エース・ザ・フリークショー

高橋てるひと

エピローグ

 その昔、戦争では普通に人間が死んでいたらしい。

 一人や二人じゃなく、たくさん。

 嘘みたいな、けれども本当の話。

 もし昔の人間が現代の戦争を見たら怒るだろうか。

 定番通りに「本物の戦争と言うのは……」だとか。

 知ったこっちゃない。

 偽物だろうと戦争は戦争だ。やってることが、狂っていることに変わりはない。

 この点については昔の人も同意してくれると思う。

 例えば、戦争が人間を棄てて始まったこの嘘っぱちの戦場は。

 昔の人間にとっても少し狂っているんじゃないかな、と思う。

 ぱ、と。

 光った。

 そう思ったときには、とっくに空気は焼け焦げている。

 なんたってレーザーだ。当然、光の速さで飛んでくる。

 だからこっちはすでにスラスターで回避を行っている。

 ぎりぎりで間に合った。

 が、場所はビルの屋上。

 スラスターを使った機体は急に止まれない。

 柵にぶつかって思い切りバランスを崩して。

 落ちた。

 スラスターの推力を絞り、補助用のリフターに余剰出力のありったけを送り付ける――が、もちろんそれだけでふよふよ浮けるわけでもない。そのままビルの下方に広がっていた商店街のアーケードの採光ガラスへと突っ込む。衝撃と音。そして砕け散るガラス。シングルカメラ方式の視界で踊り狂う大量の破片が太陽の光を乱反射。その光に塗り潰され、真っ白に眩む視界。補正機能が視界を取り戻す――よりも先に迫る路面。もみくちゃになっている中、機体の脚をたぶんこっちが下だろうと思う方へと向けて、

 着地、

 は、ほぼ失敗。そのままスラスターの推力を制御できず機体が盛大にスピンしながら横滑り。スラスターの機動に耐えられるように補強されまくった機体が、ぎしぎしと今にもばらばらになりそうな軋みを上げる。機体各部が「おいふざけんな」と抗議の叫びを上げて、その中に「もうあかん」と幾つかの断末魔が混じる。がくがくと揺れる視界を縦横無尽にラグが駆け回る。アスファルトと擦れ合って脚部の底材が削り取られる異音。こん、と間抜けな音を立てて頭に当たったのは放置されていた空き缶。機体はそのままバランスを崩し、ほとんど転倒するような格好で、古ぼけた張り紙に「閉店だ。長い間ありがとよ。by店長」と書かれたシャッターの店に突っ込む。

