第6話 真相

 翌日、本屋から呼び出された。

 届ける予定であったが、都合があり、取りに来てもらいたいという。

 行くことにした。

 ここ数日、ずっと出歩いている気がする。

 出不精な私としては、珍しいことだ。


 暗黒杉の森林へと入り、道を進む。

 もしや辿り着けぬのではないか、と不安に思うほど長く歩いた末に、其処につく。


 本屋───ライドウ書牢。


 森の中の、奇妙な、塔のような書舗である。

 扉を開ける。

 中は変わらず、暗かった。


「来たぞ」

「ご足労いただきありがとうございます、カザイ様」


 主人が、出てきた。

 相変わらず美しい顔をしている。

 見ていると寿命が伸びそうである。

 つまりは魔的な美貌だった。


「それで───何用か」


 挨拶はそこそこに本題に入ろうとする。

 店主はふっと笑って、


「調査の報酬をお渡しするためにお呼びしたのです」


 報酬───ああ、あったな、それも。

 星読みの祖ルーンの書であったか。


「ただその前に───」


 店主は言った。


「昨日のお話を、聞かせていただけますかな」

「昨日の」


 昨日と言えば、ジュークリオ老に招かれ劇団に行ったのだった。

 しかしこの店主、なぜそれを知っているのだろう。


「単純なことです。カミラに昨日、本を持って行かせたのですが、留守だということで帰ってきたのですよ。カザイ様が何処にお出かけになられたのかは存じ上げませんが、もしお聞かせいただけるなら───お聞きしたく」

「はあ、なるほど」


 納得した。

 昨日の話か。

 別に、隠すことでもない。

 私はジュークリオ老に呼ばれたことから始めて、昨日起きた物事を全て話した。

 店主は頷いて。


「これで全て了解いたしました」


 と言った。


「何を了解したんだ」

「この一件にまつわる、すべてにございます」

「いや、わからん。なんだね、この一件とは」


 まるで何か事件でも起きていたかのような口ぶりじゃないか。

 だがそんなもの、起きていた記憶はないぞ。精々が勇者の亡霊を名乗る悪戯者がいた程度だ。


「その悪戯者の正体が、わかったのです」

「───まことか」

「ええ」


 カミラに報告されているだろう内容と───私の報告のみで。

 分かったというのか。


「ええ。ここ数日、勇者シルヴァンの墓に夜な夜な現れては、勇者伝説は偽りであると口にする幽霊───の、振りをする怪人物。その正体は、いま、やってまいりますよ」


 今、来るというのか。

 本気で、言っているのか。


 蝋燭に照らされた店主の顔は、幽玄の美とでも言おう趣を湛えているが、真実を言っているかどうかの判別は、全く付けられない。

 私はしばし茫然としていた。


 すると、だ。


 気が付くと、なにやら車輪の回る音が聞こえる。


 馬車───か。


 誰か来た。


 馬車はこの店の前で止まったようだった。


 バタンと、馬車の扉の開く音。


 そして、何者かが降り。


 歩いて。


 書舗をノックした。


「開いております」


 店主はそう言った。決して張り上げてはいないが。しかし心に深く入り込むような、そんな声である。


 扉の向こうに、亡霊がいる。


 勇者に成りすました、誰かがいる。


 扉が開く。

 なんだかいやに、怖いと思えた。


 扉を開けて入って来たのは。


「お久しぶりですな、ジュークリオ様」

「おう」


 ジュークリオ老、である。

 ───ありえない、と思った。

 彼が───亡霊だなどと。


「おい、店主」

「お静かに。───カミラ」


 いつの間にか私の後ろにカミラが立っており、どこからか椅子を持ってきていた。裾を掴んで、引っ張られている。座れという事らしい。

 見ていろと、いうことか。

 私は、座ることにした。


「なんじゃい、先客がおるか」


 暗くて視界が安定しないのか、ジュークリオ老はそう言った。


「はい。ですが今日はジュークリオ様から相手いたします」

「それは助かるが───良いのかね」

「構いません」

「ふうむ。まあ、良いか……」


 老いたる脚本家はそう言って。


「申し訳ないが……ルーンの『杖の振り方』を、買い取っていただきたい」

「……左様でありますか」

「ああ。買い取っておいてすまんがの。もはや儂には、不要であるのだ」

「なるほど───」


 店主は、そこで言葉を区切り。

 そして。

 言う。

 その時、その言葉は、私にとって、呪文のように思えた。


「やはり───もう、読めないのですね」


 読めない、とは。

 何を言っているのか。

 ジュークリオ老は体をびくりと震わせて。

 そして。そんな彼へ、畳みかけるように、店主は言った。


「ウラード地方への旅から帰って後、急速に目が悪くなった。違いますかな」

「何故、それを」


 狼狽えたように、彼は言った。

 その言葉は肯定と同義であった。


 目が悪い───そんな、ことは。


 いや───あるのか? 昨日の姿を思い出す。ジュークリオ老は、机の上の『杖の振り方』を取るために、非常にゆっくりと手を動かしていた。まるで───位置を確認しながら伸ばしているかのように。


「その杖は体を支えるためではなく、もう無き視野を補うためでありましょう」

「……むう」

「ここ数日、勇者役のダルザイン氏を部屋に読んでいたとのことですが、それは稽古ではなく『杖の振り方』を読み上げさせていたのだと推察いたしますが」

「それを、誰から……」


 主人は私をチラリと見た。

 ジュークリオ老は、困惑したまま主人を見ている。

 それが、答えであろう。見えるのならば、私を見ている。私を見ていないなら、それは見えていないということだ。


「であれば───あなたは、本来、杖を突かねば歩けぬ足腰ではないのでしょう。曲がった腰を抱えて、ウラード地方まで旅をし、取材するなど、不可能でしょうしな。さあ、その腰を、伸ばしていただけますかな」

