7. ヴァイオレットの推理
北の森は傘のような背の高い木が多い。明かりもなしに馬を走らせるのは危険な森だが、ヴァイオレットとジェイドは迷うことなく風を切った。
突然複数の明かりを捉え、ヴァイオレットは停止の合図を出した。灯りの元は本部と言われていたらしき建物に繋がった。本部は洞窟の小屋よりもしっかりと作られていて、別れた部屋に三十人程度が余裕を持って入りそうな大きさだ。ヴァイオレットたちは見張りが二人立っているのを確認して、木陰に馬を隠してから慎重に近づいていく。
「どうする、二人ぐらいすぐに方が付くが」
「あまり騒ぎを起こしたくはないわ。焦って人質を取られても困るでしょう?」
「人質に取らせるようなへまは——」
突風で見張りの松明の火が揺らいだ。
「行きましょう」
ヴァイオレットはジェイドの手首を強く引いた。幸い見張りは慢心し切った様子で、裏口に回るのは容易かった。
「…
(これって…)
ヴァイオレットは扉の前に何か模様の入った足跡を数個見つけた。彼女はジェイドに何か聞かれる前に、音のしないよう慣れた手つきで南京錠を開けた。
「…犯罪の匂いがする」
「そう?私はまともな方だと思うけど」
「君を知るのが怖くなりそうだ」
「ふふっやっぱりジェイドって冗談が下手よね」
「ああ、俺にはどうもその才がないらしい」
中へ入ると一本の廊下がありその左手に二つのドアがあった。一つ目の方からは何の音も聞こえなかった。奥の方からは十人程の声が聞こえた。そしてすぐに一つ目に戻りまた鍵を開けた。そこは物置らしく、地図や港で盗まれたと思われる品々が仕舞われていた。
「何か見つかったか?」
「いいえ。と言うか、ここには何もないと思うわ」
「それならどうしてここに」
「しーっ」
ジェイドの言葉を遮り、ヴァイオレットは奥の壁に手を触れた。ジェイドは放置されていたランタンに火をつけて、扉を閉めた。
「壁…いや隠し部屋か」
「おそらくね」
「一体どこでそんな情報を仕入れたんだ?」
「おそらくって言ったでしょう?だだの想像よ」
「想像って…」
「まぁ少し違うわね。推理よ、推理。大得意っていうほどじゃないけれど、あなたよりはできるつもりよ」
「と言うと」
板張りの壁を、ヴァイオレットは隅から隅まで触っている。
「今朝スターチス伯爵から依頼があったの。最近愛する人の様子がおかしいから調べてくれってね。だから——」
「待ってくれ、伯爵から直接依頼を受けたのか?」
ヴァイオレットは少し困ったような笑顔で振り向いた。
「まだ導入なんだけど?」
「…すまない、続けてくれ」
「だから、一日中夫人のことを聞き回ったけれど有力な情報は得られず、その代わり海賊というおかしな連中の話を聞いたのよ。そしてこの二つの件が繋がっているとふんで港の潜伏場所へ向かった。そこで私が引っかかったのは次の三つ。一つ目は伯爵が夫人の様子を苦しそうと言ったこと。二つ目は海賊の行動が落ち着いたのと夫人の様子が変わったのが同じ一ヶ月前であること。そして三つ目は、あの洞窟の小屋の裏口に鎖がかかっていたこと」
「伯爵が言った夫人の様子は罪悪感か…?ならば夫人は望んで賊に協力していないことが予想できるが、三つ目はどう関係する?」
「鎖がかかっていたのは中にいる人を出さないようにするため。つまり、あそこには誰かが監禁されていたのよ。裏口にきれいな食料もあったしね」
「しかし去る時に見た小屋の中に部屋はなく、誰もいなかった。ということはつまり…」
「そう。その誰かが夫人だとしたら、監禁場所を移された可能性が高い。例えばこういうより厳重に管理できる場所にね」
「…!何故そんな必要がある」
「今日何か起こすつもりなのかも」
ヴァイオレットの伸ばした手に一枚の板の角が引っかかった。それを押すと板は半回転し掴めるようになった。
「洞窟にいた彼らの仲間が時間だとか言っていたし、全員でどこかに移動しようとしていたしね」
ヴァイオレットが懸命に引っ張っても壁には全く動きがない。
「代わろう」
ジェイドはランタンを彼女に渡し、それを両手で引くとまるでドアのように壁の一部が開いた。
真っ暗な部屋には窓や換気口などはなく深く呼吸などできないほど埃っぽかった。そしてその中にうずくまる人の影が見えた。
警戒して剣に手をかけるジェイドを置いて、ヴァイオレットは躊躇いもせずに中へ入った。
ランタンを置いて暗闇に倒れていた何者かを照らしてヴァイオレットは言う。
「私が見えますか?——スターチス夫人」
「‥‥‥!」
夫人は虚ろな目で驚いている。口を塞がれ手足を後ろで縛られて身動きが取れず、体力を消耗しきっているようだ。
ヴァイオレットがゆっくり布を解くと、夫人は安堵したのか涙を浮かべだ。
「…あなたたちは…?」
夫人は途切れ途切れに言った。
「大丈夫。私たちはスターチス伯爵に頼まれてあなたのことを調査していた者です」
「警備兵では…」
「いえ、私は公的な人間ではありませんよ。彼は騎士団に所属していますけどね」
ヴァイオレットは夫人の拘束を優しく解きながらそう言った。夫人はしっかり息も吸わないまま言葉を返した。
「…ありがとう…私…もうだめかと…」
