石原慎太郎の遺言と憲法改正

武藤勇城

↓本編はこちらです↓

石原慎太郎の遺言と憲法改正

※全て敬称略


 皆さん『石原慎太郎』という人物をご存知でしょう。二〇二二年二月一日。今からちょうど二年前に、この世を去りました。


 石原慎太郎は芥川賞作家として数多の著作があり、小説好きな皆さんの中には、お読みになった方も多いと思います。処女作であり、最初の受賞作でもある『太陽の季節』は、映画、アニメ、ドラマになりました。自身の生涯を描いたエッセイ『「私」という男の生涯』や、田中角栄を描いた『天才』なども人気です。

 家族にも有名人が多く、多士済々と言えます。弟の石原裕次郎と次男の石原良純は俳優、タレントとして。長男の石原伸晃と三男の石原宏高は政治家として。よく知られています。


 石原慎太郎といえば、政治家としても長く国家国民のために働いた人物です。東京都知事を平成十一年 (一九九九年)から二十四年 (二〇一二年)まで四期十三年間務め、尖閣諸島の国有化でも注目を集めました。都知事になる前後、国政選挙にも度々出馬、当選しており、国会議員としても長期間務めました。

 今回は、その石原慎太郎の国会議員としての働き、質疑を取り上げてお話ししたいと思います。


 石原慎太郎は、東京都知事を辞した平成二十四年 (二〇一二年)十二月に行われた第四十六回衆議院議員総選挙に出馬し、当選しました。ちょうど民主党政権の末期、野田佳彦が「消費税十パーセントまでの段階的な増税」を決定して解散、直後に行われた総選挙でした。それから次の選挙が行われる平成二十六年 (二〇一四年)までの二年間が、石原慎太郎の議員としての最後の仕事になりました。

 年齢的な衰えを自覚していたのでしょう。この二年間の国会での発言は、多くの日本人に向けた、遺言めいたものが散見されました。後を継いでいく若い議員に、切々と訴えるような言葉です。こうした国会での発言は、今でも動画やテキストで確認できます。その一つ、平成二十六年 (二〇一四年)十月三十日の国会質疑を見て頂きたいと思います。同年十一月二十一日に解散、総選挙となりますので、表舞台でのほとんど最後の発言と言って良いでしょう。(以下)



国会議事録 第187回国会 衆議院 予算委員会 第4号 平成26年10月30日

kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118705261X00420141030&spkNum=209

※この中から石原慎太郎の発言を抜粋


衆議院 インターネット審議中継

www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44266

※動画はこちらの「発言者一覧」十一番目の「石原慎太郎」部分、十四時四十一分~、動画の時間で六時間六分頃~、約十九分間


(ここから)

>しばらくぶりに予算委員会に参りまして、後ろで長らく傍聴しておりましたが、大分細々した高級な議論が続いているようでありますけれども、ここで一つ模様がえしまして、大まかな、国家の基本に関する大事な問題についてお尋ねしたいと思います。

>我々、次世代の党は、自主、自前、新保守の理念を踏まえて、次の世代の日本人のために、その成立の歴史的経緯からして正統性を著しく欠く現憲法を改正して、あくまでも自主憲法を制定したいと念願し、それを党是に掲げておりますが、現憲法についての総理の総体的あるいは具体的な所感をぜひお聞きしたいと思います。

>ハーグ条約を含めて、従来の国際協定に違反して、戦勝国として占領軍の絶対権力の所業として一方的につくられて押しつけられた現憲法には、いろいろな問題がありますが、何よりもその前文に非常に多くの間違いがあると思います。

(中略)

>総理に憲法についてお考えをただす前に、僣越ながら、国語についてのおさらいをしてみたいと思うんですね。

>いかなる国語の文章の構成要素としても、名詞、動詞、副詞、助動詞、形容詞、助詞、間投詞、間投詞というのは助詞の一種ですけれども、俗に、てにをはと言われる助詞があります。これはごく小さな言葉でありますが、実は非常に深く重い意味合いを持つ言葉でありまして、てにをはなる言葉、つまり、これは助詞の総体をあらわす言葉ですけれども、この助詞というものは極めて重要な性格の言葉です。

(中略)