 反射的に音声をオフ。

 わからなくなる上下左右。装甲が凹むフィードバック。内蔵回路が断線する気配。

 手から離れて吹っ飛んだ機銃が容赦なく棚を粉砕し――ようやく機体が止まった。

 すぐさま音声をオン。

 ぶしゅう、と。

 ラジエーターを全開にして、機体内部に溜まった大量の熱気を外へと吐き出させ、

 ばちんっ、と。

 カートリッジ・スラスターから、空っぽになった燃料カートリッジを排出させる。

 そこで視界がラグの嵐から復活する。

 じろり、と。

 横倒しになった招き猫の置物の無表情と、思いっきり目が合った。

 本気でびびった。

 どうやら店に残されていたものらしい。何らかの霊気を感じる気がしなくもない。


『まったく』


 と、そこで。


『もうちょい綺麗に着地しなよ。「エース」なんだからさ』


 囁くような声が、告げる。


『弟があんま不甲斐ないと、お姉ちゃんぷんすかしちゃうよ』


 やかましい、と胸中でその声に返事をする。

 当然ながら、招き猫の声ではない。置物は喋らないし、姉に持った覚えもない。 

 よ、と。

 ひっくり返っていた機体を起き上がらせる。

 CASE。

 そう総称される機械の一種。人間の作業をほぼ完全に代替可能な人型の機械。

 そして、それをATF用に改修したのがこの機体――いわゆるエース機だ。

 金属とケーブルで構成される手で、転がっている招き猫を拾い上げる。

 一応、広告宣伝の道具としては自分の大先輩である置き物だ。

 あと呪われるのも怖い。超怖い。

 無事な棚を見つけて、丁重な手つきでそっと置いた。

 それから吹っ飛んだ機銃へと視線を向ける。

 ひょいっ、と機銃を拾い上げ構える。

 からんっ、と空っぽの弾倉を落とす。

 がちんっ、と新しい弾倉を叩き込む。

 がしゃり、と最初の弾を薬室へ送る。

 機体を屈ませて、シャッターの残骸を潜る。

 途端に視界に飛び込む太陽の光。瞬きするように光量を補正するカメラアイ。


『さて』


 囁き声。


『それじゃあ行こっか』


 楽しげな調子で。


『私たちの――最後の戦いだよ』


 ああそうだな、と。

 戦場に、踏み込む。


『――来るよ』


 カメラアイの視界の端に銀色の閃きが見え、

 考えるより先に、スラスターを作動させて、

 スラスターに燃料カートリッジを送り込み、

 ケーブルを駆け巡る電気信号が燃料に点火、

 エアインテークが大量の空気を吸い込んで、

 ぼっ、と最初に鮮やかな炎の輪が拡がって、


『――GOっ!』


 重力を引き千切る。

 コンマ1秒以下で速度はトップスピード。圧縮された大量の燃料を瞬間的に消費し、爆発的な推進力に転換、リフターの補助を受けて機体が宙を駆ける。周囲の景色が、一瞬で流れては去っていく。ぎしぎし、と先程の着地でガタついた各部品が軋みを上げる。背後、一瞬前までこちらの機体が立っていた場所を引き裂く銀色の糸。直後、近くにあった錆びついた街灯が呆気なく糸に切断され、ぐらり、と傾いて倒れる。


『うっひゃあ! 怖い怖い!』


 緊張感のないその叫び声は当然聞き流す。牽制のために機銃で弾幕をばら撒きながら、今度はまともに姿勢を制御した状態で着地。アスファルトを深く削り取りつつ停止し、再び空っぽになったカートリッジを排出。ぎょろり、とカメラアイの双眸を蠢かせ、銀色の煌めきを目で追いかけて――その先、


『見つけた!』


 敵のエースが操縦している――エース機。

 通常機を改修したこちらとは違う、エース機として完全に一から設計されたワンオフ機。三メートル近い、かなりの大型。その巨体を飛ばす双発式のスラスターも同様に馬鹿でかい。二メートルちょっとしかないこちらの機体と比べると大人と子供みたいな体格差がある。バイザーに隠れたカメラアイはマルチアイ方式の複眼。武装は計四本の手首から伸びるヴァリアブル・カッターと、手に構えた大出力のレーザー砲。そしてその機体のカラーリングは――青色。


