37.ゴミ捨てに行く男たち
「困ったことになってるね」
「すみません……」
翌日、蓮は瀬川に学内のカフェテリアに呼び出された。昼食時ではないため、学生がまばらにいる程度ですいているのが幸いだ。
「ああ、そうじゃなくて、青山くんが困ったことになってるねってこと。怪我はどう?」
「あ、えーと、骨折してるわけでもないのですぐに治ると思います」
「それならよかった」
呼び出されたというだけで緊張してしまっていた蓮だったが、瀬川のほっとした表情を見て口元がゆるんだ。
「普通は教務課から掲示板で名指し呼び出しされるんだけど、これ以上きみの名前晒すのもよくないってことで、僕もきみと話したかったからここに来てもらったんだ。まず事務的なことだけど、病院受診したら診断書取って持ってきてほしいって」
「あ、今あります」
蓮が差し出した診断書を、「用意がいいなぁ」と笑って瀬川が受け取る。
「あと、青山くんはお咎めなしだけど、事実確認とかで時間取ってもらうかもって」
「はい」
「それと、優勝おめでとうございます、だって」
「は、はい」
苦笑いする蓮を見て、瀬川は自身のシャツに包まれた右肩を触った。
「痛かっただろ? 本当に大丈夫?」
「右手使ったりするとまだちょっと痛いんですけど、何とかなってるので大丈夫です」
蓮の返答に、瀬川は目を伏せて小さくため息をつく。
「僕が学生同士のコミュニケーションにあまり関知してなかったのも悪かったんだ……申し訳なかった」
「瀬川先生のせいじゃありませんよ。……あの、山下さんはどうなるんですか?」
「青山くん、警察に被害届出した?」
「いえ、出してません。出すつもりはないです」
「そうか。彼の処分はまだ決まってないけど、普通なら停学だね。警察沙汰にはならなくても、暴力振るったんだから。しかも学内で」
瀬川は汗を拭きながらお茶を飲んでいる。蓮もお茶を一口飲むと、静かに切り出した。
「……僕がよけいなことを言ったのもいけなかったんです」
「それね、その前に暴言吐かれてるから問題ないって、教務課が」
「え、そういう……? でもそれだと遺恨が残るというか……、とにかく停学って厳しすぎる気がします。停学イコール留年ですよね?」
「……うん……」
「うーん……僕の治療費支払いはしてもらうとして……あと、半年間毎日ゼミ室の片付けと掃除をすることで手打ちなんてどうでしょうか。だめ、ですかね……」
「ああ、そういうのいいなぁ。被害者がそう望んでるって言ったら許可もらえるかもしれないなぁ」
蓮が適当に考えた処罰の内容に、瀬川が乗ってきた。穏やかな性格の瀬川は、いくら問題を起こしたとはいえ、あまり学生に厳しくしたくはないようだ。そんな瀬川に、蓮は頼み事をすることにした。
「大丈夫そうなら、僕の希望ってことで伝えておいてください。あと一つ、お願いが……」
**********
「おい山下、ここの片付け忘れてるぞ」
「うっせ、そこは優先順位低いんだよ」
「山下くん、心理言語学の本どこに片付けたの?」
「日本語のか? それならキャビネットの右下だぞ」
国際スピーチコンテスト開催日から二週間ほど経った。蓮の怪我はすっかり治り、元の生活に戻った。――一部を除いて。
「山下さん、今度そのキャビネットに分類票貼りましょう。ちょっとわかりにくいですよね、そこ。僕手伝うので」
「青山、おまえ、またいい子ちゃんなこと言いやがって……。今度な、今度。んじゃゴミ捨て行くから手伝え」
瀬川は、蓮が提案した山下への処分内容をそのまま教務課に伝えたらしい。教務課もあまり大げさな処分を考えてはいなかったとのことで、それが通ってしまった。山下は多少異を唱えていたようだが、停学になるよりはずっとましだと、その処分を受け入れた。かくして、ゼミ内雑用係・山下が誕生したわけである。
「はい……あ、ちょっと待って」
「おーい、早くしろよ、俺も色々と忙しいんだよ」
蓮は慌ててキャップと伊達メガネを装着すると、山下の元へ駆け寄った。
