第9話 『魔族への鉄槌』

 嘘のない歴史書ほど、

 つまらないものはない。


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 高いところに登るのが好きで、王都北方外郭から行ける霊峰ビヴラートとそれに連なる山々からなる山脈に挑戦したことがあって、それが確か八年前。

 そう回想して、愕然とする。もう八年前か。

 別に山である必要はない。塔でも、丘でも構わない。とにかく高いところが好きなのだ。


 俯瞰の景色。

 上から見下ろす風景には、横から眺める気色とはまるで違う趣がある。


 綺麗だ。

 美しい。

 壮観である。なんでもない建物ですら、素晴らしく思える。

 住み慣れた町が、なんだか遠く見えて、それがいい。

 随分と、遠くまで来たものだ───と、思う。


 異界、である。

 慣れ親しんだ町が、そこでは異界、彼岸の領域となる。


 友人の、知らなかった一面が覗けるようで、なんだか楽しい。

 いつも朗らかな友人の、待ち合わせに来た私に気付かず、真顔で虚空をじっと見ている、そんな横顔をイメージしてほしい。上から町を見下ろした時に感じる楽しさというのは、そういうものだ。


 とはいえ、流石に霊峰に何度も登ることはできない。

 身近なところで、我慢するしかない。


 そういうわけで、私はその日、『聖剣堂』へと向かった。


『聖剣堂』は王都三重壁の内側にある大書店で、元はランドマークとして建てられた十二階の構造物だ。中には展示や店があったのだが、客は少なく、あっさり潰れたその石塔を、とある書店が買い取った。その後、その書店は空いた階に印刷機を置いたり、蔵書管理用の書庫としたりと言った形で空き部屋を埋め、やがて十二階全てを活用しきった大書店が完成する。それこそ王都最大の書店、『聖剣堂』であった。

 町中にすらっと立つその塔は、一般客でも八階まで立入れる。このあたりの建物は三階なので、『聖剣堂』八階の窓から外を覗けば、結構な景色が見える。


 そういうわけで良く晴れた昼だった。私は道を歩いている。やがて『聖剣堂』に着く。


 扉を開けて中に入る。

 一階。新刊本の階である。

 幾つかの台の上にいろいろと積まれている。

 あの暗黒杉の書舗と違い、売るための置き方を意識している感があった。


「おや、カザイ様!」


 呼ばれた。

 見てみると、店員がニコニコしながら駆け寄ってきた。

 ライドウ書牢を紹介してくれた彼であった。


「今日はどんな本をお探しですか」


 さて困った。

 実のところ、本を買いに来たのではないのだ。何をしに来たのかと言えば、八階からの景色を眺めに来ただけである。だが、そんなことを言うわけにもいかない。


 とりあえず辺りを見回すと、幾つかある新刊台の一つが目についた。


 黒表紙が山と積まれている。


 あれは何かと問うと、店員は、『魔族への鉄槌』であると答えた。


「どんな本なのだね」


 近づいてみると、中々に陰気なコーナーで、ゾワリとさせるような積み方である。黒表紙が並んでいると、こうも視界は黒くなるかと驚かされる。

 そこだけ闇が濁っているようだった。

 黒一色の表紙に、赤色の文字でクライメと署名されている。

 これが作者らしい。


「内容は、手引書です」

「何の手引きなんだね」

「魔族の狩り方ですね」


 魔族。


「魔族だと」

「はい」

「そんなものが、世の中にはまだ残っているのかい」


 魔王の時代が終わり500年だ。天寿を持たぬ不死の種族と呼ばれた魔族も、その数を大きく減らしていると聞く。

 そんなものをいちいち狩る必要など在るのかねと思うと、それがあるのですよと店員は言った。何故と問えば、


「魔族は我々の中に隠れているのです」


 と答えた。


「隠れているだって」

「『魔族への鉄槌』によれば、現代の魔族は人間の脅威を理解したことでそのあり方を変え、人間社会に溶け込み、隠れ潜むように生きている、のだそうですよ」

「ほう」

「普通の人間と同じように老け、老衰で眠りについたのち、墓の中で若さを取り戻して起き上がり、這い出て、その痕跡を消し、そして産院で赤子を貪ってから自身の肉体を赤子と同じにする。そうしてまた一生を過ごすのだとか」


 想像してみたら、何ともおぞましい光景である。

 であるが。


「しかしご安心くださいカザイ様。この本にはそうした魔族の見つけ方、見分け方、更には自白させるための拷問法も載っているのです」

「おい、最後は聞き捨てならんぞ。拷問までするのかね」

「しかし必要ですから。身近に魔族がいるのに、それを放置しておくわけにもいきませんでしょう。聞けばいまだに、魔王の復活をもくろむ組織もいるといいます。我々も、生活を守るために戦わねばならないのです」

「ふうむ。しかしねえ」

「それに、ですよカザイ様。この書によれば、魔族を処刑することの正当性は遥かな古代から訴えられてきたというのですよ。『天の救済を拒む不死は、これを許すべからず』『魔族とは狡知に長け、残虐に狂するものであり、これを滅するために用いられるあらゆる鉄、炎、力は、これを祝福される』『魔族は、生かしてはならない』……世界のあらゆる教えがこう述べているのです」

「それは……この本に書いてあるのかね」

「ええ。どうですか、カザイ様。この本をお読みになりませんか」

「うーむ」


 正直、興味は引かれる。

 だがそれは、魔族から身を守るためではなく、どんなことが書いてあるのか知りたいという、好奇心から来るものだ。


「かの聖地の枢機卿閣下のお墨付きですよ」

「なに」


 ますます興味が湧いた。

 だが。


「いや、やはり今回は買わないよ」

「左様でございますか」

「うん。興味はあるが、今の気分じゃないね」


 良く晴れたこんな日に買う本では全くない。

 だが、雨の日だったら買っていたかもしれない。


「とりあえず、私はもう少し上を見てくるよ」

「承知いたしました。ごゆっくりお楽しみください」


 八階まで上がるのは、結構足に来る行いだったが、その分、高所からの眺めは格別だった。

 遠く東外郭の方向を見ると、地平線のような位置に黒い木々が見える。あれが暗黒杉であろう。あそこに、書店があるなどと、余程のもの好きでもない限り知り得まいと思う。


 十分に堪能したので下に降りることにした。

 一階まで来ると、なにやら騒ぎのようなことが起きていた。


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