第8話 魔法使いの夢
「明日死ぬというのに随分機嫌がよさそうじゃないか」
吸血鬼はそう言った。
「なあ、勇者殿」
シニカルに笑んだその口の端に牙を見せて。
そこは王城の一室である。
豪奢な礼服とマントに身を包んだ黒髪の美男子であった。
不死の種族の総称たる魔族、その中で最も死へと反逆する血族の、裔。
ウラード地方に君臨し、しかし魔王軍には所属せず、彼らを新参者と笑って、蒐集ばかり行っていた変わり者。或いは、己が血に過剰な誇りを持ち続けた尊大者。
その名をセドリック・ライドウ。蒐集癖の魔人である。
彼は眼前の青年へと問う。
「ん───、そうだね」
対して、魔法使いは答えた。
「気分は、確かに悪くない。むしろせいせいしているよ」
彼は白髪で、ローブに身を包み、杖を持つ。まだ二十を越えた程度の年齢なれど、その雰囲気には既に老成が見える。
彼こそは魔王討伐を果たした英雄、シルヴァンであった。
「うん。確かにこれは、君が皮肉を言いたくなるのも分かるよ、ライドウ。我ながら驚きだ。意外に気分がいい。実に良いんだよ。魔法使いシルヴァンは、明日死ぬというのにね」
明日───彼は死ぬことになっている。
命そのものを、奪われるわけではない。
ただ、名前を失う。彼は明日、王都にて起こるとある襲撃事件に巻き込まれ、他愛のない一人の少年によって腹を貫かれる。そういう手はずになっている。そして彼は死ぬ。偽りの死体を以て葬儀が執り行われ、シルヴァンは別の名を与えられる。そうして、都を放逐される。そういう手はずになっている。
「王族共も酷い真似をする」
「魔王を倒したんだ、次代の魔王とみなされても仕方ない。……それに僕は今、結構楽しみだよ。また冒険に出られるんだ。今度は魔王というゴールのない、どこまでも続く道を行ける。大地を、海を、空だって超えた先を目指せる。だから、僕は今、とてもワクワクしている」
その目は、何一つ偽りではない。
煌めくような瞳は、夢見る少年のそれだった。
魔王討伐という過酷な旅を終えてなお、彼は幼き日の憧れの一切を曇らせなかった。
それこそシルヴァンの、最も誇るべき偉業であるのかもしれないと、吸血鬼は思う。
そのうえで、だ。
吸血鬼には理解できない。
己の血脈こそを尊ぶ彼は、なぜシルヴァンが自らの名と功績を捨て去れるのか、全く理解が出来なかった。
「悔しくはないのか」
「悔しい……?」
「魔王を倒したのは、他ならぬお前だ。これから続く一生を、勇者として生きることが出来たはずだ。なのにそれを、王族共に奪われるというのは、悔しくないのかと聞いている」
「……」
「あいつらは貴様の姿を書き換えるつもりだ。自らの統治に都合のよいように。勇者シルヴァンは聖剣を持たされるだろう。魔法などに頼らず、その腕と剣と勇気で立ち向かった快男児が、勇者シルヴァンとなるだろう。大衆が好む英雄というのは、そういうものだ。貴様に救われたもの達も、その勇者像を受け入れていくだろうよ。それが、悔しくないのか、苦しくないのか、どう聞いている」
「そうだね……悔しくは、ない」
シルヴァンは答えた。
一切のゆるぎなく、そう言った。
「何故だ」
「僕の実像なんてものは、どうでもいいんだよ、ライドウ」
「なに」
「うん。君が見る僕はきっと、僕が思う僕とは違う。これは世界の全てに言えることだ。人はね、目の前にある世界を頭の中に一度取り込み、解釈して理解する。でもその解釈はきっと全員が違うんだよ。もしかしたら、僕自身さえもね。本当の僕なんてのは、見つけられないんだ。だから、どんな形の僕が生まれてもいい。誰が僕に何を見出そうと、どんな僕を解釈しようと、構わないさ。だって、それが世界というものだろう?」
