30.THE GAME


「倉田さんもこのカフェ使うんだなぁ。あ、工芸館に来た時に寄ったりするのかな」


 蓮が呑気に言う横で、白井が背筋を伸ばしてコーヒーを一口飲む。


「白井さん、あのレジの横に九谷焼のお土産品ありますよ」


「ああ、うん」


 白井はやはり臨戦態勢で、話しかけても生返事しかしない。蓮は白井が何と戦うつもりなのか尋ねる隙を窺っているが、なかなか機会が訪れないままだ。


「すみません、こちらがお呼び出ししたのにお待たせしてしまって」


「あ、おはようございます。大丈夫ですよ、僕たちもさっき来たところなので」


 大きな紙袋を持って現れた倉田を蓮が愛想よく迎えると、白井が口元に薄い微笑みを作りながら立ち上がった。


「初めまして、白井と申します。昨日さくじつは部下の青山がお世話になりました。私の不躾なお願いを聞いてくださるとおっしゃっていたとのことで、感謝いたしております」


 白井の態度に違和感を覚え、蓮は白井を見上げた。感謝していると言うわりには会釈一つせず胸を張っているのは何でだろうと不思議に思うが、そんなことを言い出せる空気ではない。


「ええと、初めまして、倉田と申します」


 倉田が面食らった表情で向かい側に座り、店員にコーヒーを注文した。白井も席に座り直したが、浅く腰掛けて足を組んでいるからか、非常に不遜な態度に見える。


「不躾なお願いとは思いませんでしたが、びっくりはしましたね」


 初対面の人物を明らかに牽制している白井に、倉田が軽く笑いながら対応する。蓮は、一体何が始まるのかとひやひやしながらも、ただ二人を見ているしかない。


「本日はたまたま私も同席できておりますが、どういったご用件で?」


「……昨日、青山さんに失礼なことをしてしまったので、お詫びをしたくて」


「え?」


 今度は蓮が面食らう番だった。


「失礼なことなんて別になかったと思いますが……」


「いえ、その、突然美穂の名前を出してしまったりして……びっくりしましたよね?」


「ああ、まあ、驚きはしましたが、失礼というほどのことでは」


 すまなそうに話す倉田に蓮が答える横で、白井は伏し目がちにコーヒーを飲んでいる。


「失礼なこと、と思う理由があるのでしょうか」


 そう言いながら白井がソーサーにカップを置く音さえも冷ややかな緊張をはらんでいるように思えて、蓮は寒気立った。


「し、白井さん、ちょっと……」


 さすがに看過できず蓮が白井を抑えようとするが、白井はどこ吹く風だ。


「いいんです、こちらが悪かったんですから。……理由、は、ちょっと一口では言いづらいんですが……」


 倉田は店員が置いたばかりのコーヒーを端に寄せて持ってきた紙袋をテーブルに置くと、中身を一つ出して梱包を解いた。


「これ……もしかして」


「ええ、メジロと梅の花の汁椀で、六客あります」


「青山から、新たに作るのに一ヶ月弱かかるとお聞きしておりますが」


 汁椀を目にした白井が眉をひそめ、低い声で尋ねた。そんな白井の態度を気にすることなく、倉田がゆっくりと説明を始める。


「これは、以前工房梅紫に置いていたものです。一年五ヶ月前、妹弟子の小野崎美穂が豪雨災害に遭い、行方不明になりました。私は彼女のことが好きだったため悲嘆に暮れました。当時は周囲も心配するほど表情がなくなっていたようです。彼女と同じ名前を耳にするのも嫌だった。彼女が気に入っていた、六客揃ったこの汁椀を見るのがつらくて、工芸館にも顔を出すことがなくなって……」


「……それを、今日こうしてお持ちになったのは……?」


 蓮がおそるおそる問いかけてみると、倉田が目を細めて柔らかく微笑んだ。


「昨日の夜、美穂が夢に出てきました。温かい光の中できれいな服を着ていて、ありがとう、楽しかった、って言ってたんです。目が覚めて、ああそうだった、楽しかったなと、すごく素直にそう思えました。きっと吹っ切れたんですね、気持ちも楽になりましたよ」