「変装完了したか? ほら、行くぞ」
「はい」
白井とさくらの予想通り、蓮はキャップと伊達メガネが必要になった。大学内で有名になってしまい、変に注目を浴びるようになったのだ。離れたところから指を差してひそひそ何か話す女子学生や、黙って上から下までじろじろと眺めてくる男子学生もいて非常に鬱陶しい。学外に出ればそうでもないのだが、以前から帰りによく寄っていたスーパーの社員から「動画見たよ!」と大きな声で言われたことがあり、通学中もキャップと伊達メガネが手放せなくなっている。
「おまえも大変だな」
「そうなんですよ、めんどくさくて。もう動画も削除されてるのに」
蓮と山下は以前よりずっと仲良くなった。主に蓮が山下にくっついて回り、山下が「しょうがねえな」と一学年下の蓮の面倒を見ているような状況だ。あの時瀬川に、自分と山下を一緒に叱ってほしいと頼んだのは正解だったと蓮は思っている。同じ場で同じ体験をすることによって、仲が悪い同士でも多少の連帯感が生まれるかもしれないという考えからだ。
「何でおまえまで怒られるんだよ」「煽っちゃったからですよ」「動画のコメントはおまえの味方ばかりだったろ」「ああいうの気にするんですか?」「別にしねえけど」「僕もです」。これが、叱られた直後に二人がした会話だった。蓮はこの時、山下と会話のキャッチボールが続いたことがうれしかった。
「まあしばらくはしょうがねえよ。うちのゼミだっておまえが入ってきた時、色めきだってたしな」
「……へぇ……?」
「何だその反応。信じてないのか?」
「だって、色めきだつって、アイドルに対して『キャー!』ってなるアレですよね? そんなことなかったじゃないですか」
「『キャー!』だけじゃなくて『どよどよ』とか『ざわざわ』でもいいんだよ、色めきだつってのは。って、何でゴミ袋持って授業してんだ、俺」
「山下さんはおもしろいなぁ」
「おまえのせいだろ、おまえの」
「またそうやってすぐ人のせいにする……この間だって僕が積んでおいた本崩したの山下さんなのに、本で瀬川先生のシュークリームが潰れたら僕のせいにして……ひどい……」
「いやあれは、その、悪かったって……。あのあとおまえにもシュークリーム買ってやったろ?」
山下の隣を歩きながら蓮がわざとしょんぼりしてみせると、山下は慌てて謝ってきた。
「あのシュークリームおいしかったです。また食べたいなぁ」
「また買えってのかよ。むしろ俺が買ってもらいたいくらいだわ。ナツミちゃんおまえのことばっか見てるし」
「……へぇ……?」
「あのなぁ……そういうとこだぞ。ほら、それよこせ」
山下は体が大きく、肩や腕も太い。蓮から受け取ったゴミ袋を軽々と指定収集場所に投げ入れる様は見ていて気持ちいいくらいだと、蓮はじっとその場面を見つめた。
「……もし殴り合いになってたら、勝てなかったな」
「ずっと殴り合いならそうだろうけど」
ゴミ袋を全部投げ入れると山下は下向き加減で後頭部をさすってから、蓮の方を向いた。
「おまえなら、一発殴られたとしても最初から最後まで頭脳戦でいくだろ」
「そうですね、それしか取り柄がないので。あ、またチェスしましょう。次こそは勝ちますよ」
「練習の研究論文書き終わったらな」
「えー……じゃあ早く仕上げます」
「おう、がんばれよ。さ、戻るぞ」
山下の言葉を合図に蓮が踵を返すと、夕日が空を染めていた。久し振りに見るその茜色はとても美しく、前を歩く彼のシルエットをくっきりと映し出している。
「待ってくださいよ」
「早く来ねえとシュークリーム買ってやんねえぞ」
「え、また買ってくれるんですか? やった!」
「論文しっかり書かせるためのエサだ。さっさと来い、今なら誰もいねえから」
優しさを隠すように、山下は粗暴な話し方をする。
「はい」
蓮はそんな彼の言葉に、明るく返事をして走り出した。
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