「……」


 ジュークリオ老は、しばらく黙ったのち。

 諦めたように息を吐いて。

 その腰を───曲がったように思えた腰を、伸ばした。

 大きい。

 老い、腕も足も細かろうに。それでもなお、大きいと思う。そう思わせる偉丈夫がそこにいる。もはやそれは、腰を曲げ、杖を突いていた老人ではない。


 私の背後でカミラが頷いた。

 主人はそれを見たらしい。


 合図か。今のは。何の? 検分。首実検か。


「勇者の幽霊も、あなたですね」

「全て見通しか」

「ええ」

「ではなぜ、儂があんな真似をしていたのかも分かっていよう」

「はい」


 店主は頷いて。

 解き明かし始める。

 何故この老いたる劇作家が、あんな悪戯に手を出したのかを。


「ウラード地方での取材をもとに記したのが、『青月のシルヴァン』最新巻『吸血魔闘の章』ですな。私も楽しませていただきました。その中でも特に特徴的なシーンは」


『青月のシルヴァン』最新巻。私が先日『聖剣堂』にて買った一冊だ。

 ウラード地方の大魔族と激戦を繰り広げるシルヴァン一行を画いた巻であり。

 見どころは、間違いなく、初めての大魔族との激戦。そして。


「それまで剣を振るっていたシルヴァンが、魔法───現在では星読み、ですな───を用いて戦うという異色の展開です」


 そうだ。

 私もそこで驚いた。

 剣では勝てない、並の魔族とは比較にもならぬ大魔族を相手にして、魔法───魔族の技を使いこなすシルヴァンは、闇色の格好良さがあった。

 だが、それがどうしたというのか。


「作家ジュークリオの執筆は、入念な取材から来る確かな現実性が読み味です。となれば、ウラード地方でも入念な取材を行ったのでしょう。そしてあなたは、見つけられたのではないですか」


 何を。

 何を見つけたのだ。

 この、老作家は。

 何を───。


「勇者の正体を記した、絵画を」


 正体───だと。

 勇者の、正体。それは、なんだ。

 勇者に正体など在るのか。

 勇者シルヴァン。500年前に聖剣を抜き、並み居る大魔族を打ち滅ぼして、魔王すらも倒した大英雄だ。


 そんな人物の、正体だと───。

 それは、なんだ。


「それを見てあなたは理解した。そう、秘密を知ったのです。その秘密とは、勇者シルヴァンは───剣士ではなかった、というもの、ですね」


 剣士では、なかった、だと。

 私は思わず口を開こうとして。

 それをカミラに塞がれた。小さく柔い手が、開こうとした私の口に当てられる。

 そんな私を全く気にせず、店主は老作家の秘密を暴いていく。


「勇者は剣士ではなく、魔法使いだった。それがウラード地方取材の結果であり、あなたはそれに強いショックを受けた。……真なる勇者とはまるでかけ離れた存在を、作劇してきたのだということを、知ったのです」


 真なるもの───ジュークリオ老が求めるのは、それだ。

 そして勇者ものを長く作り続けてきたジュークリオ老にとって、最も愛している真なるものとは、他でもない、勇者シルヴァンであろう。

 だが、それが───全くの偽物であると、彼は知った。


「『青月のシルヴァン』は個人での執筆。まだやり直しは効きましょう。しかし───劇団はどうなるか」


 脚本は、一人では書けない。


「魔法使いのシルヴァンなど───出資者は許さなかったよ」


 ジュークリオ老は、そこでようやく口を開いた。

「お前さんの言う通りだ。儂は本物を───真なる勇者の片鱗に触れた。だが、だがのう……それに迫ろうとすることは認められんかった。客が求めるものは、出資者が作れというものは、聖剣使いの勇者であり、魔法使いによる魔王討伐ではなかった」

「でしょうなあ。間違いなく売れませぬ」


 そうだろうか。


「古来より英雄の武器は剣と相場が決まっております。魔法はあくまで、勇者を助けるもの、もしくは───立ち塞がる障壁。一から十まで魔法を用いるものを、英雄とは認めないでしょう、民衆は」


「そうだなあ……。だから、まずはその認識を変えてやろうとも思ったのだ。『青月のシルヴァン』でな。だがそこにきて、この目の悪化だ。もはや儂には書けぬよ。いや、物語は頭にある。いくらでも生める。誰かに書きとらせれば、死ぬまで物語続けられよう。しかし───、問題なのは、演劇の方だ。偽りの勇者像を再び作ることが、できん」


 ジュークリオ老は、言った。


「何より、儂は世界を救った勇者に憧れながら、それとはまったく違う虚像を追いかけていた───それを知って尚、儂はのう……『青月のシルヴァン』新作を書いて気付いたよ……儂が好きなのは、本物の勇者シルヴァンではなく……」


 店主は黙って、それを聞いた。


「聖剣使いの、シルヴァンだ。でなければこれだけの数の作品を作れるものか。儂はの、実在の彼より虚像の彼をこそ愛した。それで真なるものに迫ろうなどと……じつに、実に……愚かだ」

「故にもう、書けぬとおっしゃる」

「ああ。書けぬ。愚かなる儂に、勇者を記す資格はない」

 老作家は、そう結んだ。

 大きな体でありながら。

 その姿は、拠り所を失った亡霊のように、か弱く思えた。

 が。

 そんな彼へ。

 店主が言う───。


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