「すぐに譲っていただけるということでしょうか。こちらも一ヶ月弱ならお待ちしますので、彼女のことを吹っ切れたとはいえ、お手元から放すことはないと思いますが」


 そんな話を聞いても白井の鋭利な態度に変化はないが、やはり倉田は気にせず返答する。


「目が覚めてからこの汁椀のことを考えてみました。それで、これは楽しかった日々そのものではなく、その証左に過ぎないと改めて感じたんです。手元に置いておくより、ほしいと言ってくれる誰かにお譲りする方がいいと強く思って、昨日お断りしてしまったことを後悔しました。申し訳ありません」


「昨日は代理で僕がお店に行きましたが、本当は上司の白井がほしがってて……って、昨日も言いましたね。でも、本当にいいのでしょうか? 一ヶ月弱なら待てると白井は申しておりますが」


 「ほしいと言ってくれる誰か」として、倉田の目は白井の向こう側に別の人物を映しているように思える。本当はあまり言及するべき箇所ではないのだろうが、気になった蓮は意図的にそのことに触れてみた。


「自分でもおかしな話だとは思うんです。たかが都合のいい夢だろう、と。でもお譲りしたい気持ちは嘘ではありません。本当は夢など関係なく、昨日の時点でこうしていればよかったのですが」


 蓮が触れたことについて、倉田は何も言わなかった。蓮が白井に目で問いかけると白井がわずかにうなずいた。


「……そうですか。今のお話については一切を承知しましたが、昨日提示してくださった価格でよろしいでしょうか」


「本来は当日お持ち帰りされる場合は価格を上乗せしておりますが、今回は変更なしで問題ありません。振込口座も昨日の通りで」


 笑いを含む倉田の言にちぐはぐな印象を受けるが、具体的にどこが、というのがわからず、蓮は沈黙を通す。


「白井さんには、守るべきものが多そうですね。うらやましいな」


「欲張りなものでね」


 からかうように言う倉田に、白井が取り澄ました素振りで答える。


「また、来てください。金沢はいいところですよ」


「ええ。……このたびは、ありがとうございました」


 深々とお辞儀しながら感謝を述べる白井に、蓮は驚いた。あの尊大な態度は何だったのだろうと思いながら隣で一緒に頭を下げる。


 倉田が先に店を出たのだが、知らないうちに伝票を持って行かれ、気付いた時には飲み物の代金が支払われていた。あとで電話ででも礼を言うべきかと蓮が白井に尋ねると、白井は不要だと言う。


「正確に言うと『守るべきもの』ではないんだけどな……って、わからないか」


「はい。何だかわからないことばかりでした。お礼も不要なんて意味不明だし」


「わからないって、そういうんじゃないんだけどね。まあいいや」


 白井の囁きに反応し率直に感想を言う蓮の肩を、白井が笑ってぽんと叩く。


「蓮がすぐに『ほしいと言ってくれる誰か』に気付いてくれてよかった。あれは蓮がつっこんでおくべきところだったから。ちゃんと『一ヶ月弱待てる』って言ってくれたしね。大活躍だったな」


「いえ、活躍なんてできてないですよ。ただ、何だか、倉田さん裏事情わかってるような感じがあって……怖かったけど言っちゃいました。つっこみ返されなくてよかったです。たぶんわかってますね、白井さんじゃなくて別の人物が求めてるって。白井さんに使用目的聞いてなかったし」


「そうだな」


 こうして会話している中で、蓮は腹の探り合いとはこういうことなのかと気が付いた。それでも、白井の冷たい態度の理由がよくわからない。


「何であんなに偉そうな態度だったんですか?」


「彼が話していた境遇が本当なら僕も気の毒に思うけど、二人とも同調してたら仕事にならないからね。あと、実際に話してみるまでどんな用件かわからなかったから。理不尽なクレームをつけられる恐れもあるだろ。戦闘モードだと俯瞰で冷静に物事を見られるんだよ」


 いささか声のトーンを落として答える白井の言葉は、曖昧にだが、理解できるような気がして蓮はうなずいた。


「……侮れない人だったな。夢の話、本当だと思うか?」


「うーん……微妙なところ、でしょうか。でも異世界が関わってるしなぁ……ありえなくはない、ですよね」


 蓮が「異世界」だけ小さい声にして答えると、白井は少し迷ってから話し始めた。


「夢の話はただの後付けの嘘で、価格を上げるための保険だと思う」


「嘘かぁ……。だとしたら、何のために?」


「交渉からあえて一晩置いて、翌日に『やっぱり早く渡せます』と言う方が、相手が喜ぶだろ。一ヶ月弱が翌日になるなんて得だと相手に思わせられれば、のちの彼の利に繋がる。価格を更に上げても不自然ではない。蓮ならそれでほだされると思われた可能性が高いな。保険を使ったのに昨日と同じ価格で了承していたのは、『一ヶ月弱待てる』と複数回言われたうえに、最後に話をつけたのが偉そうな上司だったから」