夫人は助けが来た事実を受け止め、安堵したようだった。
「もう大丈夫です、夫人。私たちが助けます」
ヴァイオレットは確認させるように改めて言った。
「こうなった経緯を教えて頂けますか」
ヴァイオレットが夫人の体を支えて目を合わせると、彼女は震えながらも言葉を絞り出した。
「‥‥発端は一か月前、視察のためこの町に訪れたときです。皆さん歓迎してくれて、花束やお手紙を貰いました。翌日になって、その中に不気味な紋様の入った手紙があることに気づいたのです。そこにはこう書かれていました…
『親愛なるスターチス伯爵夫人へ。
“ヘナ”という平民の女性に心当たりがあれば、我々が指定する場所へ一人でお越し下さい。彼女の命はあなたの行動にかかっています。どうか妙な素振りを見せないで下さい。
P.S. 紅茶に三つも砂糖を入れるのは健康に害でしょう。』」
「海賊ですか」
「そうだと思います。ヘナは私の侍女なんです、でもそれ以上に…20年来の友人でもありましたから…だから必死に馬を走らせました。もちろん誰にもそのことを告げずに。そしてあの洞窟に辿り着いたのです。そうしたら…」
マルベリーの唇が渇く。
彼女が洞窟に足を踏み入れたとき、すでに三十人近いマントの集団が待っていた。マルベリーは全身に寒気が走った。恐怖して後退りさえできなかった。
『これはこれは、スターチス伯爵夫人。本当に来ていただけるとは、感激ですね』
賊の一人が彼女の手を取った。反射的に手を引っ込めたマルベリーだが、甲斐なく、手首を握られてしまった。その女は彼女を強引に小屋の中に放り込んだ。ほとんど何もない部屋だった。あるのは状態の悪い机と椅子だけ。マルベリーに見えたのは
ロウソクの明かりで揺れる五人分の影だけだった。
『ヘナは…ヘナはどこに…!』
マルベリーは地べたに座り込んだまま。
『そう心配するなよ。お前の目の前にいるじゃないか』
意図を理解した彼女はすぐに地面を手探りした。ぐっと手を伸ばしたところで何かに触れた。それが何かは光がなくとも彼女には分かった。
『ヘナ…?…ヘナ!聞こえないの…!ヘナぁ…』
彼女の体はまだ温かく、心臓の音もしていた。だがマルベリーには聞こえなかった。自分の涙に溺れながらひたすらにヘナの顔をなぞった。
『死んではないですよ。ヘナさん』
今度は女の声がした。
マルベリーはヘナを抱えたまま振り向いた。五人の賊の顔は隠れているが、ろうそくに合わせて揺れる影はまるで笑っているかのように彼女には見えた。
マルベリーはしゃくりあげてしまって声を出せなかった。
『それが死ぬのはあんたが要求をのまなかった時だ』
『…要求って…』
『我々が欲しいのは伯爵家の情報。その都度指示に従ってくれればいいんです』
『なぜですか…』
『検討ぐらいつくでしょう?』
(こんな人達に情報を渡せばどうなるか…!けれど…そうしなければヘナが…)
駆け巡る思考にマルベリーの頭は割れてしまいそうだった。そして彼女は動かないヘナの重みを感じたとき、目を閉じて言った。
『…吞みましょう』
あまりにも多くの思いを押し殺してその言葉を発した喉は、息が通らないくらいに痙攣していた。
「私は夫や領民を裏切りました。全てを裏切ってヘナを選んだのです。だからっ…おこがましいと分かっています。ですがどうか…!ヘナだけは助けてください…!」
マルベリー伯爵夫人は地べたと顔を合わせるまで頭を下げた。
「裏切った…?冗談じゃないですよ」
後ろに聞こえた声に、ジェイドは唾を飲んだ。
視線だけを動かしてヴァイオレットの表情を見ようとしたが、やはり躊躇した。
「夫人」
その声が含んでいる感情はジェイドには読み取れなかった。ヴァイオレットは肩をつかんでゆっくりマルベリーの体を起こした。
「まだ大事は起こっていないんです。未遂で終わったならそれは裏切りではないんですよ」
ヴァイオレットはいつもの笑顔だ。しかしジェイドには、ランタンの明りに柔らかに照らされて陰影がかかったその顔が、澄み切れていないような何かほろ苦いものが混ざっているようなそんな風に見えた。
「この事態を収拾するにはまず、人質を取り戻すのが先決ですね。ヘナさんは今どこにいますか」
「…海賊のリーダーと一緒にいます。もう逃げ出さないように…」
マルベリーは濁った回答をした。
「ではそのリーダーはどこに?」
「それは…分かりません。ですがもうすぐ帰ってくると思います。隣の部屋からそんな声が聞こえました」
ヴァイオレットは口元に手を置いて考え込んだ。
「ジェイド、隙を作ればどうにかしてくれるでしょう?」
「ああ、任せてくれ」
「まさか戦うつもりですか…!おやめください…!それではヘナが…!」
「大丈夫です、ここで始めるつもりはないし彼はとても強いから。それに少なくとも私は、こういうこと初めてではないんです」
ヴァイオレットはマルベリーの手に自分の手を重ねた。
「ここへ来たのはあなた達を助けるため。だから、信じてください」
マルベリーは清々しい大波のような風に貫かれた気がした。
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