたヴァイオレットは、ジェイドを突いて3人の間に行かせた。


「邪魔をするつもりはありませんが、伯爵様に事の次第を報告しなければならないのでは?」


「そうですね、彼何も分かっていないだろうし。…でもヘナを置いてはいけないわね」


マルベリーは無意識のうちに握った手に力を込めた。彼女は引っ越してしまう友達との別れを惜しむ子供のような悲しい顔をしている。


「じゃあこの子が良くなるまで私が看てやろうか。マルベリー様も私のとこなら心配ないだろ?」


「それはもちろんそうですが、宜しいのかしら?」


「あぁ、ここを離れる用は当分ないからね!あとはアンタがどう思うかだけど」


ヘナは、少し迷ったが、マルベリーの落ち着いた落ち着いた顔を見て答えた。


「お世話になっても、良いですか?」


「そうこなきゃねえ!」


ガーネットが荒々しく肩を組むと、あまりの勢いにヘナは目を回した。止めることを催促したが、ガーネットには全く聞こえておらず、彼女らしく豪快に笑った。マルベリーはヘナの体調を心配したが、彼女が明るい声で名前を呼ぶのを見て安心して腰を下ろした。


「‥もう元通りね」


マルベリーは涙ぐんでいた。



日の高くなった頃、マルベリーは馬車に乗って伯爵邸へ向かった。それに続くようにヴァイオレットとジェイドも別れの挨拶をして店へ戻った。




カランカラン——


「それで、誰が絡んでいるんだ?」


「え?」


「奴らはただの賊じゃないんだろう?」


「…そういうところだけは鋭いのよね。お茶を出すわ、座って」


ヴァイオレットはいつものテーブルに誘った。


「それが誰というのは私も分からないのだけれど。糸を引いていた者がいるのは間違いないわね。ただの賊ならあんなところに隠し扉付きのアジトを、短時間で建てられるわけがないし、夫人とヘナさんをずっと手元に置いておいたのも不自然だわ。彼女から情報を手に入れた時点で、生かして傍に置く利点はないに等しいのに」


「そこまで分かっているならどうして彼女に言わなかったんだ。伯爵に伝われば調査がされることくらい想像がつくだろうに」


「それはあなたも同じじゃないの?これくらいのこと、あなただって気づいていたでしょう」


「言わなかったのは君の作戦を邪魔したくなかったからだ。君は、どうなんだ?」


「調査したとしても黒幕には辿り着けないと思ったのよ。あなたと合流する前、確証を得るために警備塔に行ったのだけど、全ての警備兵が一階に集まっていたわ。まるで、これから出動しなければいけなくなることが分かっていたみたいにね」


「それは…つまり黒幕は、少なくとも今日早朝の警備兵全員をスターチス伯爵に気づかれることなく入れ替える、もしくは買収できるくらいの権力の持ち主ということか」


「そう、この一件が伯爵家に被害なく収まったから当分は何もないでしょうけど、迂闊に探りを入れるとまた何か仕掛けてくるかもしれないでしょう。それに何か引っかかるし」


「なるほどな。こちらは力を行使できない上に、伯爵も動けないとなると仕方がないか」


「ええそうね」


ヴァイオレットの声は明るかった。口元に運んだハーブティーの香りを楽しんでいるようだった。


「まさか君が調べるつもりじゃないだろうな」


「もちろんそのつもりよ」


「ダメだ。第一その危険性は君が今言ったじゃないか」


「だけど伯爵に任せるよりははるかに良いはずでしょう?」


「正体が分かる前に君の方が暴かれでもしたらどうする」


「大丈夫よ。彼らに私の顔は見せていないし、あなたも手伝ってくれるじゃない。それとも、自分の力に自身がないのかしら?」


ヴァイオレットはクスクスと笑った。

ジェイドは言葉を引っ込めた。


「て…手伝う?」


「あれ?『とことん付き合う』って約束でしょう?あ…でもそうね、あなたは顔が割れているから一緒にいない方が得策かも――」


「いや!調査をするなら俺が手伝う方が良案だろう」


ハーブティーが揺れた。急にジェイドが目前に迫ってきて、ヴァイオレットは笑いを堪えきれなかった。


「そう?それなら調査の方は安心ね!」


ヴァイオレットと目が合って我に返ったのか、ジェイドは耳を赤くして元の位置に戻った。


「コホンッついでにもう一つ聞いても良いか?」


「?ええ」


「馬もそうだが剣の扱い方なんてどこで覚えたんだ?少なくともパルドサムにいた頃の君はそんなもの触ったことさえなかったはずだが…」


「もう、私のことを何でも知っているかのように言うのね。馬も剣もこの7年で教わったのよ、色んな国に行ってね。ちなみに、武器なら弓も使えるわよ?一応」


(教わった?一瞬だったが、あの剣の振り方は指導された程度のものではなかった気がするが‥‥)


「今度教えてあげましょうか?副団長様」


彼女が冗談っぽくそう言ったのでそれ以上の追及はできなかった。しかしやはり7年分、彼女のことをもっと知りたいというジェイドの思いは膨らむばかりだった。


いつの間にか夜も遅くなっていた。この怒涛の二日間がジェイドには一夜の出来事のように感じられた。仕事を終え家や酒場に向かう人たちの足取りは軽くはなかったが、ジェイドを見送るヴァイオレットの目から眠気は一切感じられなかった。

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