13.「ふぅん」と返す女


「青山さん、今からお昼? よければ一緒に食べない?」


 休憩室のテーブルでコンビニに行っている同僚女性を待っている間、珍しく隣の部署の男性が声をかけてきた。


「ごめんなさい、別の人と一緒に食べるんです」


 よそ行きの笑いを作って言うとちょうどよく同僚がコンビニから戻ってきてテーブルに着いた。男性は「残念、またね」と言いながら奥のテーブルに移動していく。顔と名前は一致しているがあまり接点はないという関係の人なのに、何で突然話しかけてきたんだろう。私は人見知りしないタイプだし楽しく話ができれば一緒に食べてもいいのだが、その男性には気持ち悪さを感じてしまった。


「モテ期ね」


「あれだけでモテ期っていうの?」


「あ、このサンドイッチおいしい。チーズ入ってるのがいいわ」


 モテ期ってこんなに些細なことから始まるものなの? 突然すぎない? などなど色々な疑問が湧いてくるけど、その話題がコンビニのサンドイッチに負けてしまって聞き出せない。


「まあ、さくらには白井さんがいるしなぁ。あの人かわいそう」


「白井さんとは別に何でもないよ。友達みたいな感じ」


 「ふうん」と、理解したのかしていないのかわからないような返事をしながら、彼女はサンドイッチを頬張っている。


「さくら、化粧品変えた?」


「ううん、変えてない。何年も前から同じもの」


 せっかく返答したのに彼女はまた「ふうん」と言っただけで、コーヒーを飲んでいる。


「何でさっきから適当な返事しかしてくれないの?」


「えー、だって悔しいんだもの」


 いたずらっぽくニヤリと笑って言う彼女。


「悔しいって……えっと、私、何か悪いことした? ごめん」


 私が慌てて謝ると、彼女は「ぶっ」と吹き出して笑った。


「違う違う、ごめんね、さくらが最近きれいになってきたから悔しいのよ」


 驚いている私に彼女は「何かあったの?」と聞いてきたが、本当に何も心当たりがないとしか言えない。最近変わったことといえば、異世界転生した両親と定期的に話せるようになったということくらい? でもそれが関係あるとは思えない。どちらにしろ、彼女に話すことはできないのだ。


 ちなみに、具体的にどこがきれいになったのかと尋ねてみたが、「全体よ、全体」という抽象的な答えしかもらえなかった。


「まあ、女性がきれいになるのって、たいてい好きな人とか彼氏とかができた時だけどね」


「ふうん」


 恋愛についてはあまり経験も知識もないから、彼女の言うことは参考になる。でもこの時は恥ずかしくてついていけなそうだったので、あいまいな返事をしておいた。



**********



 白井さんとの待ち合わせ場所に着いた時には、もう日が落ちて薄暗くなっていた。翌日も仕事は休みだから遅い時間でもいいけど、誰かと待ち合わせして食事なんて、何だかドラマに出てくるデートのシーンみたいでそわそわしてしまう。


 待ち合わせ時刻の数分前、大きな本屋の前で待っていると、白井さんが車で現れた。いつもの和装ではなくシャツとパーカという格好だが、挨拶して助手席に座るといつもの彼の爽やかな良い香りが鼻をくすぐる。車の中だと普段より強く感じてしまうので、窓を少し開けて気にならないようにした。


「魚、食べられるよね? 前に魚料理食べたって話してたもんね」


「大好きです。私、好き嫌いほとんどないんです」


「それはすごいな。人生謳歌してるね」


「初めてのものでも見た目が悪いものでも、好奇心が勝って食べちゃうんですよ」


 こんな当たり障りのない話題で車内を満たしていくが、私の気持ちは浮ついたままだ。そのうち海の匂いが窓から入ってくるようになり、そわそわが少しずつ落ち着いていくような気がした。


 彼が連れていってくれたのは、魚がおいしいと評判の居酒屋だった。この地域では有名な店らしく広い店内はお客さんでいっぱいで、みんな楽しそうにお酒を飲んでいる。私とドライバーの白井さんはウーロン茶だったけど。出てくる料理は本当においしくて、話すことは「舌鼓ってこういうことなんですね」だの「太っちゃいそうだなぁ」だの、デートの「デ」の字もないような雰囲気だった。「白井さんと何かあったら教えてね!」とワクワク感を隠さずに言っていた彼女には何も報告できそうにないなーと、この時までは思っていた。


「蓮くんは活躍してるよ。想定以上に」


 弟の話になり、少しだけ箸が止まった。


「そうですか、よかったです。意外と優秀なんでしょうか。家ではポンコツですけどね」


 ふふふ、と笑いを漏らしながら「この間も……」なんて家でのエピソードを話す。これは上司である白井さんへの告発になるのかな。


「青山さんは蓮くんの話だとすごく優しい顔になるんだね」


 優しい顔してたのか、私。自分ではよくわからない。


「やだぁ、私って常に優しい人じゃないですか」


 少し拗ねたような顔をしている白井さんにバカっぽい冗談で返す。イケメンって拗ねても格好いいんだなーと、ぼんやり見とれていたら目が合って心臓が跳ねそうになった。いや、テーブルを挟んで座っている人と目が合ってびっくりというのもおかしな話だけど。私をまっすぐに見る白井さんは何だかちょっと辛そうに見えた。


「さくらでいいですよ。蓮も青山だし」


 話を別方向に持っていきたかったのだが、失敗だったかもしれない。「そうだよね、同じ苗字だもんね」というような返答を期待していたのだが、彼は「じゃあ、さくら」なんて、ふわっと笑って言ってのけたのだ。けっこうびっくり……いや、もう、正直に言おう。自分だけに向けられた微笑みで自分の名前を呼んでくれる彼にどきっとしてしまった。突然周囲の音が何も聞こえなくなり、静かになったように感じる。たぶん顔が赤くなっているだろう。


「い、いきなり呼び捨てはナシですよ~」


 セリフは棒読みになってしまったが、いつものようにへらへら笑っていればごまかせるだろう。お酒と料理の匂いが充満していている店内でよかった。彼の良い香りが届いていたら危なかった。自分が自分でいられなくなるような感覚を想像してしまい、こわばった笑顔を作りながら慌てて立ち上がる。


「さてもうおなかいっぱいだし、そろそろ帰らないと」


 私は、自分が恋愛に臆病な人間だということをこの時初めて知った。

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