28.慟哭
白井から金沢駅に到着したと連絡が入ったのは、予定通りの午後九時少し前だった。スマートフォンの通知音が聞こえてきて初めて自分が眠ってしまっていたことに気づいた蓮は、慌ててメッセージを開く。
「金沢駅に着いたよ。蓮くんが泊まってるホテルに電話して、部下の隣の部屋にしてほしいと伝えたらその通りにしてくれた。いいホテルだね」
「そうですか。もう夕飯は食べましたか?」
普段の蓮なら、隣の部屋どころかホテルが違っていても問題はないのでは? などと返信していただろうが、この時は特に触れずにメッセージを返した。
「昼食が遅かったから、まだ食べてない。蓮くんは?」
「僕もまだです」
「じゃあすぐに着くから、一緒に何か食べに行こう」
白井とメッセージのやり取りをしていると、蓮は白井家の家政婦さんの食事がとても恋しくなってしまった。結局あれからまだ会えていない。もう蓮の中では彼女は料理上手な忍びの者で、白井家の諜報担当という存在になりつつある。
そんなことをぼんやりと考えていたらドアチャイムが鳴った。ドアを開けると白井が、普通の値段の範囲内に見えるカジュアルなジャケットとパンツ姿で立っていた。
「白井さんも普通の格好ができるようになりましたね」
「うん、がんばったから」
柔らかく笑い、白井は蓮の肩に手を乗せる。
「蓮くんもよくがんばったね、ありがとう」
優しく労われ、一瞬だけ蓮の涙腺がゆるむ。手を乗せられたまま「そんなにがんばってないですよ。早く終わりそうでよかったです」などとかわいくない口を利いても、白井は何も言わなかった。
ホテルのフロントで紹介してもらった居酒屋に行くと、個室に通された。平日で客もまばらだからだろうか、何にしろラッキーだ。これで大きな声でなければ依頼について話すことができる。蓮は酒が得意ではなく、白井も今は酔うわけにはいかないと、二人で烏龍茶を飲むことにした。
注文した料理を食べながら蓮が今日の出来事を話すと、向かい側に座る白井は短くため息をついた。
「ごめんなさい、僕が……深入りするなと言われていたのに……」
「いや、僕が初手を間違えていたんだ。申し訳ない。蓮くんは僕の指示に従って依頼者のことは話さなかっただろ。それでよかったんだ。あとは商品が届くのを待って、あちらに引き渡すだけだからね。お疲れ様」
「……はい」
本当に白井の間違いだったのだろうかと蓮は考えるが、何となく言い出せる雰囲気ではなく、少しの間、箸を動かすだけの時が過ぎた。先に会話を再開したのは白井だった。
「何を気にしている?」
「……倉田さんに、依頼者のことを伝えたら……」
「だめだって、本当はわかってるんだろ?」
「……そう、ですね」
低い声で問う白井に、何を気にしているのか、何故まだ気持ちが重いままなのか、自分でもわからないまま蓮はぽつりぽつりと話し続ける。
「死んだわけではないのに、会えないんですよね」
「……転移だから、そういうことになるね」
「倉田さん、とてもいい人だったんです。でも僕は嘘ばかりついていました。買付の時は多少嘘をつくことがあるとはいえ、心苦しくて」
自分の言うことが支離滅裂になりつつあるのを感じながらも、蓮は話すのを止められず、箸を置いた。鼻の奥に感じるツンとした痛みが何を示すのか考えるのも面倒に思える。
「依頼者は死んでない、んですよ」
「うん」
「あの二人、想い合っていたんです、きっと。なのに……話もできないなんて……」
「……彼らはそれぞれ違う世界に住んでいるから、という理由では蓮くんは納得しないんだろうな」
少々冷たい響きの白井の声が、固く握った両手をテーブルに置いてうつむく蓮の耳に聞こえてきた。
「そもそも、”東方の島国”なんて嘘だらけだし、ちょっと嘘が増えたところで何の問題もないよ」
「え?」と蓮が顔を上げると、蓮に倣って箸を置いた白井が言葉を繋げる。
「異世界と一口に言っても様々な世界が無数にあるんだが、世界によっては本当に東の方に島国があって、その国独特の習慣やアイテムを誰かがほしがることもある。で、仲介商人が現地に赴くのが難しい場合はこちらに依頼をかけてきたりする。ただ、実際には、転移や転生した日本人が故郷のアイテムを求めて商人に依頼する場合が多い。本当は東の方に島国がなくてもね」
「そ、それは……」
「大きな嘘だよね。商人もわかってやってる。とにかく依頼者が求めるものを手に入れて売るのが目的だから」
「そう、かもしれないけど……」
