Act 3 すれちがう想い

 <海の見える離れの部屋>


 花を挿した花瓶や果物の入ったかごがいくつも置かれている。ソファの上にはまだ紐解いてもいないプレゼントらしきものも見える。


 人魚姫、手紙らしき束が山と積まれたテーブルに、なんとか作ったスペースを利用して字の練習をしている。

 王女、その傍らに座って、熱心に字を教えている。

       

王女「じれったいわね。お前の瞳はとても雄弁なのに、お前の指先はなんて不器用なの!どこの生まれでも文字くらい書いたことがあるはずよ。いいこと、言葉の意味はわかってるのでしょう?あとはその音を示す字を覚えればいいだけよ」


 侍女が飲み物が入ったグラスを盆にのせて部屋に入ってくる。

 

侍女「そろそろ休憩されては?もう、かれこれ2時間近く、頑張っておられますよ」


王女「(大きく息を吐いて)わかったわ。(グラスを受け取り、のどを潤してから、人魚姫に)お前も休憩なさい」


 人魚姫、むきになって練習を続けている。

 侍女、片隅に王女を引っ張ってきて、ささやく。


侍女「姫様も大概、人がよくてらっしゃる。いわば恋敵に塩を送ってやるなんて」


王女「別に恋敵などではないわ。私はあんな王子、なんとも思ってないもの」


侍女「あちらは姫様にぞっこんのようですが。(手紙の山をちらりと見て)朝夕かかさず、文を送ってくださるなんて、すごい思い入れじゃないですか」


王女「私としては、日に二度も往復させられる従者たちに同情するわ。過労死しなきゃいいけど」


侍女「(部屋を見渡して)それに、このきれいな花や高価なお菓子の贈り物。姫様こそ、お礼の一筆くらい書かれてはいかがかと?」


王女「全く、あの王子、限度ってものを知らないのかしら。邪魔で仕方ないわ」


侍女「だめですよ。そんなことをおっしゃっては。心変わりされたらどうなさいます?」


王女「王子の気持ちがどうであれ、私たちの婚姻は決定事項よ。婚姻こそが両国の友好関係のあかしとなる。すべては国のため、民のため。それだけのこと。色恋沙汰など関係ないわ」


侍女「若い娘がなんて淋しいことを」


王女「恋なんて所詮、一時の気の迷い。王子に恋した田舎娘がどうなったか、お前だって知っているでしょ」


侍女「それは・・・」


王女「(まるで本でも読むような口調で)正気に戻った王子に捨てられて、王妃に責め立てられた、かわいそうな田舎娘は、結局、海に身を投げました」


侍女「姫様、母君のことをそんな風に言ってはいけません」


王女「どうして?事実でしょ。父はあの人を捨て、あの人は私を捨てたのよ」


 しばしの間。


王女「今更、恨みごとを言うつもりはないわ。私はあの僧院で何不自由なく育てられたわけだし。(まだ必死に書き取りをしている人魚姫を見やってから侍女に)安心なさいな。私はあの悲劇を繰り返させるつもりはないから」


侍女「なぜ、それほどあの娘に肩入れされるのです?」


王女「なぜ…?たぶんあの娘が礼儀をわきまえていないから、かしら…。私は王女よ。陰でなんと言おうと、私が王の娘だからみんな私にかしづく。僧侶たちだって、そう。私が王女だから、どんなわがままを言ってもみな笑顔で応える」


侍女「そんなこと・・・」


王女「ないって言える?」


侍女「私は、違います」


王女「そうね。お前はいつだってずばずばと意見する。時にはカチンとくるほどにね」


 王女、クスリと笑う。それから、人魚姫をちらりと見て、話を続ける。


王女「あの娘は確かに口がきけないし、素性も知れない。けれど誰よりも王子のことを想ってる。王女である私への嫉妬を隠そうともしないほど。今まで、お前以外で、あんなにストレートに私にぶつかってきた者なんていなかった。だから…」


 書き取りを終えた人魚姫が、誇らしげに王女に成果を見せにくる。

 王女、字の書かれた紙をじっくりと見て微笑む。

   

王女「やればできるじゃない。及第点をあげてもいいわ。(侍女に)あれを」


 侍女、棚から本を取り上げて、王女に渡す。


王女「私が子どものころ使っていた手習い本よ。あなたにあげる」


 人魚姫、おずおずと本を受け取る。紙に文字を書いて、王女に手渡そうとするが、考え直し、そばに控えていた侍女に渡す。


侍女「(字を読み上げて)『ありがとう』だそうですよ」


王女「どうせ、もういらないもの。せっかくあげるのだから、有効にお使いなさい。そうそう、(高価そうなペンを取り出し、人魚姫に渡して)ついでにこれもあげる。王妃様にいただいた品だけど、趣味じゃないの」


