2. 追憶の再会

「ふぅ…さて、まずはを探さないとね。あの子のために頑張らないと」


ヴァイオレットはどこか楽しそうな真剣な顔でそう言うと、引き出しの分厚い紙の束の中から一組を取り出して机の上に並べる。

<広場に新しい噴水は聖女様の…><第二皇子による新たな政策が…><帝国武闘大会を制したのは…>

新聞の切り抜きや無数のメモを一つ一つ分けていく。


「…あった」


見つけたのは、<霊迎祭><金花の動向>と書かれた二枚のメモ。


「やっぱり今年も行くのね。…他に祭りは‥‥ないか」


ヴァイオレットはこの二枚を切れかかったランプの明かりに当てた。


「明日、ちゃんと会えるかしら


その目に不安な色は、少しも映っていない。




ガヤガヤガヤ——


窓にぶつかる賑やかな声でヴァイオレットは目を覚ました。 


「やっぱり食材が足りないんじゃないの?」


「どいたどいた!早くしてくれ、急いでんだよ!」


「あんた!暇なら港に行ってきとくれ!」


まだ日も昇りきっていないというのに、エプロンを付けたままのパン屋や網が絡まったままの漁師をはじめ、大勢が慌ただしく動き回っている。


「…祭りの準備で大忙し、か」


(それにしても、いつになく気合が入って見えるのは気のせいかしら)


ヴァイオレットは光の漏れるカーテンを閉めた。



霊迎祭とは、年に一度開かれる死者を迎えて挨拶を交わすお祭りだ。皇都のものを除けば、この国で一番の盛り上がりを見せる。そのため、騎士や貴族、稀に皇族までもがお忍びで参加し、幅広い身分の者たちが交じり合うという。


日が傾いてくると、町はさらに多くの人で賑わう。出店には透明な飴細工やおじさん自慢の串焼き、遠国のデザインが特徴的なアクセサリーなど、行き交う人の目を引くものがたくさん並んでいる。そしてその中には、上質な布を纏った紳士や、宝石が光る装飾を可憐に揺らす少女もいる。


「そろそろね」


自室の窓から街灯の明かりが付き始めたのを見て、ヴァイオレットは支度を始めた。ライム色に白を重ねた町娘らしい質素なドレスを整え、高価な髪飾りの代わりに小さなスミレのネックレスを胸元に光らせた。


カランカラン——


「確か…リコリス広場だったわね」


ヴァイオレットが着いた頃は、広場にだんだんと人が集まってきていた。

霊迎祭の夜は、この鳴りやまない音楽の中で、家族や友人はもちろん知人でなくとも手を取り合って、一緒に踊る。


「ちょっと姉さん待ってよ!——」


「いらっしゃい!おっ恋人の分かい?」


「始まるまであと10分ってところだな!なんだ?また賭けるか?」


その時、3発の花火が上がった。広場には待ってましたと言わんばかりの歓声がこだまし、数人が踊り始めると、次から次へと中央へ集まり、軽快な足音や弾むような手拍子が広場を包んだ。そしてその中に、ひと際目を引く一組がいた。マントで顔を隠してはいるがステップを踏む度に良質なジャケットやレースの裾が見え隠れしている。一応変装姿のようだが、それが逆に彼らの本当の身分を証明している。


「…楽しそうね。」


ヴァイオレットはさっと円状の広場の隅を見回した。屋台から飛び出した人や酒を片手に笑っている人そんな人々を和やかに見つめる人。ヴァイオレットはその中にある男を見つけた。


「当たりね」


さっぱりした白髪に鮮やかな黄緑色の眼で、中央で踊る誰かをじっと見ている。ヴァイオレットは真っ直ぐに男のもとへ歩いて行く。


「こんにちは」


ヴァイオレットは‘町娘’らしく声をかけた。だが、制服の男は目も合わせようとはしなかった。


「こんにちは」


ヴァイオレットは同じトーンでもう一度言った。しかし、やはり男は何も答えなかった。すると今度は少し煽るような声で言った。


「目も合わせてくれないなんて、あんまりじゃない?せっかく旧友に再会したっていうのに」


男はやっとぎこちなく視線を下げた。ヴァイオレットと目が合った瞬間、まるで亡霊でも見たのかのように驚いた顔をした。彼の頭の中には目まぐるしいほど考えが廻り、目を剥いて固まっている姿を見て、ヴァイオレットは笑ってしまいそうになった。そして沈黙を終え、男は口を開いた。


「………どうして君がここに……いやまさか…」


「ふふっ、驚いた?安心して、私は本物よ。霊迎祭だからってまさか私のことを幽霊だなんて言わないわよね?」


まだ状況が整理できていないような彼に、ヴァイオレットはいたずらっぽくそう言った。またもや沈黙が続いた後やっと彼は声を出した。


「アイリス…君は確かあの時晦冥の森に連れていかれたはずだ…それなのにどうやって‥‥」


彼の視線は絶えず震えていた。 

 

「確かに、あの森に入ったら生きて戻ることなんて出来ないと思うのが普通よね。魔物の巣窟だなんて言われるくらいだもの。でも…それでも助かったのは、通りすがりのある人のおかげ。まあ、運が良かったのね…」


ヴァイオレットは懐かしそうに夜空を見つめている。


「そう‥か…」


ジェイドはまだ混乱している様子だ。

そして唐突にヴァイオレットの方に向き直り、深々と頭を下げた。


「悪かった…本当にすまなかった…!」


「ジェイド‥‥それは何に対して?」


「君を、助けなかったことだ」


ジェイドは緊張した声で言った。


「…そう。謝罪はいらないわ」


「…!」


ジェイドは焦って顔を上げた。しかし、彼の想像とは反対に、ヴァイオレットは何の曇りもなく笑っていた。


「私はね、あなたがとんでもない頑固者だって知っているの。私が許すと言っても忘れようと言っても、結局二度と私の前に現れてくれないでしょうから、だから、は受け取れないわ」


「そうだな…君の言う通りだ」


ジェイドはやっと肩の力を抜いて息を吐いた。彼は眉をひそめてささやかに笑った。だがその目の奥には、灰色の後悔が滲んでいる。




7年前、皇城で開かれた舞踏会でそれは起こった。


『——どうして——くださらないのですか——』


『先程はっきりと———聞かなかったのは——』


『ですが———決して——』


初めはアイリスと男が何か言い争っていると、それくらいにしか思っていなかった。この貴族社会では男女間のスキャンダルは日常茶飯事で、常に誰かが噂の的になる。だから誰が誰ともめていようと気にも留めなかった。それが古い友人だったとしても、最近は挨拶を交わすこともなくなった仲だ。気にすることはないだろう。そう思っていた。しかし突然、


『アイリス・パルドサム、貴殿との婚約を破棄する。』


男の冷たく無関心な声が俺の耳に響いてきた。

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