第2話 広告世界の楽しみ方

 通学路の途中にバス停がある。ちょうど停まっていたバスが走り出すところだ。


 バスを利用しない私は何気なくその様子を見送ってバス停を通り過ぎようとしたが、背後から慌てたような足音が聞こえて、思わず立ち止まった。


 見ると、寝癖だらけでシャツもスーツのズボンに押し込めきれていないような格好のサラリーマンがゼエゼエと息を切らしている。


 寝坊したという状況を表すにしては、ベタもベタだ。はっきり言って、私はこの時点で広告を疑っている。もちろん、広告にもデザイナーがいる。そのデザイナーはテンプレ演出が好きなのかもしれない。


「ま、待ってくれ~~!!」


 だが、バスは行ってしまう。


 ──この人、なんのCMやってんだろうな?



 この世界での私の楽しみ①


 広告を発動している空気マックスの人が、一体何の広告を展開しているのかを推理すること。



 このサラリーマンは寝坊してバスに乗り遅れた。それは明白だ。明白すぎるから広告の導入に違いないというのが私の考え。


 寝坊したということは、時間通りにならない何かがあったということ。しかも、それはスーツに着替える前に起こっている。──目覚めるのが遅かったのだ。


 ここから先は想像するしかない。


 昨夜、寝るのが遅くなるほど面白いスマホゲームがあった?

 寝具や睡眠環境が悪く、寝つきが悪かった……寝具の広告?

 睡眠の質が悪く、ベッドに入ってからも眠ることができなかった……睡眠の質を改善する食品の広告?


 だいたいの広告は、ミスや失敗、悩みが先にあって、それを解決するための商品やサービスがおすすめされる構成だ。



 私が想像を巡らせていると、突然、空から巨大なスマホが降ってきた。


 ドーンと音を立てて、サラリーマンのそばにスマホが立っている。これにはさすがに周囲の視線が集中した。……まわりの注意を引きつける広告も、もちろんある。


『間に合います』


 そのスマホに文字が表示される。


『ココットウルトラセール、10月17日まで』


 ──変化球で来たか……!


【ココット】は国内最大級のオンラインショッピングサイトだ。確かに、ウルトラセールのCMをテレビで観た記憶がある。



 テレビやネット、ラジオや雑誌などの広告で起こっていることは、必ずこの世界のどこかで実際に進行していることだ。それがこの世界の広告なのである。



 それはそうと、私くらいになると、こちらの想定を超えてくる変化球の広告に出くわすと、自然とテンションが上がってしまう。広告狂アドマニアとでも自称した方がいいだろうか?




真尋まひろ~、なに突っ立ってんの?」


 後ろから来た女子が私の肩に手を回してくる。フレンドリーすぎて若干距離が近い私の友人・多賀たがさつきだ。


「ううん、なんでもない。ちょっと考えごとしてただけ」


 もちろん、私が広告をおかしいと思っていることは、さつきにも話していない。


「また自分の世界に入り込んでたの? 歩いてる時は危ないからやめなさいって言ったでしょ」


「そんな歩きスマホみたいに言わないで」


 さつきが私の胸元をじっと見ている。自慢できない身体をジロジロ見られるのはくすぐったいものだ。


「なにジロジロ見てんの、さっちゅ?」


 制服のブレザーの胸ポケットに手を伸ばして、さつきがピンク色のペンを抜き取った。


「ペン差したままだよ」


「あ、昨日使ってそのままだった」


「昨日って言えば、お母さんがPTAの役員に選ばれそうになって、死ぬ気で別の人を推薦したって言ってたよ」


「そんなに嫌なんだ……」


 さつきからペンを受け取って、またブレザーの胸ポケットに差し込む。


「そういえば、真尋、なんか日記書いてるとか言ってたよね? 意識高え~」


「そんなんじゃないよ」




「それにしても身体が重いよ……」


 さつきが溜め息をつく。同じ辛さを経験する私にはピンときた。そして、これこそが広告発動のトリガーだ。


 実は、私にもいくつか契約を結んでいる広告があるのだ。


 私は咳払いする。


 広告発動の瞬間はちょっと緊張するものだ。みんなと違って、私には広告がおかしいという認識がある。私のトリガーで発動した広告にまわりの人が乗って来ないんじゃないかという不安はいつでも少なからずある。


「それ、月経前症候群PMSじゃない?」


「PMSぅ?」


 さつきは首を傾げるが、このやりとりは何百回とやっている。


「生理中だけじゃなくても辛いこと、あるよね。……はい、【ハピルナ プレミアム】」


 私の手の中には、いつの間にか【ハピルナ プレミアム】の箱が出現している。私も自分がどうやったのか分からないが、広告を発動すればこういうことができるのだ。えっへん。