侍女「ちょっと姫様、王妃さまからの頂き物をやるのはどうかと」


王女「別にチェックされるわけじゃなし。これくらい平気よ」


侍女「これくらいって、姫様。その些細なことの積み重ねが嫁姑問題に発展するんですよ」


王女「(侍女を無視して人魚姫に)明日には王子が帰ってくるはず。そのペンを使って王子をびっくりさせてやりなさい」



 人魚姫がうれしそうに頷くと、部屋を去ろうとする。が、その時、王子が飛び込んでくる。


王子「ご機嫌うるわしゅう、姫君」


王女「あら、お帰りは明日だと思っていましたわ」


王子「少しでも早くお会いしたくて、馬を昼夜走らせ馳せ参じました」

  

 王子、王女の手をとり、口づけようとするが、王女がさっと手を引っ込める。

 手持ち無沙汰になった王子の手を、人魚姫が掴んで引き寄せる。

 王子、ようやく、人魚姫がいることに気づいて微笑む。

 

王子「おや、ここにいたのか。仲良くしていただいてたのかい?」


 王子、人魚姫に妹にするように優しく話しかける。人魚姫、うれしそうに身振り手振りで王子に話しかけようとする。が、急に思い立って、もらったばかりのペンを使って紙に文字を書き、王子に誇らしげに示す。


王子「声に出して読んで)『おかえりなさい』!これは驚いたな。なかなかの達筆だ」


侍女「姫様御自らが文字を教えられたのですよ」


王子「姫君が?(王子、感激して)なんとお優しい!」


王女「たいしたことではありませんわ。いい退屈しのぎになりました」


王子「私からもお礼を申し上げます」


王女「字くらいもっと早く手ほどきしてやるべきだったのでは?口がきけないっていうのに」


王子「言われてみれば・・・おっしゃるとおりですね。特に不自由を感じなかったので失念しました」


 人魚姫、王子の気を引こうと、手を引っ張る。

 皇子、人魚姫の手をもう一方の手で優しくたたく。


王子「許しておくれ。私がうかつだった。ん?何か?」


 人魚姫、ふたたび、紙に字を書いて、王子に差し出す。


王子「しばらく城にいるのか、だって?残念ながら、明日の午後には、伯母上のところへ行かなくては。(王女に)そうそう、それで、婚約の儀の日取りのことですが」


王女「婚約の儀?」


王子「ええ。実は早く伴侶をめとるようにと、伯母上から再三使者がありまして。それで婚約の儀だけでも公に執り行ないたいのです。あなたさえよければ、できるだけ早く」


 人魚姫が動揺して椅子にぶつかり、音を発てる。

 王子、驚いて人魚姫を見やる。


王子「どうかしたのかい?顔色がひどい」


 首を振る人魚姫。王子と王女を交互に見つめると、部屋から走り去る。


王女「(ため息を吐いて)あなたって、どうしようもない馬鹿ね」


王子「え?」


王女「あの娘の気持ち、おわかりにならない?あの娘はあなたを慕っております」


王子「慕う?まさか!あのは妹のようなものですよ」


王女「あの子はあなたが好きなんです。私に嫉妬するほどにね」


王子「・・・えぇ!」


王女「鈍感にもほどがあるわ。あの娘はいつも切なげにあなたを見つめていたのに」


王子「そんな…。ちっとも気がつかなかった」


侍女「(呆れて小声で)気づかないとは、びっくりだわ」


王女「字だってあなたに気持ちを伝えたい一心で覚えたのですよ」


王子「そう言われても・・・。あの子を愛しいとは思いますが、それは恋愛感情じゃない。私が愛しているのは、姫君、あなたです」


王女「私が浜辺であなたを救ったから?ならば、あなたは感謝の気持ちと愛情を取り違えている。今回の婚姻は国と国との結びつきを強めるためのもの。出会ったばかりの私に、心までささげる必要はありません」


王子「違う。そうじゃないんです」


王女「溺れた人を助けるのは、人として当たり前。助かったのは、王子、あなた自身のご運ですわ。私はたいしたことはしておりません」


王子「いいえ、そんなことはありません。私は覚えている。あなたが必死に私を波打ち際から引きずり上げてくれたことを」


王女「(ぼそりと)私は見かけよりも力持ちなんです」


王子「あなたの励ましの言葉も、あなたに叩かれた頬の痛みまでも」


 皇子、そっと自分の頬を押さえる。


侍女「平手打ちしたんでしたっけ?」


王子「あなたはずぶぬれになりながらも、見も知らぬ男を救ってくれた。私が目を開けたとき、あなたは心からの安堵の笑みを見せてくれましたね。あのとき、私は恋に落ちたのです」


王女「私のことを何も知らないのに?」


王子「そうかもしれません。でも私は、あの日から、願っていたのです。あの笑顔をなんとかしてもう一度見てみたいと」


王女「私はあなたのことを何とも思っていないわ」


王子「婚姻は執り行うと、あなたはおっしゃった」


王女「あの娘の気持ちをわかってあげて」


王子「それがあなたの望みなら」


侍女「残酷だわ。姫様も、王子様も」

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