第3話 些細な違和感

 高校に辿り着いた頃には、朝のホームルームが始まる寸前だった。計算通りである。


 しかし、いつもはこの時間には教壇に立っているはずの私たち二年C組の担任・月島つきしますぐる先生がまだ姿を見せていない。


 チャイムが鳴って、クラスのみんなはまだ騒いだままだ。


「つっきー遅くない?」


 隣の席で、さつきがスマホをいじりながらそう言った。


 ちょうどそのタイミングで、廊下の外からバタバタと足音がして、教室のドアが勢いよく開いた。月島先生だ。


 この学校の先生たちの中では若い方で、背も高くスラッとしていて、女子からはそれなりに人気がある。左手薬指の指輪もまた〝そそる〟のだと、私のまわりのデンジャラスな女子たちが話しているのを聞いたことがある。……こわっ。



 月島先生がやって来ても、そう簡単に静かになるわけではない。


 ここで、月島先生はいつも広告を発動する。政府系のお堅いやつ──啓蒙広告というやつである。


 いつもなら騒がせるだけ騒がせておいて、月島先生がこう口を開く。


「みんなが静かになるまで、二分かかりました」


 時間の長さはいつも違う。昨日は二分だった。そして、こう続ける。


「世界では、五秒に一人が飢餓で亡くなっています。命の重さをよく考えよう」


 国際飢餓阻止プログラムIHSPの広告だ。



 しかし、今日は違っていた。


「はい、みんな静かにしろ~!」


 広告を発動しないのだ。毎日のようにやっていたのに、なぜ? おかしいよね? とさつきに同意を求めても意味がないことは分かっている。だって、そんな広告を食らっている意識なんてないのだから。



 どうして月島先生はルーティンと言ってもいい広告を発動しなかったのだろうか? いや、発動できなかった?


 月島先生の契約が切れたから?


 私はその真相を探ることにした。



 次の授業が始まるまでの間、私はブレザーの胸ポケットからペンを取り出して、ノートに分かっていることをまとめた。


 広告の契約も、いずれ満了を迎える。多くの人はそうなる。


 しかし、何か問題を起こせば契約解除に加えて違約金が発生する。その問題によっては、広告管理法という法律に抵触し、大きな広告犯罪に繋がっていたというのもニュースで報道されている。


 月島先生に何かあったのでは、というのが私の考えだ。理由はいくつかある。


①ホームルームの時間に間に合わなかった

②いつもはきちんとアイロンがけされているシャツが今日はしわくちゃ

③心なしか、少し顔がやつれているように見える


 些細なことだが、こういう変化は見過ごせない。


 私は、さつきとは反対側の席に座る学級委員長・佐々木ささき萌菜もなに尋ねた。


「もなちゃん、なんか月島先生、ちょっとやつれてなかった?」


「そう?」


 萌菜は小首を傾げた。綺麗な黒髪が揺れる。美人で優等生、性格もいいという非の打ち所のない彼女は、もちろん、クラスの、いや、学校の男子の憧れの的でもある。ホントかわいい。


「何かあったのかな?」


「う~ん、昨日のPTA会議が長引いたんじゃないかな? ずいぶん遅くまで残ってたみたいだよ」


「へえ、もなちゃんよく知ってるね」


「それはね──」


 萌菜はおもむろにスマホを取り出した。……いきなり広告を繰り出してきたみたいだ。


「辞書アプリ【アレクサンドリア】なら、知りたいことがすぐ分かるからよ」


「へーそうなんだ、すごいすごい。ありがとありがと」


 情報収集をさっさと終わらせたい私だが、萌菜は無表情のまま先を続ける。


 萌菜を止めることはできない。広告管理法という法律では、他人の発動した広告を止めることは犯罪なのだ。


「それに、音声検索だけでなく、カメラで撮影した写真や動画からも検索ができるの」


「へーすごい。もう大丈夫、ありがと。で、月島先生のことなんだけどさ……」


「昨日、お母さんが月島先生と次期PTA役員のことについて話し合っていたみたい。月島先生も会議に参加してたらしいけど、色々大変なんだって」


 萌菜のお母さんは今期のPTA会長だ。


 ──急にCM終わって会話に復帰されるのめちゃ怖いんだけど。萌菜はいつもこうなんだよな。萌菜だからそのかわいさで許されてるところがあるよね。



 萌菜にお礼を言って、ノートに向き直る。


 月島先生の国際飢餓阻止プログラムIHSPの広告契約は昨日から今日にかけてのタイミングで切れた?


 日本広告機構JAAは広告を監視するシステムを持っていて、何か問題があれば、すぐに対応が始まる。昨日判明した何かがきっかけですぐに広告契約が解除されるということも不思議ではない。


 何かあったのかもしれない。それを突き止めなければ。


 PTAの会議が長引いたからと言って、やつれるだろうか? シャツがしわくちゃだったのは、会議とは関係ないはず。


 いつもきちんとしていたのに、このタイミングでシャツにアイロンがけをしなかった理由は何?


「真尋ちゃん、勉強してるの? えらいね」


 萌菜がノートに向き合う私を称賛してくれる。萌菜は面倒見もいい。きっと、お母さんからいい影響を受けているのだろう。


 ──え、待って。やばいかも。


 私の脳裏に訪れた閃きが、信じたくない真相を語り始めた。

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