【ハピルナ プレミアム】は中高生向けの比較的やさしい成分の入った生理痛薬だ。


 さつきは錠剤を飲んでもいないのに、風に包まれて目を丸くする。いや、飲んでくれよとは思うが、CMってそんなものだ。


 両手を広げてくるくる回っちゃったりして……。そんなさつきと一緒に、私たちはどこかの広い草原に転移していた。


 柔らかい太陽の日差しと風。しかも、私たちは純白のワンピースに身を包んでお互いに手を取り合って回る。我ながら、女子ってそんな綺麗なもんじゃないよと思いつつも、これも商品イメージのために笑顔を振り撒く。


 通学路に戻ったさつきは、すっかり気分が良くなったようで、私にうなずいて歩き出した。このうなずきがいつもよく分からないのだが、まあ、薬が効いたんだろうと解釈している。


 このCMが終わっても、気分が良くなったさつきはそのままだ。原状復帰の原則が適用されない例外というわけだ。非常に便利である。




 症状が改善したさつきは笑顔が多めで、足取りもなにやら軽い。これは、彼女に何かいいことがあったサインだ。いつもそうだった。


「何かいいことあった?」


 私が尋ねると、さつきはニヤニヤと頬を綻ばせる。


「なんだと思う?」


 このニヤつき具合は、十中八九、新しい広告の契約が決まったに違いない。さつきは分かりやすすぎる。そこがかわいいのだけれど。


「新しい広告の契約?」


「え、なんで分かったの?!」



 この世界での私の楽しみ②


 身の回りの人が何の広告と契約を結んだのかを推理すること。



 高校生が結ぶような契約は、幅広いわけではない。お酒など年齢的に契約できないものもあるし、基本的に商品やサービスのターゲット層と同世代が契約を結ぶものだ。


「当てさせて。それは、食べ物に関するものですか?」


 さつきがニコリとする。このクイズは私たちの間のお約束みたいなものだからだ。


「はい」


 いきなり選択肢を絞ることができた。


「その食べ物は、朝昼晩でいうと、いつ食べる物ですか?」


「まあ、朝かな」


「今朝も食べてきた?」


「うん」


 さつきの契約を言い当てるには、まだ絞り込む必要があった。



 考えながら通学路を進む私たちは、交差点に差し掛かる。いつも私の左側にいるさつきが、その時になって私の右側にわざわざ移動して信号待ちをし始めた。


 周囲を観察する。広告契約を結んでいるということは、ライバル商品を抱えるということでもあるのだ。いわゆる、競合ってやつだ。



 この世界での私の楽しみ③


 広告契約を結んでいる人の競合商品やサービスを見つけること。そして、わざと競合について触れてみること。



 私の左後ろに、自動販売機が立っている。その自販機には【アズマ】のロゴがでかでかと載っている。有名な総合食品メーカーだ。


 私は一つ、意地悪な質問を思いついた。


「さっちゅって、バスケ部じゃん? 先週も練習試合があったって言ってたよね。どこでやったんだっけ?」


虹ヶ丘にじがおか総合体育館」


「え? アズマスポーツセンターじゃなくて?」


「いや、虹ヶ丘総合体育館だよ」


 さつきは頑なだ。


 実はどちらも同じ施設のことだ。


 虹ヶ丘総合体育館は、私たちの学校から自転車で二十分ほど行ったところにある運動施設で、スポーツにも力を入れているアズマが命名権ネーミングライツを持っているのだ。その名もアズマスポーツセンター。


 さつきは競合企業の名前を言うことができず、頑なに「虹ヶ丘総合体育館」と言っているのだ。かわいい奴である。



 競合に対する反応は人によってまるで違うので、ちょっかいをかけると面白いのだ。


「うりうり~」


 さつきを私の左側に立たせようとするが、さつきは頑として動かない。これはつまり、アズマがさつきの競合企業だということ。だから、アズマの自販機になるべく近づかないようにしているのだ。


 しかし、あまり悪ふざけをしていると、広告管理法という法律に抵触してしまう。だから、私の楽しみはほとんど綱渡りみたいなものだ。


 私は大人しくさつきを右側に立たせてやった。



 結局、選択肢を絞り込むことができず、私は降参した。


 さつきはシラユキフーズの【朝ごよみ】というフリーズドライスープの広告契約を結んだのだそうだ。朝食に家族みんなで飲んであったまるCMだ。



 喜ばしいことだ。私はニコリと笑って、


「おめでとう」


 と言った。

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