27.嘘をつくお仕事


 そろそろ店を出る時間だと蓮が伝票を持って立ち上がろうとした時、工房梅紫の店員から電話が来た。すぐに倉田本人が電話を代わり、蓮がいるファミリーレストランに来てくれると言う。礼を伝えてまた席に座り直すと五分後くらいに倉田が現れた。


「初めまして、青山といいます。すみません、わざわざ」


「いえ、こちらこそお待たせしてしまって申し訳ない」


 少し頭を下げながら蓮の挨拶に応えて向かいに座った倉田は、白井と同じ二十代後半くらいに見える。中年頃の男性をイメージしていた蓮は驚きを隠しながら彼にメニューを勧めた。メニューのタッチパネルを受け取る右手中指の筆だこが、彼が職人として生きていることを示している。


「お疲れですよね、飲み物持ってきます。何がいいですか?」


「えっ? あ、ああ、じゃあブラックコーヒーを」


「わかりました、行ってきますね」


 蓮がコーヒーを持ってくると、「最近は職人たちとばかり付き合ってるからかな、周りにはこうして気を遣ってくれるやつなんていないんですよ。ありがとう」と倉田が笑って礼を言う。精悍な顔立ちで一見とっつきにくそうに見えるが、自然体の笑顔がかわいらしく見え、蓮は彼に好感を持った。


「……あの、早速ですが、メジロと梅の花の柄の汁椀がほしいと思っていまして」


 あまり時間を取らせても申し訳ないという気持ちで蓮が交渉を持ちかけようとしたところ、倉田から驚愕の言葉を聞くことになった。


「美穂から頼まれましたか?」


「えっ……?」


 飲み物のグラスを持ったまま固まる蓮をよそにコーヒーを一口飲むと、倉田が静かに依頼者のフルネームを告げる。


「小野崎美穂という女性です。私の妹弟子だった」


 蓮の心臓がどくん、どくんと大きく脈打ち始めた。二日目でたどり着いてしまった、こんなに近い人に。「深入りするなよ」という白井の言葉が頭に響いてくる。


「オノザキ、ミホさん、ですか? いえ……存じ上げませんね」


 あとは嘘を重ねながら話すしかない。決してこちらから彼女の名前を出してはいけないのだ。表情に出してもいけない。蓮は薄く微笑みながら言っているつもりだが、うまくできているか全く自信がない。嫌な汗が首筋を伝う。心臓はまだ落ち着いてくれない。


「そう、ですか。彼女は昨年、水害に遭ってしまって……それ以来行方不明なんです。四年前、彼女が妹弟子として働くことになってからは毎日が楽しくてね。パワフルで好奇心旺盛な女性で、伝統工芸の道に進んだのに、古臭いしきたりを嫌うところがありました。『冠婚葬祭用でも何でも、汁椀や小皿は基本五客だけど六客にすればいいのに。夫婦とその両親を全員足したら六人でしょ』などといつも言ってたんですよ」


 軽く笑いを含みながら依頼者のことを話す倉田の目は穏やかさと寂しさを同居させており、見ているのがとてもつらい。


「え、っと、基本は五客なんですね」


「ええ、そうです。メジロと梅は美穂が特に好んでいた柄で、しかも汁椀を六客ほしいとのことだったので……美穂からの依頼だったら、と思ってしまいました。突然妙なことを聞いてしまってすみませんでした」


「い、いえ。すみません、僕アイスコーヒー持ってきます。あとついでにトイレ行ってきます」


 蓮はかつての依頼者を思い浮かべているのか愛おしそうに話す倉田から逃げるように席を立ち、トイレへと急いだ。


「……白井さんに報告……」


 誰もいないトイレの個室でのつぶやきはとても格好悪く、情けなく思える。それ以上の言葉も出ず、ここで報告する気力もなく、蓮は自嘲するしかなかった。


 気落ちしながらも、席に戻ったらどんな話を持ち出そうかと考える。何とか話を逸らさないといけない場面だ。アイスコーヒーを持ってテーブルに置くとすぐに蓮は口を開いた。


「ごめんなさい、戻りました。あの、倉田さんは今は独立されてるんですよね? タクシーの運転手さんも倉田さんのこと知ってましたよ」


「え、ああ、そう言われると何だか恥ずかしいですね。おかげさまで私の作品を買ってくださる方が増えてまして、ありがたいです。工芸館にも置かせてもらえてるんですよ」


「昨日工芸館に行って拝見しました。色使いなんかもとてもきれいで、ずっと見入ってしまいましたよ。あの柄の汁椀を六客、購入させていただけないでしょうか。必要としているのは僕ではなく上司なんですが」


 汁椀はあくまでも「上司がほしがっているもの」として扱うことに決めていた。自分はまだそこまでの品物をほしがる年齢だと思われないだろうとの判断だ。いくらか落ち着いて話をできるようになった蓮は、照れて後頭部をかいている倉田に向かって再度交渉を持ちかけた。


「代わりでいらっしゃってるんですか、大変ですね。いいですよ。ただ、値が張るんですよね、あれは。人気があって安く売れないんです」


 先ほどと変わらない穏やかな笑みの中に申し訳なさそうな表情を浮かべ、倉田が答える。蓮はうまく話を逸らすことができたのもあり内心でほっと胸をなでおろすと、更に交渉を進めた。


 結果、倉田の言い値で汁椀を購入することになった。新たに作ってもらい、出来上がったら連絡をもらう手筈だ。一ヶ月弱かかるかもしれないと言われ、蓮は承諾した。


「そういえばお店に置いていた汁椀は……」


「あれは……美穂が気に入ってしょっちゅう触っていたもので、美穂が行方不明になってから見ているのがつらくなってしまってね。でも捨てることはできなくて倉庫に移動させたんです。本当なら盆と揃いの柄なので店に置いておく方がいいんでしょうが……申し訳ありません」


「そうですか。あ、あの、代金は口座振込でいいですか?」


 依頼者に触れる話題をうっかり出してしまい明らかに倉田の表情が曇ったことで、蓮の感情がまた揺さぶられた。慌てて倉田に代金振込口座を教えてもらうことでそれをごまかす。


「もしお祝いの席で使うのであれば、松竹梅の柄などもありますが……これでいいんですか?」


「はい、僕にはよくわかりませんが、これがいいそうです」


 冠婚葬祭などの決め事は何もわからないという体でお茶を濁す。細かいことは後ほど上司から連絡します、商品の送り先はここです、などと言い添えて蓮は白井の名刺を倉田に渡した。


 倉田が依頼者に近しい人物だったためひやっとすることはあったが、蓮からは彼女について言及することなく、良い結果を導くことができた。それでも、蓮の気持ちは晴れなかった。ファミリーレストランを出る時に倉田が車でホテルまで送ると申し出てくれたが、早く一人になりたくて断ってしまった。


 タクシーでホテルに戻った蓮は白井に、汁椀を購入できることになったとだけメッセージを送った。倉田に直接会えたのは大成功と言っていいだろう。だが思えば、依頼者の「災害に遭った」「漆器制作に携わっていた」「アクセサリーの絵付け」「小鳥と小花の柄」「汁椀を六つ」……途切れ途切れの記憶しかないというのに、まるで特定の誰かを心に描いて出した言葉のようではないか。


「依頼者も、彼のことを……」


 その答えを言葉にしたところで冷たく湿った気持ちを払拭できるはずもなく、蓮はシャワーを浴びてベッドに寝転ぶことしかできなかった。

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