24.餃子を食べられなかった男


「あ、白井さん、お疲れ様です」


 白井が予約したホテルはごく普通のビジネスホテルだった。特に豪華な内装などはなく、かといって貧相なところも見当たらない建物で、あまり気負わずに利用できそうだ。蓮は部屋に入るとベッドに腰掛け、まず白井に電話をかけた。


「ああ、蓮くん、ありがとう。もう見つけたんだね、早かったな」


「今ホテルにチェックインしました。すみません、工芸館だけしかまだ行ってないんですけど」


「気にしないでいいよ。ただの旅行だって一日目は疲れるものだしね。お疲れ様」


「ありがとうございます、そう言われるとうれしいですね」


 たとえ言葉だけでも、労われれば礼を言う声も弾む。ただ、「相変わらず優しいけど、この人ちょっと腹黒いところがあるんだよなぁ」と蓮がちらっと考えたのを、どうやら見破られてしまったようだ。


「でもさ、かわいい弟には旅をさせろって言うじゃん?」


「かわいい弟、とは」


「だから、検索エンジンに入力するみたいに聞かないでって。もしかして若者の間で流行ってる?」


「別にそういうわけじゃないですよ」


「明日のお土産屋回りにも期待してるよ」


「はぁい」


 蓮がおざなりに返事をすると、白井は低めの固い声で話し始めた。


「ところで、頼まれてた目的のことなんだけど」


「あ、はい」


「ついさっき確認が取れた。依頼者本人に結婚する予定があるらしくて……」


「結婚? 式で使うつもりなんでしょうか?」


「そうらしい。あちらの世界の習慣として使っていいものなのかと疑問が湧くよな。ああ、そのあたりはもちろんノータッチなんだが」


 転移先の人と結婚って本当にあるんだ、物語のことだけじゃないんだと考え、妙に気持ちが張り詰めてくる。


「実はね、商人がその情報をなかなか言おうとしなくて、コンタクトはすぐに取れたのに待たされたりしたんだ」


「えっ……? なかなか言おうとしなかったって……単に使用目的を伝えるのを忘れていただけでは……?」


「僕が待たされたのは、伝えていいかどうかを依頼者に確認していたからだと思う」


「つまり、依頼者が、こちらに伝えるのをためらっていた……?」


「その線だろう、商人はただの仲介だからな。もしかしたら相手の心象を少し悪くしてしまったかもしれないが……まあ、依頼が引っ込められたわけでもないから」


 蓮は急激に内臓が冷やされて縮むような感覚を覚え、慌てて白井に謝る。


「すみません、僕がよけいなことを言わなければ……」


「仕事としては問題ないから謝る必要はない。依頼者が使用目的を話したがらないというのはこれまでなかったことだし、出張に行けと言ったのは僕だしね。予定通り、蓮くんが目星をつけたものを買ってくるだけだよ」


 白井の話し方に責めるような色はないが、蓮の気持ちは浮上しない。柄について細かく考えず、使用目的にも触れずに無難な柄のものをネット注文で手に入れるだけの方がよかったのではないかと考えてしまう。少なくとも、依頼者が伝えずにいたことをこちらから問い合わせて聞き出してしまったのは事実だ。白井が言う通り予測できなかったことではあるが、そうわかっていても声が沈む。


「……はい、わかりました。依頼がなくなったわけじゃなくてよかったです」


「まあ、人相手の商売なんだし、スムーズにいかないこともあるもんだよ。気にするな。多少の失敗なんかは、結果さえよければ挽回できる。誰かに依頼者のことを話さずに買付できればうまくいく仕事なんだし」


「そうですね」


「ここで一つ、気になることが」


「何でしょうか?」


「蓮くんのメンタルが心配なんだよね」


「メンタル、ですか? まあ確かに今はちょっと自己嫌悪感ありますが」


「だろ? 気にするなって言ってるのにさぁ。大人の言うことは素直に聞いておけよ?」


 白井が意識して大げさに言っているのがわかり、蓮のこわばっていた顔が少しだけゆるむ。


「別に平気だしおなかすいてるのでもう切りますね」


「えー」


「お忙しいところありがとうございました~、お疲れ様でした~、また明日~」


 別に白井の言葉に気を悪くしたわけではなかったが、蓮は返事を待たずに電話を切った。これ以上彼の優しさに頼るのはよくない気がしたからだ。


「かわいくはないけど、旅はさせられてるな」


 本当は胃が元気をなくしたため食欲が半減していたが、蓮はわざと明るい声で独り言を放つとホテル近くのラーメン屋を目指した。



**********



「普通のラーメン一杯しかいけなかった……餃子も食べたかったのに……」


 ホテルの部屋に戻り、独りごちる。普段の蓮は大盛りチャーシュー麺と餃子くらいは余裕で食べられるのだが、胃が受け付けてくれなかった。


 もともと全く縁のない言葉を話す人との会話で進める仕事だ。使用目的に言及するべきではなかったとはいえ、商人との会話で推測したことも完全な間違いではなかった。自分の落ち度として捉えず「仕方がなかった」と自分を慰めることもできるし、白井も「気にするな」と言う。が、蓮はそうしなかった。白井と電話で話してから、ずっと重い気持ちを抱えたままだ。


「メンタル、かぁ。さすが、お見通しだな……」


 風呂と歯磨きを済ませ、肩を落としながら大きくため息をつくと、蓮はベッドに潜り込んだ。

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