4. 町の噂
「ところでジェイド、あなた仕事をしなくてもいいの?」
「仕事?」
「ほら、あそこで踊っている聖女様、彼女の護衛なんでしょう?」
「———!?」
ヴァイオレットの質問によほど驚いたのか、ジェイドは後退った。
「どうして知っているんだ」
「ふふっそんなの、新聞の記事とその制服ですぐに分かるわよ」
「っそうか…」
うろたえてしまった自分に恥ずかしさを覚えたのか、今度は静かに座り直した。
「護衛は交代制で、俺は昼までだったんだ。だから仕事中ではないな」
「そうなの?じゃあ、恋人と待ち合わせ中だったりして?」
ヴァイオレットは冗談交じりに言って、首を傾げた。
「こっ恋人はいないっ!」
ジェイドが思ったよりも焦って振り向いて、彼女は本心を漏らした。
「そんなに驚かなくても」
またの失態に気まずそうな顔をするジェイドのために、すぐにヴァイオレットが話題を振った。
「そういえば、ジェイドって第三騎士団の副団長だった気がするのだけど、護衛騎士なのよね?他でもない聖女様の」
「それはっ、志願したわけではなくて…直々に指名がされたんだ。あの…例の事件で、毒を盛られる前に対処できなかった護衛は信用ならないからと言って…それと護衛職は副団長と一応兼業だ。まあ最近は、俺が護衛をする日は減っていて実際のところ副業に近いが」
「……なるほどね」
ジェイドの話にいくらか考えを巡らせヴァイオレットは何もかも見透かしたようにそう言った。
「そうそう、ここからが本題なのだけど」
ジェイドが先の言葉の意味を聞く前に彼女は軽い口調で始めた。
「本題?まさか今までのは全てついでか…?」
「違うわ!それに、本題もあなたに関係することだから。ジェイド、一週間ほど前に大通りのお花屋さんを訪ねなかったかしら?」
「花屋?ああ、確かに行きはしたが…」
「そこでポピーの花を見つけたのね?」
「ああ…そうだ、あの小さな店主があまりにも堂々と違法な花を勧めて——」
「ストップストップ!ジェイド、やっぱりあなた勘違いしているわよ」
「勘違い?」
「ええ。彼女は何も悪いことをしていないわ」
「何?どういうことだ?」
「確かにポピーの中には麻薬になるものもあるのだけど、それは一部だけ。麻薬になるポピーがあるということを知っている人の方が少ないのに、まさかあの子が違法な商売をしていると勘違いするなんて…」
ヴァイオレットは少し呆れたように笑って言った。
「本当か?…それは、知らなかった…」
ジェイドは純粋に驚いている。
「あなたのせいであの子の笑顔が二度と見られなくなるところだったじゃない」
くすくすと笑いながらヴァイオレットが言う。
「…それは悪いことをしたな…祭りが終わったらすぐに元通りにしよう」
「ほんとに、頼むわよ!」
ヴァイオレットは肩を軽く叩いて言った。
それから霊迎祭が終わるまで、二人の話が尽きることはなかった。中央で踊っていた聖女の姿はいつの間にか見えなくなっていたが、ジェイドはそんなことを気にも留めなかった。彼はただこの時間が永遠に続いてほしいと思いながらも夜が明けるのを待っていた。だんだんと屋台の明かりが消えていき、人々の声も静かになっていった。そして、二人の長い夜が明けた。
ハァハァハァ…
カランカランカランカランッ———
店のドアベルが激しく揺れる。
「ヴァイオレットさん!」
花屋の女の子が勢いよく飛び込んできた。ヴァイオレットは新聞から手を放して彼女のもとに歩く。
「どうしたの?何かまた問題でも起こった?」
「そうじゃなくて…あの…お店が戻ってきたんです!」
膝に手をついて息を切らしながら満面の笑みで言った。
「ふふっ、それは良かったわね」
「ヴァイオレットさんが何とかしてくれたんでしょ?ありがとう‼︎」
「私は約束を守っただけよ。でも、あなたがまたそんなふうに笑ってくれて私も嬉しいわ」
ヴァイオレットが屈んで差し出した手を、間髪入れず彼女は両手でぎゅっと握った。
「ほんとにほんとにありがとう!それでね、あの騎士様、何か勘違いをしていたんだって、わざわざ頭を下げて謝ってくださったの。だけど最後に『まさか成人女性だったとは…』ってまたおかしなこと言ってきて!そんなに私の見た目って幼いですか?あれがなかったら完全に許してたんですけどぉ」