魔法使いはそう語った。
それは、途方もなく、孤独な考えだ。
「僕たちは、孤独だ。誰かと全く同じに何かを理解し共有することなんか到底不可能だ。言葉の力はまだまだ足りず、分かり合える日は遥かに遠い。けれどね。『僕』ならそこに迫れるかもしれない」
「迫る、だと」
「ああ。『聖剣の勇者シルヴァン』。王たちの作る幻想は間違いなく人々に広まる。そしてその幻想は、強いよ。世界中に広まった伝説からは、物語が生まれる。生まれ続ける。多くの語り部が、勇者シルヴァンを語るだろう。多くの創作者が、勇者シルヴァンを紡ぐだろう。言葉はここに洗練される。シルヴァンがシルヴァンを生むんだ。そのサイクルの果てにきっと───極限の言葉の使い手に辿り着ける。シルヴァンという言葉で、全ての人に全く同じシルヴァンを伝えられる、そんな存在が。そのとき───人は、孤独じゃなくなる。勇者の像が、人を繋ぐんだ」
「遠大な夢想だな。だが夢想で終わりかねんぞ。そもそもそれは、希望に希望を重ねた希望論でしかない」
「そうだね」
「そこまでに至れる保証はどこにもない。お前はそもそも民衆に受け入れられんかもしれんではないか」
「大衆が好むって言ったのは君だよ、ライドウ」
「俺にも読みを外すことだってある。シルヴァンが次のシルヴァンを生むサイクルが途切れる日だって来るだろう。極限の言葉の使い手が、現れる日は来ないかもしれない」
「そうだね。その可能性は十分にありうる。そしてそれと同様に、僕の理想が叶う可能性だって十全にあるんだよ」
シルヴァンは揺れない。
彼はまったく揺らがない。
「書物は今後より発達し、広まるだろう。言葉はどんどん洗練されていくはずだ。勇者シルヴァンは、間違いなくその推進剤になる。語り部や紡ぎ手は増え続ける。爆発的にね」
「だから、お前の理想は叶うと」
「叶えてもらわないと困るよ。───僕は魔王を倒したんだから。次は、皆の番だ」
それは、希望であり、期待だった。
人類最大の英雄はそう言って。
「見届けられるとしたら、君だね、ライドウ」
「馬鹿を言うな。俺は貴様の夢など見届けるつもりはない」
「うん。ありがとう」
「何故礼を言う」
「君はいつもそうだったからね。初めて会った、あの湖畔で絵を描いていた時だって、そうだった」
「…………話はこれで終わりだ。葬式には出んからな。今生の、別れだ」
「うん。今までありがとう。魔族は全て敵だ、なんて幼稚な二元論を信じていた僕を、変えてくれた君の生涯に、幸が在らんことを」
魔族は部屋を出て、廊下の闇に溶けて消えた。
翌日、勇者を襲った少年のナイフは、しかし勇者に届く前、漆黒の影が食い止めた。
漆黒の影は煙幕のように広がり、仕組まれた襲撃者たる少年は───この後に彼を仕留めよと命じられていた暗殺者たちの目を盗んで、王都からの逃走に成功する。
漆黒の影は暗殺者らを行動不可能に追い込んだのち、勇者へと襲い掛かり───その胸を穿った。───実際は、穿ったように見せただけだが───。
勇者は持たされていた聖剣のレプリカで影に切りかかり、影はその時消滅した。
これにより、勇者の死は魔王軍残党によるものと結論付けられた。
またその後、勇者は落命したと報じられた。
勇者は死に、冒険者が生まれ、王都を去る。
後には誰の屍も埋まっていない空虚な墓と。
実像とは離れた勇者の虚像が残されている。
その虚像が500年の時を超えてごく小さな事件を起こすことを。
シルヴァンも、ライドウも、まだ、知らない。
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