>私が非常にその中で好きな歌の一つにこういう歌があります。「真萩散る庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく」、これは実に美しい歌ですね。「真萩散る庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく」。これは恐らく、天皇の寵愛を失いつつあった彼女がそのわびしい身の上をかこって歌った歌でしょうけれども、この歌を非常に評価する日本文学を愛好する翻訳家がたくさんいまして、これを訳した人がいるんです。

(中略)

>しかしそのときに、誰でしたか、翻訳家の、キーンさんでしたか、サイデンステッカーさんでしたか、石原さん、これを一生懸命私は訳したんですけれども、でも、あそこだけがだめなんですよね、あの一つだけがどうもうまくいかないんですよねと言ったんですね。どこですかと私に聞くから、私は、わかりますと。総理、これはどこだと思いますか。「真萩散る庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく」。私は、あそこでしょうと言ったら、そうなんですよと、意見が一致したんです。

>これは、「ぞ」という間投詞なんですね。「夕日の影ぞ壁に消えゆく」、この「ぞ」という、これは、夕日の影は壁に消えゆくでも夕日の影も壁に消えゆくでも通じるんですよ。ただ、この「ぞ」という、日本人の語感からいって、読むと本当に身がしびれるような、ぞっとするような深い情感を伝えるこの間投詞、助詞というものの意味合いというものは、これはとにかく日本人独特のものですし、なかなか外国人に翻訳し切れにくいものだと思います。

(中略)

>現憲法の前文の中で、こういう間違いがたくさんありますね。

>あの現憲法の前文の冒頭の一部ですけれども、こういう文章がありますね。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」という文章がある。これから導き出されてきた第九条は、日本人の多くに膾炙した絶対平和という、いわば非常に危険な共同幻想というものを導き出したわけでありまして、九条がそれを如実に反映しているわけですけれども。これは、今日の緊迫した世界情勢の中での、集団的自衛権に関する正当な議論の大きな妨げになっているわけです。これは、私は、やはり憲法の前文としても非常に厄介な、危険な事例だと思いますよ。

>この「公正と信義に信頼し」の「に」という助詞は、使い方として明らかに間違いですね。誰かに借金を頼まれたときに、しようがない、わかった、あなたに信頼して金貸そうと言いますか。あなたを信頼して金貸そうと。これは、一般の社会の中で、例えば口約束にしろ、証文を書くにしろ、あなたを信頼してと書きますけれども、あなたに信頼してということでは、これは、借金の義理に応じる主体者の存在、あるいは客体者の存在が非常に曖昧になると思いますね。

>平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼しという、このおかしな日本語というのは、本当に危険な、非常に日本に厄介な問題をもたらしている九条につながるわけですけれども。これは、あくまでも、要するに、平和を愛好する諸国民の公正と信義を信頼してとなるべきだと私は思います。

>その他の前文の中でも、助詞の間違いはいっぱいあるんですね。つまり、我々の日常の会話の中で慣用されていないような助詞の言葉遣いは、外国人のつくった憲法の前文の中にたくさんありますね。

>例えば、後段の、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」云々の「から」というのは、これはとてもおかしい助詞だと思います。原文は、フリー・フロム・フィア・アンド・ウオントという言葉ですけれども、フロムという言葉は、まさにフロム・トウキョウ・ツー・オオサカ、東京から大阪のフロムでしょうけれども、これは、日本語の慣用としても、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、」じゃなしに、欠乏を免れというのが正しい日本語です。これは、やはり本当に文章の印象というものを混乱させる間違った助詞の使用だと思います。

(中略)

>総理も私も、日本男児として、あくまでも自主憲法の制定を念願しておりますけれども、その大願成就のために、まずの一里塚として、せめてこの前文の冒頭の助詞の間違いを、「公正と信義に信頼して、」の間違った助詞の「に」、この「に」の一字だけでも変えていただきたい。変えようじゃないですか。

(中略)

>何も、問題の多い、絶対平和などという共同幻想を育んだ九条をいきなり変えろとは申しませんが、せめてこの「に」の一字だけでもみずからの手で直すことを、ひとつ総理、決心していただきたい。これはあなたの非常に大きな仕事になると思いますから。「に」の一字だけ変えましょう。これを変えることで憲法の印象というのは変わってくるんですから。ぜひそれをお願いします。お願いして、終わります。


(安倍晋三総理 答弁)