彼女は表情をころころと変えながら、息継ぎも忘れて一気に話した。
「まあまあ、ほらあなたっていつも元気でフレンドリーだから、若々しく感じただけなのかもしれないわ」
「そうかなあ……あっそういえば自己紹介もまだでしたよね、私の名前は——」
「——デイジー・メイズ。知っているわ。覚えていないかも知れないけれど私は以前、あなたに会ったことがあるのよ?」
ザワザワザワ——
——賑わいから離れた港。気持ちの良い快晴を空虚な瞳で見つめていた一人の少女。彼女の目に映るのはその手に持つちいさな一輪の花だけ——
デイジーはその脳裏に遠い記憶がよぎった気がしたが、やはり何のことだか思い当たらなかった。
「私のお店に来たことがあるんですか?」
「そうじゃないんだけど…」
ヴァイオレットはゆったりと奥へ向かい、新聞の置いていない方の椅子に手をかけた。
「まあそんなところね。座って?」
「あっ、ありがとうございます」
デイジーは上品に引かれた椅子に急ぐ。その間にヴァイオレットは飲みかけの紅茶を一口だけ啜った。
「…そうだ!お礼というか、手土産代わりに教えてあげます!さっきここへ走ってくるときに聞いたんですけど、今この町に領主様が来てるんですって!」
「領主様が?」
「うん、今日から三日間視察するって言ってました!」
「あら、いつもは二日じゃなかったかしら?」
「そうですけど‥今回は夫人がいないから見るところが多くなるんじゃないですか?」
「ちょっと待って!夫人が一緒ではないの?」
「そうなんです、聞いたことないですか?お二人の関係が悪くなってるって!ここ最近港でうわさされてるんですよね…私もこの前仕入れに行ったときに知ったんですけど…」
この町を治める現領主、サルファ—・スターチス伯爵とマルベリー伯爵夫人は、領民の間でも有名な仲の良い夫婦でありそんな二人を領民は皆慕っていた。夫妻は特にこの町の港へ来るのが好きでお忍びでもよく訪れていた。それが、最近では二人で一緒に出掛けている姿は全く見られなくなり、視察以外ではあまりこの町へ来ることもなくなっている。領民の間では夫妻への心配とともに良くない噂が出回っている。
「昨日のお祭り、いつもより気合が入って見えたのは気のせいじゃなかったのね」
「うん、特に港の人は、お忍びでも視察でもここに来られることがあったら絶対仲直りさせてみせるぞって盛り上がってましたよ!」
「貴族相手によくそこまでやろうとしたわね…」
「仕方ないですよ!私達、領主様たちのことすごく心配なんですから」
「ということは、あなたも参加していたのね」
「もちろんです!まああの時はお金も店もなかったから他のお店を手伝ったりしてただけなんですけど…」
「ふふっどうりであなたを見かけなかったはずね。結局昨日は来られなかったみたいで残念だったけどあなたたちの頑張りがお二人に届くといいわね」
「うん!今日は港を視察されてるみたいだから多分明日はこの辺りに来られると思うし、そしたら私達にもまだチャンスはありますよね!」
デイジーは目をキラキラさせて、息も荒くなるくらいの気合が入っている。
「明日‥‥丁度いいわね‥‥」
「?なにか言いました?」
「ああごめんなさい、今回はお店も戻ってきたからあなたの活躍も期待できるなって!」
「ヴァイオレットさんもそう思いますよね!よぉし、町のみんなで絶対にもとのお二人に戻して見せるんだから!」
デイジーはいつもよりひと際元気に言い放った。彼女の目の奥には炎が揺れている。
「そういえばデイジー、あなたまだ仕事終わっていないんじゃない?」
「あっすっかり忘れてた!ごめんもうお店に戻りますね!それじゃほんとに色々ありがとうございます、ヴァイオレットさん—!」
彼女は左手を大きく挙げながら来た時と同じように慌ただしくドアを開けて帰っていった。
「まるでちいさな嵐ね」
ヴァイオレットは出したままの新聞を棚に戻して一息ついた後、二階の自室へ戻った。
「まずはお手紙から」
小さな机の前に座ると、左の引き出しから上質な紙とペンを取り出し、スラスラと書き進める。
<——親愛なるサルファ—伯爵へ——>
「明日が楽しみだわ」
ヴァイオレットの口元に笑みが浮かんだ。
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