8.怒る上司をなだめるお仕事


「えっ、毒!? どういうことですか!?」


 出勤したばかりの蓮の大声が、蒸し暑い室内に響いた。白井はそんな蓮の方を振り向くこともなく、エアコンのリモコンを操作しながら冷たく言い放つ。


「たまーーーにだが、こういう舐め腐った依頼が入ることがある。もちろん受け付けない」


「そ、そうですよね」


 ひとまず蓮は無難な返答をしておいて、落ち着くべく深呼吸を一度してみた。が、あまり効果はなかった。周辺にどす黒いオーラが渦巻いているように見える白井のせいだろう。


「俺にそんな依頼をしてきたことを後悔させてやるつもりだ」


 垂れ目がちな白井も怒ると怖い。怒ると一人称が「俺」になるんだな、などと明後日の方向に考えが飛んでしまう。これを逃避思考というのか。


「……というか、”東方の島国”には毒があると思われてる……?」


「毒はどこにでもあるものなんだがな」


「”東方の島国”って、何だかいいように使われてますね……」


 げんなりした様子を隠さず、蓮はトーンの低い声で言いながら椅子に座った。


「うん。いいように使うことができると思われてるなんて、よくまあここまで見くびってくれたものだよ。きっと覚悟はできてるってことだろうね」


 蓮は、ふう、と大きく息をついて座ったまま姿勢を正した。白井はひどいやり方で依頼を拒否する気だろうが、それはあまり良い結果を生み出さないのではないかと考える。何はともあれ、一旦状況を整理しないと何も進まない。


「白井さん、冷静になりましょう。それ、対象者は誰で、どんな用途ですか?」


 蓮は白井になるべく静かな声で話しかけた。先ほど大きな声を出してしまった反省からでもある。だが白井は蓮の方を見ようとせず、代わりに依頼書を穴が空くほど見つめながら何かぶつぶつつぶやいていた。恐ろしい呪文だろうか。


「白井さんの気持ちはわかります。でも、どんな方法で相手を後悔させるつもりか知りませんが、そういうことをするとたぶん白井さん自身が消耗してしまうので……」


 ぴくっと体を一瞬だけ震わせて動きを止める白井。


「そうならずに済む方法を一緒に考えませんか?」



**********



 件の商人からの依頼内容は「第三王子を殺すための毒を買いたい。一ヶ月ほどで効果が出る遅効性の毒を早くよこせ」だった。まだ蓮は直接相手と話す業務は行ったことがないのだが、白井が激怒していてまともに話せる状態ではないため、蓮が直接商人から聞き取りを行うことになった。緊張するが、詳細を知らないことにはこちらも打つ手が限られる。白井に頼ってばかりはいられない。バイトでもたまにはがんばらないといけないのだ。


 蓮が機器の電源を入れてコンタクトを取ろうとすると、運良くすぐに商人を捕まえることができた。わかりやすく悪人顔である商人に色々と質問したところ、清々しいほどの高飛車・居丈高・上から目線で「第三王子は王妃ではなく王の寵愛を一身に受けている側室が産んだ子で、現在十四才だ。食が細いからかしょっちゅう倒れて寝込むくらい体が弱く、気も弱いため、後ろ盾として控えている貴族に傀儡として国家転覆に利用される恐れがあるから殺したいと王妃が言っている」という事情を話してくれた。「そんなこともいちいち詳細を聞かないとわからないのか。王制の国にはよくある話だろう。平和ボケしてるのか? おめでたいな。いいから遅効性のある毒を早くよこせ、金は払う」という悪言付きだったが、気にしないようにして商人に礼を言い、会話を終える。


「くっそ、舐めやがって……。礼なんかいらなかっただろ。つけあがるだけだぞ」


 商人の失礼な物言いによって白井の怒りモードは勢いを増してしまった。


「白井さんが怒るのは当たり前です。でも、失礼な相手にもお礼を言っておくことによって、何となくこちらの利が増えたような気がしませんか? ちょっとうまく言えないですけど……何というか、格ゲーでダメージ受けると必殺技ゲージがたまるじゃないですか。僕のイメージではあんな感じです」


 白井をなだめるために、うまく言えないことでもできるだけ言葉を紡ぎ、具体的に伝えてみる。


「でもあの商人、アポも取らず突然質問したというのに事細かに説明してくれたので、実は僕はそこまで悪い感情を持ってません。まあさすがに罵られた時はちょっとムカつきましたが」


「『ちょっとムカつきました』で済んだのか」


「あと気のせいかもしれませんが、あの人、本当は人を殺す道具なんて売りたくないんじゃないかな……でも王族に命令されてしまったから、仕方なくこちらに依頼して……そのストレスを僕にぶつけているように思えました。何でだろう、とにかくそう思ったんです」


 白井の言葉には少々呆れが入っていたが蓮が気にせずに続けると、彼ははっとした真剣な顔つきで蓮を見た。


「あちらとの会話に慣れてるはずの俺でも全然わからなかった……もしかして……言葉で、か?」


 言葉はAIが通訳してくれた。いわゆる同時通訳に近く、相手が話し終えるとAIが日本語で話す。言葉は両方聞こえてくることになる。蓮はもちろん日本語の方をメインに聞いていたが、商人が話す異世界の言葉の端々にそのような感情の機微を読み取ったのかもしれない。


「すみません、ちょっとそこまでは。初めて聞いた言葉なので。でも聞いているうちに、毒の『効果』と『効能』は違う言葉なのかもとは思いました。AIは全て『効果』と訳していたようですが。……何か関係ありますかね?」


 上目遣いで白井を見上げながら、おそるおそる言ってみる。


「うそだろ、マジか……そうか、なるほど……」


 初めて聞く言葉の意味を辞書なども使わず理解すること自体、通常ならありえないだろう。しかし蓮は気づいていない。そんな蓮の言葉を聞いて、白井はまたぶつぶつ言い始めた。


「やっぱり弟ほしかった……いや待て今からでも遅くは……」


「また弟ですか。はいはい、ほしいほしい。もう遅いですけどね。そんなことより会議始めますよ」


 相変わらず白井は突然弟がほしくなるようで、「弟ほしい」はもう定型句になりつつある。既に何度も聞いている蓮のあしらい方がいい加減になっていくのも無理からぬことだ。


「それにしても……遅効性の毒、か……」


「日本って遅効性の毒が有名なんですか?」


 やっと通常モードに戻った白井が漏らす言葉を蓮が拾う。


「いや、そんなことはない。たぶん遅効性の毒は珍しいもので、”東方の島国”には珍しいものがあるという認識からだろう。この依頼は転生者や転移者からのものではない」


「竹取物語みたいですね。かぐや姫が出す難問に出てくる、唐土とか蓬莱山とか」


「ああ、そんな感じだな」


「なるべく平和な解決方法で……少なくとも人を殺すためのものなんて販売したくないです」


 「うん」とうなずきながら蓮を見る白井の目に期待と好奇の光が宿るが、蓮はそれに気づかず、下を向いて考え込んでいる。


 やがて顔を上げた蓮は、抑揚を抑えた声で言った。


「僕も白井さんほどじゃないけど、怒っています。依頼は受け付ける方向でいきたいと思います。賭けに出てもいいですか?」


 白井の唇がゆっくりと弧を描く。


「もちろん」

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