17.悪魔になる男


「白井さんってこういうことになるとダメ男なんですね。モテそうなのに」


 車に乗せてもらっているくせに運転手に暴言を吐く蓮を横目でちらっと見やると、白井は「そうでもないんだよなぁ……」と小声でつぶやく。


「えー、そうですか? あ、すみません、コンビニ寄ってください。ちょっと買うものがあるので」


 白井がコンビニの駐車場に入って待っていると、蓮は食パン一斤と焼きそばパン二個を買って戻ってきた。


「今日これが必要なんです、すみませんでした」


 パンが入った袋を大事そうに抱えて、蓮はまた助手席に乗り込む。


「……中学生の時、英語の成績が突然上がったんです。今思えば両親のおかげだったんですね」


 白井はすぐに移動するつもりだったが、蓮が静かに話し始めたためサイドブレーキをかけたまま黙って話を聞くことにした。交通量の多い道路脇で通り過ぎる車が多く、雨も相まって騒音が多い。蓮の言葉に耳を澄ませなければいけない。


「そのまま文系科目が得意になって、おかげで五科目の試験も突破できて、家の近所の国立大に入学して……。さくらに勧められるままに入試を受けたんですが、その時は何も気づいてなかった」


「気づいてなかった? 何に?」


「さくらはもともと成績優秀で、本当は大学に進学するつもりだったんです。たぶん勉強したいこともあったと思います。でも両親が亡くなって、そのカードを僕に譲ったってことに、です。もしかしたら僕は見ないフリをしていたのかもしれません」


「なるほど」


「さくらは高卒で……まあこれも資格ゲッター能力のおかげだったのかもしれませんが、一生懸命勉強して難しい資格を取ったんです。大学というカードの代わりに、生活のために」


「がんばり屋だな」


 姉をほめられ、蓮は口元をほころばせてうれしそうにする。素直でかわいいな、弟ほしいな、と白井はまたいつものように思ったが、口に出すのはやめておいた。


「話変えますけど、大学に入ってから半年くらいかな、時々隣の家に遊びに行ってたんですよ」


「へぇ、マンションのお隣さん? どんな人?」


 意外な事実を告げられた。かわいい幼なじみの少女だろうか、それとも優しい老夫婦とかだろうか、この子は親切にしてもらっていたんだろうか、などと興味が湧いてくる。


「優しい老夫婦で」


「おう、そっちか」


「そっち? まあとにかく、すごく優しい人たちで遊びに行くとかわいがってくれて、いつでも来なさいなんて言ってくれてたんです。他には飼い猫一匹しかいない家なので」


 「遊びに行くって言っても、ゲーム機もないんですよ」と笑う蓮が、白井の目には少々痛々しく映る。


「でも、ずっとスマホいじってても怒られない、ケーキは譲ってくれて二個食べろと言われる、食べ物好き嫌いしても、風呂に入らないで猫と一緒にソファで寝てしまっても大丈夫だった。泣いてしまった時には、黙って毛布かけてそばにいてくれたりして。あまりおしゃべりな人たちじゃなくて部屋がしーんとしてることも多かったけど、そういう空気が心地よかった」


「そうか」


 体は成長して大人になっていただろうが、十代の心なんて脆いものだ。そんな時に両親を亡くした蓮を甘やかす存在がいたということに、白井は安堵を覚えた。


「逃げていたんです、現実から。自分が姉を踏み台にしてキャンパスライフを送っているという現実に苦しさを覚えることがだんだん増えてきて」


 自虐的な笑みを作る蓮が言葉を続ける。


「あと、両親が乗っていたバスの運転手と会社を恨んでいたので。何年も、何度も強く恨みました。何の前触れもなく、突然激しい怒りを感じたりするんですよ。夢の中でバス会社の社長を殺したりもしました。そういうのに疲れていたんです。怒りや恨みを持ちながら表面上は普通に生きるってけっこう辛くて……甘やかされたかったんです。さくらは毎日働いて大変だっただろうに明るく振る舞っていて、その姿を見るのも辛かった。僕は本当に自分勝手だったなと思います」


 暗い車内でも蓮が涙を浮かべているのがわかったが、白井はコンビニの灯りに視線を移して気づいていないふりをした。


「そのうちさくらが入院したりとか、大学の課題が多くなったりとかで忙しくなってきて自然とお隣には行かなくなったんですが……、僕は、あのゆるやかな時間がなければ、きっと色んなことが嫌になっていたと思うんです」


「うん」


「これは、お土産です。あの人たち焼きそばパン好きなので。あ、食パンは僕が食べるんですけど」


「ん? 今日行く予定だったのか?」


 白井が尋ねると、蓮は涙を隠すようにそっぽを向いた。


「別に行く予定なんてありません。でもきっと歓迎してくれると思うので、僕がお隣にいる間じーっくりさくらと話してください。さくらはこれまであまり恋愛なんてしてこなかったから恋愛音痴なんです。ちなみにマンションの壁はそんなに分厚くないので……あとは言わなくてもわかりますね?」


「きみは悪魔だったんだな」


「今は悪魔が必要だってことですよ」


 まだ涙声の蓮から鋭い返答をもらった白井は、肩をすくめてから車を発進させた。

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