『「ブルー・スコープ」』


 声が。


『ATFが始まった十五年前から、ずっと最強として君臨しているエース――』


 楽しげに、声が言う。


『私たちの最後の相手には、不足なしだよ』


 それに頷いている暇は無く、だが代わりに。

 残っている燃料カートリッジが、あと僅かであることを確認して。

 相手を見上げて、スラスターへその燃料カートリッジを放り込む。

 そう。

 やることは単純明快。

 十五年間、この戦場の頂点に君臨してきた、この青色のエースを今日ここで――。


『やっつけろ!』


 叫びと一緒にスラスターが炎を噴き上げた。

 操縦技術は、間違いなく相手が勝っている。

 機体性能はワンオフ機である敵機が高性能。

 戦闘経験なら当然、向こうの方が遥かに上。

 もちろん勝てるわけがない――普通ならば。 

 意識が置いて行かれる速度で、真正面から最強のエースへ接近戦を仕掛けながら。


 ――今、この場所で「それ」の声を、聞く。


 直後、

 敵機が放ってくるヴァリアブル・カッター、

 数は四、

 銀色の閃きの網目が、視界を分断する中で、


『――ヴァリアブル・カッター』


 今、このその瞬間に、

 もう一つ声が生じる。

 その声は静かに囁く。


『――まずは牽制。頭』


 頭部を狙ってきた最初の一閃目を潜り抜け、


『――フェイント。右腕』


 次の一撃を無視し右腕の装甲表面を抉らせ、


『――本命。武器を潰す』


 機銃を狙った一撃を、右足を差し出し防御、


『――牽制、』


 最後の一撃を避け切る――その一瞬の間に、


『――いや、』


 ヴァリアブル・カッターが、全て自切され、


『――このタイミングなら、』


 支えを失った操り糸が、軌道を変え――銀の閃きが、右の視界に飛び込んできた。


『――入る』


 ぶつり、と右側の視界が瞬時に死んで消え、

 ぱきん、と音を立てバイザーが砕けて散り、

 びきり、と残る左の視界もひび割れが入り、


『――決まった? いや、』


 けれども――まだ、相手の姿は見えていた。


『――まだ、向かってくる』


 それなら、敵が見えているなら――やれる。


『――面白い』


 撃った。

 その直前、敵機はスラスターを使用し銃弾から逃れている。宙に残された炎と煙の軌跡。こちらも着地。空のカートリッジを排出。即座に、次のカートリッジをスラスターに。機体が横滑り。停まるのを待たず、スラスターを使用。牽制で撃ち込まれてきたレーザーを避けつつ敵機を追う。お互いにスラスターを吹かした高速状態の中、

 相手のカメラアイと一瞬だけ目が合って、

 声が告げた。


『――来い』


 その瞬間にこちらと敵機の行動が重なった。

 ばちん、と。 

 まだ燃料の残るカートリッジを、強制排出。

 排出されたカートリッジが、漏れた液体燃料をまき散らしながら落下していく中、

 視界に現れた邪魔な警告表示と耳障りな警告音声を一緒に叩き切り、

 スラスターに次のカートリッジを叩き込んで、

 再び、点火。

 音速を超えて機動している二つの機体が、一瞬で、直角に近い方向転換を行った。

 ダブル・スラスト。

 エースたちの間でそう呼ばれている技術――近接戦闘における、言わば必殺技。

 まともに決まれば、瞬時に死角に潜り込める。

 故に高レベルのエース同士の戦いでは、互いにダブル・スラストを仕掛け合う。


『――行くぞ』


 そして、その仕掛け合いはこう呼ばれている。


『――ドッグ・ファイトだ』


 それはずっと昔、戦闘機を人間が操縦していたような時代に生まれた言葉らしい。

 本物のエースが存在した、まだ戦場が人類の手の中にあった頃の――古い言葉。

 ほんの一瞬の時間の中。

 生身ならば潰されている極悪なG。ラグまみれの割れた視界に広がる亀裂。常人の認識が追い付かない速度で切り替わる視界。その中でほとんど勘に任せて機体を制御。お互いの動きを読み合って、お互いに死角に潜るべく、寂れたシャッター街の戦場で――交錯。