「僕なら絆される、ありえますね……」 


「少なくとも彼は、完全に、僕たちがただの買付に来たと気付いていた。昨日蓮が思いがけず店を訪れたことに食いついたり依頼者の名前を出したりしたのは確かに、万に一つでも彼女の行方がわかればという一心だったのかもしれないが……」


 白井はそこで一旦言葉を切って何かを思案し、考えをまとめてから話を再開した。


「……いや、彼は依頼者を、言うほど慕ってはいなかったかもしれない。昨日、最初はどんな様子だった?」


「昨日……は、倉田さんが僕がいたファミレスに来てくれて、注文したあとにコーヒーを僕が取りに行ってあげて……、それから、時間をかけない方がいいと思ったので、すぐに汁椀を購入したいと伝えたんです。その直後に『ミホから頼まれましたか?』と言われて、心臓が飛び出るかと」


「ああ、なるほど。そこで蓮はくみし易いと踏んで、唐突に依頼者の名前を出したんだな。感情に訴える作戦に出たわけだ」


「つまり、僕は最初からなめられてた、と……。でもそれなら、依頼者を思い出してしまうから汁椀を倉庫に引っ込めたって言ってたのは?」


「汁椀を六客であの価格って、既に相当値が吊り上がっていると思う。工芸館での展示のみで、店では故意に品薄状態にしておいたんだろう。まだ若いのに有名になれたのは、そういう駆け引きがうまいからじゃないかな」


「……駆け引き……」


「彼の実年齢は知らないけど、蓮だけじゃなくて僕のことも若造だと高を括っていたと思う。だから平気で夢の話をし始めた。勝算のあるゲームという感覚でいたのだろう。さすがに腹が立ったが、もしこちらが怒りを現したりやる気のない態度になったりしたら、簡単にこの話を壊していたはずだ。彼が『行方不明の妹弟子をずっと慕っていることをわかってもらえずひどい態度を取られた被害者』を装えば世間の同情も買える。そうなるとこちらが加害者だ。だからあえて頭を下げて礼を言ってやったよ。蓮が前に、腹が立った時はそうしろと言ってたしな。コーヒー代を全部支払って行ったのは、些細なことでも勝者として振る舞うため、というところか」


 白井の話を聞き、いわゆる本当の取引というものに、蓮は衝撃を受けた。何も見えていなくて感情的になってしまった自分がとても恥ずかしく感じられると同時に、なめられていたことがわかっても、羞恥を覚えるだけで悔しさが湧いてこないことに愕然とする。


「すみません、何も役に立てなくて、それどころか迷惑をかけてしまって……」


「負けるが勝ちってこういうことを言うんだよ。大丈夫、迷惑なんかじゃない。蓮のおかげで今回の依頼は大成功だ。さて九谷焼見に行くか」


 白井はぱっと明るい表情に切り替え、レジ脇に陳列されている九谷焼の品物を見に行った。気を遣わせてしまっているのだろうかと蓮は考えたが、ここでまた謝ると堂々巡りになってしまうと思い、黙って後ろをついていく。


 蓮が買った箸置きと揃いの小皿を白井は選んだようだ。さくらが喜ぶだろうからこれから箸置きと小皿をセットで使うと蓮が宣言すると、喜んでいた。


「あ、白井さん、僕のせいで昨日デート切り上げて来ましたよね? それなら食べ物系も買わないと、たぶんさくら怒るので……」


「うっ……そう、なんだよ、切り上げて……そうか……怒る、のか……」


「……僕が、買って帰れば、いいので……駅で、売ってるから、大丈夫、です、きっと……」


 変にたどたどしい会話をしてから白井が蓮を見ると、蓮は真面目な表情で大きくうなずいた。白井も同じく、真面目な表情で大きくうなずいた。二人の心が通じ合った瞬間だった。


「早く駅に行かないと、新幹線に乗るまでに買えなくなるな」


 白井の言葉で慌ててカフェを出てタクシーをつかまえると、二人は駅に直行して金沢銘菓と駅弁を買い漁った。

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