>文学者である石原慎太郎先生らしい御指摘だと思います。

>私も中学生時代だったですか、国語の授業でこの前文を丸暗記させられました。当時は、先生から、これは美しい文章だ、こう言われたわけでございますが、しかし、子供ながらにも、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というのは、何となく、すっと入らなかったことを今思い出しているわけでございます。

>しかし、一字であったとしても、これを変えるには憲法改正が伴うわけでございます。そこは、「に」の一字でございますが、どうか石原議員におかれましては、忍の一字で……。

>これは、憲法改正国民投票法を改正いたしまして、十八歳から投票が可能になりました。これは、若い皆さんにも、憲法について身近に考え、自分たちも変える権利があるんだということにもう一度思い至って、今おっしゃった指摘も含めて考えていただく。きょうの議論を契機としていただきたい、このように思うところでございます。

(ここまで)



※以下、発言要約


(石原慎太郎の発言要約)

・現行憲法は成立の歴史的経緯から正統性を欠く。自主憲法を制定したい。

・俗に「てにをは」と言われる助詞がある。極めて重要な言葉。

・間投詞、助詞の意味合いは日本人独特のもの。外国人には翻訳しにくい。

・外国人が一方的につくって、押しつけられた現憲法前文の中に、間違いがたくさんある。

・憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」及び第九条は、今日の緊迫した世界情勢にそぐわない。

・「公正と信義に信頼し」の「に」という助詞は明らかに間違い。「公正と信義を信頼し」が正しい。

・「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」の「から」もおかしい助詞。「欠乏を免れ」が正しい。

・「公正と信義に信頼し」の間違った助詞の「に」、この一字だけでも変えて頂きたい。これは総理大臣としての大きな仕事になる。


(安倍晋三の答弁要約)

・私も憲法前文は腑に落ちないと感じていた。しかし憲法改正には手続きが必要。

・若い人にも憲法を考えて頂き、変える権利があるのだと思い至って欲しい。



 あまり自分から、あれこれ言い足す必要があるとは思いません。石原慎太郎の言葉を聞いて頂ければ、特に文字、文章に携わる皆さんなら、すぐに理解できるでしょう。ですが敢えて、少々自分の言葉も足していこうと思います。


 まず、この質疑は今からちょうど十年前のものです。世界情勢も今ほど逼迫していなかったと思います。もちろん、当時、あるいはそれ以前から、例えば二〇一〇年の漁船衝突事件など、中華人民共和国による尖閣諸島周辺の領海侵犯、領空侵犯などがあり、日本の脅威と目されてはいましたが、今と比べれば危機感は薄かったと思います。

 二〇二四年現在、中華人民共和国による台湾進攻、台湾上陸という破滅的事件が起こる可能性が高まっており、他人事ではありません。中東や欧州でも戦争の火種が燻っており、世界大戦も噂されています。十年前に「世界大戦が起きるぞ」なんて言っても、誰も信じなかったでしょう。そのように、まだ余裕があった時期にも、これほど危機感を持って発言していたのが石原慎太郎であり、安倍晋三でした。既に両名共この世を去り、後を託された日本人が動かなければ、状況は決して好転しません。もう一度言いますが、これは他人事ではないのです。


 世界でも日本周辺でも、何かが起きそうな情勢になってなお、十年前の両氏の発言を無視し、胡坐をかいていて大丈夫でしょうか?

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」ていられますか?

 中には、日本国憲法は一文字たりとも、絶対に変えてはいけない、なんて言う人がいます。本当ですか?


 石原慎太郎が言うように、現行憲法は日本がGHQに一時占領、統治されていた時、その影響下で制定されました。憲法草案作成に携わったGHQ民政局の内部には、ソ連の共産主義者コミンテルンのスパイも紛れ込んでいました。

 世界には宗教経典そのものが憲法になっている宗教国もあります。そうした国では、憲法は神聖不可侵であり、一字一句変更は許されません。しかし日本は違います。絶対に変えてはいけない、という日本国宗教ではないのです。

 憲法制定から七十七年。一字一句変えていないのは、築八十年の古い家を改築せず使い続けるようなものです。老朽化した時代にそぐわない部分を改修しなければ、時流に取り残されてしまいます。今現在、そして近い将来の緊迫した世界情勢に対応し切れなくなってしまうでしょう。


 石原慎太郎の命日に、その遺言を今一度、見返して頂きたいと思います。

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