「でも、それでいいんだよ。依頼者がほしいものを手に入れて、少しの間だけでも幸せな気分になれるのなら、それでいい。今治タオルのような実用的なものも、依頼者の助けになる。商人も儲かるし、難易度の高いアイテムを用意することができたと箔がつく」
「……ミホさんが、今回の依頼者が幸せな気分になれたら、もちろんうれしいです」
「うん」
「でもそれなら、倉田さんはどうなるんですか? 汁椀を作って売って、得られるものは代金だけですよね? この依頼を遂行すれば、ミホさんは倉田さんの生存確認ができるけど……ミホさん、結婚するって……倉田さんの気持ちはミホさんが行方不明になった時のままなのに!」
八つ当たりのような問いに白井が返答する間もなく、蓮は白井に噛み付いた。寂しそうに笑う倉田の姿が脳裏に浮かび、蓮の目から涙があふれる。
「大事な人が行方不明で、どこかで生きているのか、遺体が見つからないだけなのかわからない。そんな状況では、生きて見つかるかもしれないという一点に希望を持つしかないじゃないですか。その希望だって日が経つにつれてどんどん小さくなっていくんです」
「蓮くん、それは……」
生死不明な想い人を待つ倉田の心中を想像すると、激しく痛む心の深い部分がむき出しにされてしまう。白井がなだめようとするが、蓮はそれでも言葉を吐き出し続けた。
「何で、何でだめなんですか。死んでない、異世界で生きてるんです。そう知らせるだけならいいじゃないですか。ミホさんだって、あんなに倉田さんに関わることを覚えているのに……片方だけ幸せになっても意味なんてない」
「蓮くん、それは違う」
「何が違うんですか? 誰にだって幸せになる権利はあるでしょう」
「落ち着け」
「……そうだ、電話しよう……電話番号教えてもらってるし……夜遅いけど……」
「蓮くん」
頬を伝う涙を拭おうともせず、震える手でスマートフォンを操作しようとする蓮の隣に移動した白井が声をかけるが、蓮には届かない。
「あれ、メモが……どのポケットに入れ」
「蓮!!」
ボディバッグを乱暴に漁っていたところで名前を呼び捨てにされ、蓮が声の方を振り返ると、白井が両手で蓮の頬を挟み込んだ。
「思い上がるな。僕らにできることは限られているんだ」
頬に当たる温かな手に止められない涙を流しながら蓮がまっすぐ前を見ると、白井の目がそこにあった。涙で濡れる蓮の唇が震えて何かを言おうとするが、言葉にはならず空中へと消えていってしまう。
「大体の物語がそうであるように、ミホさんもきっと、突然全く知らない世界に飛ばされて苦労しながら今の仕事をするようになったんだろう。彼女はもう、元の世界には戻れないと悟っているはずだ。使用目的をなかなか明かさなかったことを考えると、依頼の汁椀はこの世界への全ての思いを断つきっかけとして求めているという可能性が高い。彼女が異世界でしてきた努力や決断を、僕らの思い上がりで傷つけるような真似は絶対にしてはいけないんだ」
白井がゆっくりと蓮の頬から手を離しても、その瞳は揺れながら白井を見つめている。
「きみがそうしたように、倉田さんも彼自身の力で、その思いと向き合ってけりをつけなければならない」
「僕が、そうした、ように……?」
「蓮、きみはご両親が亡くなった事故を起こしたバス会社や運転手を憎みながらも、自分の中の悲しみと折り合いをつけてここまで成長してきた。たまにはお姉さんやお隣さんの力を借りたかもしれないけどね。前に『幸せになりつつある』と言っていただろ。それが証拠だ」
蓮の目にはまだ涙が溜まっているが、白井を見つめる瞳に光が戻ってくるのがわかる。
「僕、は、何も……みんな親切、で……」
「どうでもいい人にそこまで親切にする人なんていないよ。きみが、助けたい、親切にしたいと思える人だったからだろう。ただ、人が人にしてあげられることには限度がある。僕らができることは、幸せな気分を、ほんのひとときでも味わってもらうことだ。それ以上の、彼らの深い部分に、他人は手を出せないんだよ」
「そ、んなっ、こと……、わか、って……うっ……ううっ……」
白井が話し終えると蓮はまた下を向いて泣き出した。先ほどまでの冷たい涙とは違い、自分の中の熱い何かを吐き出すような泣き方だった。急遽ここに来ることを決めた自分の判断は間違っていなかったと安堵しながら、白井は蓮の嗚咽を受け止め、泣き止むまでその柔らかでまっすぐな髪をそっとなで続けた。
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