32.決断する男


 デパートのレストランに入り食事を注文すると、蓮は先日教授から話があった早期卒業の件について白井に詳しく話した。


「蓮が早く卒業したら僕もうれしいし、いいことずくめだな」


「でも忙しくなるから、バイトあまり行けなくなるかも……」


「ああ、そうか……」


 白井の反応は概ね良いものだったが、やはり蓮が忙しくなるということには難色を示された。


「学費のこととか色々メリットはあってさくらは賛成してくれてますが、実はまだ決めきれてないんです。詳しくは夏休み明けになるので、もし何か決まったらまた相談します。すみません」


「わかった。ありがとう、先に話してくれて」


 蓮が謝ると、白井が目元に柔和な笑みを浮かべた。ここはデパート上階のレストランで客層が比較的落ち着いているが、女性が多いスイーツ店などでは白井を見て頬を染める女性たちが見られるのだろうかと思うと、その光景を見てみたいという好奇心が湧いてくる。


「いえいえ。ところで白井さん、流行りのスイーツのお店とか行ったことあります?」


「うーん、流行りのスイーツ……は、ないかも。流行りのお店だったら食事できる方がいいな」


「もし女性が多いお店に行くなら、さくらとじゃなくて別の人と行きましょう。できれば僕と」


 さくらとデートする場面でも想像したのか、表情がへらへら笑いに変化した残念な白井をちらりと見て、蓮は青山家の平穏のために提案した。


「え、いいけど何で?」


「白井さんを見て周囲の女性たちが頬を染めるところを僕が一度見てみたいからです。でももしさくらが見たら、氷点下まで気温下げそうで怖いので」


「そんなことにはならないと思うけど……その歯に衣着せぬ素直すぎる言い方、僕はけっこう好きだよ……」


「そうですか、ありがとうございます」


 ここで一旦会話が止まり、二人は食事に集中した。ランチコースのメインディッシュを食べ終わると、蓮が会話を再開させる。


「あ、そうそう、九月にスピーチコンテストに出るんですよ」


「蓮はコンテスト荒らしだったのか……」


「まだ二回目なんですが。一年に一回程度で荒らし扱いされるとは。まあとにかく、また優勝を狙おうかと」


「他の出場者に悪いとは思わないのか……」


「ギフト的能力があるとはいえ僕より優れたスピーチをすることができない人たちに悪いと思う必要が? 選択するテーマや話す内容は能力関係ないし。……あー、なかなか話が進まない……で、そこで優勝して、更に語学の検定試験の級を上げればまた単位もらえるらしいのでお得なんです。まあ、前回より難易度が高い国際スピーチコンテストなので、自信はないんですけどね」


 混ぜ返す白井が少々鬱陶しくなり強引に話を進める蓮に向かって、白井が出し抜けに声を上げた。


「そうだ、蓮のスーツ作りに行こう」


「えっ、僕スーツ持ってますよ。安いのだけど。大学の入学式で着たので」


「もっとこう、戦闘用のにしよう。これでも金沢でのことは反省してるんだよ、蓮のスーツを用意しておけばよかったって。戦闘力上がるし」


「戦闘力って……。もし金沢で着てたら何か変わってたと思いますか?」


「相手によるから……倉田さん相手だと、変わらないかな……」


 蓮は運ばれてきたデザートを食べたいのだが、白井がスーツの話を押し進めようとしていて、なかなか口に入れられない。


「それじゃ意味ないじゃないですか。というかその戦闘用とか戦闘力とかやめましょうよ、何か武器隠してそうだし。ほら、デザート食べますよ」


 自分のセリフで、蓮は白井家の家政婦さんを思い浮かべた。忍びの者はスカートの下に暗器を隠しているのかもしれないなどと妄想が浮かんでくる。そんなことを思いながらデザートを食べ終えて白井の顔を見ると、白井は悪どい顔つきで蓮を見ていた。


「な、何ですか」


 蓮が怯えても白井は意に介さず、スマートフォンを左手に持つ。


「ちょっと外商に話つければ、これからでも……」


「そんなお金ありません」


「僕が出すから問題ない」


「いやいや、さすがにそれは悪いですって」


「経営者が優秀な青年を社員として迎えるため先行投資するのに悪いと思う必要が?」


「……その高性能な頭脳の無駄すぎる使い方、僕はけっこう好きですよ……あーもう……わかりましたよ、でも外商はやめてください」


 蓮が眉間にしわを寄せながら嫌々了承すると、白井がにっこり微笑んだ。その日一番の、きれいな微笑み方だった。



**********



 二越の外商は身の丈に合わなすぎるからやめてくれと懇願し、何とかハイブランド店で勘弁してもらえることになった。勘弁って何だ勘弁って、と蓮は多少の憤りを感じたが、スポンサーである白井には逆らえない。


 比較的若者向けのものを多く取り扱う店で店員のアドバイスを元に生地などを選び、納期が早いイージーオーダーを利用することになった。靴やワイシャツ、ネクタイなどの小物も購入したため、それらはブランドロゴ入りの紙袋に入れて渡される。店員から紙袋を受け取った手にかかるその重みが、近い将来の自分に降りかかる重圧のように感じられ、蓮は口を引き結んだ。


「イージーオーダーでも、作っておけばこれからきっと役に立つよ」


「……そうですね」


「あれ、元気なくなった?」


 口数が少なくなった自分を気遣う白井に何か返答したいと思うのだが、蓮の口からは何も言葉が出てこない。白井は「疲れたよな、もう帰ろうか」と優しく言い、駐車場へと歩きながら話し始めた。


「大学生の時は、僕も忙しかったな。授業を受けて、課題をやって、車の免許を取りに行って、何故か親の会社に顔を出して、休みの日はゴルフに連れて行かれて、海外留学生との交流なんかもあって。蓮みたいに早期卒業は考えてなかったけど、別の大学への編入はちょっと考えたりもしてた。遊ぶ暇なんかなかったから、つまらない日々だなと思ってたんだよね」


 白井さんが過去のことを話すのは珍しいな、などと思いながら、蓮は伏し目がちにぼんやりと聞く。


「でも今となっては、その経験をしておいてよかった、無駄ではなかったと感じるよ」


「……無駄になるかもとは、思わなかったんですか?」


「当時は思ってたよ。こんなことして何になるんだろうとかね。ただの青二才なのに、何でだか強気だったな」


 白井の話を聞きながら、蓮は金沢でのことを思い出していた。あの時は、自分が世間知らずだということを痛感させられた。まだ学生の身分でただのバイトとはいえ、自身の至らなさによって苦々しい思いをしたことを決して忘れることはないだろうと、強く思う。


 白井が操作するピピッという車のドアが開く音が合図だったかのように、蓮は紙袋を持つ手に力を入れ、顔を上げた。


「決めました。忙しくても絶対にスピーチコンテストで優勝して、検定試験もパスして、早期卒業します」


 まっすぐ前を見据えた蓮を見て、白井が満足そうに目を細める。


「やっぱり戦闘服は必要だったな」

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