9.初給料が楽しみな男
蓮が白井の机に椅子を近づけて座ると、ふたりだけの会議が始まった。
「僕の方は一つだけ手が浮かんでますが、まず白井さんの意見をお願いします」
「悲しいことに意見というほどのものはないが……現実的なことから整理しよう。まず事実として、毒を毒として手に入れることはできない。日本は法治国家だからそのあたりは厳重に管理されている」
すっかり頭が冷えたのか、白井は淡々と話し出す。
「また、例えばスイセンなどの毒性のある植物を買い付けるとしても、遅効性というのが難しい」
「そうですね、スイセンの例で言うと……摂取後三十分以内に嘔吐、下痢、頭痛……これ毒だってすぐバレますよね」
蓮が白井の机にあるインターネット用パソコンで調べたことを伝えると、白井は「うーん」とうなったまま動かなくなってしまった。
「毒って摂取するタイミングや量によっては薬にもなるんですよね」
「薬でも渡しておくか? この場合は胃薬と増血剤がいいかもしれないな」
蓮に適当な冗談で返したつもりの白井だったが、「それです」と言われて目を丸くする。
「漢方薬一ヶ月分くらい渡して、『異世界人に効くかどうかはわからないが、遅効性の効能があるものだ。毎日摂取し、最低二週間は様子を見る必要がある。本人の体質によっても効能が違うため、摂取を続けていても効能がない場合もあり、逆に効能が出過ぎる場合もある』と言っておくのはどうですか? 嘘は言ってませんよ。そのうえで向こうが毒だと認識すればいいんですから」
「ポイントは『効能』か。AIは『効果』と訳してくれそうだな。でも何で漢方? 西洋医学の薬でもいいんじゃないか?」
「文化人類学の教授が、黄色人種以外の人には漢方薬は効きづらい、もしくは効きすぎることが多いと言っていたからです。それなら嘘にはならない。あと、味も匂いも形状も、何もかも毒っぽいからですね。でも黄色人種じゃなくても、虚弱体質の人なら漢方薬が効きづらいってことはないんじゃないかなと……推測ですが」
蓮が白井のもっともな疑問に返答すると、少し考えてから白井がゴーサインを出した。それからは早かった。漢方薬について詳しく調べ、更に話を進めていった結果、渡すのは
「医師免許なんてないのでちょっとおこがましい気分になりますね。『効能』はある結果に向かっていく過程とその働きを主に示している言葉、『効果』はその結果という見方で計画を立てましたが、揚げ足を取られないために理屈をこねくり回してる感が否定できません」
「そんなことは気にしなくていい。嘘は言ってないんだから、嘘は」
白井は、蓮の「嘘は言ってません」というセリフが気に入ったようだ。あれから繰り返し使っていて少し鬱陶しい。兄がいたらこんな感じなのだろうか、と考えたところで蓮は自分が白井に毒されているように思え、考えをストップさせた。
「ではここでまた整理します。十全大補湯をと加味帰脾湯をそれぞれ四週間分ずつ渡す。第三王子に拒否されないよう王妃様からの贈り物という体で摂取するよう勧めるといいと言う。どちらが先でも構わないが、まずは一種類を摂取し、二週間経っても効能がない場合はもう一種類の”毒”を摂取するように言えと伝える。こちらのスタンスとしては『殺す』という結果は求めていないため、あくまでも『効能』という言葉を使う、と」
「うん、完璧。ありがとう、助かったよ」
満足そうな明るい表情の白井を見て、蓮は胸をなでおろした。
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今日は午後からの勤務だったため、一段落ついた時にはもう退勤時刻間近だった。「あとは任せろ」という白井に礼を言い、帰路につく。季節はすっかり初夏の装いで、自転車を走らせていると頬を滑る風が気持ち良い。
「もうすぐ給料日か、楽しみだな」
人生初給料が入ったら何を買おう、さくらがほしがっていた腕時計にしようか、それともステーキでも食べに行こうかと考えると、重く感じていた疲れが夜の空気にするすると溶けていくような気がした。
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後日、あの高飛車・居丈高・上から目線の商人から連絡が来た。蓮がいない日だったため白井が対応し話を聞いたところ、第三王子には十全大補湯で”効能”が表れたようで、食欲旺盛になって倒れることもなくなり、健康になったそうだ。十全大補湯を手配してくれた王妃にとても感謝しており、今後は王となる者に生涯仕えたいと申し出て自ら王位継承権を放棄したらしい。また、適度な運動とハードな勉強を毎日欠かさずしている、とも。
王妃自身がもう第三王子の命を狙うことはないと言っていたようだし、商人にも特に咎めはなかっただろう。……まあ多少は怒られたかもしれないが、そこはこちらにストレスをぶつけてきた罰だと思ってほしいところだ。
「その節は本当にありがとうございました。第三王子殿下はもうご健康でいらっしゃいますが、念のため十全大補湯を所持しておきたいとおっしゃっています」
「わかりました。ではまた手配しましょう。次の入金は買付の後でもいいですよ」
白井に心からの礼を述べた商人は、もう高飛車でも居丈高でも上から目線でもなかった。蓮が推測した通り、本当は殺人に使う毒など扱いたくはなかったのだと言う。
「十全大補湯……あの”毒”はシライ様が手配してくださったので?」
「違います。青山蓮という者でね、部下なんですよ。全て彼が考えた計画でした」
「アオヤマレン、様……。一時はいっぱい食わされたと、依頼したことを後悔しましたが……。いやはや、将来が怖い人ですね」
「全くです」
商人と別れの挨拶を交わして機器の電源を切ると、白井は微笑みながら「賭けに勝ったな」と独り言をもらした。
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