 そして。その一瞬が過ぎて。

 相手のレーザー砲が。

 こちらの機銃が。

 お互いの機体を捉え合って、けれども――


『――向こうの方が、早い』


 ――こちらの方が、早い。

 勝てる。そう思ったその直後に、


『――でも』


 敵機が、カートリッジをもう一度強制排出。


『――「これ」には』


 こちらが向けた銃口の先から、かき消えた。


『――付いてこれない』


 何をされたのかは、ごく単純で明快だった。

 ダブル・スラストをもう一度。それだけだ。

 それだけのことが、クロアには、できない――誰にもできない。

 最強のエース「ブルースコープ」以外には。

 トリプル・スラスト。

 ドッグ・ファイトの全てをひっくり返す技。


『――残念だ』


 ちゃんと分かる――相手は今、死角にいる。

 今、自分の機体へと照準が向けられている。

 けれども――もうすでに打つ手がなかった。

 不意に、機体の胴が鮮やかなオレンジ色に。

 直後、どろりとした粘度を持ち――次の瞬間には膨れ上がって破裂。

 ひび割れたカメラアイの映像が完全に沈黙して、全ての感覚が消滅。

 そして――


   □□□


 ――ばちん、と。


 機体が破壊されたことでCASEとの接続が切断され、本来の感覚が瞬時に戻る。

 戻ってきたその感覚に頭が付いていかず、混乱が収まるまで少し時間が掛かった。

 ケーブルが剥き出しの骨董品じみたバイザー型接続器を脱ぎ、素肌に貼り付けた間接フィードバック機器をむしり取って、周囲を見回す。これといった補助装置も支援機能もないシートの上。CASE接続のための必要最低限の機材しか存在しない、コンテナの中。これまでずっと、自分をあの戦場へと送り届けてきた場所。

 でもそれも、今回で終わりだった。

 とりあえず服を着替えた。

 紐を緩めたブーツに足を通し、シートに掛けた古ぼけた革のジャケットを羽織る。

 コンテナの外に出る。

 外はまだ全然明るく、よく晴れていて、太陽がまぶしかった。

 そして上空を巡回する監視用のドローンの姿。

 集約化した地方都市の財源として戦場配給企業に貸し出されている、ありふれた放棄市町村の入口。元は田んぼだったらしい荒れ地が広がる中に、幾つもの車両が止まり機材が設置され、その間を大勢の戦場関係者が動き回っている見慣れた光景。近くに設置されている「この先戦場指定区」と大きく書かれ、その下に大量の注意事項やら免責事項やらが書かれた看板。

 ただし、自分の周囲には他に誰もいない。 

 その事実にほっとし、コンテナの階段のところに腰を下ろして、靴紐を結び直す。


『クロア』


 囁き声。

 靴紐を結ぶ手を止めて、顔を上げる。

 真っ白な髪の少女がいた。

 おそらくたぶん中学生くらい。猫とかを連想させる顔立ち。本人曰く八重歯がチャームポイント。継ぎ接ぎだらけの古ぼけたワンピースを着ている――いつも通りに。


「――よう、シロネ」


 と、少女の名前を呼ぶ。

 少女はへにゃりと八重歯を見せて笑い、ちょっと困ったようにも見える顔で言う。


『負けちゃったね。クロア』

「だな」


 答えながら、ブーツの紐を締めて立ち上がったところで、ふと気づく。

 コンテナに、スプレーで文字がでかでかと書いてある。

 クロアはそれを見た。

 シノネもそれを見て、読み上げた。


『「あばよ、我らがエース」――』


 クロアも釣られて、続きを読んだ。


「――『もう帰ってくんなよ!』」


 おいおい、と。

 クロアはその言葉に、思わず苦笑した。

 あーもー、と。

 シロネはその言葉に、呆れた顔をする。


『酷いよねえ。これ』

「ああ、酷いな。すげー酷い」


 字も汚いし、言葉も汚い。

 たぶん整備の連中の仕業だろう。クロアをエース機に接続させてから、その後、撤収する際に書き残していったに違いない。

 おかげ様で、こちらは何の心残りもなく去っていくことができる。

 いや。

 実際には、心残りはある。


「なあ、シロネ」


 と、クロアはシロネを見る。


「お前はさ、まだ――」


 そう言いかけたところで――


「道角クロアくん!」


 唐突に他人から声を掛けられて、とっさに口を噤み、シロネから視線を外す。


「今の一戦! 凄かったですよ! あの『ブルー・スコープ』相手にあと一歩のところまで行ってたじゃないですか!」


 そう声を掛けつつ、走るのには到底向いていなさそうなパンプスで息咳切らせて駆け足でやってきたのは、何だか新入社員みたいに地味な紺のスーツ姿の女性。見知った顔だった。嫌という程。


