26.部下を心配する男


 連が近所の定食屋で昼食を食べ終えて一時間ほどで店に戻ると、先ほどの男性店員が申し訳なさそうな表情で出迎えてくれた。


「すみません、倉田さん来てくれるそうなんですが、あと一時間くらいかかると」


「来てもらえるんですか!? ありがたいです、一時間くらい何でもないです!」


 蓮の食いつきの良さに少々引き気味になっている店員を横目に、更に言葉を続ける。


「僕もちょっと用事があるので、一時間後にまた来ます」


「ご足労おかけして申し訳ありません」


 店員に名前と電話番号を聞かれ、メモに書いて渡すと連はまた外を歩き始めた。ひとまずどこか座れるところで白井に報告メッセージを送りたいのだが、ベンチのある公園などは見当たらない。無駄遣いになるような気もするが仕方ないと、連は目についたファミリーレストランに入った。


「教えてもらったお店に行きましたが、例の汁椀は残念ながらありませんでした。同じ柄の、ものすごく高価な盆はあったんですが……。でも、親切な店員さんが作家さんと話せる機会を作ってくれました。倉田宗介さんという作家さんで、一時間後にお店に来てくれるそうです」


 白井に長めの文を送ってから、連はふぅと一息つく。アイスコーヒーの氷が立てる涼し気な音とその冷たさが、今回の依頼への熱を少し冷ましてくれるようだ。


 数分経ち、白井から「わかった、今晩そちらに向かう」と返信が入った。今日は白井もさくらも休みの日で、一緒に水族館に行っているはずだ。もし来るとしたらかなり遅い時間帯になるのではないか、そもそも白井が金沢に来られないから自分が来ているのだが……と、連は不思議に思う。


「今日はデートでは? 明日も仕事で忙しいんですよね、大丈夫ですか? 来るとしたら最終の新幹線ですか?」


 蓮が疑問だらけのメッセージを送ると、「二十一時前に金沢駅に到着する」とだけ返信が入る。「わかりました、着いたら連絡ください」と返し、アイスコーヒーを一口飲んだ。



**********



 蓮からのメッセージが届いた時、白井はさくらと一緒に遅めの昼食を取っていた。「蓮からですか?」というさくらの問いに「うん。ちょっとごめんね」と答えると、返信メッセージを入力し始める。


 蓮からのメッセージは「これから作家本人と話す」という内容だった。大した進展だが、白井はこの展開に不安が拭えない。結婚式で使用するものなら普通は縁起のいい鶴・亀・松などがメインの柄でいいはずで、梅も縁起がいいとされる花だが、組み合わせの生き物が小鳥というのには疑問が残る。依頼者は柄にではなく作家に多少なりとも執着心があるのではないか、その作家が得意とする柄が小花と小鳥なのではないか、作家本人と話すとなるとその奥に隠された何かを暴いてしまう恐れがあるのではないかと白井は考え、なるべく早く現地に赴くことに決めた。蓮が作家と話す時には間に合わないが、何かしらフォローはできるかもしれないという心づもりだ。


「メッセージ送ったよ」


「仲良しですね」


 からかうように笑うさくらに反し、白井は寂しそうな表情を浮かべる。


「ごめん、これから仕事に行かないといけなくなった」


「そうなんですか、大変ですね……。私ならここから電車でも帰れるし、一人でも大丈夫ですよ。もうデザートも食べて満足だし」


「いや、送っていくよ。僕も家に一旦帰る方がいいんだ」


 白井は「その分一緒にいられるし」と小声で言ってみたが、たまたまそばを通った客の話し声に負けてしまい、さくらには聞こえていなかったようだ。仕事用のスマートフォンで新幹線の切符を手配し到着時刻を蓮に返信すると、さくらとともに店を出て車に乗り込んだ。


「やっぱり蓮に優しいですね」


 白井が車を走らせていると、さくらがぽつりとつぶやいた。


「ん? そうかな?」


 さくらの言葉の主意をつかめずに質問を返すと、意外にもさくらは、ことの概要を掴んでいそうな口ぶりで話し始めた。


「大方、出張先で蓮が何か失敗してしまったんでしょう。または、失敗しそうになっているか。そのフォローに向かうと一瞬で決めたんですよね」


 さくらの洞察力に白井は舌を巻いた。双子じゃなくて姉弟でも通じ合えるものなんだろうかと疑問が湧いてくる。


「何でわかるの?」


「新人なんてそんなものです」


 ふふ、と明るく笑いながら言うさくらに、ほんの少しだけ寒気がして白井は黙り込んだ。前に蓮がさくらに怒られて「はい」しか言えなくなった時のことを思い出し、彼女を決して怒らせないようにしようとこっそり心に誓う。


「しかも一人で行ってますからね。失敗しても無理ないかなと。ただ、二人きりの職場とはいえ直接上司が出向くのは珍しいなと思って」


「正確に言うと、蓮くんは悪くないんだ。僕が初手を誤っていただけで」


「そうなんですか……二人で乗り越えないといけないですね」


 「そうだね」と白井が短く返答するとさくらは、微笑みは崩さずに少しうつむいた。


「……でも、ちょっと、寂しいな」


 弱く絞り出すようなさくらの声が白井の耳に届く。


「え、ごめん、よく聞こえなかったからもう一回言って」


「何でもありません」


「いやほんとごめん全然聞こえなかったし一回だけでいいから」


「……さっ……」


「さ?」


「寂しいなって言ったんですっ」


 顔を赤くして怒るさくらをちらりと見てニヤニヤ笑ってしまう白井は、ニヤニヤしながらも、さくらが「寂しい」と言葉にできるようになったことを喜んでいた。それはもう限りなく顔がニヤついているが、白井はそういうことにも気付ける男なのだ。ただものすごくニヤニヤしているだけで。


「僕も寂しいよ。本当は毎日でも会いたいって思ってるし」


 ニヤニヤが止まらない白井の腕を、顔を真赤にしたさくらが「もうっ!」と言いながらぺちぺちと叩く。


「お土産、楽しみにしてて」


「……はい」


 夏の午後の日差しがフロントガラスから入り込み、バカップ……微笑ましい二人を照らしていた。

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