「……どうも、真澄さん」


 仕方がないので、渋々とそう答える。

 真澄紺。

 エース関連の記事を取り扱っているフリーライターで、この業界ではそれなりに有名人だ。何でも十年以上前、それこそこの戦争ショーが始まったばかりの頃、中学生のときから趣味で情報記事を作っていたとか。筋金入りだ。

 ついでに言うと、今現在、一番会いたくない人物でもある。


「水臭いですね」


 ふんす、と胸を張って真澄が告げる。


「おねーさんのことは『コン』と気さくに呼んでくれてもいいんですよ。『コンちゃん』でも可。あ、でもその代わりに、君のことは『みっちー』と呼ばせて下さいね?」

「それで何ですか真澄さん? 負けた奴にわざわざインタビューですか?」


 その言葉は無視することにして、話を先に進める。


「しょうがないじゃないですか。『ブルー・スコープ』は覆面エースなんですから。取材NGなんですよ」

「……まあ、そうでしょうね」


 十五年前から最強であり続けているエース「ブルースコープ」。その正体は完全に非公開情報となっている。顔も名前も年齢も、性別すら明らかにされていない。そのため、数々の憶測が飛び交っている。その正体は誰もが知る有名人であるとか、学会を追われた天才科学者であるとか、最強のエースとなるべく幼少期から特殊訓練を受け育てられたのだとか、それからもちろん――人間ではないのではないか、という説も。


「個人的には、美少女説を推してます」

「年齢」

「夢のないことを言わないで下さい!」

「そこはもう少し現実的に、大人の女性とかでいいんじゃないですか。何ていうかこう、電車で本とか読んでそうな感じの、眼鏡で三つ編みの」

「意外と良い趣味してますね」

「違います。趣味とかじゃないです」

「ちなみに、大人の女性がタイプなら今ここに候補が一人。私も今や二十九。今年の誕生日が怖くて怖くて仕方ないですどうしよう」

「その手のエースは」


 全力で無視することにして、話を変える。


「『あいつ』だけで十分でしょう」

「うん? そう言えば、貴方のことが大好き過ぎるあのお嬢様は?」


 と、真澄は不思議そうに首を捻って告げる。


「君が心身ともに弱っている今このときこそが、絶好のチャンスなのでは」

「あいつ、アレでちゃんと空気読みますよ」

「その言い方じゃ、私が空気読めないみたいじゃないですか」


 そう言っているつもりなのだが、と思ったがもちろん口には出さないでおく。物書きというのは空気なんて無視してなんぼなのかもしれない、と思うことにする。


「ねえ。クロアくん」


 と、不意にこちらへと詰め寄るようにして、真澄が聞いてくる。


「本当に――エースを辞めるんですか?」

「ええ」

「君は最高峰のエースです――いずれは『ブルー・スコープ』だって倒せるかも」

「ただの凡人ですが」

「ランク戦準決勝まで進んだエースがよくそんなことを――あの『ブルー・スコープ』を相手にドッグファイトで競り勝てるエースが他にどれだけいますか?」

「あれはただの奇襲です」

「奇襲?」

「いつもより燃料カートリッジの搭載数を、その」


 相手の表情を一瞬だけ窺ってから、続ける。


「増やして、機体を重くしたんです」

「……」


 じっ、と。

 不思議そうな顔でこちらを見る真澄。

 その視線に対して、さてどんな表情を返すのがスマートかと思ったが――結局、ため息を一つ吐いて誤魔化す。


「――真澄さんにはちゃんと言ったじゃないですか。事前インタビューで」

「ああ、はい。そうでしたね……え、本当にやったんですか? あれ?」

「……まあ、試合前にばらしたりされなかったんで助かりましたけど」

「そんなことしません! もっと私を信用して下さい! おねーさん悲しいです!」

「……すみませんでした」


 無茶言うな、と言いそうになったのは我慢した。


「まあ、それもトリプル・スラスト一つでひっくり返されましたけど」

「でも」


 と、真澄が言う。


「次にやったら、分からないですよね」

「次なんてないですし、そもそも買いかぶりですよ」

「そんな嫌味な謙遜はもっと大人になってからしなさい――」


 まったく、と真澄は続ける。

 ぽん、と。

 クロアの頭に片手を載せて。


「――こんな可愛い顔した子供の癖に」

「ちょっと待ってください」


 その評価には承服しかねたので、相手の手を丁重に跳ね除けつつ反論しておく。


「俺、今年は十八ですよ。大人です」

「今はまだ十七でしょう。子供です」

「あと可愛くもないです」

「男の子はちょっと捻くれているくらいが一番可愛いんです。ぶっちゃけクロアくん私のストライクゾーンど真ん中です」

「前に結婚するなら年上の男性って言ってませんでしたか」

「それはそれ、これはこれ、という奴で」

「それってつまり男なら誰でもいいってことじゃ……」

「違いますなんてこと言うんです! 結婚相手と愛でる相手って全然違うんです!」

「ああ……そうですか」

「あ、でも、君が何故かいつも着てるそのぼろぼろの革ジャンは本当にいい加減どうにかした方がいいですよ。はっきり言って、全然似合ってないです」

「それは自覚してますが」


 反射的に、先程から黙り込んでいるシロネに視線を向けそうになりながら言う。


「いろいろと思い入れが……それに、物は大事にしろって育てられてましてね」

「では、その絶妙に浮いてる感のあるブーツも」

「これは好きで履いてるんです。誰にも文句は言わせない」

「あ……そーですか」


 と、真澄はこちらに目を合わせずに頷いた。

 それからため息を吐いて、そして告げる。


「君には、個人的に期待していたんですが」

「そりゃあ……すみませんね。期待に応えられなかったみたいで」

「いえ」


 と、真澄は笑って手を振る。


「これは、私のワガママですから」

「……ですか」

「では、さようならクロアくん――」


 そう言って頭を一つ下げ、片目を瞑ってこう告げる。


「――もう『こんなトコ』に戻ったりしきちゃ、ダメですよ?」


 それだけ言って去っていく真澄の後ろ姿を見ながら、ぽつん、と呟く。


「……戻れやしないですよ」


 と、そこでいきなり、くるり、と真澄が振り返り、つかつかつか、と戻ってきた。

 え、何々、と思っていると、真澄が聞いてくる。


「そう言えば、最後に聞きたかったんですけれど」

「えーと……何です?」

「あれって本当なんですか?」

「あれ?」

「幽霊が見えるって」

「…………」


 クロアはしばらく黙ってから、言う。


「見えるわけないじゃないですか」

「そうですか。残念です」


 では、と再び去っていく真澄を見送ってから。


『面白い人だったねー。真澄さん』


 と、そこでようやくシロネが口を開く。


『何だかんだ言って、意外とちょっとタイプだったり? 年上好きだよねクロア』

「しねえよ」

『じゃ。やっぱあのお嬢様かー』

「黙れ――なあ、シロネ」

『……クロア?』


 ふと心配そうになるシロネの顔を見て、クロアは告げる。


「――ごめん。俺のせいだ」

『……やだな、何いきなり謝ってるのさ?』

「俺が、負けたせいだ」

『バカだな。お姉ちゃんそんなことで怒ったりしないよ』


 へにゃ、と笑う少女は、いつもと変わらない。

 いつも通りに変わらず、白い髪。

 いつも通りに変わらず、継ぎ接ぎだらけの服。

 そして、いつも通りに、少女には足がなかった。

 膝から少し下のところ。そこで宙に溶けるようにして消えている。


『だからさ』


 彼女が言う。

 彼の姉が言う。

 八年前からずっとそのまま変わらない、少女が言う。


『だから……大丈夫だよ。クロア』


 それでも、クロアはもう一度言った。


「――ごめん」


 それから、後ろのコンテナに描かれた文字を思った。

 あるいは、真澄に言われた言葉のことを。

 クロアは思う。

 戦場から棄てられたのは――これで二度目だな、と。

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